相談
侍女と呼ばれる女性が持ってきたお茶を、皆で飲んで一息入れる。お茶と言っても僕の知っている紅茶では無く、緑色をしたお茶だった。爽やかな苦みと、ほのかな甘みのある美味しいお茶で、アカリが緑茶と教えてくれた。
「———それでアカリさん、お話と言うのは?」
一息付いた所で、ユキネさんが話の続きを促す。
「はい」とアカリは持っていた湯飲みを置く。
「まずは姉様。お茶を有難う御座います。お陰で、自分の中で話す事が纏まりました」
と言って、頭を下げる。「それは良かった」と話すユキネさんにアカリは頭を上げ、ユキネさんの目をしっかりと見ながら、
「————姉様、私は先ほど姉様が仰った様に、昨日、本条家へとご挨拶に参りました。結婚の儀の打ち合わせもあり、時間も遅くなったので夕餉を頂いたのですが……」
そこでアカリは俯く。ユキネさんは続きを催促する事無く、アカリが話すに任せている。
逆に僕は驚いていた。アカリが結婚? 正確な年齢は知らないが早くないか?って。そして、何故かアカリの結婚という言葉に、すごく引っ掛かる自分が居た。少し首を捻ってしまう。
僕の驚きをよそに、アカリが話を進める。
「夕餉の後、突然の眠気に襲われ、私は用意された部屋で休む事にしたのです。本来なら
嫁入り前の娘がする事では無いのですが、とても意識を保っていられなかったのと、許嫁であり、嫁ぎ先でもある事から、特に問題無いと判断しました」
アカリは依然として俯きながら話しており、話が進むにつれ声が少しずつ小さくなる。
「目覚めた時、私は見た事の無い、薄暗い地下牢に居ました。最初は現状を把握する事が出来ず、恥ずかしながら取り乱しました」
そういうアカリの声には、震えが含まれていた。きっと怖かったのだろう。
「牢から出る事も出来ず、大声を出しても誰も来ない。……私はとても怖かった」
震える声に、少し嗚咽が混じる。いきなり暗い地下牢に閉じ込められれば、誰だって恐怖する。それもアカリはまだ女の子だ。それを誰も責める事は無いだろう。
「状況が理解出来ずにその場で蹲っていると、遠くから足音が聞こえてきたのです。そして牢の前で止まったので、私は顔を上げました。誰が私をこんな所に閉じ込めたのか、確認しようと思ったのです」
そこで、アカリは顔を上げる。その目には怒りの色が表れている。
「————そこには奴が!……本条家の跡継ぎ、私の許嫁である本条カズヤが、私を卑しい目で見ていたのです!」
再びアカリは震えるが、今度は怒りで震えているのだろう。
「私は最初、夢かと思いました。親の決めた結婚。それが嫌で見ている夢なのだろうと。しかし、違った。奴は私を見て、ニヤニヤと卑しく笑いながらこう言ったのです」
アカリは畳に付いた手を握る。握った拳が怒りで震えている。
「近々、自分がこの国を統べる事になる、と……」
苦々しく言うアカリに言葉に、ユキネさんの眉根がピクリと動く。
「たしかにそう言ったのですか?」 ユキネさんの確認に対し、
「はい、確かに」アカリは答えて、話を続ける。
「私は鼻で笑いました。何をそんな絵空事を……。良いから早くここから出しなさいと。すると奴は、これから謀反を起こす。それには私の協力が必要で、私の協力が得られないのであれば、ここで大人しく家族が殺されるのを待ってなさいと言って、地下牢から出て行きました;」
そこで話を切り、ユキネさんをみる。
「————姉様。カズヤは、いえ、公家である本条家が謀反を起こす可能性があります」
アカリは言い切る。真っ直ぐにユキネさんの目を見つめた。
ユキネさんは目を瞑り、考え込む。公家や謀反がどういう事かは分からないが、家族を殺すという言葉は事が事だけに、いい加減な考えは避けなければならない。
やがて目を開けたユキネさんは、アカリを見て、
「————この事、他の誰かには?」
「————言っておりません。姉様だけです」
「そう。—————分かりました。では城に居るお父上に文を出しましょう。アカリさんがこの屋敷に来た以上、本条家が動き、今の話が急転する可能性もありますから」
誰か!と声掛けするユキネさん。 やってきた侍女に筆と紙を用意させる。
「姉様。シンイチ様には送らないのですか?」
アカリが尋ねる。知らない人の名に僕が首を傾げると、慣れた様子でアカリが説明してくれた。
「シンイチ様は日下部家の跡継ぎ様で、姉様の旦那様で東夷将軍なのよ!」
