206話
「ようこそ、二人とも。ここが、このバクスターの政官財の中心地、【トップタウン】よ」
「……ここが【トップタウン】……」
【トップタウン】へと昇るエレベーターから出た僕たち。その目の前に広がる光景に言葉を失っていると、シーラさんが一歩前に出てクルリと振り返る。そして、【トップタウン】の町並みを大げさに手で指し示した。その手で指し示された町並みは、ロワ―タウンはおろかミッドタウンとも全く違う町並みだった。
まずはビルが無い。まるで背比べをする様に建っていたコンクリートのビルが、一つも無いのだ。あるのは、同じコンクリートで建てられた“家”。
イサークの表通りに建っていた家に比べてもかなり大きな、しかも灰色だけではなく色とりどりの家が、ここからまっすぐ伸びる道を挟む様にして、左右均等に建てられていた。高さも三階建てまで位でビルの様な高さは無いから、実際はどうだか分からないけれど、町並みがとても広く見える。
──そしてここには“空”があった。ビルが無いから上はどうなっているんだろ?と、顔を上がると、そこには、透明なガラスみたいな物がトップタウンの天井を半球状に覆っている。その先には曇っているのか、暗い灰色の雲が流れて行くのが見えた。
「アカリ……、空がある……」
「うん……」
「そうです、トップタウンには空があります。と言っても、強化ガラスで出来たドーム状の空ですけどね」
僕たちと一緒に空を見上げるシーラさんが説明してくれた。強化ガラスもドーム状も良く分からなかったけど、見える空を眺めていると、そんな事はどうでも良いと思えてくる。
「曇っていますね」
「雨も降っていますよ? 直接触った事はありませんが」
髪を耳に掛け、空を見続けるシーラさん。そこには一体、何が見えているのだろうか。
「それにしても、エレベーターって凄い物なのね! あの高さを短い時間で上るなんて!」
シーラさんを見ていた僕の横で、アカリが少し興奮気味にそう言った。その視線の先には、出てきたエレベーターがある。確かにあの高さをたったの数分で昇ったエレベーターは凄い。初めてエレベーターに乗ったアカリが興奮するのも判る。
「そういえば、乗っていた人が少なかったな。それにエレベーターも小さい」
「それは当たり前です。このトップタウンに来れる人なんて、ほとんど居ないのだから」
僕の独り言が聞こえたシーラさんは、クスっと笑うと、
「……さて、では行きましょうか」
入場口や通用口の無いエレベーターシャフト前の広場。ここからまっすぐと延びる道へと歩き出したシーラさんのその顔には、空を見上げていた時に感じた寂しさはすでに見えなかった。
☆
「す、すごい……」 ミッドタウンを見る時よりもさらに好奇心を発揮してしまった僕は、トップタウンの町並みを四方八方眺め歩く。相変わらず整然と建つ色とりどりの家。その間に、お店や噴水のある公園があって、この街に住む人が買い物をしたり、遊んだり、話をしていたりした。
そうした人達の恰好は大人子供含め、とても身なりが良い。一目で見て上質な素材で仕立てられた服だと分かる。村で一番裕福なカールでさえ、あんな良い服を着ているのを見た事は無い。
そして、町自体もとてもきれいだ。ゴミなんか一つも落ちていないし、磨かれた石で出来ているのか、仄かに白い道が“ドーム”とシーラさんが言った半球状のガラスの天井、その縁に沿って設置された照明からの光を反射して、キラキラと光っている。
その道路に沿って建っているお店の壁や柱には、様々な装飾が施されており、とても立派な造りになっている。ショーウインドウ”とシーラさんが説明してくれた、ガラス張りになっているお店の一角には、そのお店で売られているのだろう服や食べ物が所狭しと並べられていて、この世界はおろか、イサークの街でも見た事の無い様な、美味しそうなパンを見た僕は、思わず喉が鳴ってしまった。
