ユキネ
屋敷の中に入った僕は、格式高いその造りに目を奪われる。
玄関と思われる所には土が敷かれ、そこには草で編んだスリッパみたいなのが、何足も置かれている。そこから一段上がった所に、蝋燭だろうか?明かりの灯ったランプが置かれた木の廊下が奥へと続いていた。
「ここで履き物を脱ぐのよ」
言って、アカリは履いていた履き物を脱ぐ。そこに置かれているスリッパみたいなのと同じだ。
「それは?」
今の僕の記憶には無いものなので、率直に聞く。
「草履よ。あなた、ほんとに何も知らないのね」
そして、僕の足元を見て、
「あなたの履き物の方が見た事が無いわ。何、それ?」
と逆に聞かれた。
「靴だよ」と答えると、「ふぅん……」と素っ気なく答える。
その態度に僕が首を捻ると、
「あなたって、異国の人なの?」 と例の半目で尋ねるアカリ。
「……異国かどうかは分からない。その記憶も無いしね。ただ……」
「ただ?」
「少なくても今の僕の記憶では、草履とやらは見た事が無いって言えるかな」
今の僕は、ある程度の記憶や知識はある。生活習慣や物等の知識だ。それらの記憶と照らし合わせても、着物や草履といったものは見た事も聞いた事も無い。
しかし、じゃあ何故ここにという事に関して、何処に生まれ、何処で暮らしていたか等の記憶はハッキリしない。その事を考えると何故か頭痛と激しい動悸に襲われるのだ。
「じゃあ、やっぱり異国の人なのね。この国で、私に対してそんな態度で居られる人なんて居ないもの」
アカリはそう言うと、少しだけ目を伏せる。
「アカリ?」
「……ううん、何でも無いわ。さ、上がって」
何かを振り払う様に首を振ったアカリに言われ、同じ様に靴を脱いで屋敷に上がる。
「じゃあ、行きましょう」 アカリと共に廊下の先へと進む。
すると、廊下を挟む様に左右に部屋があった。木で作られた型枠に、白くて薄い紙が貼られた扉の様な物で、廊下と仕切られているその部屋の床は、何かの草で出来ているのか緑色をしていて、草木の香りが部屋に満ちていた。やはり見た事の無い部屋だ。僕がその部屋の様子をじっと見ていると、
「ここは客間の一つよ。ここにはお姉様は居ないわ」
と、アカリが僕の隣に立ち、同じ様に部屋を見ながら言う。
「————この床は?」アカリに聞く。
先ほどの草履の様に、何か分からない物や、習慣があったら聞く事にした。その中で僕の記憶に繋がる事が有るかも知れないからだ。
アカリも僕が異国人であると思ったのか、それとも慣れてしまったのかちゃんと説明してくれた。
「床? あぁ、畳ね。これは職人がイ草という植物を編んだものよ」
そこまで詳しくは無いけどねと、アカリは答える。そして、
「あれが襖で、あれが障子。この廊下の明かりが灯っているのは行灯で、あれが箪笥ね」
部屋の中や外にある物を次々と指差しては、物の名前を教えてくれる。その後も色々と教えてくれるアカリ。人にものを教えるのが好きなのかも知れないな。
「————という訳。解った?」
振り向き、僕にまで指を指しながら、ニコッと微笑むアカリ。その姿に少しドキッとしながらも、
「あぁ、ありがとな。 優しいな、アカリは」 とお礼を言う。
すると、
「ま、まぁね。また分からない事があったら、私に聞きなさい!」
と照れ隠しの為なのか早口に言うが、赤くなった顔はでバレバレなのであった。
「じゃあ、そろそろ行くわよ」
一通りの説明が終わったのか、先を進むアカリに付いていく。
廊下を曲がり、同じ様な畳の部屋に軽く目を向けながら後に付いて行くと、障子襖の前で止まる。
アカリはそこで膝を折って座り、正座と言うらしい、中に居る人に向けて声を掛ける。
「失礼します。ユキネお姉様、アカリです。入って宜しいでしょうか?」
すると中から、
「まぁ、アカリさん!? 入ってちょうだい♪」
と、弾んだ声が返ってきた。失礼しますとアカリが襖を開け部屋の中に入る。僕もそれに習い、中に入る。
その部屋は、先程までと同じ様な畳の部屋だった。しかし、床の間と呼ばれる場所には、僕の知る金属製ではない、見た事の無い、しかし一目で立派な物だと分かる、赤と黒で彩色された鎧兜が置かれている。
そして部屋の中央には、凛と背筋を伸ばした、部屋の主人であろう紺色の着物姿の女性が、優しい眼差しでアカリと僕に視線を向けた。彼女がアカリのお姉さんのユキネさんだろう。
アカリのお姉さんであるユキネさんは、背中まで伸びる髪の色はアカリと違い焦げ茶色であるが、目や鼻立ちはやはり似ている。ただ、アカリと違い、穏やかな雰囲気を持った綺麗な人だった。
アカリはユキネさんの前で正座し、頭を下げる。僕もアカリの横に座る。頭は下げるべきなのかと悩んでいると、アカリが僕の後頭部を掴み、「あなたも頭下げなさい」と畳に押しやる。
いきなりの事に、「何すんだよ!?」と怒ると、それを見たユキネさんが、口に手を当ててクスクスと笑う。頭を上げると、ユキネさんは笑いを堪えながら質問をしてきた。
「アカリさんと仲が宜しいのね。お名前を聞いても?」
「お姉様!?別に仲良くなんて!?」
「——初めまして。僕はユウと言います。アカリさんには色々とお世話になっております」
と、知っている限り一番丁寧な言葉使いで、自己紹介をする。隣ではアカリが、何故かウ~と唸っていた。
それを見て、ユキネさんはクスリと笑った後、体を僕の方へと向けると、
「私はユキネと申します。ユウ様、お見知りおきを」
と、頭を下げた。それを見て、慌てて僕も頭を下げる。お見知りおきって何だろう?
頭を上げると、「さて」とユキネさんが場を取り仕切る。
「それでアカリさん、今日はどうしたのかしら? あなたは昨日、本条家のカズヤ様の許嫁として、近く執り行われる結婚の儀の段取りも兼ねて、本条家にご挨拶に行ったはずです。その後、城に行きお父様たちにご報告するはずでしたよね?」
ユキネさんは確認も兼ねて、アカリに質問をする。するとアカリは居ずまいを正しながら、ユキネさんを真っ直ぐに見つめ、
「————姉様、これからお話する事は事実です。そしてとても恐ろしい」
「……」
「——なので、まずは姉様にご相談するのが然るべきかと思いまして、こうして夜分にお伺いしたのです」
アカリはそう言うと、一息付く。するとユキネさんは少し考えた後、入って来た襖に向けて、「誰か」と声を掛ける。
「姉様?」 アカリは訝しむ様に声を上げた。それを片手を上げて制するユキネさん。
程なくして、障子襖の向こうで人の気配がした。その人に向けてユキネさんは、
「お茶の用意をなさい」と、指示を出す。
「畏まりました」と言って離れる気配。
ふぅと息を吐く声に視線を向けると、
「話、長くなるのでしょ? なら、まずは一息入れましょう」
ユキネさんが微笑みながら、そう言うのだった。