アカリの邂逅 其の肆
◇
また、場面が変わる。私はまた馬車に乗っている。身には普段着では無く、余所行きの赤を基調とした、少し派手目な振袖を纏って。
(ああ、これは十二歳の時だ。成人の儀だったっけ)
この国では男女とも十二歳になると、婚約出来る事になる。別にそこで結婚する訳では無く、将来の伴侶を決める事が出来るというだけだ。だから、女の子は十二歳になると大人の仲間入りを果たす訳だ。その儀式の最中だろう。たぶん、馬車で橘家縁の寺社に行く所だ。
私は俯いていた。
当然だ。大人の仲間入りといったって、まだ十二歳。将来なんて決められる訳が無い。
それに、結婚と聞くとどうしても姉様の婚約の事を思い出してしまう。あの惨劇を。
そんな私の思いとは裏腹に、馬車は寺社へと向かっていく。寺社で身を清めた後に、どこかとも知れない相手に会いにいく、——予定だった——。
突然、馬車を引く馬が嘶く。馬の前に突然、男が現れたのだ。男はブツブツ何かを呟くと、腰の刀を抜き、一心不乱に馬車へと向かう。馬車の周りには、数人の若い護衛しか居ない。
あの日以来、私の扱いは変わってしまっていたから。
私が忌み子になったという噂は、あの日、国全体に広まってしまっていた。国が箝口令など敷く暇も無いほどの早さで。その結果、私は国に害をもたらす者という扱いになった。
それでもこの国の姫である。護衛を付けなければならないのだが、忌み子という噂のせいで、私の護衛を希望する者は一人も居なかった。それに対して父上は激高したらしいと、後に姉様から聞いた。
私の扱いに困った人達は、父の怒りに触れない様対策をしたのだが、まだ階級の低い侍を数人、私の護衛にするのがやっとだったらしい。
有事の際、頼りにならない護衛。
それでも私は構わなかった。
お母様が亡くなり、忌み子と怖れられ、陰口を言われる毎日。何度死んでしまいたいと思ったか分からない。若い護衛を寄せ付けない強さを誇るその男を見た時、やっと機会が来たかと思ったほどに。
護衛を圧倒出来るほどだもの。私なんて簡単に殺してくれる……。
私は無造作に男へと近づいていく。まるで助けを求めるかの様に。
そんな私の態度が気になったのか、男は少したじろいだ。それを見た私は笑う。十二歳の女の子の何に臆する事があるのかと。
(ああ、そうか。あの噂か。忌み子という怪異なモノの)
私は男に近付き、両手を広げる、何も持っていない事を表す様に。
その動作が男の矜持に触れたのだろう、男は忌々しげに顔を顰めると、持っていた刀を上段に構え、振り下ろす。
ああ、やっと死ねる。死んであの世に行ったら、お母様ともう一人のお母様に謝ろう。
男の振り下ろす刀がゆっくり見える。あと少し。もう少し……。
しかし、
キィィン!
男の刀が私に届く寸前で、横から出た刀に弾かれる。
「「誰だ!?」」
私と男の誰何が重なる。それは傍から見ればとても滑稽に見えただろう。男はともかく、助けられた私の口から出る様な言葉では無いから。
そこには、黒く癖の強い髪をした、目付きの悪い侍が立っていた。
持っている刀で、男の振り下ろしを弾いたみたいだが、驚くのは片手で刀を持っている所だ。
襲ってきた男は両手で振り下ろしたのだ。それを片手だけで弾くなんて、どんな剛腕なのか?
「ったく、そう何度もこのご城下で暗殺なんてさせねぇよ」
侍にしては、乱暴な言葉使いだ。私に付けられた護衛にはこんな侍は居なかった。一体何処から?
「さて、お前さんには聞きてぇ事がある。大人しく捕まってくれないかい?」
「……ぬかせ」
侍の言が気に食わなかった男は、刀の切っ先を侍に向ける。そして、目の高さに上げて、刀を寝かせた。突きの姿勢だ。
「おいおい止めときなって。お前さんには無理だよ」
「……」
シッ!
