脱走 2
あれからも何人かの侍とすれ違ったが、ユキネさんとアカリが、すれ違うたびに色々と言い訳、言い抜け、嘘八百で何とか対処し、何とか天守の外へと出た僕達の前に、その背に侍を乗せた馬が三頭、待機していた。
「————お待ちしておりました。お早く」
僕達を見て、白い馬に乗った、袴姿で髪の長い女性の侍が声を掛けてきた。
「お待たせしました。では」
ユキネさんは、後ろにいる僕とアカリを見て一つ頷くと、その白い馬に乗っていた侍の手を借りて、手綱を握る侍の前に乗り込む。
「さ、私達も!」
アカリも、ユキネさんと同じ様に、白い馬の後ろに居た茶色の馬に乗り込む。僕も最後尾に居た黒色の馬に、よいしょと乗り込む。うぅ、高い。
「「「はぁ!」」」
気合い一つ、馬の腹を蹴る侍。馬も即座にそれに応え駆け出す。
全速力で駆ける馬を捌きながら、城門を出て、広小路を人を縫うように進む。まだ明るい時間なので人通りは多く、通りを歩く人達が何事かと視線を向けてくるが、それも一瞬で後方に過ぎていった。速いぃ~!
「これから何処に!」
アカリの乗る茶色の馬と並走した時、聞いてみた。揺れる馬上で喋ると舌を噛みそうになる。
「日下部家のお屋敷よ!取り敢えずそこでシンイチ様が帰って来るまで、身を隠すわ!」
アカリが答える。
(シンイチ様って、確かユキネさんの旦那さんで、東夷将軍だったっけ。そこで、再起を図るって事かな)
という事は、まだカズヤの謀反を阻止する事を諦めていないって事だ。それでこそアカリ。やられたままなんて許せないよな! それが何故だか嬉しくて、口元が緩んでしまった。
僕達を乗せた馬は、道を右に左にと駆け抜ける。すると、走る先に大きな門が見えてきた。アカリ達の屋敷の門に勝るとも劣らない、立派な門だ。
「————見えてきたわ!」
アカリが叫ぶ。どうやら、あれが日下部家のお屋敷らしい。門は開門しており、速度を落とすことなく邸宅の中に入る。
「どぅ、どぅ!」
侍が手綱を引いて、馬の速度を落とす。そして、屋敷の玄関前で馬を止めた。
「着きました。どうぞ」
「あ、有り難うございます」
僕の乗っていた馬の侍が、馬から先に降りて、僕が馬から降りるのを補助してくれた。
馬を降りて屋敷を見る。
屋敷の構えはアカリ達の屋敷とそう変わらない。しかし、ここから見える庭の奥には、弓の練習に用いるのだろうか、藁で作った的や、丸太で出来た木偶と呼ばれる人形が幾つも並んでいた。それらが、ここが将軍位を預かる侍の屋敷なのだと伝えてくる。
「ささっ、どうぞこちらへ」
玄関前で警備していた若い侍が、僕達を屋敷内へと案内する。
屋敷の中にも、アカリ達の屋敷との違いがそこかしこにあり、例えば廊下の壁には木の柄で出来た槍が立て掛けられていたり、物置の様な部屋には、鎧兜が乱雑に置かれていたりしていた。
「こちらです」
しかし、案内された部屋は普通の客室らしく、掛け軸やら花やらが飾られていた。
案内された部屋でお茶を頂き、一息付いていると、アカリがユキネに質問していた。
「姉様、ここは日下部家のお屋敷。シンイチ様の奥方である姉様は、この屋敷にお詳しいのでは?」
それは僕も思った。屋敷に入る時に案内してくれた侍が居たが、ここの主である人の奥さんなのだ。案内など必要だったとは思えない。
しかし、ユキネさんは、
「いえ、ここ日下部家のお屋敷はそんなに詳しくはありません」
「どうしてですか?」
「それは、私があまり、このお屋敷に上がった事が無いからです」
その後、ユキネさんが話した事によると、主人であるシンイチさんは、東夷将軍という重職の通り、何かしらあればすぐに現場に行ってしまう為、あまりこの屋敷には帰ってこないそうだ。
なので、ユキネさんもこの屋敷よりかは自分の屋敷に居る方が、自然と多くなるらしい。
奥さんであるユキネさんが、このお屋敷で帰りを待っていればと思ったが、シンイチさんがそれでは寂しかろうと、考えてくれた末の事らしい。「愛されているのよ♪」とユキネさんは照れた顔をして、この話を締める。
じゃあ、この不慣れなお屋敷でこれからどうするのかっていう話なんだけど、
「前にも言った様に、シンイチ様は今、お父様の勅命で任務に就いているのだけれど、もうすぐその任務が終了して帰ってくるのよ」
「あの人、シンイチ様がお戻りになりましたら、今までの事を話し、今度は一緒にお父様を説得して、本条家のご次男であるカズヤ様に対しての処分を検討してもらいます」
