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199話

 

 ★ アラン視点  ★



「……なんだ、これ?」



 最初に浮かんだ言葉はそれだった。宙に浮いていた俺は、暗闇の中に浮かぶ、モヤっとした光の玉をただ見つめていた。


 ふと自分の体を見る。そこには、確かに見慣れた俺の身体があるのだが、半透明だった。



「あ~、こりゃくたばったんだな、俺は……」



 自分でも驚くほどアッサリと出た言葉。幾ら人の死が身近にあった暮らしをしていたとはいえ、もっとショックを受けても良いもんだがなと、つい溜息が零れ出た。



「ま、あんなクソッタレな世界だ。心残りなんてこれっぽっちも無い──」



 自分の死を呆気なく受け止める事が出来たのは、未練が無かったから。そう思った俺の頭に、一人の名前が浮かび上がる。



「……サラ……」  そう呟くと、朧気だった光の玉に色が入り、やがて何かが映り始めた。



 それは、俺が覚えている中で一番古い記憶。

 打ちっぱなしのコンクリートに囲まれた狭苦しい部屋で、目つきの悪いガキと、目がパッチリとした女の子。そしてなぜか、顔の部分に靄が掛かっている若い女の家族三人、飯を食っている所だった。


(あぁ、覚えている。この光景は、あの時のだ……)



「……サラ、お袋……」



 胸がギュッと締め付けられる。この半透明な身体にも、ちゃんと心臓があるようだ。確かめる様にその部分に手を伸ばすと、ちゃんと体に触れる事が出来た。



(本当に死んでるのかね、これ?)

「美味しいね、お母さん♪」



 フッとバカにするかの様に笑った時、サラの声が聞こえてきた。自分の身体を気にしていた俺は、サラの声に引っ張られる様に、その光の玉を見つめる。


 光の玉に映っているのは、ガキだった俺と妹のサラ。そして、顔の部分が朧気だが、お袋だった。三人が囲むボロボロの食卓の中央には、湯気の上る鍋が居座っている。普段食っているのは、上から落ちて来るゴミ同然の残飯そのもの。だが、この日は違ったのだ。だから覚えていたのだが。



 俺も妹のサラも、アンダーモスト生まれだ。顔がうろ覚えなお袋も、おそらくはアンダーモストの生まれだろう。

 父親は居なかった。居た試しがなかった。おそらく、俺とサラの父親はどこぞの客だろう。お袋は端金で客を取っていた娼婦だ。だから、俺とサラの父親は違う人間だと思う。だが別に、お袋を憎んじゃいない。こんな俺でも産んで育ててくれたのだ。自分の身体を切り売って得た端金で、俺とサラを育てていたのだから憎むどころか感謝している。

 だがそれは、アンダーモストでは特に珍しくもない、むしろスタンダードな家庭だろう。どこもかしこも、若干の程度の差はあれそんな家ばかりだった。


(そう考えると、サラ以外にも血の繋がった兄弟が居るのかもな)


 バカみたいな考えに、思わず鼻が鳴る。そんな答えの出ない考えが浮かぶなんて、やはり俺は死んでいるのかもしんねぇな。


(それに俺の妹は、サラだけで充分だ)

「ほら、お兄ちゃんも食べて、食べて♪」



 そのサラが、湯気の上る鍋から何やら具材を取り出すと、所々が欠け割れている深皿へと移す。そして、その深皿を目付きの悪いガキ、つまり俺へと渡してきた。その深皿には、普段食う事の無い大きめの野菜や、何かしらの練り物が温かな湯気を上げていた。



「ありがとう、サラ」 玉の中の俺がそれを受け取ると、中に入っていた汁を一口すする。

「どう、お兄ちゃん?」 玉の中のサラが、人懐こい笑顔で、俺に質問してきた。



 ──覚えている。この日は、お袋が大きな仕事が入ったとか言って、その前祝いとして食べた、アンダーモストでは最高の部類に入る贅沢。ほんとに旨かった。ほんとに楽しかった。

 ──覚えている。次の日、仕事に出かけて行ったお袋が帰ってこなかった事を……。



「……なんだ、これは? 俺への罰か何かか?」



 こんなモノを見せやがる悪趣味な誰かに対し、冷たい声で文句を言う。だが、誰も何も答えない。

 人は死んだら、それまでの行いを見るのだと教会のババァは言っていたが、俺が見せられているコレは、もしかするとババァの言っていたヤツなのかもしれない。



 不意にフルっと光の玉が震えると、映っていた場面が変わる。それは、俺たちの住んでいた部屋の前だ。そこには、ボロボロの服を着たガキの俺とサラが、おっさんに怒鳴られている所だった。あぁ、これも覚えている。


 それは、俺とサラが住んでいた部屋を追い出された時だった。おっさんは、俺たちが住んでいたビルの管理人だろう。ガキの俺らに貸す部屋なんか無ぇ!と、俺たちは突然追い出されたのだ。


