翌日
△ ユウ視点 △
……ヒュッ、ヒュッ……
「……ん……?」
翌朝、目を覚ます僕の耳に、何かを振る音が聞こえる。一体何の音だろうか?
布団から出て、ユキネさんから借りた寝間着から着替えて、部屋を出る。冬なのだろうか、吐く息が白く、目の前の庭の土は霜で白くなっていた。チュンチュンと、茶色い小さな鳥が数羽、庭の土を突っついていた。
部屋を出た僕は音の方へと歩き出す。途中、廊下ですれ違う人と挨拶するが、大半の人は僕の事を怪訝な目で見てきた。アカリと一緒に来たからといっても、どこの馬の骨とも知らないのだ。客人の様にもてなせっていう方が無理だろう。
そうして、廊下を歩くと井戸のある庭が見えた。この屋敷の中心に井戸はあると、昨日教えて—もらったっけ。その井戸の側で、アカリが一心不乱に木の棒を振っていた。剣の鍛錬なのだろう。
よく見ると、その木の棒は片刃の形をしている。木の剣と言った方が正しいな。
アカリは木の剣を振り下ろし、凪ぎ払い、時には突いてと色んな形に振っていて、剣に詳しくない僕でも、ぼんやりと相手が見える様な迫力があった。
だいぶ前からやっているのだろう、アカリの額や頬には玉の様な汗が浮かんでおり、アカリの動作によって舞ったそれらの汗が、朝日を浴びてキラキラと輝いていた。
思わず見とれてしまう美しさがそこにはあり、しばし眺めていると、唐突にアカリが剣を振るうのを止めた。
「————いつまでそうやって見ているつもりかしら?」
「まずは、おはようと挨拶をするもんだと思うんだけどな」
「あら、それは失礼。おはようユウさん。昨晩はゆっくり休めたかしら?」
取ってつけた様な笑顔を顔に張り付けて挨拶するアカリ。
「……そうだね、ゆっくりと休めたよ。そういうアカリさんはどうかな?」
意趣返しを込めて、僕もアカリさんと呼んでみる。すると、アカリは得意の半目で僕を見て、
「変態さんは、人の嫌がる事をするのがほんとに好きなのね。良いわ、その性根を私が叩き直してあげる。感謝しなさい!」
さぁ!と持っていた木剣を僕に向ける。先ほどのアカリの動きを見る限りだと、僕でも対応出来ると思う。ここは一つ、アカリをギャフンと言わせよう。
「あぁ、良いよ!」
僕はあの時に拾った木の杖を持ち構える。なんだかんだと、この杖が手に馴染むのだ。
アカリはフフンと鼻に掛けた笑いをする。自信満々のようだ。その上から目線の態度を改めさせてやる。
アカリは木剣を頭上へ高々と上げる。
「行くわよ!」
「こい!」
そしてアカリは木剣を上げたまま、向かってくる。対して僕は、杖を正面に構えてアカリの初撃に備える。
「シッ!」
アカリが短く息を吐き、木剣を振り下ろす。
「はぁっ!」
構えていた杖で木剣を打ち払う。カーンと木のぶつかり合った音が響き、僕とアカリは鍔迫り合いになる。
「私の初撃を受け止めるなんて、ただの変態にしては中々やるじゃない!」
「それはどうも。そっちこそ、ただのお姫さんのくせして中々やるじゃないか!」
「それにしても正眼なんて、あなたは疾迅流なのかしら?」
「疾迅? 何だい、それ?」
「……まぁ、良いわ!」
力が拮抗しているのか、押し切れない。すると突然、アカリがフッと力を抜く。押し負けない様に力を込めていた僕は、バランスを崩してしまう。
「そこよ!」
その隙を見逃さず、アカリが木剣で僕のお腹を薙ぎ払う。
「くっ!?」
何とか体を捩り躱そうと試みるも、剣先が脇腹を掠めていく。防具など何も着けていないので、それだけで腹部に痛みが走る。しかし、動きに支障が無い程度の痛みだ。まだやれる。
痛みを我慢して、アカリを見ると、少しだけ驚いた表情を浮かべていた。しかしそれをすぐに引っ込めると、
「あれを避けるなんてね」 楽しそうに笑う。
「あんなもん、僕には通用しないよ?」 と、負けじと強がってみせる。