気合の声と共に、男の鋭い突きが、侍の喉元に迫る!
しかし、
「甘いね」
侍は難なく躱す。
そして、
ゴッ!
「ぐ!?」
いつの間にか男の後ろに回っていた侍が、男の後頭部に一撃をくれた。刀を反しているから峰打ちだが、男の意識を刈り取るには充分過ぎる威力。
男は白目を剥き、前のめりに倒れた。それを、ひょいと担ぎ上げる侍。
一瞬の事に、私は情けなくも口をパクパクさせるだけである。
襲ってきた男だって並みならぬ使い手だ。その証拠に、私の護衛達は歯が立たなかった。その男をまるで赤子の手を捻る様に軽く倒してしまった……。
その剣筋に、強さに、心奪われた。
死にたいとまで思った、私の冷えきった心にひとつの火が灯る。
この癖のある髪をした侍に、興味が湧いた。
そんな私の思いが視線に宿ったのかは知らないが、私の視線に気付いた侍が、男を担いだまま振り向く。
「危ない所でしたな、アカリ様」
ニカッと笑う侍。
対して私はキョトンとしてしまう。
あの事件以来、私に笑顔を向ける者など誰も居なかったのだから。
「——貴殿のお陰で助かった。礼を言う」
とても十二歳の子供の口から出たとは思えない、表面だけの礼。
すると、侍は男を担いだまま、私の前にしゃがみこむ。丁度目線の高さが同じになる。
そして、おもむろに私の頬を掴むと、口端を持ち上げた。
「え、にゃにを!?」
「——アカリ様、子供は笑うもんだ」
そう言って、またニカッと笑った。人懐こい笑顔。
「……私は笑えない」
お母様を殺され、忌み子と罵られてから今まで、私は笑った事が無かった。
「——それでも」
頬から手を離すと、今度は頭をポンと軽く叩かれる。
「——笑うのさ」
「……どうすれば貴殿の様に強くなれる?」
私は目に溜まった涙を見られないように俯きながら、目の前の侍に問う。
この侍ほどの強さがあれば、何か変われるだろうか。
この暗闇から抜け出せるだろうか。
誰からも愛されない、誰からも必要とされない私。
それもしょうがないと思っていた。だって私は忌み子だから。
でも、心の奥深くに、それは小さく残っていたのだ。
愛されたい、必要とされたい。強くなりたい!
一度気付いてしまったそれは、自己主張する様に私の中で暴れまわる。
——そうか、私は変わりたかったんだ——。
「なれるさ」
知らず流れていた涙を拭うその手は優しさに満ちていた。ぬくもりに満ちていた。
顔を上げ、涙で霞む視界に映った侍は、私にとって一条の光だった。
「ではな、アカリ様」
「待って!」
話は終わったとばかりに、立ち上がる侍に、まだ聞きたい事があった私は呼び止める。
その時、
「アカリちゃん!」
不意にガシッと後ろから抱き締められた。
「アカリちゃん、ケガはしてない?! 大丈夫?!」
「姉様!?」
そう、私に抱きついてきたのは、姉様だった。
姉様は私の体をくるりと回転させ、今度は正面から抱き付く。
「何故姉様がここに?」
「何故って、お城にアカリちゃんが襲われるって匿名の報せが届いたの。私、居ても立ってもいられなくて」
ほんとに大丈夫!?痛いところない?と、私の顔をペタペタと触って確認する姉様。
「ハッハ!」
その様子を見ていた侍が笑った。
「アカリ様。すぐ近くに心配してくれる人がいるじゃねえか」
そう言って、姉様を見る。
「ちゃんとアカリ様の事を見てる人が居るんだ。その人の為にももっと笑って生きなきゃな」
そう言って、外套の男を背負い直すと、侍は私達に背を向けて歩き出す。
「待って!」
その背に向けて声を掛ける。
「せめて貴公の名前を教えて欲しい!」
すると侍は歩みを止める。
しかしこちらを見る事も無いまま、
「名乗るほどではありませんよ。それとアカリ様。強くなりたきゃ、東の町外れにある剣道場に行ってみるといい。きっと力になってくれますよ」
