アカリの邂逅 其の弐
△ アカリ視点 △
「お母様――――!!!」
激しい雨が馬車を叩きつけ、周囲は煙っていた。
馬車の入り口では、外套の男に斬られたお母様が、血を流して倒れている。
お母様に馬乗りになっていた外套の男は、半ば以上お母様の体に埋まっていた剣をゆっくりと引き抜く。
ゴブリ。
刺された傷口から、血が溢れる度に、お母様の体がビクッと震えた。
「……天誅」
剣を最後まで引き抜いた後、外套の男が呟く。
(さっきから天誅って、何言ってるのよ!?)
私はガタガタと体を震わせる。何で!? 何で誰も助けに来ないの!?
雨に煙る周りを見る。すると、この馬車の護衛担当の侍だろうか。お母様と同じ様に体から血を流して倒れていた。
(他の侍はっ!?)
しかし、誰も見当たらない。そんな馬鹿な!?
国上げての祝賀行進なのだ。これだけしか侍が居ないなんて事は!?
バシャ。
「ひっ!?」
お母様たちを斬った外套の男が、私に近づいてくる。
その手には、雨に濡れているにも関わらず、まだ大量の血がこびり付いていた。
(に、逃げなきゃ!)
男から距離を取ろうと立ち上がろうとするが、
カクン。
「え?」
腰が抜けているのか、まったく力が入らず立ち上がる事が出来ない。
それを見た外套の男は、ニヤリと不気味に笑う。そしてゆっくりと、獲物を追い詰める様に近づいて来る。
「い、いや。来ないで……」
私は、尻餅を付いた状態ながら、なんとか男から距離を取ろうと後退る。
だが、当然ながら距離が離れるはずも無く、逆に詰められていた。このままでは、いずれ——。
私は後退りながら、外套の男の後ろを見る。
お母様が、血を流しながら事切れているのが見えた。
——私も殺される——!
分かっているのに力が入らない為、いまだに立ち上がる事が出来ない。
——いやだ。
みるみる距離を詰める男。
——いやだっ。
頑張って後退る。
——いやだっ!
しかし、後退った私の腕に何かが当たる。
(何!? 邪魔しないで!?)
後ろを振り向く。
そこには、斬られ白目を剥いていた侍が倒れていた。
「ひっ!?」
——いやだ!
だが、無情にも外套の男が私に追い付き、目の前に立つ。
「あ……」
顎がなる。股間に生ぬるい物が流れる。息が上手く吸えない。目から何かが零れ落ちる。
男は、血に濡れた剣をゆっくりと持ち上げ、ニヤリと、
「天誅……」
——いやだっ!!
倒れた侍を乗り越えようとジタバタする私の手に、カシャリと何かが当たった。
男が剣を振り下ろす。
私は必死にそれを掴み、持ち上げた。
ガキン!
「む?」
「きゃっ!?」
男が驚きの声を上げる。私はぶつかった衝撃で悲鳴を上げた。
(何が起きたの?!)
男の剣は確実に私の胸を貫いているはずだった。しかし、拾い上げた何かを咄嗟に前に出し、男の攻撃が防いだのだ。予期せぬ自分の行動に驚いた私は、手に持っているそれを見た。
それは、さきほどの侍が持っていたであろう太刀だった。
何度か我が儘を言って触らせてもらったことはあっても、一度も持った事はなかった刀。
それが今手元にあって、何故か自分の手腕の様に扱えた。
想像以上に手に馴染むそれは、まるで私を助ける為に現れた神具に見えた。
「——無駄な足掻きを」
外套の男が再び、剣を振り下ろす。
私はすんでの所で横に転がり、それを避ける。
さっきまで、ガタガタと震えてろくに動けなかったのに、刀を手にした途端にいつもの、いや、いつも以上に体が動く。まるで刀が私に力を貸してくれている様な錯覚。
だが、反対に心は冷たくなっていく。
私は立ち上がり、太刀先を男に向ける。スッとまっすぐに。判る人が見れば、見事な正眼だと言うだろう。
ただそれを、刀を一度も触ったことの無い、年端も行かない少女がしているというのは、信じられないだろうが。
「むぅ」
一つ唸り、外套の男も正眼に剣を構えた。
だが、いきなり斬りつけてはこない。
ただ、じりじりと間合いを詰めるだけ。
私も間合いを詰める。
なぜそんな動きが出来るのか分からない。
なぜ、刀の重さを感じないのか分からない。
なぜ、負ける気がしないのか分からない。
「ふっ!!」
男の間合いに入ったのだろう。
男が正眼のまま、真っ直ぐに突いてきた。
見た事も無い速さの突き。
初見では絶対に躱せるはずの無い突き。
だが、
キィン。
私は虫でも払うかの様に、男の必殺の突きを払う。
驚愕を浮かべる男。
「お前は一体?」
それには答えず、刀で応える。
男と同じ様に突く。 ただ男の喉元目掛け、真っ直ぐに。
「ぐうぅ!?」
シャイン!
かろうじて剣を当て、軌道を逸らした男。
だが、
ザシュ!
「ぐわぁ!?」
男の左腕が宙を舞う。
逸らされた勢いそのままに体を回転させ、男の腕を切り払ったのだ。
「ぐうぅぅ……」
しゃがみ込み、額に脂汗を流しながら斬られた腕を右手で押さえる男。
目の前の私に憎悪の視線を向ける。
しかし、再び男の目が驚愕によって見開かれた。
「小娘、その眼……!?」
「——まだだ」
最初、誰の声か分からなかった。
「お母様の苦しみはこんなもんじゃなかった……」
底冷えのする様な声。
お母様という単語で、やっと自分が発した声だと認識する。
何度も刺され、口から、傷からゴボリと血を流すお母様。
止めてって言ったのに、止めなかったお前が悪い——。
「……死ね」
私は、男の頭目掛けて、刀を振り下ろそうと、
「母様! コトハ様! ご無事ですか!?」
その声に私は振り向く。
そこに若い侍が姿をあった。まだ、あどけなさの残る顔。私はその侍を知っていた。遊んでもらった事もあった。
やっと来た援軍。それは待ちわびた存在のはず。
だが、私の心は冷めきっていた。
——やっと来たのか!遅いんだよ!とっくにお母様は!——
頭に浮かぶ、知る限りの罵詈雑言。
しかし、それらは幸か不幸か、口から出ることは無かった。
まぁ良い。取り敢えず、目の前の虫を始末しようと振り返ると、外套の男の姿は無くなっていた。
血溜まりがあるので、腕を切り捨てた事は間違いない。まさか、逃げたのか!?
せっかく、あの男にお母様と同じ目にあわせてやろうとしたのに!!
「ん、そこに居るのはたしか?」
若い侍が私を見て声を掛けた。だけど、私には届かない。
「……お前のせいで逃がした……」
行く宛の無い怒りが、その若い侍に向かう。
「えっ?」
私の殺気に気付いたのだろう。戸惑いながらも、腰の刀を抜く若い侍。
「——アカリちゃん?」
私を知っているだけに、私に刀を向けることはしない。
だが、私の方は違った。
ブン!
「————っ!?」
間合いには入ってなかったが、こちらから踏み込み、刀を振り下ろす。
しかし、やはり間合い外だった為、相手に避けられてしまった。
「アカリちゃん、止めるんだ!」
私が本気だと分かった侍は、今度こそ刀を構えた。
しかし、私の顔を、いや、私の眼を見て、若い侍の表情が凍り付く。
そして絞り出す様に呟く。畏怖を含めて。
「————忌み子……!」