母の告白
※ 21/2/25 改定 (誤字・脱字、および、一部の表現が適当なものでは無かった為、追加・修正しました)
「……ぁ…──…ぇ」
————遠く、遙かに遠い彼方から声が聞こえる。
いや、それは声と呼ぶにふさわしくない。それほどのささやかな《音》。それを認識しようとするが、どこに耳を傾けていいのか分からない。
(面倒くさい……)
再び微睡む。暗い、昏い空間。目を瞑っている時と同じ様な。
「……ぁ……ぅ……ぇ」
すると、その微睡みを邪魔するかの様に、再び聞こえる音。いや、今のは声に近かったかもしれない。再度耳を傾ける。
(──誰だい?)
返事は無い。もしくはこの暗い空間に吸い込まれているのかもしれない。
(————それならそれでいい) 僕はまた目を瞑る。しかし、
「……た……ぅ……て」
————聞こえた。今度は確実に。
自然と耳を澄ます。その声を聞き逃すまいと。そして————、
「……たすけて!」
はっきりと聞こえた声。それは、この昏い空間から覚醒へと導くものであった。
△
「お兄!!」
目が覚めると、目の前にはサラの顔があった。
「ん……、サ、ラ……?」
サラの手を借りて上体を起こす。まだぼーっとする頭を数度振り、意識を完全に覚まそうとすると、サラがガバっと抱き付いてきた。
「おにい~。良かったよ~!」
僕の胸に顔を埋め、「ふえ~ん」と情けなく泣くサラの頭を、「よしよし、心配掛けてごめんな」と撫でながら、周囲を見回す。
そこは知らない部屋だった。白色の石壁に小さめの窓があるこの部屋には、今僕が寝ているベッド、すぐ側には、サラが座っていた木で出来た丸い椅子。それと花瓶が乗った小さなチェストだけである。一体ここは?
暫くサラの頭を撫でながら慰めていると、コンコンとドアがノックされる。「どうぞ」と入室を促すと、ガチャっとドアが開き、お爺さんが入ってくる。そして──、
「──母さん!」
お爺さんに続いて、部屋へと入ってきたのは母さんだった。その後ろには、お隣のお婆さんも居る。チュニックの上からセーターを着て、下にはズボンを履いている母さん。いつもの格好だ。
対してお婆さんは、ゆったりとしたローブを着ており、腰の結び紐に、とてもキレイな薄い緑の樹の杖を差していた。お爺さんの恰好もそうだが、お婆さんのその恰好も、普段とは違う。でも、とても様になっていた。
「ユウ、目を覚ましたのね。良かった……」
そう言って、母さんは空いていた丸椅子に座り、僕の頭を撫でる。……恥ずかしい……。
「母さん、無事で良かった! 今、外は大変な事になっていて──」
窓を指差し、外の惨状を説明するのだが、何故か違和感を覚えた。それは母さんの表情だ。魔物によって破壊された村の家々を、魔物によって殺された村の人々を、外で今、何が起きているのかを知っているかの様に、俯いたのだ。
確かに母さんとお隣さん夫妻は、魔物がこの村を襲う事を事前に知っていたと言っていた。そして、その事を教会の神父さんと村長さんに報告する為に教会に行ったと。だから僕たちも母さん達が居る教会へと向かっていたのだ。
だけど、事前に知っていたと言うだけで、あんな顔をするだろうか? まるで、悪い事をして怒られた子供の様な、あんな顔を……。
確かに、事前に知っていたのなら、もっと早く村の人に教えていれば、村への被害は抑えられたかもしれない。でもそれは不確定な部分だし、警備団の居ないこの村で、あれだけの魔物が襲ってくれば、少なくない損害が出るのは当たり前だ。もしかすると、村が壊滅したっておかしくはない。それは、母さん達がどうしようが防ぎようのない事だ。
顔を上げ、母さんの後ろに立っているお爺さんとお婆さんを見ると、二人とも母さんと同じ様に顔を俯かせていた。それがさらに、僕に疑問を抱かせる。
「……母さん?」
声を掛ける。すると母さんは、恐るおそるといった感じで顔を上げた。その顔は若干色を失っている。すると、
