221話
先週に引き続き、今週も読んでくださった方が、200人を超えていました!
お読みいただき、有難うございます! ほんとにうれしい……。
★ シーラ視点 ★
遠くで何かがぶつかる音が聞こえた。その音に顔を上げると、目と鼻の先でガーディアンの放った踵落としが、近くに会った制御盤を砕いている所だった。こんなに近くで行われている戦闘行為。なのに私の耳には、遠く小さい音にしか聞こえなかった。
(母さん……)
膝を抱え込む。私の意識はあの時へと向かっていた。……母さんが冷たくなっていったあの時に……
~ ~ ~ ~
生まれはロアータウンだった。が、それほど貧しい生活をしていた訳ではない、ごく普通の生活だったと思う。食べる物も着る服も寝る所もある。何一つ不自由の無い生活。……父親が居なかった事だけを除けば。
父親の記憶はある。とても優しい笑顔を浮かべていた。あの時までは……。
ある日、晩御飯を食べ終わった私に、父さんと母さんが左右からそっと抱き締めて言った。「私に弟が出来る」と。
私はとても喜んだ。兄弟が欲しかったからだ。出来れば妹が欲しかったが、別に弟でも構わなかった。一緒に遊べるのなら。
日に日に大きくなる母さんのお腹と、私の計画。何をして遊ぼうか、そんな事ばかり考えていたと思う。
そして、母さんが弟を産む。ロアータウンでも一応の医療施設はあった。トップタウンはおろか、ミッドタウンと比較するのも烏滸がましいほどの設備ではあったが、それでも助産師を始めとして、子供を産むには、不備のある施設では無かった。
──生まれた弟には、先天的な障害があった、らしい。実際、私は弟に会っていない。おそらく、私がショックを受けると思った両親がそうしたのだろう。その先天的な障害は、ロアータウンでは治せなかった。なので父親は、当時ロアータウンの階長だった男に相談した。ミッドタウンの医療施設で治してもらえないかと。──結果、殺された。
その理由は分からない。たかがロアータウンの一市民が手を煩わせたからなのか、父さんが何か失礼な事をして、階長を苛立たせたのか……。それは今でも分からない。だが、父親と弟が死んだ事は変わらなかった。そして、弟の先天的な障害の原因が、“血の濃度”だという事を後から知った。
母さんは荒れた。全てを憎む様になっていた。そして、一通り暴れると、殴っていた私を優しく抱きしめて謝った。ごめんねと……。そうして次の日には同じ口で私を罵っては、抱き締めてくれた同じ手で、私を殴った。その繰り返しだった。
そんな日がどの位続いただろうか。気付いた時には私はミッドタウンに居た。それも立派なお屋敷に。そこは、当時のミッドタウン階長だった、私の義理の父親の屋敷だった。
なぜそんな事になったのか。それは母さんが義理の父親と仲良くなったからだ。といっても別に男女の関係になったわけではないらしいが。
母さんは比較的、いやかなり頭が良かった。頭脳明晰という言葉がしっくりくるほどに。が、ロアータウンではあまり頭の良さは役に立たない。それよりもどうすれば配給が増えるかなどの知恵の方が、よほど重宝される。
そんな中、たまたまロアータウンに来ていた義理の父親に、その才能を見染められた母さんと共に、ミッドタウンに住む事になったのだ。その時の二人にどんな接点があったかは、今だに分からないけれど。
かくしてミッドタウンに住む事になった私たちだが、ロアータウンとの暮らしとは別格だった。食べる物も着る服も、そして寝る所でさえだ。私は全く落ち着かなかった。まぁ、一番落ち着かなかったのは、暇さえあればやらされていた勉強のせいかもしれないけれど。
そして母さんともほとんど合わなくなっていった。だが私はそんなに寂しくは無かった。会ったらまた殴られる、怒られると思っていたから。これ以上母さんを嫌いになりたくは無かったから。
そんな母さんだが、たまに会うと決まって「やる事がある」と言っていた。「やる事って何?」と私が聞いても、母さんは困った様に笑って、「今のあなたには分からないわ」と答えるだけだった。
それが嫌だった私は、ひたすら勉強した。私の勉強を見てくれていた家庭教師からは、とても褒められた。「流石、あの方の娘さんですね」と。悪い気はしなかった。逆に嬉しかったと思う。これならば──頭の良くなった私にならば、母さんは教えてくれるんじゃないかって思ったからだ。