 アンダーモストは誰でも暮らす事を許された、クソッタレな町だ。だからガキだろうが、蛆虫だろうが、部屋を求めれば無条件で住む事が出来る。贅沢さえ言わなければ、飯と住む所には困らない、そんな最低な町がアンダーモストなのだから。だが、まだガキだった俺たちは、そんな事すら解っていなかった。今思えば、アンダーモストという地獄で暮らすには、俺たちはあまりにも致命的で脆い存在だった。

 おそらく、管理人のおっさんは、堕ちてきたばかりの何も知らない“新入り”に対して、色々と騙しては金を捲り上げていた人間なのだろう。そして俺たちの住んでいた部屋は、アンダーモストの中では、比較的治安の良い一等地だった。多分、アンダーモストのベテランだったお袋が、おっさんに金を渡してまで、あの部屋を守っていたのだろう。そしてそれは、きっと俺らの為だろう事は容易に思いつく。

 だが、金払いの無くなった俺たちを邪魔に思ったおっさんが、金を欲しいあまりに、一等地の部屋に住む俺たちを追い出したのだ。新たに来た新入りに貸すために。


 こうして部屋を追い出された俺たちは、荷物という荷物を持つこと無く、アンダーモストをうろつく羽目になった。まだ10を少し超えた位のガキと、10にも満たないガキがうろついて良い場所じゃないのが、アンダーモストだ。色々と危ない目にも遭った。だが、ギリギリの所で何とか逃げ延びていた。

 でもそこはガキ二人だ。限界が来る。食うに困らないアンダーモストとはいえ、そこら辺に飯が落ちている訳じゃない。配給所に言って、クソマズい飯を頂かなきゃいけないのだ。だが、ガキだった俺とサラは、そんなシステムになっているなんて知らなかった。

 そうして、飢えて死ぬか、奪って死ぬかと考えに至るまでに追い詰められた時、一人の婆さんが俺たちに声を掛けてきたのだ。それが、今住む教会のババァな訳だが……。



「こんときゃほんと、ババァが天使に見えたモンだぜ」



 映像の中の俺たちは、教会のボロイテーブルに置かれた味の薄いシチューを、まるで水でも飲むかの様に煽っていた。ったく、育ちがバレるってもんだ。



 そしてまた、玉が揺れる。そこには少し大きくなった俺とサラが、教会の子供たちと一緒に、庭で遊んでいる所だった。……そう、忘れもしない、サラが居なくなった日だ……。


 その日、教会の子供たちと遊んでいたサラは、ババァにお使いを頼まれる。それは、ギャズの所にお使いに行ったミナの様に、うちの教会ではごく普通の出来事だった。だから俺は、その後サラに会えなくなるなんて思いもしていなかった。



「バカ野郎! 呑気に球なんか蹴ってねぇで、サラの後を追わねぇか!!」



 教会の子供たちと一緒に、呑気に球蹴りをしているガキの俺に向けて怒鳴る。だが当然、俺の声なんか聞こえていないガキの俺が球を蹴り上げたちょうどその時、俺の後ろを何やらバスケットを持ったサラが通る。そして俺を見つけ、その口が何やら動いたと思うと、サラはタタタッと教会の敷地からお使いへと行ってしまった。その後、この教会に帰れないとは知らずに……。



「……チクショウ……。何が「行ってきます」だ……。行ってきますって言うのなら、ちゃんと「ただいま」も言わなきゃダメだろうがよ……」



 初めて知ったその事実に、思わず項垂れる。嗚咽が漏れる。こんな身体になっても、涙を流す事は出来るらしい。



 その後、玉に映る光景は決して面白いモノでは無かった。赤暗い夕方の照明になっても帰って来ないサラを探す俺。ほんとに探した。ロワ―タウン中を。それこそ隅から隅まで捜し歩いたんじゃないかって位に。寝ないで何日も何日も……。

 そして、ロワ―タウンだけじゃなく、自分の身分カードを使って行ける所──アンダーモストにまで足を運んだ。そうして何時間も、何日も、何か月も、何年も探した。だが、サラが見つかる事は無かった。


 俺は絶望した。お袋に続いてサラまで失ったのだ。俺の存在理由である家族が二人も居なくなっちまったんだから、仕方ない事だが。──そんな俺に声を掛けてきたのが、“裏”だった。



 その日もアンダーモストでサラを探していた俺の肩に、一人の見知らぬ男が手を乗せてきた。その男は、見た目は紺色のスーツを着た、ミッドタウン辺りにでも居そうな普通の男だった。

 するとちょうど、光の玉に映る光景がその場面になる。この玉っころ、一体どんな仕組みになっていやがるんだ?


