203話
白い、朝の光に包まれたミッドタウンの町並みは、教会のあったロワータウンとあまり違いが見られなかった。天井まで伸びるビル。コンクリートで覆われた道。変わらない風景だった。
けれど、ビルの間を通る通路が少し広く、歩くのにも余裕があるし、落ちているゴミも少ないからか、ロワータウンよりもキレイだと思う。そして何より、このミッドタウンにはお店があった。 ビルの一階部分がお店になっていて、色々な人が買い物を楽しんでいる。その光景は、イサークの街の表通りみたいだった。
「ユウ君、あまりキョロキョロとしないで」
「す、済みません」
初めて見るミッドタウンの町並みに、好奇心丸出しで辺りを見回していると、先頭を歩くシーラさんに注意されてしまった。
「分かっていると思うけれど、怪しまれる様な行動は控えてちょうだい」
「は、はい」
被っていた帽子の鍔を掴んで軽く下げ、さらに目深にかぶる。怪しまれない様になんて言われると、逆に周りの人達が僕に注目している気になってきた。うぅ、凄く気になる! でも、またキョロキョロしてたら、シーラさんに怒られるし、今は我慢しよう。
一番後ろを歩く僕の恰好は、普段のシャツにズボン姿。それに、アラン兄が持ってきた茶色の帽子を被っている。一応これでも変装のつもりだけど、特に変わった姿じゃない。僕の前を歩く、普段の服装とはかけ離れていたアカリの方に比べれば。
アカリはこの世界に来た時から、青い着物に黒の袴を身に着けていた。それが今は、襟の部分が白い丸襟になっている、黒い長袖のワンピース。そのロングスカートから僅かに見える足には白い靴下を穿いて、その下には黒い革の靴を履いていた。黒のワンピースの上には、端がフリル加工になった白いエプロン。そして頭には、白いヘッドドレス。──そう、どこからどう見ても、メイドさんそのものだった。
「……ユウ、あまりこっちを見ないで欲しい……」
「ご、ゴメン!」
まだメイドさんの恰好に慣れていないのか、耳を赤くしたアカリが、僕の視線に気付いたのか後ろを振り向く。「ゴメンゴメン!」と小声で謝ると、「うぅ、なんで私がこんな格好を……」と、愚痴を零しながら前を向く。なぜ僕とアカリが変装をして、シーラさんの後を歩いているのか。それは、一週間前に遡る。
~ ~ ~ ~ ~
「ノインは売られる」
「……え?」
机の上に置かれた、一枚の紙。それを上から眺めながら、アラン兄は真顔でそう言った。
「売られるって、どういう事!?」
「そのまんまの意味さ、坊主。 覚えてんだろ? ノインが奴らからなんて呼ばれていたのかを、よ?」
「……たしか、“商品”だよね」
アラン兄に問われ、僕は“大回廊”での出来事を思い出す。僕たちを捕まえようと追ってきた、黒スーツと憲兵たち。その人たちはノインちゃんと、机の上の紙を睨む様に眺めるノエルさんの事を、商品と呼んで必死に追い掛けてきた。それに、教会に居た時も、外に居たギャズさんの部下たちも呼んでいた。
「そうだ。連れ去られたノインとそこに居るノエルは、とある場所でギャズの野郎に売られる予定だったのさ。なぁ、ノエル?」
「……あぁ」
アラン兄に話を振られたノエルさんは、何かを思い出したのか、不愉快だとばかりに顔を歪ませた。
「それっていつ!? とある場所って何処なの? 誰を相手に売られようとしているのよ?」
「シーラ?」
話を聞いていたアカリが机の上の紙から顔を上げると、アラン兄に質問する。すると、それに答えたのは、同じ様に顔を上げたシーラさんだった。
「一週間後よ。売買相手は、この街を我が物顔で好き勝手する、反吐の出るような輩にね」
「シーラさん?」
アカリの質問に答えたシーラさんもまた、ノエルさんと同じ様に顔を歪ませる。ノエルさんとシーラさんに、ここまで言われるその輩というのは、一体どんな人物なのだろうか?