すると、アカリが不意に木剣を下ろした。
「?」
「————あなた、どこかで剣の鍛錬とかしていた?」
「いや、そんな記憶は無いかな」
「……そう。あなたの動きを見ていると、まるっきり素人だとは思えないのよね」
そう言って顎に手を当てる。
「身のこなしはあんまりだけど、何て言うのかしら、戦い慣れているというか、普段から体を鍛えているとか」
「? いや、特に鍛えていないけど」
昨日見ただろ?と軽くからかってみる。すると、アカリは少し考えた後、思い出したのか急に顔を真っ赤にする。顔から火が出るとはこの事だろうか。
「覗くなって言ってた本人が、まさか覗きに来るなんてなー」
そんなアカリの態度が面白くて、ついつい余計な事を言ってしまった。
「……どうやら死にたいようね……」
案の定、その言葉にアカリが怒る。下げていた木剣を静かに目線の高さまで上げ水平にし、剣先をこちらに向ける。突きの構えだ。
「この突きで冥土に送ってあげるわ」
完全に目が座っているアカリが、物騒な事を言ってくる。
「ま、待て! 今のは冗談だ!」
「問答無用!」
そして、アカリが突きを繰り出す。明らかに木剣の範囲外からの攻撃。普通なら当たらないと判断する所だが、嫌な予感がする!?
僕は咄嗟に首を傾ける。同時にアカリが一歩踏み出した。
「ふっ!」
僕の嫌な予感が当たったかの様に、不自然に伸びたアカリの突きが首のあった場所を抉っていく。
あ、あぶね~!?
「って言うか当たったらケガじゃ済まないぞ!?」
アカリに抗議の声を上げる。するとアカリはあっけらかんと、
「冥土に送るって言ったわよね?」
と再度、再度木剣を突きの構えを取る。ヤバい、何とかしないと!?
「っていうか、さっきの突き。あれはアカリのスキルか?」
確実に木剣の攻撃外に居たと言うのに、アカリが一歩踏み込んだだけで明らかに突きが伸びたのだ。あれはアカリの持つスキルなのだろう。
しかし、アカリはぽかんとして、
「何よ、スキルって?」と聞いてきた。
「……なんだろ? 今不意に出てきたんだ。スキルって……」
頭を押さえる。何だ、スキルって?今、僕は何かを思い出せたのか?分からない……。
「はぁー、良いわ。何か知らないけど、今日はもう止めましょう」
アカリが構えを解いて、木剣を脇に持つ。
「今日はお城でお父様に合わなくちゃいけないし、大変な日になるわ。あなたに付き合っている暇は無いのよ」
アカリは顔を洗う為に、井戸に向かう。それを見て、遠目で僕達の事を見ていた侍女の一人がアカリにタオルを渡す。ありがとうと渡されたタオルを首に巻き、井戸の水を汲み上げ顔を洗うアカリ。その姿をぼーっと眺めながら、僕は先ほど口から出たスキルという言葉を何度も頭の中で繰り返していた。
☆
朝のアカリの鍛錬の後、アカリにうるさく言われて顔を洗った僕は、昨晩と同じ様にユキネさんの部屋を訪れ、そこで朝食を頂いていた。
昨日の白いご飯が柔らかくなっている食べ物、おかゆというらしい、をしわくちゃの野菜、お新香というらしい、をおかずにして食べていた。
朝食も済み、同じ様に食後のお茶を頂きながら、この後の予定をユキネさんに聞く。
「今日は、昨日言った様にお城に向かいます。そこで、この国を統べるお殿様であるお父様に、アカリさんの方から何があったのか説明してもらいます」
そこで一旦切り、アカリを見る。その眼差しは、アカリの不安を振り払う様に優し気だ。
ほんとユキネさんは良いお姉さんなのだろう。多少、不安があったに違いないアカリは、ユキネさんを見て大丈夫だと言う様に頷いた。それを見てゆっくりと頷き返すと、ユキネさんが話を続ける。
「そしてお父様にご判断して頂き、公家である本条家に対する処罰や、アカリさんの婚姻の破棄等の進言するつもりです」
「そうね!結婚なんてするつもりも無かったし!」
