囚われの姫
石の通路を暫く歩く。時間にして20分位だろうか。
ずっと同じ様な石や岩が剥き出しの通路だ。たまに燭台が設置されているだけで特に変化は無い。
———いや、変化はあった。主に自分自身にではあるが———。
まずは、体の中を巡っていた不思議な感覚なのだが、少しずつ弱くなっているのだ。
感覚的には、減っているという方が近いかもしれない。感覚的にはまだまだだろうが、このままではいずれ、無くなってしまうのではないか?そう思わずにいられない。
なんとなくだが、原因はこの杖の先に点いている明かりだろう。試しに消してみたかったが、この明かりに慣れてしまった今となっては、この明かりを消すのは少し怖い。また点けられる保証も無いし。
そしてもう一つ。……お腹が空いたのだ。ただ、これに関しては良いことだと思う。お腹が空くという事は、これが現実だということだ。生きているって事だ。
いきなり訳も分からずにこんな所に来ては、記憶すら曖昧の為、夢なのではないかと思っていた。なので、これが現実だとはっきりしたのは、現状を把握する上で前向きに捉えられる事だった。ただ、逆にこのままでは餓死をする事もあるという事だが……。
とにかく、杖の明かりを頼りに先を急ぐ。ちなみにここまでに分岐点はひとつも無かった。これであちこちに分岐があれば、最悪、迷子で餓死だった。
さらに歩く事数分。廊下の突き当りにそれはいきなり現れた。
————檻だ。檻の周りは積み上げられた石で覆われ、柵の部分は金属で出来ている。頑丈そうな檻。檻の左右には蝋燭を立てるであろう燭台があるが、今は一本も蝋燭は置かれていなかった。
————ズキン————。
何故か頭が痛くなる。この檻について、僕は何か知っているのだろうか?
もっと良く見てみようと、杖の先を檻に近付けた。その時、
「……まだ夕飯には早いと思うのですが……」
「うわっ!?」
突然の声に僕はびっくりして後退った。突然掛けられたそれは、女の子の声だった。
僕は再び、今度は恐るおそる杖の先端を檻に近付けた。すると檻の中がぼんやりと照らされる。
————そこには、僕を睨む女の子が居た———。
歳は僕と同じか少し上だろうか。背中までの黒く長い髪を一括りにしており、藍色の太い紐状の布で、白く長いガウンの様な見た事も無い服を腰の辺りで縛った、細身な女の子だ。勝気な顔立ちの切れ長の目がとても美人な印象を与えるのであろうが、今はその目で僕を睨んでいた。
だが、それとは別にどこか酷く冷たい感じがした。
(……って、あれ、どこかでこの子を見たような……?)
「……あなた、いつもの人じゃないですね。もしかして新人さん?」
半目のまま、僕に問い掛ける女の子。半目の為、美人が台無しである。
「……その割には情けない顔してるわね。それに見た事も無い変な恰好もしているし。もしかして、落ちこぼれなのかしら?」
「……」
いきなり失礼な事を言う女の子に、僕は口をパクパクさせる。何なんだ、この子は!?
ちなみに今の僕の服装は、暗くて何色だか分からないけど、シャツと上着、それにズボンと至って普通の恰好だ。この恰好のどこが変なのだろうか。
(……いや、ここはひとまず冷静にならなくっちゃな。僕はここが何処だかも分からないのだから……)
ゴホンと一つ咳をし、気分を変えた僕は、
「僕の名前はユウ。何か知らない内にここに連れて来られたみたいなんだけど、ここは一体何処だい?」
と目の前の女の子に質問をした。
「……私の事を知らない……?」
女の子は一瞬ポカンとしたが、怪訝な顔をして、
「……突然の自己紹介どうも。私は囚われの姫で、ここは牢屋よ」
とまったく答えになっていない答えを返す。前言撤回だ。この子は全然可愛くないぞ!