どう、凄いでしょ!?と興奮気味に説明するものだから、顔が近い。
「凄いのは分かったから、落ち着いてくれ!」
両手を前に出して落ち着くよう促すと、アカリも顔の近さを認識して、顔を赤くさせながら、
「あ、あなたが説明しろって言ったんでしょ!」
立ち上がると、理不尽に僕の頭をポカポカ叩く。そんな様子を微笑ましく眺めてから、ユキネさんは答える。
「あの人は、お父様から別のお役目を受けているのよ。もし、この文をお父様がご覧になられて、あの人の事が必要だと考えれば、その時はお父様が直接あの人に伝える筈です」
言ってユキネさんは侍女の用意した紙に筆を走らせる。文とは手紙の事だったのか。
「ところで———」
手紙を書きながら、ユキネさんは僕達に質問する。
「二人は何処で知り合ったのかしら?」
すると、アカリは僕の頭を叩く手を止めて、
「例の地下牢よ。私がどうやって地下牢から出るか考えていたら、こんな情けない顔をした男の子が歩いてきて、私にここはどこかと尋ねてきて———」
「情けなくは無いだろ!むしろアカリの方が、情けない顔をしていたよ!」
「私がいつ情けない顔をしたのよ?!」
「男に襲われそうになった時に、助けて~って泣きべそかいていたじゃないか!」
「中々助けないあなたが悪いんじゃない!」
あぁだこぅだと醜い言い争いを繰り広げる僕たち。すると、ユキネさんがコホンと咳払いをし、僕たちの言い争いを止める。
「———という事は、ユウ様は本条家の人間って事かしら?」
「違う、と思います。というか、そのユウ様というのは止めてください!?」
僕がユキネさんと呼んでいるのに、僕だけ様付けは恥ずかしすぎる。
ユキネさんはまぁと口に手を当ててクスクス笑い、
「では、ユウさんと呼ばせてくださいな」と訂正してくれた。
僕はユキネさんの目を真っ直ぐに見つめ、
「僕はその、本条家でしたっけ? とはまったく繋がりは無いです。そういった記憶が無いので」
今の状況を考えると、自分は本条家とは関係がないとはっきりさせておかなくちゃな。
アカリは僕の言葉の後に、
「———というより、彼はこの国の人間では無いわよ」
と援護なのか、誤射なのか分からない発言をする。おいおい、頼むよ!?
すると、やはりと言うか、ユキネさんが、
「———この国の人間では無い?」 目を細める。
アカリはまるで今の発言が僕の為になっていると思っているらしく、
「えぇ。ユウは、この日出乃国を統べる私達橘家を知らない所か、この国の文化にも疎すぎるの。この国の常識を知らなすぎるのよ。これは最早、彼が異国の人間と見る方がしっくりくるわ。だから彼は本条家とは無関係よ!」
どう?!と僕に視線を向けるアカリ。私のお陰で助かったわね、感謝なさいと、絶対心の中で思っている顔だ。何故かドヤァという擬音が頭に浮かぶ。
しかし、
「——アカリさんの言いたい事は分かったわ。しかし、それではユウさんが本条家の人間じゃないと言い切れないわよ」
と、ユキネさんが言うと、
「え?なんで?!」アカリは思わずといった感じでユキネさんに振り返る。
しかし、ユキネさんの言う事は尤もだ。納得していないアカリに僕は説明した。
「良いかい。アカリが説明した内容だと、僕はただ単に、あまりこの国に詳しくない異国人というだけだ。そこに本条家とやらと繋がりが無いとは言い切れないだろう? 本条家が異国人を忌み嫌っているというのなら話は別だけどさ」
言うと、アカリはぐぬぬと唸っている。お姫様ならそれは止めて欲しいものだ。
「……だけど、僕の疑いを晴らしてくれようとしたんだよね。ありがとう」
アカリに向けて頭を下げる。
「べ、別にあなたの為じゃないわよ! 借り、そう!借りを返したかっただけよ!」
顔を上げると、アカリは両手を前に突き出して手を振り、耳まで真っ赤にしながら喚く。
「————分かりました」
見ると、ユキネさんは目を瞑りながら、考える様に口を開く。
「アカリさんがそこまでユウさんの事を信じるのなら、私も信じましょう」
「べ、別に信じてなんかいないわよ!」
「うふふ。相変わらずアカリさんは顔に出るわね。——それで、二人は地下牢で会ったのよね?」
まだワーワー言っているアカリでは無く、僕に聞いてくるユキネさん。
「はい、暗闇を歩いていたら、前に檻がありまして……」
それから、洞窟上の通路で目覚めた事、アカリに出会った事、本条家からどうやって抜け出したかを説明した。