お帰りになられたばかりで心苦しいのですけれどね、とユキネさんが硬くなっていた表情を緩める。
「シンイチさんの言葉を、あのお殿様は聞き入れてくれるんですか?」
「えぇ。この国の、東側を守護するお役目に就いている私の主人は、殿様であるお父様に直接意見の出来る人間なの。この日乃出では、そういった人間は限られているのよ」
「残念だけど、その言葉や行動は、娘である私達より上よ。それほど、将軍位と言うのは重要なわけ。東の日下部、西の成瀬、この二人の将軍は、この国においての最高戦力なのよ」
「……つまり、お殿様であっても、将軍であるシンイチさんの意見は無視出来ないってわけだ」
「その通りよ。シンイチ様が私達と共に問題提起すれば、確実に物事が動くわ。調査が本条家に及べば、カズヤは動きづらくなる。そうなれば謀反どころでは無くなるはずよ!」
「でも、何も見付からなかったら、シンイチさんは立場的に不味いんじゃないの?」
仮にも宰相を務める家に、謀反の嫌疑を掛けるのだ。ただでは済まないと思う。
しかし、
「そこは大丈夫です」
何故か自信満々のユキネさん。
「どういう事ですか?」
「それは・・・、秘密です♪」
言うとユキネさんは片目を瞑る。マズイ、可愛い。 ほんとに年上の女性だとは思えないや。
「————っ痛?! 何するんだよ!?」
「姉様に見とれてるんじゃないわよ! この助平っ!」
アカリに太ももをつねられてしまった。それを見て、うふふと、手を口元に当て上品に笑うユキネさん。アカリではとても出来ない仕草だ。その仕草に、また見惚れそうになってしまう。
(アカリも、少しはユキネさんを見習った方が良いですよー)
もちろん、口には出さず心の中で思うだけだ。じゃないと、拳が飛んできかねない。
「姉様も、秘密♪じゃないわ。全く」
「ごめんね、アカリさん。————ユウさん、この国には宰相と、東西それぞれを管轄する将軍が居るのはご存知ですね? その3人は先ほど言った様に、この国に於いて絶大な力があるのですが、それは裏を返せば、とても危険な事なのです。もし仮に、その方が、例えば人間的に問題があったとしても、誰も何も言えないのよ。そんな事をすれば不興を買ってしまいかねないから」
「……確かにそうですね」
「そこで、前のお殿様、私達のお爺様ね、が、その三家それぞれを対等な立場として、何か問題が有った場合、それを検見する権限が与えられているのよ。その際には、検見した結果、何も問題が無かったとしても、訴えられた側の不平不満は一切認めないと決められているってわけ」
アカリの話を聞く限り、良く出来た仕組みだと思う。だけど逆に言えば、その位しなければならない程、その3家の力は凄いってことなんだろう。
「なるほど。だから、シンイチさんが帰ってきたらすぐに報告が出来る様に、ここに居るんですね」
アカリの説明を聞いて納得した。
「そういう事よ。カズヤもどこまで謀反の準備が出来ているかは分からないけど、今すぐおいそれとは出来ないでしょう。私達の報告の後に事を進めれば、皇軍だって気付くもの」
「————皇軍?」
また知らない言葉だ。その僕の表情を読み取ってくれたのか、
「皇軍とは、殿様であるお父様を筆頭とした軍の事です。主に私達の護衛とか、各街の警備とかが主任務です」
僕の疑問に答えてくれたユキネさん。
何でも、この国には第一軍から第三軍まであって、それぞれが皇軍担当、東軍担当、西軍担当と役割が決まっているそうだ。
何年かで交代になるらしく、今年は第一軍が皇軍、第二軍が東軍、第三軍が西軍の担当らしい。
「で、各軍の長官がそれぞれの副将軍となって、お父様やシンイチ様、タカノリ様の補助を行っているわけ」
アカリが補足してくれた。ちなみにタカノリ様っていうのは、今の西夷将軍である成瀬家の当主の名前らしく、このタカノリさんとシンイチさんは昔からの好敵手で、何度も競いあってきた間柄との事だ。
「ところで……」
「ん?」
「なんであなたが、シンイチ様の事を慣れ慣れしくシンイチさん呼びしているのよ。不敬罪だわ」
「しょうがないだろ。会った事も無い人に、いきなり様付けで呼ぶなんて不自然だろうし」
「あなたなんかに、さん付けで呼ばれる方がもっと不自然よ!」
「なんだとぉ!」
「なによっ!?」
アカリの売ってきたケンカに乗り、反撃する。
あらあら、仲の良い事で♪とユキネさんは僕達を見て微笑みを浮かべる。
女中さんが夕飯の支度が整った事を知らせてくれるまで、僕達はそんな他愛も無い事をして過ごしていた。