囚われの姫とやらは、フンっとそっぽを向いている。どうやら僕の事を警戒している様だ。どうにかして、警戒を解かなくては。
————カツン、カツン……。
その時、僕の来た通路の方から足音が聞こえた。誰か来るみたいだ。すると、囚われの姫はビクッと身を竦める。何かに怯えている様だった。
(さて、どうしようか。これから来る人に改めてここの事を聞いても良いが……)
檻の中の女の子を見る。膝を抱き、抱いた膝に頭を埋め、必死に何かを耐えている。
(こりゃ、考えるまでも無いか……)
杖の先に点いていた明かりを意識して消した。杖の先の明かりしか光源が無かったので、辺りは暗闇に包まれる。
「ちょっと————!?」
「しー、黙って」
そう言って僕は突き当たりになっている壁に身を伏せる。壁に多少の凹凸はあるが、体を隠せる程では無い。ならばと寝そべってみた。はぁーと檻の中から馬鹿にする様な溜め息が聞こえてきたが、無視をする。
やがて、通路の方から揺らめく明かりが近付いてくるのが見えた。同時にカチャカチャという音も聞こえてくる。僕は息を潜めた。見つからないと良いが。
程なくして一人の男が通路から現れた。片方の手にはランプを持ち、もう片方の手には何やらお盆の様な物を持っている。
そのまま檻の前に立つ男。どうやら僕には気が付いて居ないようだ。手に持っているランプを檻の傍らに置き、空いた手を女の子が着ている服と同じ様な、ちょっと地味な服の袖口に突っ込む。そして、ジャラっと何かを取り出すと、檻の扉に差し込みガチャガチャと回す。どうやら鍵の様だ。
ガチッと鍵が合ったようで、ギィと少し錆び付いた音をさせ扉を開け、鍵を懐にしまうと中へと入って行く。
「よぉー、お嬢ちゃん。ご飯の時間だぜぇ」
しゃがれた声でそういうと、ガチャンとお盆を女の子の前に乱雑に置いた。しかし、牢のお姫様は無言で男から距離を取り、男を睨み付けていた。
「何だぁ~、その顔は? あの方から手を出すなと言われているからって、調子に乗んなよ?」
そう言って男は女の子に近付いていく。
「俺はよぉ? 正直前からてめぇを襲ってみてぇと思っていたんだわ。そこで、今日の飯当番だって変わってもらったんだわ」
徐々に距離を積める男と、必死に距離を取ろうとする女の子。しかし、すぐに壁に行き当たり、これ以上は距離を取れない。それを見た男が、
「へっへっへっ、もう逃げられませんよ~」
下卑た笑いを浮かべ、女の子に迫る。女の子は目に涙を溜め、それでも負けじと男を睨み返していた。
「その目がそそるねぇ……。しかし、そんな態度がいつまで出来るか、な?!」
男が女の子の腕に掴み掛かる。
「いやっ!離して!」
必死に腕を振り払おうとする女の子。しかし、男の力が強いのかなかなか振り解けない。そのまま男は、掴んだ腕ごと強引に押し倒した。
「げへへ。さぁて、大人しくしてもらおうか」
ついには両腕を掴み、女の子の動きを封じる。女の子も負けじと暴れるが、態勢を変える事すらままならない。
すると女の子は不意に暴れるのを止める。それを見た男は嬉しそうに、
「へっへっへっ、良い子だ。な~に、痛くはしないからよ? すぐに慣れるって……」
と舌なめずりをしながら、女の子に顔を近付ける。
すると、
「……ぁすけて……」
掠れた声が、檻の中に余韻を残す。
「……助けてよ……」
再び。涙ながらに訴える女の子。
「無駄だよ、お嬢ちゃん。誰も来やしねーよ。諦めな」
そう言って男は笑いながら、顔を近付けていく。女の子も必死に顔を背けるが、距離は変わらない。
女の子はとうとう、
「————見てないで助けなさいよ、バカ~~っ!!」
と大きな声で叫んだ。
男はその声に顔を顰めながら、
「だから、誰も助けに————」
「————はーいっ!」
ガツン!と音と同時に、男の言葉は途中で止まる。僕が男の後頭部を杖で思いっきり叩いたからだ。男はそのまま前のめりの倒れ、女の子に覆い被さる。
「きゃあぁっ!?」
女の子は驚いて、倒れ込んできた男を思いっきり突き飛ばした。……ひでーな……。
ひっくり返った男は白目を向いて意識を失っていた。男を突き飛ばした女の子は、肩でハァハァと息をしていたが、
「……なんですぐ助けてくれなかったのよ?」
と僕を睨む。なので僕は、
「いやぁ、囚われのお姫様を助けるのは、やっぱり白馬の王子様なのかなーって」
と意地悪く答えた。女の子はそこで顔をヒクっと引きつかせながら、
「……そう、あなたってそういう性格なのね。良く分かったわ」
と僕を軽く溜息を吐くと立ち上がる。女の子の背丈は僕よりも少し低い位か。すると突然、女の子は男の服の中を探る。 え?何してるの、この子?
「きゃあ!?」だの、「やだっ!?」だの騒いでいたが、程なくして、男の懐から檻の鍵を取り出すと、「さて」と檻から出て行こうとした。
「おいおい、どこ行くんだよ?」
僕は女の子に声を掛ける。すると女の子は馬鹿にする様な顔をして、
「馬鹿ね、ここから出るに決まっているでしょ?」と腰に手を当てながら答える。
「ここから出れるのか?」
「当たり前じゃない」
「————僕も行っていいか?」
すると、女の子は不思議そうな顔をして、
「————あなた、本当にここの人間じゃないのね?」と、聞いてきた。
「ここがどこか分からないと言ったと思うが」と、僕は呆れる。
あら、そうだっけ?と首を傾げながら、
「邪魔にならないかしら?」と、挑戦的な目付きで僕を見る。
「邪魔はしませんよ、お姫様」
肩を竦めながら僕は宣言する。
「そう。なら良いわ。付いてきなさい!」
と、僕を手招きする。
(……ったく、さっきまでは、男に襲われそうになって泣いてたくせに……)
ただ、僕に向けて手を差し出すその姿はやけに堂に入っていて、僕は少し見惚れてしまった。
「……何よ、行かないの?」 ただ、その半目は止めた方が良いと思うが。
僕は女の子の手を取り、檻から出る。色々な問題は一旦おいて、今はこの子と一緒にここから出る事に専念しよう。そう決断した僕の耳に女の子の声が入る。
「そういえば、自己紹介してなかったわね。私はアカリ。ここの国のお姫様よ♪」
茶目っ気たっぷりの顔でそう言った彼女の顔を、可愛いと思った自分が何故か悔しくて、そっぽを向いてしまった。