217話
あの時と変わらない薄暗い空間の中、ポツリポツリと橙色の灯りが、階段の細い踏み板を申し訳なさそうに足元を照らしている。その光が、生暖かい風がゴウッと吹き上がってくる階下までずっと続いていた。いったい、どの位深いんだろう……。
──ここは大回廊。ミッドタウンからトップタウンへと上がる時に使用した、町の端々にある、上に高く、下に深い階段だ。
その大回廊の階段を、いま僕たちは下りていた。キャビダルさんの依頼を受けて。
そのキャビダルさんの話によると、ノラちゃん達による昨日の闇市の襲撃、それを裏で手を引いていたのは、”裏”の責任者だというネイチャーさんだという。その襲撃の罪を償わせる為、ネイチャーさんを捕まえてこいというのが、依頼内容だ。その報酬は──ノラちゃんの解放──
「なんで、こんな大所帯で歩かなきゃならねぇんだよ……」
カンカンと階段の踏み板を踏む音に、アラン兄のボヤキが乗る。その声は少し震えていた。この大回廊は以外と大きな空間らしく、声が響くのだ。
「しょうがないよ、アラン兄。これもノラちゃんを助ける為なんだし、ね?」
「ち、お前に言われる様になったら、俺もいよいよお終いだな」
「やれやれだぜ」 肩を上げ、首を振るアラン兄。だが、一番ここに来たがったのは、アラン兄だ。
生き別れた自分の妹──サラちゃんかもしれないノラちゃんを救うのだ。アラン兄はたとえ、どんな目に遭おうとも絶対に行くだろう。例え一人で行けと言われたとしても。
「そんな事言わずにさぁ、仲良くやろうよぉ、狂犬?」
「その呼び名さえ止めれば、すぐにでも、“仲良く”してやるぜ?」
アラン兄の先を歩くクライムが、手に持っていた照明の魔道具──だと思っていたが、実際は魔道具では無く、“機械”というらしい。その機械という言葉を聞いた時、例のごとく頭がズキリと痛んだ──に照らされた顔をアラン兄に向けると、アラン兄が嘆息した。
キャビダルさんはネイチャーさんの捕縛の為、僕たちの他、自分側の人間──憲兵を同行させてきた。アラン兄のボヤキは、同行する憲兵に向けての物だった。
そして、同行する憲兵はクライムだけでは無かった──。
「それにしても、貴女まで来ても大丈夫なのですか? 憲兵長?」
「問題無い。都市長の護衛はタシロに一任しているからな」
一行の先頭を歩くシーラさんが後ろを振り向くと、その質問を受けた相手──グッドベリー憲兵長が返事を返す。
そう、クライムだけではなく、その上司であり、憲兵を仕切る長であるグッドベリーさんまで同行してきたのだ。
待ち合わせ場所である、トップタウンにある大回廊の入口にグッドベリー憲兵長が現れた時は、さすがのアラン兄も、口をポカンと開けていた。
近付いてくるグッドベリーさんを指差しながら、アラン兄が口をぱくつかせている横で、シーラさんはおでこに手を添え、「……あの男は……」と、大きなため息を吐いていた。
ちなみにグッドベリーさんは、今は右目に付けていた黒い眼帯を外していた。別にケガをしていた訳じゃない様だ。右目にも左目と同様、黒くキレイな目があった。
クライムはともかく、グッドベリーさんまで同行させる位だから、ネイチャーさんを捕まえようとするキャビダルさんの本気度合いが伝わってくる。これは完全に失敗出来ないやつだ。、と。
そうしてグッドベリーさん達と合流した僕たちは、先頭をシーラさん。その次にグッドベリーさんにクライム。アラン兄と僕、最後尾にアカリの順で、階段を下りる事になった。アラン兄じゃないけれど、確かに大所帯である。
ちなみに、グッドベリーさんとクライムに歩く順番をアラン兄が尋ねたところ、一番後ろじゃなきゃどこでも良いと言われていた。当然ながら、その理由を聞いたアラン兄。すると、帰って来た答えが、「……一番後ろは怖い……」「えぇ、一番後ろじゃぁ、戦いになった時にぃ、出遅れるじゃないかぁ」だった。どっちがどっちかは、本人の為にも言わないでおこう。
こうして、僕たちとグッドベリーさんは、ネイチャーさんの居る、【コア】と呼ばれるこの町の最深部へと階段を下りている訳だが、ずっと疑問に思っていた事があった。
(なんで、町の最深部でネイチャーさんを捕まえるのに、こんなに人が、それもグッドベリーさんまで必要なんだろう?)