途中からは、アカリも話に入ってきた。しかも「そこは違うわね」とか、「私の活躍のお陰ね!」などと邪魔をしてくる。
そして全てをユキネさんに話すと、ユキネさんは難しい顔をしていた。
「————記憶が無いなんて……」
もしかして、僕の記憶が無い事が新たな問題を生むのか?そう思い身構えていると、突然ユキネさんが抱擁してくる。
突然の出来事に、僕はほとんど抵抗する事も無くその優しい抱擁に身を任せてしまった。
「お姉様!?」とアカリが騒ぎ立てるが、ユキネさんはお構いなしに、
「……ユウさん、お辛かったでしょうに。大丈夫ですよ」
言って、赤ん坊をあやす様に、背中をポンポンと優しく叩く。その抱擁に、背中を叩かれる心地よさに、僕は何故か、無意識に涙を流していた。
「……あれ? 何でだろ? 特に悲しい事なんて無かったのに……」
暫くの間、涙を流す僕をあやしてくれたユキネさんは、僕から離れると、
「今日はもう遅いわ。このままここに泊まって、明日一番で城に向かいましょう。先だって、今書いている手紙に、アカリさんのおっしゃった事を書いて届けてもらえば、すぐにでもお父様にお繋ぎして頂けるはずです」
と話し、この場はお開きとなった。話が終わると、ユキネさんは侍女を呼び、僕とアカリが泊まる旨を伝える。すると、グゥ~とお腹の鳴る音が聞こえた。音のした方を見ると、アカリがお腹を押さえながら顔を赤くしていた。
「あらあら、そういえばお夕飯を食べていないのよね。今すぐご用意させますね」
ユキネさんは別の侍女を呼び、夕飯の用意をさせる。
程なくして、侍女の人が用意した脚の低いテーブルの上に、夕飯が部屋に運び込まれた。見た事の無い白い穀物にスープ、それと焼き魚が盆の上に置かれている。皺々の野菜の切った物も見えるが、あれは食べ物か?
スープの香りに僕のお腹も盛大に鳴る。思えば何も食べていないんだよなぁ。
「私も夕飯を頂いて居なかったのでちょうど良かったわ♪ さ、頂きましょう」
ユキネさんとアカリが、この国の習慣なのだろう、手の平を合わせて「「いただきます」」としたので、僕もそれに習い夕飯を頂く。
「ユウさん、ごはんとお味噌汁はお口に合いますか?」とユキネさんが尋ねる。
確かに見た事も無い物だったが、ごはんとやらはモチモチとしていてほのかに甘く、お味噌汁とやらも程よい塩見と野菜の甘みが感じられ、とても美味しい。
「はい、とても美味しいです!」
それは良かったと微笑み、ごはんを口に運ぶユキネさん。アカリの方はというと、お箸と言う棒で、無言でご飯と焼き魚とを交互に食べていた。
食事も終わり食後の緑茶を飲んでいると、侍女の人が床の準備が出来たとユキネさんに報告してきた。ついでに湯浴みの準備も出来た事を告げる。
「湯浴みって?」
「あー、お風呂って言えば分かるかしら?」
湯浴みを聞いて、目がキラキラしているアカリが答える。
「お風呂……、か」
「……もしかして、ユウの居た国じゃお風呂も無いのかしら?」
半目で、「不潔ねぇ」と僕から遠ざかるアカリ。
「……その仕草は止めてくれよ……。水浴びはしてたんだからさ。ただあいにくと、僕の国でもお風呂は有ったよ。ただ、僕の家には、無かった、よう、な……」
と、記憶を探ろうとする。しかし、おぼろげな映像しか出て来ず、それ以上思い出そうとすると頭痛がしてきた。そのおぼろげな映像の中には、僕の他にも誰か居た様な気がした。
「水浴び!? 寒くて凍えるわよ。お風呂は良いわよ~。その中に入って体の汚れを落としたり、暖まったりするとね、とっても気持ちが良いんだから!」
アカリが上機嫌で答える。よっぽどお風呂が好きらしい。いや、地下牢に居たから体が汚れているのが嫌なのかも知れないな。
アカリは立ち上がり、お風呂に入りに行く。部屋から出て行く際に、
「覗かないでよ?」
と、例の半目で睨まれる。そんな事をする訳が無い。僕は呆れと抗議の意味を込め、睨み返した。
アカリが居なくなり、ユキネさんと二人きりになった部屋で、
「———アカリさんの事、これからもお願い致しますね。あの子があんなに楽しそうに笑うのを見るのは久しぶり。きっとユウさんの事が気に入ったのね」
ユキネさんが頭を下げる。僕はあたふたしながら、
「や、やめてください! そ、それに僕の方も記憶が無い今、アカリには大変世話になっていますからっ」
と、ユキネさんに頭を上げる様お願いする。頭を上げたユキネさんはクスリと笑い、
