210話
暗い部屋に、割られた窓からバタバタとした風が入り込む。その割られた窓枠に、鍛冶屋の人が着るつなぎ姿の女の子が現れた。
その女の子は、目に付けていたゴーグルを触りながら僕たちを見る。この暗闇じゃあ、そんなの付けていたら見えないんじゃ……?
「ノ、ノインちゃんを返せ、ですって……?」
「──!? アカリ!?」
振り返ると、アカリが胸元を押さえながらフラフラと立ち上がる。良かった! あの攻撃をなんと躱したみたいだ!
「こっち見ないで!」
「ぅぐっ!? なんで……?」
ドガっとアカリの拳が僕のみぞおちへ入る。あまりの痛さに蹲る僕に、「急に見るからよ!」と何故か怒っているアカリ。何がなんだか分からないまま、アカリは近くに落ちていたジャケットを羽織っていた。 僕が一体なにをしたというのか。
「そんな事よりも、ユウ! あの子、『ノインちゃんを返せ!』って言っていたわよ!」
「え、なんで?!」
「知らないわよ! でも確かに言ったわ!」
アカリがつなぎ姿の女の子を指差す。何とか痛みが落ち着いた僕は、その女の子をまじまじと見た。
つなぎ姿にゴーグルという恰好は、僕たちの世界では特におかしい事は無い。アイダ村には無かったけれど、鍛冶屋の人はつなぎを着ている事もあるだろうし、実際にイサークの街中でも見た事がある。目を守るゴーグルもだ。鍛冶屋だけでなく、旅人や冒険者だって着けている事もある。
だけど、このアラン兄の世界に来てからは、一度も見た事が無かった。この世界に鍛冶屋があるのかは分からないけれど、つなぎを着ている人が居ないってのは何か意味があるのか?
そんな事を考えていると、つなぎの女の子は、ゴーグルを触りながら、
「あれ? ここにノイン様は居ない?」
(またノインちゃんの名前を──!?)
僕の耳にもはっきりと、あの女の子がノインちゃんの名前を言うのが聞こえた。アカリの聞き間違いじゃなかったのだ。しかもそれだけじゃなく──、
「おかしいなぁ……。ノエルの反応があったからここだと思ったのに。さてはアイツ、サボっているな?」
「ノエル、だって──!?」
女の子の口から、ノインちゃんだけじゃなくノエルさんの名前まで出てきた!? アカリに確認すると、コクリと首を縦に振る。僕の聞き間違いじゃない!
(って事は、あの女の子は、ノインちゃんとノエルさんを知っているって事か?)
その口から出た名前が、一人だけならまだ偶然って事もあるだろうけれど、二人っていうのはもはや偶然じゃないだろう。 あの女の子がノインちゃんとノエルさんを探している事は確実だ!
(でも一体なぜ!?)
頭の中がゴチャゴチャになる。あの女の子は一体なに者なのか!?
「おい、お前ら! 平気か!?」
「アラン兄! アラン兄こそ大丈夫!? って、その槍は!?」
「ん? あぁ、これか? まぁ、秘密兵器ってとこだ」
アラン兄はそう言って笑うと、持っていた槍──黒いロングスピアを振り回し、「危ないわよ、もう!」とアカリに叱られていた。
「そういえば、シーラさんは!?」
「ん? あぁ、逃げられちまったよ。まぁ、今はシーラよりもあっちだな」
アラン兄が割られた窓を指差す。
「う~ん、君はなんだぃ? 大ホールをこんなにしてさぁ?」
すると、女の子の居る窓に近付いていく人影。暗くて良く見えないが、その口調からクライムだろう。無造作に女の子へと近付くクライムは、女の子に質問を投げ掛ける。
「変な恰好してさぁ? 一体なんなんだい? あ、もしかして、君も”裏”の人間なのかなぁ?」
「……」
「困るんだよなぁ。ここをこんなにされちゃうとさぁ。グッドベリー憲兵長にどやされちゃうんだよねぇ。だからさぁ──」
つなぎの女の子に近付いたクライムは、その場で立ち止まると、割れた窓から入る外の光に照らされた顔を女の子へと向け、
「君も一緒に謝ってくれよぉ!」
「──!?」
跳ねながら、下げていたサーベルを突き出す! 突きの速さはかなりのものだ! このままでは女の子はやられてしまう!
