214話
僕たちを捕らえる為の赤い光とけたたましい警報から逃げるように走っていると、背負っていたアラン兄が目を覚ます。
「ったく、もう少し優しく運べねぇのか?」と、僕の背から降り、いつもの様に軽口を叩いたアラン兄に導かれた場所は、一件の家だった。周囲に建つ他の家々と変わらない外装。そして大きさ。ここは一体?
緑の扉が特徴的な玄関扉の前に立って、「あれ、どこかな?」と、ポケットに手を突っ込んでガサゴソと何かを探すアラン兄。なんか前にも見たな、この光景。
「お、有った」 お尻のポケットから手を抜き出すと、持っていたのは紙では無く、一枚の小さな板だった。何だろ、前に見せてもらった身分カードと似ている大きさだ。でも、金属性では無さそうな。
その身分カードに似た板を、玄関扉の取っ手の上にある細長い穴の中に入れるアラン兄。すると、「ガチャン」と音が鳴る。え? まさか、今ので鍵が開いたの!?
「まぁ、入れよ」
キィと少し錆び付いた音を上げて開かれた緑色の玄関扉。その奥に見えたのは、真っ暗な空間。 先を行くアラン兄がパチッと灯りを点けると、そこは家具が僅かにしか置かれていない広い部屋だった。
☆
通された部屋にあったテーブルの席に着くと、グルリと首を巡らす。
乳白色の壁の部屋。その部屋の中央に、僕たちが今座っている六人掛けのテーブルが一つ。そして、少し離れた所には、椅子の無い、小さめのテーブルが置かれていた。壁にある窓にはしっかりとした生地の布が張られ、外から部屋の中が見えない様になっている。まるで生活感の無い部屋だった。
(ここは誰の家なんだろ……?)
浮かぶ疑問。アラン兄はジャン君やミナちゃん、シスターの居るあの教会に住んでいるから、違うよな。でも、家の鍵を持っていたし、アラン兄の家なのか?
隣の椅子に掛けるアカリは姿勢を伸ばし、目を閉じてジッとしている。この家に関心が無いのだろう事は、その様子を見れば解る。アカリに聞いても、答えは返ってこないな。
なんて事を考えていると、違う部屋に行っていたアラン兄が、何かを両手に抱える様にして部屋へと入ってきた。
「いやぁ、待たせたか?」 ガチャガチャと重たそうに抱えるそれをよく見ると、鞘や持ち手、木の節が見えた。──まさか!?
「いやぁ、重いのなんのって。ちょっくらゴメンよ~」 抱いた懸念をよそに、アラン兄が僕とアカリが座っていたテーブルの上に、その抱えていた物を雑に下ろす。ガチャガチャと音を立てて、テーブルに散らばるその中に、とても見覚えのあるモノが見えた。
テーブルに、文字通り巻かれたのは武器だった。剣、刀、槍に杖等々。その内の幾つかはテーブルに乗りきらずに、茶色の絨毯の敷かれた床に落ちて音を立てる。
「こ、これは僕の、杖!?」
「あ~! 私の刀~!」
落ちる前に運良く、テーブルの端にしがみ付く様に残っていた僕の杖を掴み上げた。その横では、床に落ちる寸前の自分の刀を、すんでの所で救ったアカリが、愛刀を胸に抱えてホッとしている。
「おう、良かった。お前らの武器がちゃんとあったか」
自分の相棒を手にし、ホッとしている僕とアカリを見て、腕を組んでウンウンと嬉しそうに頷くアラン兄。この状況のどこが良かったというのか!?
「ちょっと、あなた! どういう事よ、これ!」 その言葉に、アカリが噛み付く。まぁ、当然だ。アカリが文句を言わなかったら、僕が言っていたところだ!
