201話
★ ???視点 ★
「これが当日の護衛計画書になります」
「有難う。ご苦労様、もう帰ってもいいわよ」
「はい、失礼します!」 部下が私に頭を下げると、部屋に入ってくる時とは比べ物にならない程の軽い足取りで、部屋を出て行った。
(デートでもあるのかしらね……)
その後ろ姿を見送った私は、肩を竦めると同時に、部屋に備え付けられている壁掛け時計を見る。針は八時過ぎを指していた。もちろん夜のだ。
(今日も遅くなりそうね)
ここの所ずっと残業続きで、帰りが0時を超える事もある。だから自分には出会いが無いのだ。決して自分に問題が有る訳じゃない。そう、誰とも無く言い訳を口にした。
義理父の仕事だった今の仕事を引き継いでからというもの、異性と付き合った事が無い。立場上、何度か誘われはするのだが、あまり乗り気にならなかった。別に相手に問題が有った訳ではない。彼らのほとんどは【トップタウン】に住む、云わば上流階級の人達なのだから。
(やっぱり、私に問題が有るのかしらね……)
自虐気に笑う。容姿に問題は無いと思う。絶世の美女と言われれば否定もするが、悪く無い容姿だと思うし、グレーのスーツに包まれたこのスタイルだって悪くは無い、と思いたい。歳だってまだ21。恋愛を諦める年齢では決して無いのだが。
(まぁ、良いわ。今は目の前の仕事に集中しましょう)
これ以上下らない事を考えて、帰りがさらに遅くなる──なんて事を避けようと、部下から受け取った書類に目を通す。部下から渡されたのは、来週、【トップタウン】で行われる例の“闇市”、それの護衛計画書だ。またこの下らない時期がやって来たのかと思うと、気が滅入る。
そんな嫌な気分を払おうと、自分の机に向かう前に、執務室の端に置かれた丸いサイドテーブル、その上に置かれたティーポットから、お気に入りのカップにお茶を注ぐ。一番のお気に入りである茶葉だが、冷めてしまったせいか、その特徴ある香りはすでに失われていた。
「お茶も恋愛も、熱いうちに味わわなきゃいけないって事ね……」
お茶の入ったカップを軽く揺らしてみても、香りが立つことは無かった。ユラリと揺れる波紋だけが広がるカップを、寂しげに見つめる。そこにぼんやりと映る顔は、さっき感じた孤独感をまだ引き摺っている様だ。こんな事はあまり無いのだけれど。
「……さて、仕事するとしましょう」
気を入れ直す様に冷めたお茶を口にし、カップと書類を持って自分のデスクに向かう。そこは、書類や資料が山と置かれた、私の戦場だ。この仕事をしてもうすぐ三年が経つというのに、書類の山が無くなることは一度も無い。減っては増えての繰り返し。まるで、思春期の女の子のダイエットみたいだ。
「……どうも今日の私は、そっち方面へと考えがちになるのね」
呟き、革張りの椅子に腰掛ける。決して余裕があるわけでも、ふざけているわけでも無い。ただ単に、考えがそっち側へと引っ張られてしまうのだ。
(もうすぐ、アレだったかしら?)
頭の中で、前回終わった日から数えてみたが、もしかするとそろそろかもしれない。だとすると、こんな考えになってしまうのは仕方ない事かも。子孫を残そうとする本能には、人間逆らう事は出来ないのだから。
(最後に肌を重ねたのは、いつだったかしらね……)
人は、一人では生きていけないという。それは、自分とは違う体温を感じていなければ、この不安定な世界の中で自分自身すら保てないという事なのだろうか。だとしたら、寂しさで死んでしまうという、どこかの弱い小動物と同じではないだろうか?
(なんて、それこそ下らない考えだわ)
はぁ~と深い溜息を吐いた私は、両腕を高く上げてぐぐぐっと背もたれへと体重を掛けていった。下らない事しか考えられない時は、こうして体を伸ばすのが一番だ。
背中の筋とお腹の筋、それとあまり大きくはない胸が、縦に引っ張られる。痛みを感じる少し前まで体を伸ばすと、頭も体もスッキリとしてきた。疲れた時は、やはりこれが一番良い。
(う~ん、もう一回!)
思いのほかスッキリしたストレッチに気分を良くした私は、もう一度体を伸ばす。一度伸ばした体は、最初よりも余裕が出来ているので、さらに深く体を伸ばしていく。スーツの下に着ている白のブラウスが上がって、正面から見ればおへそが見えているかもしれない。だが、別に構わない。だってこの執務室には、私以外誰も居ないのだから──
「──相変わらず胸が無ぇなぁ。ま、俺はそんなに気にはしねぇがよ?」
「──っ!?」
ガバっと体を元に戻す。伸ばした体を急に戻すのは身体的にはあまり良くないのだが、そんな事は気にしていられない! だって、おへそが出ているのだから!