ただ単に、人ひとりを捕まえるのに、わざわざグッドベリーさんまで寄こすだろうか? そう考えると、嫌な予感しかしないのだ。そして、その予感は誰かに聞くまで消えやしない。
「ね、ねぇ。アラン兄」
「ん? なんだ?」
「僕たちは、ネイチャーさんを捕まえに行くんだよね?」
「あぁ、そうだ。ってか、あんな奴、さん付けしてやる必要なんか無ぇよ」
「そんな事言われても、知らない相手をいきなり呼び捨てには出来ないよ。それに相手は、僕よりも年上なんだからさ。で、そのネイチャーさんを一人捕まえるのに、こんなに人数は必要なの? それに、クライムはおろか、グッドベリーさんまで。あまりに大袈裟じゃない?」
なので、思い切ってアラン兄に疑問をぶつけてみた。すると、意外そうな顔と、納得している様な顔を混ぜ込んだ様な微妙な顔をして、
「それはな。単純にネイチャーの野郎が強ぇからだよ。なにせ、捕まった事も、ましてや負けた事も一度だって無ぇんだからな」
「負けた事が、無い?」
「あぁ。って言っても、本人が言っているだけだけどな。実際にどうだか分からねぇよ。ただ、俺とシーラが”裏”の仕事をしている時、あの野郎が捕まった所は、一度だって見た事は無かったけどな」
「フン!」と面白くなさそうに鼻を鳴らすアラン兄。アラン兄が前に聞かせてくれた話では、”裏”の仕事をしている時、何度か憲兵に捕まったと言っていた。それは先頭を歩くシーラさんも同じだと。なのにネイチャーさんは捕まった事が無いらしい。それだけで、ネイチャーさんを捕まえる事が容易では無い事だと分かる。と言う事は、とてもすばっしこい人なのか?
「それにな。【コア】には、セキュリティが働いているからよ。その対応もしなきゃなんねえのさ」
「セキュリティ?」
聞いた事の無い“セキュリティ”というその単語に、心が強く沸き立つ様な感覚に襲われた僕は、ズキズキと痛む頭に手を添える。その様子を見て、「大丈夫なの?」と、後ろに居たアカリから掛けられた心配する声に、「大丈夫だよ」と返した僕は、鸚鵡返しでアラン兄に質問する。
「あぁ。お前が知らないのも当たり前さ。セキュリティに関しては、一般市民は存在すら知らねえからな。俺だって、”裏”の仕事をしていて初めて知ったんだ」
「……そのセキュリティっていうのは何なの?」
知らない、聞いた事が無い言葉。だというのに、それを知っている感覚、知っていなくちゃいけない恐怖に苛まれる。なんだ、コレ?! 一体僕はどうなっちゃったんだ!?
「おい、お前。大丈夫か? 顔色が悪そうだぞ?」
「……こんなに暗いのに、良く分かるね、アラン兄。でも、大丈夫だから。それよりもさっきの質問だけど」
「あ、あぁ。ここのセキュリティはな、コアに近付く“異物”を排除する為のシステムの事だ」
「……システムって、確か仕組みの事だよね? その仕組みがコアにはあると?」
「そうだ。そのセキュリティに守られた場所がコアだ」
「お~い、何してんのぉ? 止まってたら、置いてっちゃうよぉ?」
立ち止まって話をしていた僕たちの元に、クライムがわざわざ階段を上ってまでやってくる。その先には、立ち止まってこちらの様子を窺っているグッドベリーさんにシーラさんの姿。まずい、皆に迷惑かけちゃったか?