「そして今回、その反吐が出るクソッタレな連中の護衛を、ここに居るシーラがするんだ。そうだろ、シーラ?」
「えぇ。さっきアランの言った、とある場所で行われるイベントの護衛に関しては、毎年、ミッドタウンの階長が指揮を執ってるの」
「だから、そのとある場所っていうのは、何処なのよ!?」
アカリが同じ質問をする。別に二人とも意図して答えなかった訳じゃないと思うんだけど、アカリには、自分の質問が無視されたと捉えたのかもしれない。
「まぁ、落ち着け嬢ちゃん」 アラン兄が、まぁまぁとアカリを宥めると、人差し指をピンと上に立てて、
「その場所ってのはな、ここより一つ上の階層。──つまり【トップタウン】さ」
「【トップタウン】……?」
「あぁ。このバクスターの街の中心部であり、最上階に位置するのが【トップタウン】だ。選ばれた人間しか住む事を許されない、いわばこの街の中で、金と欲と悪党が一番集まる場所、それが【トップタウン】さ!」
「そんな所にノインちゃんは居るのね……」
アカリがクッと唇を噛み締める。僕の妹よりも小さい女の子が、一人でそんな所に居るなんて思うと、僕も悔しい思いでいっぱいになる。早くノインちゃんを助けてあげなくちゃ!
でも、ノインちゃんを助けるのなら、まずはここより一つ上の階層、【トップタウン】に行かなくちゃいけないのだけど……、
「ねぇ、アラン兄? その【トップタウン】にはどうやって行くのさ!? まさかまた、【大回廊】を使うんじゃ?」
「いや、さっきも言ったが【大回廊】は奴ら──ギャズの兵隊や自分が裏で手を回した憲兵の連中が見張っていて使えねぇさ。それに、今の俺らは奴らに追われてここから出る事はおろか、満足にクソすら出来ねぇ」
「んもう、汚いわね!」
「事実じゃねぇか、嬢ちゃん。まぁ、クソの話はどうだって良いんだ。要は、ここから出られねぇって事さ。ここから出られなきゃ、ノインを助け出す事すら出来ねぇ」
「そんな……」
がっくりと肩を落とす。確かに、僕たちはここから一歩も出ていない。アラン兄が昨日出たのだって、夜になって街の光が消えたからだ。そんな夜の時間でも、ノインちゃんを連れ去ったあの黒いスーツを着たギャズさんの部下や、憲兵さんがウロウロしていたらしい。そんな状況で、僕たちがウロウロしていたら、確実に見つかってしまうだろう。
「じゃあ、どうするのさ?」
「人に聞いていねぇで、少しは自分で考えたらどうだ、坊主?」
「……え?」
「お前はさっきから人の考えを聞いてばかりだ。時には自分の考えってモンを言ったらどうだ?」
アラン兄が僕を見る。その目はまるで、僕を試しているみたいだ。その目は昨日、”裏”に関してアラン兄と話した時に、僕に質問をぶつけ、答えを導いた時の目だった。
「え、っと、あの……」
「……ふ、冗談だよ。すでにここに、俺様が考えた完璧な作戦があるからな! 今さら坊主がどうのこうのと言っても、変えるつもりは無ぇよ!」
アッハッハッと笑いながら、僕の背中を叩くアラン兄。でも僕には分かる。僕がどんな考えを、答えを言うのか、微かに期待していたんじゃないかって。
「そこでシーラの力を借りようと思う!」 アラン兄は僕の背中を叩いていた手を、今度はシーラさんの肩に乗せた。
「……嫌な予感しかしないのだけれど?」
「そんな事はねぇって! 俺の立てる作戦は、いつだって完璧なんだからよ!」
「だから不安なのよ」
シーラさんはそういうと、部屋中に響き渡るほどの盛大な溜息を吐く。
「ウルセェなぁ。”裏”で一緒に仕事してた時、俺が立てた作戦が失敗した事があったか?!」
「確かに失敗した事は無かったわね。でもそれは、その誰かさんの立てた作戦の穴を、私や他のメンバーがフォローしていたからよ?」
「うぐっ!? ま、まぁ良いじゃねぇか! 昔の事はよ! それよりも坊主と嬢ちゃん!」
「なに?」「何よ?」
防戦一方だったアラン兄が、シーラさんとの話を一方的に切ると、僕たちに向けて手招きをする。そして、傍に来た僕たちにアラン兄は机の下に有った紙袋を渡してきた。僕のはかなり小さくて、アカリのはとても大きな紙袋だった。これは一体?
