215話
★ シーラ視点 ★
「グッドベリーから話は聞いているな?」
呼び出された執務室は、相も変わらずの雰囲気で私を出迎える。だが、いつ来ても変わらないその空気に、私はどこか安らぎを感じていた。
(……犯した罪を、咎めてくれているからかしらね)
──仲間への裏切り──。”裏”でなくとも絶対に許されない所業。それを私は犯してしまった。しかも、昔の“連れ”に対して──。心を侵していく灰黒い罪を唯一責めてくれるそれらの調度品達が、とても正しく思えた。
その罪を命令したこの部屋の主──キャビダルは、こちらも相変わらず黒革が張られた上質な椅子にふんぞり返っている。傲慢な態度で私を迎えた第一声に、目を閉じてそれに答えた。
「……ある程度、ですが」
「そうか」
「ふむ」と一つ唸ったキャビダルは、ギィと椅子を鳴らしながら執務机に肘を突く。
キャビダルの本旨。それは、先刻まで行われていた闇市の後のゴタゴタに関してだろう。それに関しては、一応グッドベリー憲兵長から報告を受けている。詳細までは聞かされていないが。
それも当然で、私の役職はミッドタウン階長だ。本来ならこのトップタウンで起こった事柄に関しては、私が知る権利は無い。だが今回の“面倒”は別だと判断したグッドベリー憲兵長(あの女)が、厄介事を抱えたくないとばかりに、いつもの無表情で私に報告してきたのだ。その手に、一人の女の子を抱えて──。
「うむ、まぁ良い。その件に関しては良くやってくれたな」
「……は」
軽く頭を下げる。そんな事でこの男は、私を呼び付けたのか……。──否。
「──だが、お前が連れて来たあの二人の子供、アレは頂けなかったな」
(──それ、か)
私を呼び出した理由を口にしたキャビダル。それが、私の予想の範囲内であった事に軽く胸を撫で下ろすと、下げた頭を少し深くする。
「……申し訳ありません。言い訳は御座いません。責は全て私にあります。なんなりと処分を──」
「シーラよ、お前には悪いと思ったが、内々にお前の連れてきた使用人について調査した」
反射的に、眉が僅かにピクリと上がる。だが、下げていた顔のお陰で、キャビダルは気付いていない様だ。
「悪いな」
「……いえ」
悪いと微塵も思っていない口調。この男は、それで私が心を乱すとでも思っているのだろうか。
あの二人をここへ、──トップタウンへ連れて来た段階で、それらの事はすでに想定済みだというのに。
「なんだ、あまり怒らないのだな」
「ここで怒る事に、意味はありますか?」
「……ふっ」
スッと頭を上げて、にやついているキャビダルを見る。特に感情を乗せた訳でもないのに、何故か私を見て、フッと笑うキャビダルは、机の引き出しの一つを引くとそこから紙を二枚取り出し、私の足元へと投げる。
床に無造作に投げられたそれに視線だけを送ると、そこには『報告書』という大きな文字の下に二人の顔写真が載せられていた。そこから続くスペースに、色々と書かれている文字。だが、最後に赤い字で書かれていたのは“未配属”という言葉。
「さて、それでシーラよ、一つ聞かせてはくれまいか? どうしてあの二人が“未配属”なんだ?」
「……」
あの時──トップタウンへと上がるエレベーターに乗る前、身分カードの提示を求められた時に、予期していた事だ。そして、答えもすでに用意済みである。
「……あの二人は“流浪人”、ですから」
「……ほう?」
この執務室に来て初めて、キャビダルが言葉に興味を乗せた。それは私がこれからどんな言葉を発するのかという興味故か、それとも流浪人だと言われた二人への興味か。
(まぁ、良い。私の言う事は何も変わらないのだから)
「……家の前で拾ったのです。その時にはすでに、彼らには記憶はありませんでした。なので、飼う事に。身分カードが無くても、私の権限で最低限の事は出来ますから」
「“堕とす”事は考えなかったのか?」
“堕とす”──つまりアンダーモスト行きにはしなかったのかと、この男は聞いているのだ。
「御冗談を。私がアンダーモスト嫌いなのはご存じのはず。それに、まだ若い二人を堕とす事など私には出来ません」
「そうか……」
私の説明を受けたキャビダルが、顔を軽く伏せて目を瞑る。その所作からは、私の説明に納得したのかどうかは分からない。
するとキャビダルが徐に立ち上がる。そして、コツコツと私に近付いてきた。そして私の目の前に立つ。フワリとスパイスの効いた香水の匂いが、私の顔を掠めて行く。その肉食獣の様な引き締まった体にマッチした香り。でも、私の嫌いな臭い。
私は、距離を取るために身を引くでも無く、かと言って抵抗する為に身を固くするでも無く、ただまっすぐにキャビダルの目を見つめる。
「……顔に似合わず、優しい所があるじゃないか、シーラ」