それじゃと言わんばかりに片腕を上げてこの場を去っていく侍。
去っていく侍をぼうっと見ていると、私を抱き締める姉様の腕に力が入る。
「姉様?」
「アカリちゃん、ごめんなさい」
姉様が胸元に顔を埋める。
「私、知ってたの。あの日以来アカリちゃんが苦しんでいる事を。忌み子と言われ、悲しんでいるアカリちゃんを。なのに私、何もしてあげれなかった」
「姉様……」
「ごめんねアカリちゃん。お母様が居ない今、私があなたの力になってあげなきゃいけないのに。なのに、それなのに……」
ごめんねと、嗚咽の混じる声で許しを請う姉様。
私は目を瞑ると、そっと姉様の頭を抱く。
「アカリちゃん?」
「姉様。私の方が姉様に謝らなくてはいけないんです。姉様の晴れの舞台を台無しにしてしまった」
「違う!あれは」
「確かに、反体制派による仕業だとお父様も仰ってました。ですが、直接の責任は無くとも、私が忌み子となってしまった事は、少なからず姉様にご迷惑を掛けた筈です」
あの事件は反体制派による犯行だと、警備担当の大臣がお父様に報告していた。反体制派なる者がこの国にいる事に驚いた記憶がある。
「あの日、姉様はご婚姻されるはずでした。しかし、妹である私が忌み子になってしまったから、それも延期されてしまったのでしょう?」
そう、あの日の祝賀行進は姉様のご婚姻を祝うものだった。しかし、あんな事になり、それも延期されてしまったと聞いた。
当然だ。身内に国に害なす存在が居るとなれば、国から要らぬ疑いを掛けられかねないのだから。
「ごめんなさい。私が忌み子になったせいで」
「アカリちゃん」
「姉様に迷惑を掛け、お父様にもご迷惑をお掛けして」
「もういいの、アカリちゃん」
「……私、あの時死んでいれば」
「アカリちゃん!」
バシッ。
左頬が熱くなる。
目の前の姉様が、流れる涙をそのままに、私を叩いた右手を静かに下ろす。
そして、私の着物の袖口をギュッと掴むと、私の顔を、目を真っ直ぐに見つめ、
「私、嬉しかったの。アカリちゃんが生きていてくれて」
「姉様」
「お母様が殺されたと聞かされたから、一緒に居たアカリちゃんも殺されてしまったと思っていた。でも、生きていてくれた」
「……」
「アカリちゃん、私ね。あの時アカリちゃんまで殺されていたら、どんなに良い良縁があったとしても、たとえお父様の命令だとしても絶対に結婚なんかしない」
「姉様」
「アカリちゃん、私はね、アカリちゃんが大好き。大切なたった一人の妹ですもの。あの時アカリちゃんが殺されていたら、私、死んでいたかも知れない」
「姉様……」
「だからねアカリちゃん。そんな悲しい事言わないで。私はアカリちゃんが何者でも構わない。必要なのは妹って事だけ。それだけで充分」
「……うん」
「だから、そんな悲しい事を言わないで。そんな事を言って私を、天国に居るお母様を悲しませないで。お願い」
「……うん」
気付けば私も、姉様に負けない位の涙を流していた。
姉様は、その私の涙を懐から出した手巾でそっと拭きながら、
「——アカリちゃん、生きていてくれてありがとう——」
今にして思えば、この言葉にどれほど救われただろうか。
忌み子として、周囲から嫌悪の感情しか向けられなかった私に、姉様のその一言は、死さえも受け入れていた私の心の闇を、優しく撫で払っていた。
「ねえさま~!」
姉様に強く抱き付く。
「ごめんなざい~。私も姉様の事がだいずぎ~!」
涙と鼻水で酷い顔になった私を見て、姉様がまぁまぁと手巾で拭ってくれた。
そして、
「アカリちゃん、これからも宜しくね♪」
そう言った姉様の顔は、泣いたせいで目は真っ赤だったけど、とても暖かい笑顔だった。