 その男は俺にこう言った。「君の妹さんを見た」と──。サラを探してから、一切の手掛かりを掴めなかった俺には、まるで天からもたらされた贈り物だった。すぐにその男に(すが)った俺は、とある場所へと連れて行かれる。そこは、アンダーモストにある、“裏”のアジトだった。


 ”裏“に対しての俺のイメージはあまり良くは無かった。教会でババァが朝のお勤めの後に必ず行う説法で、”裏“について話すからだ。曰く、あの集団は危険だと……。

 だが、その時の俺にとっては、いつまでもサラに会わせてくれない、サラを見つけてくれない神様よりも、サラを見たと語る“裏”の男の方が、何倍も有難かった。だからだろう。俺は何も考えずに、その男に言われるがままに、“裏”の人間になったのだ。裏の人間になれば、広大なバクスターの街を一人で探さずに済む。裏という組織の力で探す事が出来る。そう言われたから。


 そうして俺は、“裏”の人間の手を借りて、サラを探す事になった。もちろん、“裏の仕事”をしながらだが、それでも一人で探すよりも何倍も効率が良かった。至る所から出て来るサラの目撃情報。それらを聞くたびに、俺は自分がした判断が間違っていなかったのだと、言い聞かせていた。


 裏に入ってからは、一度も教会には帰らなかった。元々サラが居たから教会に身を寄せていたのであって、サラが居なくなった今、逆にサラとの思い出が残る教会は、俺には酷過ぎる場所になっていたのだ。


 だが、年月が経つとともに、サラの目撃情報は殆ど無くなっていった。それとは逆に、裏としての活動が増えそちらに時間を取られる様になっていった。だが、当時の俺は、それでも裏に残った方が、サラを見つけ出す可能性が高いと考えていた。裏の仕事に集中する事で、サラの事を思わずに済んでいたというのも関係があったのかもしれない。



「……バカ野郎が! お前にとって、一番大切なのはサラだろがっ!」



 当時組んでいた相棒と共に、キビキビと裏の仕事をこなしていく俺の姿に、悪態を吐く。この頃の俺は、ほんと最悪だったんじゃねぇかと思う。


 そして俺は、裏の仕事でポカをやらかしてしまう。幸い、そこまでデカい失敗では無かったが、当時の相棒を含め、一緒に仕事をしていた裏の仲間からの信頼を失った俺は、また一人になっていた。


(結局、俺の人生ってやつは、大半が一人ぼっちだったって言いてぇのかよ)


 悲し気に吐いた呟きは、暗闇に消えて行った。玉に映る光景には、トボトボと肩を落とした俺が、教会へと歩いていく惨めな姿が映っていた。裏の仕事から抜け出した俺は、再び一人でサラを探すことになる。そうして、五年の歳月が過ぎて行った所で、玉は光を失っていった。残ったのは、相変わらず半透明な俺と、ただの暗闇だけ。



「……なんだよ。思ったよりもシケた人生だったじゃねぇか」



 お袋を失い、サラを失い、そして、己を失った一人の男の人生模様。「頑張ったな」と褒められる訳でも無ければ、「不様だったな」と蔑まされる事も無い。ただ、俺という傍観者が居ただけの空間。



「ほんと、何なんだよ、ここは」



 辺りを見回しても、何も無い空間。死んでいるにしても、ここにずっと居ると思うとゾッとする。今までしてきた悪行とやらのせいだとすると、ここが噂に名高い“地獄”ってやつか。



「ほんと、勘弁して欲しいぜ……」 



 ハァと溜息を吐く。すると、一つの考えが生まれ出た。生前の悪行のせいでこうなったのだとしたら、もしかすると、善行が少しでもあれば、ここから出れるかもしれない。



「例え、ここを出た先が悪魔だらけの地獄だったとしても、ここよりかは何倍もマシだぜ」



「ケンカする相手が居るしな!」と、俺は生前の善行を思い出す。だが、頭を一周も二周も回転させたが、これっぽっちも出てこなかった。



「んだよ! 何か一個くらいあるだろうがよ!」  自分のせいなのに怒る俺。ほんと惨めで情けない。


 だが、怒鳴った事である事を思い出す。それは、見た事も無いヒラヒラとした紺色の服を着た、クソ生意気な女の顔。名前はアカリ。アイツとは何故か、そりが合わない。顔を見るだけで、ムカムカしてきやがるのだ。それは向こうも同じらしく、俺の顔を見る度に文句を言ってくる。きっと、あの女とは、前世で何かあったに違いねぇ。

 そして、思い出した事がもう一つ。それは、そのクソ生意気な女と一緒に居た坊主の事だ。名前はユウ。こちらはどこにでも居そうな、情けない顔をしたガキだった。



「ああ! 有ったぜ、善行がよ!」 



 俺は唐突に思い出す! 坊主の為に、ロワ―タウンで人探しをした事を! あれは人の為にした事。つまり善行だ!



「どうだ、おらぁ! 俺だって、良い行いの一つや二つはしているんだぜ!!」



 本当はもっとたくさんしている気がするが、今の俺にはどうでも良かった。一個でも思い出せた事で満足だ!


 すると、真っ暗だった空間に変化が訪れる。かなり遠い所に、ここからでは針の先にしか見えない光の点が現れたのだ! そして、どこからともなく聞こえる、俺を呼ぶ声。



「俺の思った通りだぜ! きっとあの先に別の地獄が待っていやがんだな! 今行くから、待ってやがれっ!」



 俺は半透明な身体を精一杯伸ばして、光の点を掴もうと藻掻く。距離からして、そんな事をしても届くはずは無いのだが、なぜかそうするのが正しいのだと、理解していた。




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