「今向かっている、コアの説明をしていた所さ。なんの問題も無ぇよ」
「だからこっち来んな! しっしっ!」とクライムを追い払うアラン兄。これ以上の立ち話は皆に迷惑になっちゃうな。
「ちぇ~、今は味方なのに、冷たいなぁ」
「うるせぇよ。俺は味方だとは思ってねぇから、いちいち来るな。おら、お前たちもさっさと行くぞ!」
「う、うん」
「何よ、偉そうに」
アラン兄に追い払われたクライムが、ブツブツ言いながらグッドベリーさんの元へと戻っていき、僕たちも歩き出す。その時、アラン兄が振り返り、
「取り合えず気をつけな、坊主に嬢ちゃん。セキュリティは手強いからよぉ?」
意味有りげに口許を緩めたアラン兄。その真意を、僕とアカリはこの後思い知る事になった。
☆
「……着きました」
大回廊の階段を下りる事暫く、先頭を歩くシーラさんが、階段を下りて来る僕たちにそう告げた。
確かに、シーラさんの居る広い踊り場には、下へと延びる階段は見受けられない。あるのは、シーラさんの正面にある、一枚の鉄の扉だけだった。
その扉は今まで見て来た物とは違い、赤い色をしていた。まるでここは危険だぞと警告する様な色……。
その扉の前に立ったシーラさんが、フロアに並んだ僕たちを見回す。
「この中に居るネイチャーを捕まえる事が最優先です。ですが、このコアの部屋には、厳重なセキュリティが施されています。各自、その対応に心してください。グッドベリー憲兵長とクライム殿は、コアの部屋は初めてですか?」
「うむ」
「そうだねぇ」
「そうですか。ユウ君とアカネちゃんも初めてなので、少し説明すると、コアを守るセキュリティは大きく分けて二つあります。まず一つ目が、トラップによる侵入除外。そしてもう一つがガーディアンによる強制排除。このうち、私の持つマスターキーでトラップは停止する事が出来ます。が、もう一つのガーディアンに関しては、完全に独立したシステムの為、停止する事が出来ません。なので──」
「……私たちを異物として排除してくる、と?」
「はい。なので、十分に気を付けてください。まぁ、皆さんの実力であれば、対応も難しい事ではないかと思いますが」
「……」
言葉が出なかった。まさか、ネイチャーさんを捕まえる事以外にも、システムと戦う事になるなんて、予想外だ。
(で、でもシーラさんは僕らなら対応出来るって言ってたし、そこまで強くないんじゃないかな?)
持っていた杖をギュッと握りしめる。こう見えても、僕もそこそこ体術や棒術もかなり腕が上がった。何とかなるだろう。うん。
そんな根拠がこれっぽっちも無い自身を必死にかき集めていると、赤い鉄の扉を「ズズズッ」と重そうに開けるシーラさん。
その横では、「う~ん、楽しみだなぁ!」とニコニコと無邪気に笑うクライム。そのクライムを諫める様に、グッドベリーさんが、「クライム、不謹慎だぞ」と注意を口にするが、その目はクライムと同様の色が浮かんでいる。口ではああ言ってはいるが、その実、クライムと同類の人間なんだな、グッドベリーさん。
「……開けます」 最後に一気に扉を開け切ったシーラさん。すると、待ちきれないとばかりに飛び出して行くクライム。あいつ、人の話を聞いてなかったのか!?