「あ、あ、アナタ! どうやってここに!?」
白いブラウスの裾をグイグイと引っ張って、スカートの中に入れる。だが、焦っているせいか上手く入ってくれなかった。
「あん? どうやってって、普通に入ってきたぜ?」
「そんな事出来る訳無いでしょ! ここのセキュリティは、バクスターの中でもトップクラスなのよ!?」
「そうなのか? でも、俺はちゃんと正面から入って来たんだぜ。しかも『ようこそお越しくださいました』とばかりに、向こうからドアを開けてくれてな」
「そんなわけ──」
と、言い掛けて止めた。彼が入って来れた答えが分かったからだ。
「……まさか、私の部下に危害は加えていないでしょうね?」
「んな事しねぇよ。ただちょっと、おネンネしてもらっただけだぜ? 疲れてたんじゃねぇか?」
「……あなたってほんと……」
呆れてものが言えないとはこのことだ。執務室の入り口に寄り掛かり、私をニヤニヤと見るこの男は、あろう事か、私にこの護衛計画書を提出して帰った部下が、このビルの正面玄関を開けた際、無理やりに入って来たのだろう。彼の顔を見れば、言葉を聞けば判る。それは決して想像ではなく、事実なのだと。
「それにしても、久しぶりの再会だからって、そんなにサービスしなくたって良いんだぜ?」
「……誰があなたなんかに、私のキレイな柔肌を見せるのよ」
ようやく収まりのついたブラウス。だが、しっかりと見られていたのだから意味が無い。私は、乱れたスーツをキレイに伸ばすと立ち上がる。趣味の悪い、黒いジャケットを着た目つきの悪い男が、こちらに歩いて来たからだ。
「……まだそんな悪趣味なジャケットを着ているのね」
「あぁ、当たり前だろ? これは俺のお気に入りなんだぜ?」
「……そう」
それが嘘だとすぐに分かったのに、強く否定出来なかった。一体どうしてしまったのだろう?
そんな私の心情を無視して、さらに近付いてくる男。その男が、執務机を挟んで私の対面に立つと、あの頃と変わらない、人を食った様な顔で
「ほんとに久しぶりだな、シーラ。ちょっと見ねぇうちに、随分と老け込んだか?」
「……そうね、ほんと久しぶり。あなたもちょっと見ないうちに、随分とくたびれたわね」
軽口の挨拶を交わす。と、同時にそっち方面に考えが及んでしまった原因が分かった。それは、こちらを見てニヤニヤと下品に笑う、──私が唯一その腕を認め、そして相棒として組んだこの男のせいだったのだ。
☆ アラン視点 ☆
坊主にアテがあると言って”裏”のアジトから出てきた俺は、【ミッドタウン】のほぼ中心にあるビルへと向かっていた。昔馴染みに会うためだ。
「えっと、……ここだったか?」
【ミッドタウン】とはいえ、階層の造りは【ロワータウン】とそう変わらない。相変わらず、天井を突き破らんと延びるビルが、そこかしこから生えているだけだ。ただ少し整然としているのと、範囲が狭いだけ。それだけだ。だから、一目で俺が目指しているビルだとは分からない。でも、多分ここだろう。
そして、目当てのビルの正面に立つ。夜のせいか、正面の玄関には警備の人間は居なかった。
警備員が居なくても、警備に問題は無い。夜になれば玄関には鍵が掛かり、そして厳重なセキュリティシステムが働くからだ。外から入るには、入場証が無ければ入れない。
「さてと、困ったな。どうすっかなぁ」 入るアテが外れた俺は、ビルの玄関前で腕を組み、ウロウロとうろつく。
するとそこに、入るアテ──ビルの中から外へ出ようとする一人の男が、玄関の自動ドアを開けようとしていた。──あれだ!