が、私の頭が良くなる前に、母さんの言っていた「やる事」というのが公になった。
ある日、家庭教師とお手伝いさんが私をリビングへと呼び付けた。そこに会ったテレビには、義理の父親を始めとする男性の中に、白衣を着た母さんが居た。
義理の父親に、背中を押される様にして前へと踏み出した母さんは、少し恥ずかしそうにはにかみながら、まっすぐにこちら──私を見て言った。『人類還元を提案します』と──。
~ ~ ~ ~
(やはり父さんと弟の事があったから……)
また近くで起こる破壊音。チラリとそちらに目を向けると、黒いジャケットを着た誰かが吹っ飛ばされていくのが見えた。それは昔、私の相棒として組んでいた、そして私の唯一の恋人だった男に似ていて……。
(母さん……)
だが、それ以上の事を思う事は無かった。私の心はあの時へと旅立っていたからだ。
母親が公共放送で宣言した【人類還元】 ──それは、血の濃くなったバクスターの人々救済の為に、他の都市から人を連れ去り、このバクスターの新たな血にする事。そのために、どこに向かっているのか分からないバクスターを制御して、近くにある別の移動都市へと近付く必要がある、と。
デメリットもある。別の移動都市に近付くという事は、向こうからも攻め込まれる恐れがある事。そして、移動する為に、限度ある石油を必要以上に使用するという事……。それはつまり、石油枯渇によるバクスターの死を、自分たちの死を近付けさせるという事。
もちろん、その対策もあった。その最も大きなものが、宣言の時に母さんから離れた所に立っていた、当時まだ研究員だったキャビダルだ。
キャビダルを中心として進めていた“魔電気革命”が無ければ、おそらくは人類還元は実行されなかっただろう。そして、義理の父さんもそして母さんも死ぬ事は無かったはずだ。
(それも言い訳、ね)
魔電気は、今や無くてはならない技術だ。それのお陰で、バクスターの石油消費量は20%は抑えられるという。だから、魔電気自体は悪くは無い。悪かったのはタイミングと成果、だ。
濃くなった血を薄める為に宣言・実行された人類還元。だが、近くにあった移動都市へと、命を捨てる覚悟で乗り込んでも、そこはすでに死に絶えた街だった。それからも近付いていった街はことごとく死んでいるか、すでに老人しかいない街ばかりだった。無理して石油を減らしても、得る物は何も無かったのだ。
宣言当初、弟と同じ様に、血が濃くなった事で先天的に障害を持つ子供が多くなっていた事で、世間に受け入れられた人類還元だったが、結果が伴わなくなると世間受けも悪くなる。
人間という生き物は現状、特に困る事が無ければ良くも悪くも保守だ。先天的な障害を持つといっても、まだ確立的にはそこまで高くはない。それでも何もしなければ、人類としてのゆっくりとした死を迎えるのは確かだ。だからこそ、母さんは人類還元を提唱したのだ。弟の事だあったから。
だが、自分たちには大きな問題ではない。それ以上に、限り有る石油の備蓄を減らす事の方が問題だと、世間は判断し始めていた。
それに加えて、成果の見え始めた、キャビダルが推し進めた魔電気技術が実用されると、世間は自分には関係の無い遠い死よりも、身近な不安から解放されるという事の方を大いに受け入れた。それが決定打になる。
結果、母さんと義理の父さんは世間から激しく糾弾される様になる。始めの内は、弟と同じ様に障害を持つ子供を持った親が擁護してくれたが、やがてそれも大きな声に飲み込まれ、見えなくなってしまった。
──そして母さんは、人類還元の必要性を改めて訴えに行く矢先、物言わぬ姿となって見つかったのだった── それかた暫くして、義理の父さんも同じ様な姿で見つかった。
(母さんは何も間違ってない……)
子供を持つ歳になって分かる。母さんの訴えていた事は間違っていないと。
(だから虐めないで……。だから殴らないで……)
私の目に、凄い形相で私を叩く母さんの姿が映る。その手から、痛みから逃れる様に体を縮こませる。
すると目の端に、白い煙が吹き上がったのが見えた。フラリとそちらに目を向けると、赤い光がこちらを照らす。それは私に何を突きつけようとしているのか。
(母さん……。助けて──)
虚空へと手を伸ばす。その赤い光を放つ巨大な鉄の塊が、その一部を私に振り下ろそうとした時、寸前で割り込んできたナニか。そして──
「へっ! いつまでしょげてんだ、オメェはよ?」
バギッ!