左右に並ぶお店のせいでキョロキョロとする僕を、シーラさんはおろかアカリまでもが注意するが、そんな二人もチラチラと、お店のショーウインドウに目を向けてしまうのは、女の人ならやはりしょうがないんだろうな。年に一度アイダ村に来る行商人が開く出店に並ぶ、珍しい物を見ている時のサラやアーネも同じ様な顔をしていたっけ。
そうして、トップタウンの町並みに圧倒されながら向かった先に、周りの家よりも高い建物が現れる。すると、シーナさんの足取りが早くなった。という事は、僕たちの目的地はあの建物なのかも。
その僕の予感は当たり、その建物の正面に着くと、シーラさんはクルリと振り返った。そして、ビシッと立てた親指で指差す。
「着いたわよ」
「ここが、目的地ですか?」
「そう。ここがトップタウンの役所であり、バクスターの政治の中心、【ホワイトピーク】よ」
「【ホワイトピーク】……」
シーラさんの後ろに建つ建物を見上げる。周りの家よりも高い五階建てで、特徴的なのは壁が白い事だ。トップタウンに建っていた家と同じくコンクリートで出来ているのだろうけれど、とてもきれいで、白い道とは比べ物にならない程、天井からの光をキラキラと反射させていた。
もう一つ特徴的なのは、その窓の多さだ。ミッドタウンやロワ―タウンに建っていたビルにも、窓ガラスは埋め込まれていたけれど、白い壁に覆われたこのホワイトピークの窓はそれらと比べてもはるかに多く、そして均等に埋め込まれている。まるで、どこの部屋に居ても、空を眺められる様になっているみたいだ。
「それで、私たちはここで何をするの?」
「着任の報告よ」
僕と同じようにホワイトピークを見上げていたアカリが、見上げたままシーラさんに質問すると、シーラさんはすぐさま答えてくれた。
「誰にですか?」
今度は僕がシーラさんに質問すると、シーラさんは眉間に皺を寄せ、とても重たそうな溜息を吐いた後、顔を上げる。その視線の先は、ホワイトピークの一番上の階だった。
「──トップタウンの階長であり、バクスターの長でもある、キャビダルさんに、よ」
☆ シーラ視点 ☆
「失礼します」
入室の許可を得た私は、後ろに居るアカリさんに気付かれない様、小さく深く息を吐いた。そうして心を落ち着けると、ドアノブに手を掛ける。重たいドアノブが下がりガチャリとドアが開くと、過剰な照明に照らされた執務室が目に飛び込んでくる。
質の良い絨毯が敷かれた部屋の壁沿いには、造り付けの重厚な棚が置かれ、そこにある絵画や花瓶、絵皿などがこの部屋の主を少なからず喜ばせていた。
(本来調度品という物は、部屋を訪れた者を楽しませる為の物では無かったかしら……)
過度なほど調度品の置かれたこの部屋に入るのは何度目だろうか? そう考えたがすぐに捨てた。例えそれが毎日だったとしても、この部屋に慣れる事は無いのだから。
私をもてなす気などサラサラ無い調度品には一切目をくれず、私は部屋の一番奥の執務机に向かう。そこに、この部屋の主が居るからだ。
「よく来たな、シーラよ」
「はっ」
黒革が張られた上質な椅子、その椅子に座っている緑掛かった髪の壮年の男。この男こそが、このトップタウンの階長であり、バクスターの長であるキャビダルだ。
こちらをまっすぐに見るその目は、まるで図鑑に出て来る肉食獣の様に鋭く、質の良い黒のスーツの下の体躯もガッシリしているので、とても齢50を超えているとは思えない。そこらの警備にも負けないのではないか?