「————お母さん、さっきの話の続き、聞かせてくれる?」
僕の胸に顔を埋めていたサラが、体勢をそのままに、顔だけを母さんに向けて言う。
「さっきの話?」
「うん。いきなり倒れちゃったお兄を、おじいちゃんが背負って教会に急いだの。そして教会に着いて中に入ったら、お母さんが居て……」
「……それで?」
「その後、お母さんに外での事を話して逃げようとしたの。ここは危ないからって。でもお母さんは、まずはお兄を休ませるって言って。で、お兄をベッドで休ませてから、話をしようとしたんだけど、今度はお母さん、お兄が起きてからにしましょうって。何で?って聞いても今は話せないからって」
「──母さん?」
「……」
母さんは僕の問いに沈黙で返す。しかし意を決したのか、僕の顔をまっすぐに見つめて、
「……分かったわ。今から言う事を信じられないかも知れない。————けれど、全て事実よ」
「お兄、事実って?」
「あ、あぁ。本当にあった事って意味だよ」
サラは体を起こすと、僕の隣に座り姿勢を正す。
「————殿下、宜しいので?」
母さんの後ろに立つお爺さんが問うが、
「良いのです、イーサン。この子達も知っておいた方が良いでしょうから」
「──御意」
お爺さん、イーサンって名前だったのか……。それはさておき……、
「母さん、殿下って何?」
ピクっと頬を引き攣かせる母さんは、どう話したら良いか迷うように、顎に手を当てる。
「──殿下。私から説明しても宜しいでしょうか?」
すると、お爺さん──イーサンさんと同じく、母さんの後ろに立っていたお婆さんが問う。
「……いえ、私から説明しましょう」
「失礼致しました」
「良いのよ、エマ。いつもありがとう」
「殿下……」
母さんがお婆さん──エマさんって言うのか──に振り返り礼を言った後、改めて僕達を見ながら、少し困った顔をして、
「えっと……。なぜ、お母さんが殿下って呼ばれてるかって事なんだけど、……実はお母さん、昔、お姫様だったのよ♪」
と、最後はうふふっと少しはにかむ様に照れながら、僕達に話し始める。
「「……え?」」 唖然とする僕達。そして、「──お姫様って、あのお姫様?!」と、サラが確認した。
「あのっていうのがどれだか分からないけれど、たぶんそのお姫様よ♪」
「絵本に出てくる、豪華なドレスを着て、毎日舞踏会をして、美味しい物食べている、あの?!」
「毎日舞踏会はしなかったし、そんなに美味しい物も食べてなかったけど、そのお姫様ね」
「何とかの料理はあまり好きじゃなかったわね~」と、頬に手をやり、昔を思い出している母さんに、
「殿下……」
後ろに立つイーサンさんに軽く注意されると、「あら、ごめんなさい」と母さんはペロッと短く舌を出して謝った。仕える主人の悪い所を諫める事が出来る。三人は良い主従関係なのだろう。
(……けど驚いたな。母さんがお姫様、王族だったなんて……)
この村は国の最西端にある為、王族と呼ばれる人達は来た事が無い。しいて挙げれば、この地方を支配する、隣街に住んでいる貴族様の部下である役人が、たまに村の視察に訪れる位だ。
この村には、特産品や名産品と呼べる様な物も、観光になる様な場所も無いので、貴族様からして何の魅力も無いのだろう。なので、王様や、王子・お姫様といった方々は、絵本の中でしか見た事が無かった。それが現実に、目の前に、しかも身内に居るなんて……。
「……母さんがお姫様だとして、後ろのお爺さんとお婆さんは一体?」
僕の問い掛けに、二人の老夫婦は背筋を正して、
「うむ! わしはイーサン。国に仕えていた、しがない老騎士じゃよ」
「私の名はエマ。私も国に仕えていた、魔導士だったのよ」
イーサンさんは、白く染まった短髪の頭をガシガシしながら答え、エマさんは、うふふとはにかみながら、自己紹介してくれた。だけど僕は、その二人の様子よりも、発した言葉の方に驚く。
(──【騎士】に【魔導士】だって!? 上位クラスじゃないか!?)
