225話
★ アカリ視点 ★
霧の様に霞む蒸気に浮かぶ赤い光。その光がスッと動いたと同時に、私も動く。
「やぁ!」
《姫霞》の刃を返し、目の前の鉄人形の脛に叩きつけた!
(どう!?)
人体急所の一つである脛への強打。普通ならばその痛みで歩く事はおろか、動くことさえ出来ないはずだ。──相手が人間であるなら──だが。
BSYUUU!!
「ちっ! やはり効かないか!」
脛への衝撃などまるで意に返さず、私へと手を伸ばす鉄人形に舌打ちを返しながら、距離を取る。
(日乃出の姫が舌打ちなんて、姉様が聞いたら凄い剣幕で怒られてしまうわね。それにしても──)
十間ほどの距離を取り、再び《姫霞》を構える。見据えた先の鉄人形は、こちらへゆっくりと首を回し、その赤い目で私を捉えた。
ユウが傷付いた弱犬を治療する為に、巨大な鉄人形を二人の元から引き離した後、部屋に立ち並ぶ不思議な鉄箱が比較的少ない少し開けた所まで誘き寄せた。そこから始まった、鉄人形との一騎打ち。その間、《姫霞》であの鉄よりもなお固い鋼鉄の体の鉄人形に数十合と切り付けたが、表面を少し削るのが関の山で、今だ一度も傷と呼べるものを与えていない。私に比べて動きが鈍重なので、まだ戦えてはいるが流石に堪える。
(硬過ぎるわよ!)
心の中で一人愚痴る。心の中でなら、姉様に怒られる事も無いだろう。
相手が人型だから人と同じ個所に急所が存在するだろうと踏んで、額から始まって顎先、胸、鳩尾、股間とあらゆる所を攻撃してみたが、鉄人形は一つも嫌がる素振りを見せなかった。
(……いえ、目と関節だけは防ごうとしていたわね)
先ほどの脛への攻撃の前に繰り出した肩関節の攻撃には腕を上げ、さらにその前に突き狙った左目の攻撃には顔を逸らして避けて見せた鉄人形。その動作は、他の急所への攻撃時には見せなかった嫌がる素振り。という事は、そこへの攻撃ならば、あの硬い鉄人形にも通じる。
「ふぅ」と肺から息を吐き出す。チャリっと《姫霞》が鳴く。──うん、解っている。
(なら、塞げないほど速くっ!)
正眼に構えた愛刀を少し引く。と同時に利き足である右足も若干引いた。日乃出で履き慣れていた草履ではなく、ブーツと呼ぶ、何かの革で出来たこの履物は、草履に比べて重いが足全体を包み込んでくれるお陰で、足に無駄な力を入れる必要は無い。それはそれで楽なのだが、
(やはり草履の方が動きやすい、わね!)
引いた右足で鉄板の敷かれた床を蹴り付ける! シュウ!とその背から蒸気を吐き出した鉄人形との距離が一気に縮む。その私を迎え撃とうと、鉄人形が鈍重に己の両腕を上げる。
(遅い!)
が、鉄人形がその腕を頭上へと持ち上げた時には、すでに私はその懐へと入っている!
眼前にあるのは、腕をさらに一回りほど太くした鋼鉄の足。その足の膝部分に当たる隙間。
引いていた愛刀をさらに引く。そして自分の中にある、ここには居ない相棒に教わった、今だ説明の難しい不思議な力──魔力を、握っていた右手から愛刀へと通わせていく。
「リィン」とか細い鈴の音を発する《姫霞》。それに「うん」と頷くと、私は引いていた腕を解き放った!
「──“桜舞”!!」
私の得意技である連続突きが、がら空きとなった鉄人形の左膝の隙間へと次々に滑り込む!
BUSYU!? SYUUUO!!
ギンギィン!という金属同士のぶつかる音と鉄人形から悲鳴の様な音が重なり、次の瞬間にはブンッという重い音──
「はぁ!」
最後に大きく突き入れると、その反動を利用して鉄人形の懐から大きく後ろに飛んで抜け出す。と同時に、ドゴン!という大きな破壊音。
懐から離脱し、体勢を整え顔を上げると、私が居た場所の床が大きく陥没しているのが目に入る。鉄人形がその巨大な両腕を振り下ろしたのだ。
(あの鉄人形、己が守る所を破壊しても気にしないの!?)