すると、私の顎をくっと上げるキャビダル。そのまま私の唇に、自分の唇を重ねようとして──止めた。
「ふ、まぁ良いだろう」
「……」
私から離れたキャビダルは鋭い目付きになると、太い腕を組む。
「それで、例の件はどうなっている?」
「……それならば、今しばらく」
「そうか」
私の報告を受けたキャビダルがゆっくりと首を縦に振った後、まるで睨み付けるかの様に、強い目付きで私を見据え、
「俺を失望させるなよ、シーラ。お前の母親の為にも、な」
「……はい」
グッと拳に力が籠る。これは紛れもない脅しだ。それを意識した途端、首に巻かれた見えない鎖がシャランと悲しく鳴った様な気がした。
「では、失礼します」 深々と頭を下げた私。一刻も早くこの部屋から、この男の目から逃れたい。それだけだった。逃げた所で行く宛てなんてどこにも無いのに。
「あぁ、そういえば一つ言い忘れていたよ」
「何を、ですか?」
「お前の使用人の一人、坊主の方だがな──」
その顔から、嫌な予感しかしなかった私。だが、次にキャビダルが口にした事は、私のその予感の遥か上を行っていた。
「──火の魔法を使ったそうだぞ」
☆ ユウ視点 ☆
六人掛けのテーブル。そこに僕とアカリ、そしてアラン兄が座っていた。対面に座るアラン兄は、テーブルに片肘を突いてブスっとしている。僕とアカリから半目で睨まれているからだ。
その要因となった人物──シーラさんは、「取り合えず、お茶でも淹れましょうか」と、別の部屋にあるらしい台所に、お茶の支度をしに行ってしまった。僕たちの方を見向きもしないアラン兄は、小指を立てて耳を掻き始める。その様子に、僕とアカリは揃って溜息を吐いた。
突然現れたシーラさんに、僕はポカンと口を開け、アカリは腰の刀に手を伸ばし、そして、アラン兄は「お、来たか」と、挨拶でもする様に上げた手をヒラヒラと振る。まるで、シーラさんがここに来たのが当たり前だとばかりのその態度に、僕とアカリが詰め寄ったのだ。
「そもそも、なんでシーラさんがここに来るのさ!?」
「あぁ? そりゃ当たり前だ。何て言ったって、ここは”裏”のアジトだからな」
「いやいや、アジトだとしても、さっきまで戦っていた相手だよ!? なんでそんな平然としていられるのさ!?」
ホワイトピークで行われた闇市。そこで売られてしまいそうだったノインちゃんを助ける為、僕たちは会場に忍び込み、ノインちゃんを助けられる寸前で、僕たちの仲間だったシーラさんは、突然裏切ったのだ。普通なら、そんな人、入れないでしょ!?
「シーラさんを許すの?!」
「許すも何も、シーラは何もしてねぇだろ?」
「本気で言っているの? あなた、あの人に銃を向けられていたでしょう?」
「あぁ、そういやそうだったな」
「そうだったなって……」
「はぁ~」と大袈裟に溜息を吐くアカリ。その様子を見たアラン兄が、片目を瞑ってニヤリと笑う。
「女のワガママ位許せなきゃ、イイ男とは言えないぜ?」
「殺されそうになっていたというのに……。ほんと、男というのは……」
呆れて物も言えないと、アカリが諦めた様に首を振る。僕も同じ気持ちだよ。
すると、アカリはアラン兄を指差しながら僕の肩に手を置いて、
「ユウはああならないでね!」
「う、うん!」
「なんだぁ? もう尻に敷かれてんのか、坊主? 苦労するなぁ!」
「あっはっはっ!」と、陽気に笑うアラン兄。笑っているけど、アカリは褒めていないどころか見下げているんだよ?
そこへ、「あらあら、楽しそうね」と部屋の扉が開けられ、お盆を持ったシーラさんが現れる。そして、僕たちの座るテーブルに、お茶の入ったマグカップを置くと、アラン兄の隣に座った。その振る舞いがあまりにも自然だったので、「あ、有難うございます」と思わずお礼を言ってしまう。
「……ユウ?」
「ご、ゴメン……」
「全く、それでも男かってぇの」
「情けないねぇ」 アラン兄は僕を揶揄いながら、シーラさんの淹れてくれたお茶をズズっとすすると、ゆっくりとマグカップをテーブルに置いた。
「──それで何の用だ、シーラ? つまらねぇ話なら後にしてくれよ? こう見えて、俺もなかなか忙しいからよ」
その瞬間、アラン兄の雰囲気がガラリと変わる。さっきまでのどこか飄々とした雰囲気は完全に消え去り、そこにあるのは威圧だ。
ヒリつく様な空気。だけど、それをぶつけられているはずのシーラさんは、目の前のピンクのマグカップを手に取ると、自分で淹れたお茶を一口飲む。
「……ふぅ、やっぱり温かいと美味しいわね……」
「……おい、シーラ──」
凄むアラン兄の口にそっと人差し指を当てると、持っていたマグカップをテーブルに置いて、シーラさんはフッと笑う。
「捕まったあの子を助けたければ、私と一緒に来なさい」