だけど、アラン兄は悪びれるどころか、「ん?」と首を捻ると、
「どういう事って、どういうことだ?」
「これよ、これ! あなたさっき言ったわよね!? 『ちゃんと置いといてある』って! なのに何よ、これは!?」
《姫霞》をドレスの腰帯に差すと、アカリはテーブルと床に散乱する武器を指差しながら、アラン兄に怒鳴る。だが、アラン兄にはアカリがなんで怒っているのか、見当もつかないようで、
「あぁ? ちゃんと家の中に置いてあっただろうが?」
「これのどこがちゃんとなのよ!」
「あぁ? 雨ざらしになってねぇんだから良いじゃねぇか。
「何をそんなに怒ってんだ、嬢ちゃん?」 怒るアカリの様子に、釈然としないとばかりにさらに首を捻るアラン兄。するとアカリは盛大に溜息を吐いた後、
「自分の一番大事な物がこんな扱いされたら、誰だって怒るものよ!」
「なんだ、そら? ただの武器じゃねぇか?」
「なんでそんなに怒ってんのか、分かんねぇなぁ……」と、腕を組んで悩むアラン兄は、「あぁ! 分かった!」と、組んでいた腕を解くと、ポンと手を叩き、
「嬢ちゃんの機嫌が悪いのは、もしかしてアノ日だからか?」
「……成敗するわ」
ブワリとアカリの魔力が膨れ上がる。と同時に、スラリと刀を抜くアカリ。その目は完全に座りきっていた!
「わ~! ちょ、ちょっと待って、アカリ! ほら! アラン兄は謝って!!」
「あ~ん? なんで俺が──」
「良いからっ!!」
「うおっ!?」
アカリとアラン兄の間に割り込み、必死にアカリを止める! と同時に、アカリの迫力に後ずさっていたアラン兄に謝る様に促した。だけど、全く納得してはいない。
その態度に、そして大事な父さんの杖を乱雑に扱われた事に、流石にカチンときた僕は、アラン兄に叫ぶ!
するとアラン兄は、一瞬たじろいだあとに何故か不貞腐れると、
「んだよ。お前まで怒んなって……。……あ~、まぁ、俺が悪かった、かな?」
「……成敗!」
「アラン兄っ!」
「分かった! 分かったから! お、俺が悪かったから、許してくれ、な?」
嫌々謝るアラン兄。その、まるで反省の色すら見えない謝罪に、アカリがチャリっと刀を鳴らし、僕はもっと大声で叫ぶ。そうして、僕とアカリの迫力に押されたアラン兄は、手を両手に突き出して、必死に自分の非を認めたのだった。……全然軽い謝罪だけど……。
「ね、アカリ! アラン兄も反省しているから、ここはひとまず、心の広い所を見せよ! ね?」
ここが落としどころだと、必死にアカリを宥める。そうしてようやくアカリは刀の鞘に納める。……と、とても疲れた……。
「ふぅ」と、溜息を吐く僕の後ろで、アラン兄がポツリと呟いた。
「お前って、怒ると意外と怖いんだな……」
☆
「ゴメン、アラン兄……」
「……何がだ?」
向かいの椅子に、身体を斜めにして座るアラン兄。その青い目は軽く伏せられ、視線は床に落とされている。一見すると不機嫌なのか、怒っているのかと思うのだが、その身から発せられる雰囲気からは、そのどれもが正解では無い気がした。強いて言うのなら、心ここにあらずといったところか。
アラン兄のその姿に、理由を考えた僕は一つの考えに至る。そして、それが正しいと確信した。だから謝ったのだ。アラン兄は納得していないけど。
「少し休むわ」 ブスっと終始機嫌の悪かったアカリは、そう言うと、少し前に部屋から出て行った。大事そうに《姫霞》を抱えて。大事な相棒を手にした事と、ホワイトピークでの慣れない恰好、武器とも言えない物で戦った事が重なって疲れが出たのかも知れない。
だから今なら、アラン兄はその本心を語ってくれると思った。アラン兄はアカリが居ると、変に強情になるからなぁ。
未だにテーブルに乗せられたままになっている数々の武器。その武器に目を落とす様に俯いた僕は、そっとその本心に触れようと手を伸ばした。
「アラン兄を勝手に連れて来ちゃった事に、だよ」
「……なに言ってやがる。グッドベリーまでお出でとなっちゃあ、逃げの一手しかねぇだろ。俺様もやられちまったしな……」