「ほらよ、受け取れ」
「なに、これ?」
「それはな、今回の『ノイン奪還作戦』において、重要なアイテムだ! 作戦の決行日、その前日には【トップタウン】に行っておきてぇ。ここに居る全員がな。その為のアイテムさ。だからよ、しっかりと準備してくる様に!」
「準備?」
「んじゃ、作戦会議を始めるぞ! 決行は一週間後だからな! それまで、この紙に書かれた作戦内容をしっかりと頭に叩き込んでおけよ!」
アラン兄が僕たちを見回しながら、威勢良く言う。その言葉を聞きながら、僕とアカリはアラン兄から渡された紙袋の口をそっと開け、その中身を取り出す。そこには、茶色の帽子とメイド服が握られていた。
☆
そうして、ノインちゃんの奪還作戦決行日の前日、僕とアカリは渡された紙袋の中身を身に着け、作戦で指定された【ミッドタウン】内にある、小さな広場へと向かった。すると、待ち合わせの相手であるシーラさんが、小さな噴水の前にある木のベンチに腰掛けて僕達が来るのを待っていた。その傍らには、女性が持つにはかなり大きめの鞄が二つ、コンクリートの地面に無造作に置かれている。
待ち合わせ場所に指定された広場には、朝早いせいかお年寄りが二人、もう一つあるベンチに座って、噴水を見ながら何かを話している以外、誰も居なかった。その二人のお年寄り──お爺さんとお婆さんだから、夫婦なのかも──は話に夢中なのか、こちらを気にする様子は無かった。
アラン兄に渡された紙袋の中身を身に着け、ばっちりと変装した僕たちは、ベンチに座っていたシーラさんの元へと急ぐ。
「お待たせしました!」
「いえ、そんなに待ってはいないわ。それよりも、人の目に付く前に、早く行きましょう」
「は、はい!」
僕たちが到着すると、シーラさんは灰色のスーツの上着に入った皺をスッと伸ばしながら立ち上がり、「では、お願いするわね」と、ベンチの傍らに置いてあった大きなバックを指差した。
「大事な物も入っているから、なるべく丁寧に扱ってちょうだい」
「分かりました」
僕は返事をすると、その二つの荷物をヨイショと持ち上げる。うわ、結構重いぞ、コレ!?
「よ、良く持てましたね、シーラさん!」
「そう? そんなに重たくは無かったわよ。 さ、時間も無いから早く行きましょう」
両手に鞄を持ち、フラフラする僕を見てクスっと一つ笑うと、シーラさんは顔を前に向ける。すると、メイドの服姿のアカリが「ほら! しっかりしなさいよっ!」と、僕の背中をバシッと叩いてきた。 そのせいでよろめいた僕は、危うく鞄を落としそうになってしまった。
「もう、危ないな!」
「へへ~んだ! ユウがフラフラしてるのが悪いんでしょ!」
「ほら、二人とも。遅れるとあの男が煩いから、早く」
歩き出したシーラさんの後ろを付いていく僕たち。こうして、作戦通りシーラさんと合流した僕とアカリは、シーラさんと一緒に、広場を後にした。
~ ~ ~ ~ ~
そうして【ミッドタウン】を歩くこと暫し、ビルが切れ、スッと視界が開く。そこには、僕たちの最初の目的地であるエレベーターシャフトがその姿を現した。【ロワ―タウン】で見たのと比べるとかなり小さく感じるのは、一階の部分で口を開けている、両開きになっている扉が一つしかないからだろうか?
そして、エレベーターシャフトの前には、【ロワータウン】のエレベーターシャフト前にも有った入場口があり、その前で黒い服を着た憲兵が数人、辺りに目を配っていた。
「それじゃあ、二人とも。手筈通りに」
「は、はい!」
「分かったわ!」
すると、シーラさんが後ろを振り返る事無く、指示を飛ばす。その言葉に気を引き締めた僕は、知らず内に喉を鳴らしていた。