対して、グッドベリー憲兵長はひと際濃い緑色の憲兵服の上に来ていた濃色のマントを翻すと、スタスタとその姿を消した。
踊り場に残されたシーラさんと僕たち。すると、アラン兄がボリボリと後頭部を掻きながら、
「んじゃ、俺たちも行くか」
「うん」
「早く行きましょう!」
一人やる気になっているアカリ。アカリは先を行ったクライムとグッドベリーと同じ、“戦い好き”な人種なので、先を越されたと思っているのか、妙にソワソワしていた。お姫様なのだから、もう少しお淑やかになった方が良いと思うが、母さんみたいにおっとりしすぎるのもなぁ。
「さぁ。早く!」 僕の手をグイと引っ張るアカリを見て、「遠足じゃねぇんだがなぁ」とボソリ呟くアラン兄。
そうして、シーラさんの開けた扉を潜ると、赤い光を発する照明が奥へと延びる廊下があった。かなり長いが、すでにグッドベリーさんの姿は小さくなっていて、クライムの姿はもう見えない。廊下の奥の扉は開け放たれている所を見ると、すでにクライムはコアのある部屋へと入っているのだろう。
そして、廊下の奥の部屋から聞こえてくるのは、何かが吹き出す様な音。なんだ!? 生き物の鳴き声とは違う様な!?
「二人とも、気を付けてね」 僕たちと一緒に廊下を歩くシーラさんが注意を促す。深刻なその顔を見るだけで、緊張してきた。
「そう脅かすなよ、シーラ。坊主も嬢ちゃんもそこそこやれるからよぉ。ガーディアンが強くても、俺がネイチャーの野郎を捕まえるまでは持ってくれるさ、な?」
僕らの後ろを、シーラさんと並んで歩くアラン兄はそう言ってククッと笑う。その言葉と態度からは、よほどそのガーディアンというシステムが手強いのか、それとも僕たちの実力をその程度だと踏んだ上での挑発なのか。
「フン! そんな事を言って、あなたの方が先にやられたりしないでよね? またユウが背負う羽目になるんだから!」
「んだとコラァ!?」
「なによ!?」
「ほら、二人とも、止めなよ。シーラさんも呆れてるし、グッドベリーさんも先に行っちゃったよ?」
廊下を半分進んだところで、言い争う二人。その二人を見てシーラさんが呆れていた。ほんとにこの二人はこんな時にまで。もうクライムどころか、グッドベリーさんも行っちゃったよ!
「うお、やべぇ! 手柄を取られちまう!」
「そうなったら、あなたのせいだからね! 早く行きましょう!」
と、二人は我先にと走りだす。「ま、待ってよ!」「待ちなさい」と、僕とシーラさんが慌てて後を追う。
そうして、すでに開き放たれていた廊下の先の部屋へと入った僕は、思わず「うわぁ……」と、驚きの声を上げた。
かなり高い位置にある天井に設置された白い照明に照らされ、部屋全体を薄い鉄の板が張り巡らされたこの部屋は、アラン兄の暮らしていた教会よりも、いや、イサークの大聖堂の大ホールよりもずっと広い空間だった。
(向こう側の壁が見えない。一体どれだけ広いんだろ? それにあれはなんだ?)
視線の先──部屋の中央には、その高い天井一杯まである、かなり大きな卵の形をした鉄の容器みたいな物が置かれていた。
圧倒的な存在感を放つその卵型の容器に、鉄で出来た管が何本も刺さっている。その管が、部屋の中に所狭しと置かれた箱型の機械に繋がれ、また違う管へと伸びていた。
その鉄の管から、時折「プシュ~っ!」と音を立てて吹き上がっているのは、真っ白な蒸気だ。さっきから聞こえていたのは、蒸気を吹き出していた音だったのか。
その吹き出した蒸気の熱のせいなのか、こんなに広い部屋なのに部屋全体が熱く、そして湿気が凄い。まるで大きなヤカンが置かれた部屋の中に居るみたいだ。
「──ここが、【コア】……?」
僕の想像を遥かに超える部屋の構造に圧倒されていると、どこからか声が掛けられた。
「──おや? これは珍しい顔ですねぇ?」
「誰?」
その声は、僕たちの頭上から掛けられた。先に入ったグッドベリーさんともクライムとも違う声。
その声に反応したアラン兄が、ガバっと顔を勢い良く上げる。次の瞬間には、八重歯を剥き出しにして、獰猛に笑いながら、
「まさか、マジで居やがるとはなぁ。え、ネイチャーさんよぉ!」