カズヤ邸にて 一
△ カズヤ視点 △
「アカリを、【忌み子】を殺したら意味が無いじゃないか!!」
自室で受けた隠密からの報告に、僕は激高した。
皇軍の二番隊に情報を流し、日下部の邸宅を強制捜索させたまでは良かった。
姫殿下、特に【忌み子】なら間違い無く邸宅から逃げ出すと踏んでいたし、実際逃げ出していた。あの男と共に。
あとは騒ぎに乗じてあの男を殺し、【忌み子】を攫ってくるだけで良かったのだ。
隠密から聞く途中報告に、これほどまでにこちらの手筈通りに事が進む事に、自分の才能を恐ろしくさえ思ったほどだ。
だというのに!!
誤って、【忌み子】に毒矢を当ててしまっただと!!
「この役立たずどもがっ!!」
報告に来た隠密に蹴りを入れる。
が、平然としている隠密の姿に、さらに怒りが込み上げてくる。
「カズヤ様、どうかそれ位で」
窘める声。
長い黒髪の中性的な顔をした男、参謀殿だ。
「だがな参謀殿。この役立たず共のせいで、計画が破綻したら元も子も無いのだぞ!!」
「はい。ですが、起こってしまった事は仕方有りません。ですから今は、これからの事を考えませんと」
「……ふん!」
最後に一つ蹴りを入れ、何とか腹の虫を治めようと努力する。
「——してどうする?」
隠密どもを下がらせていた参謀殿が、僕の問いを受け振り向く。
「はい。隠密たちの報告によりますと、矢を受けたアカリ様は、件の男と共に橘邸へと入ったご様子。で、あるならば、アカリ様はまだご存命かと思われます」
「どうしてだ?」
「襲撃を掛けたあの厩から、橘邸まではかなり距離があります。件の男は、この町の地理には疎い様子。それなのに最短距離で橘邸へと向かったという事は」
「アカリに意識があり、男に自宅まで案内したと?」
「はい。橘邸を見張らせていた者からの報告によれば、町の高名な医者が橘邸へと入ったとの事。アカリ様はこの町でも有数の武人。治療が早ければ助かる見込みは御座います」
「それでも、計画通りではないぞ!」
「はい。ですが、少しの修正で対応は可能かと。むしろ——」
「死んだ場合か?」
「はい。その時は計画そのものを見直す必要があるかと」
そう結論付ける参謀殿。
くそ! ここまでは上手く行っていたのに! 今からでも遅く無い、今からあの隠密どもを呼び出して殺してやる!!
昏い感情に意識が塗り潰される。
「カズヤ様、取り合えずは今夜はこのまま橘邸を見張らせて、アカリ様の状況を見極めましょう」
男の提案に、出口の無い昏い思考から何とか這いずり出す。
「……そうだな。今は【忌み子】の生命力に掛けるとしよう」
もし、死んだ場合は、あの馬鹿どもを——。
再び湧き出す昏い思考に、僕は愉悦を浮かべた。
△
「まだ分からんのか!?」
【忌み子】が橘邸に運び込まれてから一週間が経った。
隠密から定期的に連絡を受けているが、いまだ【忌み子】の安否は掴めないままだ。
「天下の橘邸ですからね。警備も厳重ですから、おいそれと簡単には行かないのでしょう」
朝食後のお茶を飲みながら、参謀殿が答える。
我が本条家の役宅に、参謀殿が来てからすでに一か月。
その間、この男が朝食後のお茶を欠かす所を見た事が無い。
「しかしな、参謀殿。【忌み子】の安否が掴めないと、動けるもんも動けんぞ」
「はい。ですが、今は待ちましょう。あの毒を受けてそう簡単に回復するとは思えませんし。今は待つのが得策かと」
「しかし、時間は限られているのだぞ!?」
「……ならばこうしましょう。明日の夜までにアカリ様の安否に関する報告が無かった場合は、橘邸に刺客を送り込み、アカリ様を——」
「!? 殺すというのか!? 馬鹿な!?」
「しかし、このまま生死が分からなければ動けないのも事実。 ならば、アカリ様は死んだという想定で動きませんと」
「もう一つの計画か……」
「——
はい」
参謀殿がお茶を口に含む。
その間に考える。
この一週間、ただ【忌み子】の安否確認に手を拱いていた訳では無い。
【忌み子】が死んだ場合の計画を、この参謀殿と考えていたのだ。
最初の計画に比べると少し杜撰な所もあるが、それでも上手く運べば当初の計画と遜色ない結果となるだろう。
「……分かった。それでいこう」
「御意に」
憮然とした態度で指示を出す。それも仕方無いというものだ。上手く行っていたというのに!! これもあの男のせいだ!!
(……よし、アカリ暗殺の罪はあいつに被せてやろう……)
これは面白くなってきたぞと、お替りしたお茶を飲んでいる参謀殿と、あの男に罪を被せる方法を色々考えた。
しかし、結果的にその方法も、もう一つの計画も無駄になるのだが。