「うぅ、遅れちゃうよ~!」
「あの~……」
「うわっ! な、何ですか!?」
スーツの襟元を寄せながら出てきた若い男に声を掛けると、ビクッと驚く。そして、胡散臭そうに俺を見た。そんな顔で俺を見るんじゃねぇよ!と怒りが沸いてきたが、今は我慢だ。俺は予め容易していたセリフを口にした。
「もう、ミッドタウン役所は閉まっちゃいましたか?」
「え? えぇ。そうですね。何か御用でしたか?」
「えぇ。ちょっと──」
「えっ? うぐっ!?」
出てきた若い男にものを尋ねる風を装って近付くと、当身を食らわす。キレイに鳩尾へと吸い込まれた拳は、若い男の意識を刈り取るには十分だった様で、呻き声を一つ上げた後、俺へと覆いかぶさって来た。ちょっと強かったかも知れないが、俺を怒らせたのだから自業自得ってもんだぜ。
「ど、どうしたんですか?! と、取り合えず中へと連れて行かなくちゃ!」
周りには誰も居ないのだが、取り合えず一芝居打った俺は、意識を失った若い男を抱え込むと、そっと抜き取った入場証を使って、無事に中に入る事が出来た。
~ ~ ~ ~
「それにしてもほんと不用心だな、ここは。この部屋に来るまで、誰にも会わなかったぞ?」
「……もう遅い時間だもの。みんな帰ったのよ」
「でもお前はまだ残って働いているってわけだ……」
そう言って目の前にあるシーラの執務机に目をやると、一枚の書類が気になった。そこに書かれたタイトルは、『護衛計画書』。
「……こんな護衛なんかよりも、この部屋のセキュリティをどうにかした方が良いんじゃねぇか?」
「考えておくわ。こうやって、アナタみたいな目付きの悪い男が押し入ってくるから」
シーラに言われ、「フン」と鼻を鳴らす。こんな時間に来た俺も悪いのだが、どうにもシーラの機嫌が悪い。もしかすると、さっきの男を殴った事がバレているのかもしれない。だが、さっきの男がただの部下ならば、シーラもここまでは怒らないはずだ。という事は──
「……さっきの奴と付き合ってるのか?」
「……え?」
何故だがあまり聞きたくなかった。そのせいか、ゴニョゴニョとした言葉になってしまう。だからだろうか、シーラが聞き返してきた事を有難く思った俺は、やり直す様にさっきよりも少しお茶らけて、
「いや、俺があの男を眠らせちまったから、怒ってんのかと」
「……はぁ~。ほんと、呆れて何も言えないわね」
「んだよ!」
呆れているシーラに文句を言う。聞きたくない事を口にしたというのに、なんて言われようだ! しかし呆れていたシーラは一転、何故か今度は機嫌良くなると、「フフッ」と、まるで少女のように笑いながら、
「彼はただの部下よ。遅くまで居たのは、今あなたが見た書類の作成の為」
そう言うと、執務机の上に置いてあった『護衛計画書』を手に取り、ピラピラと振る。
「……それで、こんな時間にわざわざやって来て、何の用かしら? まさか、私のおへそを見に来たわけじゃないでしょ?」
「あぁ、残念だがな」
シーラの機嫌が良くなったので会話を続けようとした俺を、今度はマジマジと見るシーラ。そのまなざしはどこか寂しそうだ。
「んだよ? 俺の顔に、何か付いてんのか?」
「……あなた、変わったわね。昔は私の顔を見れば、イライラしていたというのに」
「そうだったか? 別にお前の顔を見ただけじゃ、イラついたりしねぇよ。それに今は、お前よりももっとムカつく奴が居るからな」
頭に、青い着物を着た生意気な嬢ちゃんの顔が思い浮かぶ。それだけでイラっと来るのだから、筋金入りだ。別に嫌いな訳じゃない。あのハッキリとした性格は、むしろ好感が持てる。だというのにムカつくのだから、よっぽど水が合わないのだろう。いや、今はあの嬢ちゃんの事はどうでも良いんだが。
「……それって、女?」
「どうだって良いじゃねぇか。それともなんだ、気になるのか?」
「……別に。ほんと、相変わらず自分勝手なんだから」
「ん、何か言ったか?」
「いいえ、何も。相変わらずモてるのねと言っただけよ」
ツンと、顔を反らすシーラ。お前の方こそ、そんなにコロコロと表情を変える女だったか?
「そんな事よりもだ!」 俺は、何故かまた不機嫌になっているシーラへと近付き、
「シーラ、確かお前には貸しがあったよな? ほら、“裏”での仕事の時に幾つか、よ」
「……そうね、有ったかもね。でも、あなたから受けた借りよりも、あなたへの貸しの方が多い気がするのだけど?」
「ん? そうだったか?」
そんな昔の事は忘れたと肩を竦めると、何度目かの溜息を洩らしたシーラ。
「それで、一体何を言いたいのかしら?」
執務机に手を置いたシーラが、スッと目を細める。組んでいた時に何度も見た、シーラの仕事モードの顔。そんなシーラの顔に、俺はグイっと自分の顔を近付け片目を瞑った。
「なに、ちょいと頼みがあってな」