だけど、女の子は動じなかった。斜め掛けにしたバックにスッと手を入れると、何かを取り出す。
それは、おかしな形をしたこん棒の様なものだった。
「──! おい、マジか!? 伏せろ!」「え?」「きゃあ!?」
そのこん棒を見たアラン兄が、僕とアカリに覆い被さると、そのまま床へと押し付ける。──次の瞬間、光が爆ぜた──!
「きゃあ!?」「うわぁ!?」
その後に続く爆発音! 僕は本能的に耳を塞ぐ! だけどそんな事をしなくても、すでに耳は殆ど聞こえない。
びりびりとした振動! 何かが崩れた音がするが、くぐもっていてよく分からない。目と耳を同時に奪うなんて、どんな魔法だよ!
体中の感覚がマヒしている様な気がする。どの位の時間、そうしていたのか分からないけれど、時間が経つにつれ、耳が少しずつ回復してきた。
「ったく、なんてガキだ! こんな所でスタングレネードをかますなんてよ!」
「まったく、無茶するわね……」
アラン兄の毒吐きに続いてアカリの声も聞こえてきた。良かった! 二人とも無事みたいだ!
頭を押さえながら立ち上がる。まだ少し霞んでいるけれど、なんとか目も見えてきた。
「あれ? アレを食らって立てる人間が居るの!?」
そんな僕たちを見た女の子が、驚いた声を上げた。見ると、口許に手を当てながらゴーグルを触っている。
「ん~、バクスターの憲兵じゃないみたいだけど……。バクスターの一般市民ってこんなに強いのかしら!?」
「あ、あのぉ~……」
「はっ! な、何かしら!?」
ゴーグルを触っていた女の子に、声を掛ける。何が起きているのか、女の子の目的がなんなのか全く分からない。ならば、直接聞いてみた方が早い!
「あの、さ。君って何者なの?」
「え? そんなの答えると思っているの?」
ポカンと口を開けるつなぎ姿の女の子。あれ、おかしな事を聞いたかな? な、ならば!
「じゃ、じゃあさ。ノインちゃんとノエルさんと知り合いなの、かな?」
「──え?」
「いや、さっきノインちゃんとノエルさんの名前を口にしたからさ。知り合いなのかなぁって」
これならば答えてくれると思って質問した。なのに、その女の子はさらにポカーンと大きく口を開けただけだった。
「あ、あの~……?」
恐るおそる女の子に近付く僕。「危ないわよ、ユウ!」と、後ろからアカリが注意してくる。大丈夫、僕だってちゃんと警戒して──。
「あ、あなた、ノイン様とノエルの事を知っているの!?」
「うわ!?」
窓に居たつなぎ姿の女の子が窓から飛び降り、僕の目の前に着地する。床には椅子の残骸が転がっているのに、よく着地出来たなぁ等と感心していると──
「──その辺にしなさい、ノラ」
「──!? そのお声は、ノイン様!?」
「ノインちゃん! それにノエルさんも!」
暗闇の中に浮かぶステージ、そこに金色の髪をした女の子──ノインちゃんが現れた! その後ろにはノエルさんも居る。良かった、無事に取り戻せたみたいだ!
ノインちゃんがノエルさんの手を借りながらこっちへとやって来ると、僕たちに囲まれる。
「大丈夫!? 気分はどう!?」
「大丈夫です、ユウさん。 ごめんなさい。私のせいで皆さんを危険な目に遭わせてしまいました」
言って頭を下げるノインちゃん。僕は手を前に出して、思いっきり振りながら、それを否定した。
「そんな! 止めてよノインちゃん! ノインちゃんのお陰で僕たちは捕まらないで済んだんだ。だからお願い、謝らないで!」
「ユウさん……」
「ユウ殿の言うとおりですよ、ノイン。だから顔を上げてください」
「ノイン~!?」
ノエルさんの気の利いたフォロー。それを聞いた、ノラと呼ばれた女の子がノエルさんに近付くと、いきなり足を蹴る。
「ノエル! あなた、ノイン様を呼び捨てにするなんて、どういう事よ! アタシだって、ノイン様の事を呼び捨てにした事ないのに~!」
「こ、こら、止めろノラ! 痛っ!?」
文句を言いながら、ガシガシとノエルさんの足を蹴るノラちゃん。見れば、ノエルさんの着ていた黒の官服の所々が破け、血が滲んでいた。もしかすると、ノインちゃんを助ける時に戦闘が有ったのかもしれない。
「止めなさい、ノラ」「ノエルさん、大丈夫?」 ノラちゃんを止めるノインちゃんと、ノエルさんを心配をするアカリ。何となく穏やかな雰囲気だ。
「……“アタシ”……、だと……?」
だけど、一人だけ、難しい顔をしている人が居た。──アラン兄だ。
「どうしたの、アラン兄……」
俯き、「いや……、そんな、はずは……」とブツブツ呟くアラン兄。さっきもこんな事があったけど、具合でも悪いのだろうか?