ジョブにも【等級】があるものが存在する。戦士系だと、戦士の上位クラスが騎士となり、魔法使い系だと、魔法使いの上位クラスが魔導士になるのだ。
凄い二人がお隣に住んでいたものである。騎士だもん、そりゃ、魔物を一撃で倒せるのも納得だ。
(ん、待てよ? 国に仕えていたと言っていたけど、もしかして──?! いや、まさかな)
「二人はお母さんと一緒に、この村に来たの?」
「うむ、その通りじゃ。殿下と一緒にこの村に来て、あの場所に家を建てたのじゃ」
サラの質問に答えるイーサンさん。「騎士が大工の真似なんて、したくなかったんじゃがのぅ」と、ブツブツ文句を言っている。
「なぜこの村に?」
「それはね、殿下が見つからない様にする為なのよ」
僕の問いにエマさんが答える。
「見つかるって、母さん、何かしたんですか?!」 お姫様である母さんが、誰かから見つかるのを恐れるなんてよっぽどの事が……。
すると、なぜか母さんはほんのり頬を染めて、両手で頬を押さえながら、
「それはね、……駆け落ちしたからよ♪」
「「……はい?」」
再び唖然とする僕とサラ。対して、母さんの後ろでニコニコしているエマさんと、苦虫を噛み潰した様な顔をしているイーサンさん。
「お母さん、お父さんの事を好きになっちゃったのだけれど、お父様、王様が許してくれなくてね。それで駆け落ちしちゃったの♪」
「あの頃は若かったわぁ」と、当時を振り返る母さんは、照れ笑いを浮かべる。まさか母さんが父さんに惚れたなんて……。世の中、解らないものである。
「そうしたら、後からイーサンとエマが追い掛けてきてね。なんでもお父様から、私たちを説得してくれって依頼されたみたいだけど、私たちが断固拒否すると、じゃあせめて、一緒に連れていってほしいと言ってね」
「連れ戻すのが無理なら、一緒に行って守ってほしいと、王直々に頼まれてなぁ」
「それから、この村にやってきて、森の中に家を建てて暮らしてきたってわけなのよ」
この村に来た経緯を話した母さんは、そこでふふっと笑う。
「……そっか、僕は父さんと母さんがこの村に来てから生まれたんだね」
ほんとに、何気なく口にしたその言葉。途端に母さん達の顔色が変わる。
「……いいえ、ユウ。あなたは私たちと一緒にこの村に来たのよ」
「えっ?」
(じゃあ、この村に来る前に生まれたって事?)
「……どういう事?」
「……あなたはあの人が、お父さんが連れて来たの。私と駆け落ちする時にね」
「……という事は、僕は母さんの子供じゃない……?」
「……そうよ」
まさかの事実に、僕は言葉を失う。隣に座っていたサラが、僕の服をギュッと掴み、心配げに見つめてきた。そのサラの手に、自分の手を重ねて大丈夫だと首肯すると、僕は問いを続ける。
「……なぜ、今になってそれを僕に教えてくれたの?」
質問をした僕は嫌な予感に襲われる。……いや、それは確信と言っても過言ではなかった。
村が魔物に襲われているこのタイミングで僕の出生を話すってことは、今の村の惨状と、僕自身が無関係では無いってことだ。
ごくりと喉が鳴った。そう思いたくは無い。心のどこかで違っていてくれと願うが、
「……」
母さんの沈黙がそれを如実に肯定していて、僕は二の句が継げなくなっていた。
「お母さん?」
急に黙った母さんに、サラが問い掛ける。その声に、母さんは何かを吹っ切る様に短く息を吐いた。
「そうね、全てを話すと約束したものね。……ユウ、信じられないかも知れないけれど、あなたは別の世界から来た人間なのよ」