頬杖を突いたアラン兄が、空いていたもう一方の手を、まるでお手上げとばかりに上へと上げた。確かにあの状況では逃げる事しか出来なかったし、それが最善だったと今でも思う。──ノラちゃんを置いて来てしまった事以外は──。
僕はその事を謝ったのだ。僕にはどうする事も出来なかった。アラン兄を抱えて逃げる事しか出来なかった。だけど、アラン兄は納得しないだろう。なぜなら──、
「……アラン兄、叫んでいたでしょ? 『サラ』って。 もしかして、ノラちゃんが……」
「……」
組んでいた足がピクリと動く。アラン兄の本心に触れたのだ。
ホワイトピークでタシロさんやクライム、そしてグッドベリー憲兵長と戦っている時、アラン兄は何度も「サラ」と口にしていた。ノラちゃんの身に危険が迫る度に。
普通ならば聞き逃していたかもしれない。気の抜けない戦闘だったから。でも、僕は、僕だけはその名前を聞き逃す事は出来なかった。今だに見つからない、妹の名前を聞き逃す事は。
落としていた視線を上げる。目の前のアラン兄は目を閉じ、何も発しない。だけど、それもほんの束の間、「ふぅ」と息を吐き出すと目を開ける。その青い目の先は、相変わらず床に向けられていた。
「サラの口癖が、アタシだったんだよ……。ただ、それだけさ……」
「……ノラちゃん、何度も言ってたもんね。『アタシ』って」
ノラちゃんは自分の事をアタシと呼んでいた。ノラちゃんと居なくなったアラン兄の妹であるサラちゃんとを結びつけるのは、それだけ。でも、アラン兄にはそれで充分解るのだろう。
その気持ちは、同じく妹が居る僕にも十分伝わるものだった。
だから僕は謝ったのだ。アラン兄が長年探し続け、そしてやっと見つけた、自分よりもずっと大切なその存在を、その場に置いて来てしまった事を……。
「ずっと探していたサラちゃんに会えたのに、僕はそのサラちゃんを見捨てて──」
「だからしょうがねぇって言ってんだろっ!」
吐き捨てる様に、叫ぶアラン兄。
「アラン兄……」
「あぁなっちまったのは俺のせいなんだよ! 坊主のせいじゃねぇ! だから自分のせいにして、勝手に満足してんじゃねぇぞ!」
その口調は激しいが、決して僕の方を見ようとはしない。そこにあったのは、自分への怒りだけだった。
「ノラがサラかどうかなんて関係ねぇんだよ! 奪われたから奪い返す。それだけだ!」
「アラン兄……」
「……もう、何を騒いでいるのか分からないけれど、少しは静かに出来ないのかしら?」
「これじゃあ、ゆっくり休めもしないわよ」 そう文句を言いながら、アカリが部屋へと入って来た。「くあっ」と可愛らしい欠伸を手で隠した所をみると、あの短い時間でもしっかりと寝ていた様だ。
「ごめん、アカリ。休んでいたのに」
「大丈夫よ、ユウ。それなりに休めたから。それにしても、何を騒いでいるのよ、弱犬?」
「……悪いが、今は嬢ちゃんに構っている暇なんざねぇんだよ」
アカリの方を見る事無く、そう口にしたアラン兄。アカリが来た事で、ノラちゃんに関しての話はもうお終いとばかりにそのまま押し黙る。すると、
「……けどどうするのよ? 『奪われたら奪い返す!』って心意気だけじゃ、どうにもならないでしょ?」
「うぐっ!? き、聞いてやがったのか?!」
「聞いていやがったなんて、そんな盗み聞きしたみたいに言わないで欲しいわ。あなたの声が大きかっただけよ。……それで、ノラちゃんを助けに行くのは良いとして、何か策はあるのかしら?」
「そ、それは……」
アカリのもっともな指摘に、声を詰まらせるアラン兄。その様子を見るまでも無く、アラン兄にその策は無さそうだ。『ノラちゃん救出作戦』を、今から三人で考えるしかない。
すると不意に、「コンコン」とノックする音が聞こえた。そして──
「──それに関しては、私の話を聞いてくれるかしら?」
部屋の入口に立っていたのは、いつもの灰色のスーツに身を包んだシーラさんだった。