(まぁ事実、この男には何度も煮え湯を飲まされたもの……)
濃い緑色の短髪のこの男と私は、“裏”の仕事をしている時から面識があった。と言っても、敵と味方、としてだが。その時にこの男には、何度も作戦の邪魔をされたものだ。
(それが今では、上司と部下、ですものね……)
ほんと人生というのは、一寸先も分からないものだ。
「シーラ・バルバトス、只今着任致しました」 カツっとハイヒールの踵を合わせ、敬礼する。そんな私を見て、キャビダルはくつくつと笑うと、
「そんな形式ばった挨拶はよせ。俺とお前の仲ではないか。ん?」
「……いえ、そんな訳には参りません」
「はぁ、相変わらずお前は堅苦しい奴だな。……それで、後ろのメイドは?」
机に片肘付いたキャビダルは、私から離れた所に控えていたアカリさんに目をやる。そのまなざしは、私に向けていたそれでは無く、先ほどの肉食獣の様な鋭い目だ。
「はい。この使用人は私の付き人です。此度の闇市の間、私の世話をさせる為に連れてまいりました」
「……あの小僧もか?」
この男は一体何時から見ていたのだろうか? ……いや、この男ならばそれが当然か……。
「……はい。彼は荷物持ちとして連れて参りました。何か問題でも?」
「いや、何も問題は無い。ただ、お前の傍に、俺以外の男が居るのが気に入らないだけだ」
「……御冗談を」
「──ふっ、まぁ良い。それで? 見たところ子供の様だが?」
相変わらず射竦める様にアカリさんを見るキャビダルが、さも興味が無いといった感じで聞いてくる。だが、変わらないその眼差しを見るに、それはむしろ逆で、この男は興味を示しているのだ。そして、言葉にこそ含まれては居ないが、おそらくアカリさんだけで無く、ユウ君の事も含まれているのだろうと推測出来た。
「……はい。ですが、見た目とは違い、かなりの実力を備えております。もし急遽、護衛の手数が足らなくなった場合、二人ならばその任、問題無くこなすものと思います」
私が、この男が求める百パーセントの答えを示すと、キャビダルはその口許を緩めた。どうやら、推測は正しかったようである。
二人の実力はアランに聞いただけで実際見てはいないが、ある程度立つのだろう。だとしても、この二人にはやるべき事があるのだから、この男が求めたとしても二人に護衛をやらせるつもりは毛頭無い。
すると、今度は両肘を机に付けて手を組んだキャビダルが、それで自分の口許を隠すと、
「──”裏”、か?」
ビクリ、と身体が震えるのを何とかこらえる。この男、一体どこまでが見えているの!?
(……いえ、おそらくは私との繋がりだけで、そう判断したのでしょう。──ならば)
「──なぜ、その様な事を?」
敬礼を解き、疑いの目をキャビダルに向ける。そこには、『お前は一体、何を言っているんだ?』という不服を素直に乗せた。
それが面白かったのか気に入ったのかは分からないが、キャビダルは組んでいた手を解くと、ギシッと背もたれに体重を乗せる。
「ふっ。なに、ただの勘よ。そんな子供が『腕が立つ』と聞かされれば、そこを疑うのは道理だろう? なにせ、“裏”では知らぬ者が居ないほどに有名だったお前には、我々もかなり手を焼かされたのだからな」
「お戯れを……」
目を伏せる。これ以上、この男との話を続けたくなかったからだ。それを察したキャビダルが
「まぁ、良い。──それで娘よ。名を何と言う?」
「……アカネと言います」
「ふむ、アカネか。ま、せいぜい励めよ。ではシーラよ、また当日にな」
「……はっ」
再び机に両肘を付くキャビダルに敬礼を返すと、素早く振り返った。やっと話が終わったのだ。早くここから出たい一心だった。
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、早くここから出たい私の気持ちを高ぶらせようと、部屋の調度品達はその存在感を増していった。
☆ キャビダル視点 ☆
十分前に閉められた部屋の扉。それが再びノックされると、俺の出した入室の許可を受け開かれる。入って来たのは、俺の秘書だ。
「……都市長。何か御用ですか?」
「うむ。先ほど来たシーラ階長の使用人が居ただろ。それと、警備に止められた小僧が一人」
「その二人が何か?」
その手に持ったファイルに目を通す秘書。おそらくそのファイルに先ほどの娘と、ここに入れなった小僧の写真が挟まっているのだろう。二人の顔を確認した秘書が、顔を私に向けてくる。そこには、一切の感情が含まれていない。
「──探れ」
だが、俺の出した指示を受けると、ほんの少しだけ感情を表した。それは疑問。しかし、優秀な奴なので、それを口に出す事はしない。俺に向けてそれをするのは、先ほどまで居たシーラ位のものだ。
質問も尋ねもしない秘書。だから、俺はただ呟く。
「あの娘、俺の視線を受けても身動ぎ一つもしなかった」