理解出来ない鉄人形の行動を目の当りにし、背中に冷たい物が流れたのを感じた。普通ならば、守るモノは壊さないのが常識だ。なのにあの鉄人形にはその常識が無い。まるで私を捕える事、殺す事が第一の目的の様だ。そんな非常識な存在だなんて。
(それよりも、膝はどうかしら!?)
背中に流れた恐怖を無理やり無視する様に、私は“桜舞”を突き出した鉄人形の左膝を凝視した。
だが蒸気のせいでハッキリとは見えない。
(もう! なんなの、この蒸気は! 良いわ! もしあの鉄人形の膝を壊していたら、今度こそ動けないはずだから)
手応えは悪くなかった。さすがに皮膚を、肉を切り裂く感触とは程遠かったが、それまでと違って、攻撃が通っている感触はあった。ならば、左膝を破壊しているはずだ。あの蒸気の先で、跪いているはず。
(ユウに教わった魔力も乗せたんだもの! 絶対大丈夫!)
注視している中、蒸気が晴れて行く。ゴクリと喉がなった。ど、どうかしら!?
──BUSYOOO!!
蒸気が晴れて現れた鉄人形。その左膝からは小さい蒸気が漏れ出ている。
が、背から新たに蒸気を吐き出し、ググっと重心を低くするその動きを見るに、“桜舞”では大して破壊出来ていない様だった。
「もう! どれほど頑丈なのよっ!」
愚痴がとうとう口から出てしまった。もう! 本当に嫌になるっ!
SYUOO!!
体勢を落としたガーディアンが、膝から漏れる蒸気を気にする素振りを見せる事なく、私に突進してくる。それを横に飛んで余裕を持って躱すと、通り過ぎていく鉄人形。
(鉄人形の攻撃を捌くのは問題無いから私が負ける事は無いけれど、このままではじり貧だわ)
私の攻撃も鉄人形には通じず、そして鉄人形の繰り出す攻撃は私には届かない。お互いに決定打の無い戦い。このままでは、今は刃こぼれをしていない《姫霞》とて、その内損傷してしまうだろう。
私に足りないのは、鉄人形の体に刃を入れる為の力。対して鉄人形に足りないのは、私を捉える為の速さ。
(シンイチ様や成瀬様ならば、あの鉄人形すらも斬り伏せてしまうのでしょうね)
チャリっと《姫霞》を正眼に構えながら、私は日乃出国の誇る二人の将軍の姿を思い浮かべる。
日乃出の誇るあの御二方ならば、こちらへと向き直るあの嫌になるほどに頑丈な鉄人形とどう戦っていただろうか? ……いえ、あの御二人ならば鉄はおろか鋼鉄すらも斬っていたでしょうね。それに、
(私とあの御二方とを比べるなんて、とても烏滸がましいわ)
シンイチ様と成瀬様の力は普通の侍を凌駕している。まだまだ未熟である私が、その御二人と比べても、なんの解決にもならない──
(……いえ、シンイチ様……?)
頭に浮かんだシンイチ様の人懐こい笑み。その笑みに温かいものを思い出すと同時に、私が昔、侍になる為に必死に木刀を振っている時に言われた事を思い出す。
『斬るんじゃない、引くんだ』
あれはシンイチ様のお屋敷の中庭の事だ。私の素振りを見て、シンイチ様がそう言っていた。その時の私には何を言っているのか全く分からなかったが、今の私なら解る。刀は刃を当てて斬る訳じゃない。引いて斬るのだ。それを示したシンイチ様の言葉だった。
「まだ、引きが足らないのだとしたら……?」
構えた《姫霞》をチラと見る。晴れて侍となった私に、お父様が下賜してくださった愛刀。それからはこの愛刀に一日でも早く慣れる様に鍛錬をしてきた。そのお陰か、私の腕はメキメキと上がっていったのだ。
だが、まだ私の力が不足していて、この《姫霞》の本来の性能をまだ引き出せていないとしたら?
BSYOOO!!
《姫霞》から視線を外して前方を見ると、こちらへと体を向けた鉄人形が再び体勢を低くしていた。そして今度はその手を横へと広げた。一体何をしようというのだろうか?
(──私が横に飛んで逃げたから、か!?)
おそらくそれは正解だと思った。それはこちらに向けている赤い目から“今度は逃がさない”という意思を感じたから。
(──意思、か)
鉄の人形から発せられた意思。人の心なんて一つも無いだろう目の前の敵から感じられた、人としての強い精神。
それに気付いた時、掌から伝わって来たそれとは別の強い意思。
(うん、そうね。あの鉄人形にもあるのだから、アナタにもあるよね)
ならば私も応えなければ。絶対に斬るという強い意思を持って、《姫霞》の期待に応えなければ!