「まぁ、良いわ! 取り合えずバクスターから出ましょう! 外に人を待機させているわ! 彼らに“バス”まで案内してもらってちょうだい!」
「ノラはどうするのです?」
「私? 私は最後に行くわよ。 ノエルがそんなんじゃ、誰かが殿を務めなきゃね!」
腰に手を当て、胸を張るノラちゃん。ゴーグルで目は見えないけれど、とても威張っているというのは伝わってくる。面白い子なのしれないな。
すると、そのノラちゃんに近付く人が居た。 ──アラン兄だ。アラン兄は、ノインちゃんの目の前に立つと、
「ちょっと、お嬢ちゃん?」
「なによ!? 言っておくけど、私、ナンパしてくる男は嫌いよ?」
腰に当てていた手を前へと突き出し、アラン兄を警戒するノラちゃん。「しゅっ、しゅっ!」と口にしながら、殴る素振りを見せているが、アラン兄は全く気にせずに、
「そんなんじゃねぇよ。お前さん、どこの生まれだ?」
「え? なんでそんな事を聞くのよ?」
「……良いから答えてくれ」
弱弱しい声。だけど、有無を言わさない迫力がそこにはあった。だからだろう、少しふざけ気味だったノラちゃんが、真面目な顔をして、
「……分からないの」
「分からない?」
「ノラは、私たちの住む屋敷の前で倒れていたんです。それを見たノインが屋敷へと運んで介抱したんですよ」
俯くノラちゃんの代わりにノエルさんが答える。その顔もどこか俯き気味だ。
「ノラはひどく痩せていました。おそらく何も食べていなかったのだと思います。餓死寸前でした。何とか介抱して一命は取り留めたのですが、自分の名前などの記憶を無くしてしまった様なのです。おそらく、死ぬ間際まで身体が追い詰められてしまった事が原因でしょう」
「そんな……」
俯くノラちゃんを見る。今はその面影を感じさせない位、明るい笑顔を見せていたこの女の子に、そんな過去があったなんて……。
「もう一つ聞きたい……。お前さんに兄は居るか?」
「──!? なんでそれを!?」
俯いていたノラちゃんが勢い良く顔を上げる。その目は大きく見開いていた。
「……居るんだな?」
「……分からないの……。ただ、たまに見る夢の中で、お兄ちゃんらしい男の子が私の頭を優しく撫でるの。その手がとても暖かくて……」
そう言って、自分の頭を触るノラちゃん。その顔は少し寂しそうで、でも嬉しそうな、そんな顔だった。
「でもなんで?! ノエルはおろか、ノイン様にでさえ話していない事なのに!」
「……そうか……」
アラン兄はノラちゃんの質問には答えず──ただ、ノラちゃんをギュッと抱き締めた。
「ちょ、ちょっと──!」
「……生きて、いて……」
「……え?」
ノラちゃんが必死にアラン兄を引き剥がそうとする。だけど、女の子の力じゃアラン兄はびくともしない。それでもググっと力を入れていくノラちゃんが、アラン兄の顔を覗き込む。すると暴れるのを止めた。
「アンタ……、なんで?」
「……生きて、た、んだなぁ……」
「……なんで、泣いて……」
「……良かったぁ……。……ほんとに……」
「……だからなんで泣いて──、あれ?」
「ノラ、なぜ貴女も泣いているのです?」
「分かりません……。なんでアタシ、泣いて……」
嗚咽が号泣に変わるアラン兄。その涙が移った様に、ノラちゃんの頬からも大粒の涙が零れる。皆、どうしていいのか分からず、お互いが顔を見合わせ合った時──
「──う~ん、効いたぁ。まさか、目の前でスタンを投げられるなんて、思ってもみなかったよぉ?」
「──!?」
間の伸びた、独特な声。それが、ノラちゃんの足元に転がる壊れた椅子の残骸の下から聞こえた。
「誰かが、アタシの足を掴んで──!?」
「ノラ!?」
「捕まえたぁ!」
ガラガラと残骸を崩しながら、クライムが赤褐色の頭に付いた埃を払いながら出てきた!