そのナニかが、上空へと吹き飛ばされる! 「アラン兄!」と叫び声!
(ア、ラン……?)
私の目が現実に戻ってくる。そこに映ったのは、受け身も取らずに金属の床へと叩きつけられるアランの姿と、持っていた杖の先に火の玉を纏わせたユウ君の姿だった。
☆ アラン視点 ☆
嬢ちゃんがデカいガーディアンの足払いを避けると、近くにあったコアの制御盤にその足がめり込み、箱型の制御盤を破壊していく。まじぃ! 確かあそこには──!?
(シーラ!)
必殺の足払いを躱されたガーディアンが、隠れ蹲っていたシーマへと標的を移し、その巨大な鉄腕を振るおうとしていた。
(にゃろう!)
が、寸前で俺が割り込み、鉄の槍で受け止める! が、あまりに重い!
「──がぁっ!」
槍を支える両腕に目一杯の力を籠めながら吠え、ガーディアンの鉄腕を何とか逸らす。
「ぜぇぜぇ」 肩で息を突きながら今だ蹲るシーマを見ると、その目に色が宿っていなかった。ったく、こいつは!
「へっ! いつまでしょげてんだ、オメェはよ?」
その肩に触れようとした時、ふと視線の片隅に動く鈍色の腕。しまっ!?
鉄の床を舐める様に繰り出されるアッパーカット! その拳に槍を差し込むが、俺に出来たのはそれだけだった。
「うがぁ!?」
「アラン兄!」
上空へと高々に吹っ飛ばされる。眼前には、こちらを見る坊主と嬢ちゃん、そして、やっと目に色が戻って来たシーラ。その茶色の瞳が俺を捉えていた。
(へ、遅ぇんだよ)
そのまま受け身を取る事も出来ずに、鉄の床に叩き付けられる。衝撃で、肺の空気が俺の意思を無視してぶち撒かれた。
そうして、意識がグルっと反転したかと思うと、そのまま闇の中へと落ちていった。
☆
「……ラ……ン」
──ん、何だ?
何かに揺れ起こされた──気がした。だが、ゆっくりと開けた目に映ったのは、いつぞやと同じく完全な闇。そして、ポワリと浮かぶ光の玉だった。
「……ち、またかよ……」
また嫌な思いをする羽目になるのかと、嫌気が差す。前回も笑えなかっただけに、今回も最悪を拝まされそうだ。
そんな俺の心情を知ってか知らずか、フヨフヨと浮いていた光の玉は俺に近付くと、次の瞬間、辺り一面を白く染めるほどの光を放つ。
「うおっ!?」
思わず腕で顔を覆った俺。光が収まったのを感じ、恐るおそる腕を退けると──、何故かそこは、昔住んでいたアンダーモストの部屋だった。
(……え?)
突然の事に驚く。だが、俺は身動き一つ出来なかった。
別に拘束されているわけではない。単純に自分の身体を意識して動かせないのだ。指一本、瞬き一つ自分の意思通りに動かせない。まるで、他人の中に意識だけが入り込んだ様な錯覚に陥る。
(意味が解らん! 何が起きてるんだ!? )
混乱する俺。だがそんな事お構いなしに、どこかで誰かが楽しそうに鼻歌を歌っている。どこか聞き覚えのあるメロディー。そして背中から伝わってくる懐かしいぬくもり。そこから感じるのは、守られているという安心感。
(誰、だ?)
振り返りたいが、そんな事を思っても意味はない。俺の身体なのに、全くいう事を聞かないのだから。ただ、誰かの足の上に乗せられた、幼い足が見えるだけ。プランプランと振られる足が、俺の足だと言う事は分かる。だが、もう一組の足は一体誰の足だろうか?
すると初めて、俺の意識した様に体が動いた。後ろを振り返ってくれたのだ。俺が思っていたのとは、逆の方向からであったが。
(……お、ふく、ろ?)