「来なさい! ウスノロ!」
BUSYUUUU!!!
私の挑発に反応したのか、それとも《姫霞》の“意思”に反応したのか、或いはその両方か。鉄人形はその巨体をグググっと縮こませると床を蹴り付け、ドンッ!という音が聞こえるほどの速さでこちらに迫ってくる!
大きく開いた腕をさらに伸ばして、周囲に立つ鉄箱を薙ぎ倒しながら一気に距離を縮める鉄人形。それはもはや、強大な鉄の塊! その体はおろか、腕に触れるだけで弾き飛ばされ、硬い鉄の床に叩き落されるだろう。 その圧倒的な圧力からは、私を逃がさない。私を始末するという意思が伝わってくる。でも!
「私も《姫霞》も負けないわよっ!」
正眼に構えていた愛刀を、スッと最上段に構える。そして、魔力を伝えると「キィイン」と高い音を奏えだす《姫霞》。
肉薄した鉄人形が私を捕えようと、広げていたその腕を前方へと突き出す。もう横にも後ろにも逃げられない。逃げるのならばその上空だ。だけど──逃げないわよっ!
《姫霞》を最上段に構えたまま、私はあろう事か鉄人形へと向かって行く! 五間以上もある鉄の塊が視界を埋め尽くす。
ブシュウ!と背後から蒸気を噴き上げた鉄人形の腕が左右から狭められてくる中、私はただ一つの事だけに集中していた。
(狙いは、ここだ!)
鉄の腕に挟み込まれる直前、私はさらに床を蹴り付けて加速する! 急激に狭まる視界。その先に見据えていたのは、腕を胴の間、肩関節に出来た隙間だ!
寸分違わず、その隙間へと《姫霞》を落としていく。そして──
「“降り月”!!」
三日月の弧を思い描く様に脇を締めて愛刀を引いた!
コオォン……
床に硬い物が当たる音。それと同時に、私の視界が開けた。その場所へと体を投げ出す様にして、駆け抜ける。
SYUOOO!!
直後、背後から何かが大量に漏れ出す音が辺りに響く。
残心を解き、振り返った私が見たもの。それは、切り落とされた腕から蒸気を噴き上げる鉄人形の姿だった。
「……やった……」
「ほう」と息を吐く。するとグラリと視界が揺れ、弱くは無い吐き気が襲ってくる。
(まだ気を抜いちゃダメ! せめてユウが戻るまでは!)
グッと右足を半歩前に出し、何とか踏ん張った。鉄人形にはまだ片腕も残っているし、その巨大な身体もある。対する私は、慣れない魔力の消費のせいで、立っているのも辛い状態だ。これだとどっちが押しているのかすらも分からない。
(ユウに負けない様に練習してきた”降り月”も上手くいったんだもの。ここが踏ん張りどころよ!)
《姫霞》をゆっくりと構えると、失った片腕を気にする素振りも見せずに、こちらへと振り返る鉄人形。すると──
『……システム、もしくはプログラムに問題が発生しました』
「きゃっ!? な、なにっ!?」
誰かが急に喋り出したせいで、思わず腰が抜けそうになってしまった。
『侵入者の排除の為、全てのリミッターを外します。職員、関係者は直ちに退避してください。繰り返します。侵入者の排除の為──』
「な、何よ!? 一体、何の事よ!?」
声に続いて、ビィビィと耳障りな音が辺りに響く中、《姫霞》を正眼に構えたまま辺りをキョロキョロと見回す私。すると、
「あ、居た! アカリ!」
「え、ユウ!?」
鉄箱の奥から、見慣れた格好をした男の子──ユウが、急に動かなくなった鉄人形を警戒しながら、息を荒くしてやって来る。
「ユウ、どうしてここに?!」
「どうしてってアカリが心配だからに決まってるじゃないか」
「そ、そうなのね。有難う。それにしてもこの声は何!?」
「分からない……」
二人して周囲を警戒していると、先ほどまでビィビィとうるさく鳴っていた音は止み、そして──
「素晴らしい!!」
聞いた事のある声。その声のした方へと振り返ると、鉄の金網で組まれた足場の上に黒長い帽子を被った壮年の男が立っていた。