「ユウさんが良い人で良かったわ」
その顔に思わず見惚れてしまった。照れを隠す為、少し冷めたお茶を一息に呷ると、ユキネさんが空いた湯飲みに新しくお茶を注いでくれた。
暫くユキネさんと話し、アカリが出た後にお風呂に入り、どう入ればいいのか分からずに悩んでいた時に、様子を見に来たアカリに裸を見られたのは蛇足だとして、お風呂から出た後は用意された部屋で布団に入ると、落ちる意識に身を任せる様に寝てしまった。
△ ユキネ視点 △
「ではこれを、早急に城のお父様に届けてください」
お父様へ書いた文を侍女へと渡して、私は一つ息を吐いた。
本条家に嫁ぐ予定のアカリさん。しかし、昨日戻るはずでしたのに戻らず、戻ってきたと思えば、本条家に謀反の企てがあると聞いた時は本当に驚いた。
この国を統べる橘家、その補佐を代々に渡り司ってきたのが、公家である本条家だ。もちろん他家の方も補助をする事もあるが、一時的であったり、暫定的であったりだ。
なので、橘家と本条家の主従関係でこの国は成り立っているといっても過言では無い。それほどまでに両家の関係は緊密で、今回のアカリさんの婚姻以外にも、過去に両家間で執り行われた婚姻は枚挙に暇がない。この日乃出では、お殿様であるお父様の次に、今の宰相である本条家には絶大な力がある。その本条家が謀反すると言われて、果たして誰が信じる事でしょうか。
「——アカリさんが私だけに伝えたのは、得策でしたね……」
もし、このことを違う誰かに告げていたのなら、もともとこの婚姻に反対だったアカリさんの我が儘と、受け止められていたかも知れない。
愛用の座布団の上に座り、お茶を口に含む。明日、アカリさん達と共に城に向かい、お父様にご報告する。事が事だけに些か緊張する。
「……こんな時にあの人が居てくれたら……」
夫であるシンイチ様は、数日前にお父様から東方にて戦の兆しがある為、これを調べて欲しいと拝命を受け、先日出発なされた。今は、東方に向かっているんでしたっけと思いを馳せる。
この日出乃国の東方、および西方にはそれぞれ別の国があって、数年に一度の周期で、いざこざが発生している。最近は大きな戦になる事は無いが、あまり暢気に事を構えては居られないのだ。
「あの人の事だから、特に心配はしていませんが」
東夷将軍であるシンイチ様は、同じく西夷将軍である成瀬家のタカノリ様と国内で一、二位を争う程の強さですから。
「私が弱気になってはいけませんね」
今の私を見たら、あの人に笑われてしまいます。アカリさんだって心細いのですから、姉である私がしっかりしなければ。
「それはそうと、アカリさん、ここの所元気が無かったのに、今日は違いましたね」
先月、アカリさんと、本条家の次男であるカズヤ様との婚姻が挙がってからというもの、みるみるアカリさんから笑顔が無くなって、とても心配していました。そんな元気の無かったアカリさんが、今日はあんなに笑顔を見せて……。
「————ユウさんでしょうね」
アカリさんと一緒にやってきた黒髪の男の子。 ユウと名乗るその少年はアカリさんが異国人というだけあって、どこか不思議な雰囲気でしたわね。
「ユウさんがアカリさんに物怖じしないのが良かったのでしょうね」
この国の、第二姫殿下でもあるアカリさんには、周りの大人も臆していて、同年代のお友達も居なかった。……理由はそれだけでは無いけれど……。
「心許せる人が居ませんでしたからね」
それが、幼い子供心にどういった影響を与えたのかは分かりませんが、しかし、間違いなく良い事だとは思えません。
「それなのに、あのユウさんって人は」
今思い出しても思わず微笑んでしまいます。
この国でアカリさんの事をアカリと呼び捨てに出来るのは、お父様とユウさん位でしょうね。そんな事をすれば、本来なら不敬罪ですから。
「きっとアカリさんは寂しかったのね」
———あの事があって以来、だものね。
姉として不甲斐ない自分に少し憤ると同時に、ユウさんに感謝する。
その時、襖の向こうで侍女が床の用意が出来た事を告げる。立ち上がり、入室した侍女に手伝ってもらいながら、寝間着へと着替え、寝所に向かう。今晩は冷える。明日は雪が降るかもしれない。寝所に付き床に就くと、次第に瞼が重くなる。
明日はきっと大変な事になる。 早めに寝てしまおう。
「——あなた、どうかわたし力を貸してください——」
遠い地へと赴いている我が夫に対しお願いすると、眠りについた。