「————アカリさん」 ユキネさんが自制を促す。
「ごめんなさい……」
「アカリさんは、本当に今回の婚姻は嫌だったのね」
困った顔をするユキネさん。
「……もしかして、まだ?」
「えぇ、姉様。私の夢は変わらないわ!」
「夢?」
夢という言葉で、急に気持ちが昂っているアカリに質問する。
「そ。私の夢。私は【侍】になるの!」
「……【サムライ】?」
首を傾けると、ユキネさんが答えてくれた。
「侍というのは、この国を守護する人達の総称です。アカリさんは昔からお侍様に憧れていまして」
「……なるほど、騎士みたいなものですね」
「……キシ?」
僕の言葉に、今度は逆にユキネさんが首を捻る。そのやり取りを聞いていなかったアカリ。
「憧れじゃないわ!私は侍になって、あの人にお礼を言うのよ!」
「あの人?」
「————えぇ。私が小さい時に暴漢に襲われた時、助けてくれたお侍さんが居るの」
顔とかはハッキリ覚えていないんだけどねと、笑うアカリ。
「そのお侍様にお礼が言いたいらしいのですが、顔や名前が分からないのでは見つけようも無く、ならば自分が侍になれば、向こうから声を掛けてくれると思っているらしくて」
ユキネさんが補足してくれた。なるほど、そういう事か。
「その侍とやらになるのは、大変なのか?」
この国を護る人達なら、簡単にはなれないのだろう。騎士試験も簡単では無いと聞いた事がある。……あれ、誰に聞いたんだっけ?
「そりゃもちろんよ! お父様を始めとした国の重鎮はもちろん、市井で生きる人達の警備も任されているんですもの。弱けりゃ務まらないわ」
「なるほどね。で、試験みたいなのがあるのか?」
「えぇ、新たに侍を募る際に展覧試合ってのがあってね。そこで参加者の実力を見るのよ」
「天覧試合?」
「そうよ。お父様や宰相様。シンイチ様やタカノリ様の前で相手と試合をするの。で、勝ち進んで優勝すれば、見事侍になれるのよ!」
「ふーん。要は偉い人達の前で試合をして、その実力が認められればってことか」
「身も蓋も無い言い方ね、それ」
「で、アカリはどのくらい強いんだ?」
その質問を聞いた瞬間、アカリが浮かない顔をする。すると、助け船を出す様にユキネさんが答えてくれた。
「アカリさんの才能には、私の夫であるシンイチ様を始め、多くのお侍様が一目置いております。ですが……」
そこで言葉が詰まる。すると、
「その天覧試合には、女性は参加出来ないのよ」
アカリの言葉には悔しさが表れていた。
「もちろん、この国にも女侍が何人も居ます。しかし、その方達は先の戦で手柄を立てた方や、国の重鎮たちからの推薦とかでして」
展覧試合以外から侍になる道筋を、ユキネさんは僕に説明する。
「国の重鎮?なら二人のお父さんはこの国のお殿様なんだろ?一番偉い人からの推薦なら、誰も断れないんじゃないか?」
妙案だと思ったが、
「……お父様は、私が侍になる事に反対なのよ」
アカリが寂し気に言う。
「反対?どうして?」
「小さい頃、暴漢に襲われたって言ったでしょ?それ以来過保護というか、心配症になっちゃって。だから、私に危ない事をして欲しくは無いって」
なるほど。それは分かる話だけに、何も言えないなぁ。子の心配をする親ならば、当然だな。
「もともとお父様はアカリさんを盲愛していたのだけれども、そんな事もあったから余計にね」
「だからこそ、今回カズヤが私にした事は許せないはずだわ!これを機会に自分の事は自分で護ると進言して、何とか侍に!」
一人息を吐くアカリに、そんな上手く行くかしらと不安げに、しかし少しどこか楽し気に笑うユキネさん。
すると、襖の向こうで侍女の人が城に行く時間になった事を教えてくれた。
「では二人とも、行きますよ」
「はい」「えぇ!」
そして、僕たちはお城へと向か為、ユキネさんの部屋を後にするのだった。