そこには、俺と同じ黒青い髪を長めに伸ばしたお袋の姿。前回はその顔に霞が掛かり見えなかったが今は違う。三十代、いや二十代後半のまだ若さの残るその顔が、振り返った俺を見て、幸せそうに笑う。
「アランは温かいね」
「ぼく、温かいの~?」
「うん、とっても~」
ギュッと俺を抱き締めるお袋。どうやら俺は、椅子の上でお袋に抱きかかえられている様だ。
お袋に抱き締められ、きゃっきゃと喜ぶ幼い俺。だが、心の中に潜む俺は、喜ぶどころか情けない、泣きたい気持ちで一杯だった。
この良く分からねぇこの夢みたいな空間に来たと言う事は、また俺が気を失ったのだろう事は簡単に想像が付く。まぁ、前回も同じだったし、シーラを庇ってあのデカいガーディアンにぶっ飛ばされたのも覚えているからな。
という事は、今あのガーディアンと戦っているのは坊主と嬢ちゃんの二人だけだろう。もしかするとシーラも戦っているかも知れないが、それでも三人だけであのデカいガーディアンを相手にするのは辛いだろう。シーラもブランクがあるし。
であるならば、逃げ出している可能性は高い。ネイチャー捕獲の報酬はサラの釈放。ならば、サラの兄である俺以外が頑張る必要は無い。テメェの命の方が何倍も大事だ。
(逃げる時、俺を背負ってくれれば良いんだが。……都合の良い願いか……)
あのガーディアンから逃げ出すのに、気絶した俺なんてとんだ足手纏いでしかない。あの坊主は騙されないか心配になるほど人の良い奴だが、さすがにそこまでバカじゃねぇだろう。ならば残された俺はどうなるか……。考えるまでも無い。
(とうとう俺も年貢の納めどきってやつが来ちまったか。俺が死んじまったら、もうサラを助ける奴も居ねぇよな……)
もしかすると、今見ているこの光景は噂に聞く走馬灯ってやつかもしれない。もうすでに俺は死んでいるのかもしれないのだ。
(──済まねぇ、お袋! 俺はサラを守れなかった!)
詫びる。妹を、サラを守れなかった事を必死に詫びた。許してくれないと分かっている。情けない兄だと怒られる事も。でも今の俺は、謝る事しか出来なかった。
すると突然、お袋が顔を伏せた。そして聞こえた嗚咽。あぁ、俺がサラを守れなかったばかりに、お袋を泣かせちまった……。
(こんな俺を産んじまったばっかりに……)
気付けば俺も泣いていた。声も出ず、一滴の涙も流れはしなかったが、確かに俺は泣いていた。申し訳ない気持ちで一杯だった。もっと俺が強い奴だったら。もっと俺が上手くやっていたら。もっと俺が……。
「なんで泣いているの?」
見れば、幼い俺がお袋の頬に流れる涙に気付き、その頬へと小さな手を伸ばす。すると、その手を優しくつかんだお袋が、そのまま涙の流れる頬へと押し付け──、
「私、とっても幸せよ……。アラン」
──笑った── お袋は幸せと言って笑っていた。
「しあわせ~?」
「えぇ、幸せ。だって、大切な宝物が二つもあるんですもの」
「たからもの~?」
「ほら、触ってごらん」
そう言って、頬から自分の腹へと手を導くお袋。そこは大きく膨らんでいた。
「ここにだれかいるの?」
「えぇ。ここにね、もう一つの宝物があるの。だからね、アラン──」
お袋が俺の頬を自分の頬へと手繰り寄せると、ペタっと合わせ、
「あなたはこの子──サラと一緒に精一杯生きて。私が居なくなっても、ずっと二人で……」
お袋の頬にまた新たな涙が流れて行く。その涙には、どんな思いが籠められていたのか、今となっては分からない。分からないが──
「分かったよ、お袋……。アイツは、──サラだけは俺が守ってやる! だから、そんな顔をしないでくれよ!」
声が出た。と同時に光景が物凄い速さで消失していく。待ってくれ! 俺はまだお袋に伝えたい事が──!
「──アラン」 消えゆく光景の中、お袋が俺を見つめていた。
「アラン、私はあなたが大好き。だからね、もっと自分を信じてあげて。そして、そんなあなたを信じてくれる周りも信じてあげて……」
それだけを残し、完全に消え去った。後に残るのは、真っ暗な闇だけ。
だが、俺はその闇にまっすぐ手を伸ばすと、そこに微かに残るぬくもりを感じながら、言葉を紡ぐ。
──俺も大好きだぜ、お袋……。