197話
「アカリ! 無事だったんだね! どこかケガはしていない!?」
「もう! 大丈夫だって言ったでしょ! どこもケガしていないわよ!」
大きく手を開いて「どう、大丈夫でしょ」と、その場で一回転するアカリ。そうしてこちらに歩いてくると、そのアカリを見て「おいおいマジかよ……」と言葉を失っているアラン兄の正面に立ち、
「あなたが私の心配をしてくれるなんて、一体どういう風の吹き回しかしら?」
「ハン! 頼んでいないとはいえ、俺様の代わりに奴らの足止めに行ったんだからよ、万が一死なれでもしたら、夢見が悪くなると思ってな」
「あら、残念ね。私はピンピンしているわよ」
「ちゃんと足もあるでしょ」 そう言うと、穿いていた黒の袴の端を掴んで、チョコンと上に持ち上げる。すると、白い靴下に包まれた細い足が露になった。本来なら靴下じゃなくて足袋を履いて、その下に草履を履いていたんだけど、イサークの街には残念ながら足袋は売ってなかった。替えの足袋を手に入れられなかったアカリがサラに相談した結果、仕方なく靴下とブーツ姿になったのだ。最初はアカリも「動き辛いわ……」と言っていたけれど、最近は慣れたのか、何も言わなくなった。
その時のやり取りを思い出していると、嬉しそうに笑ったアカリが、僕の背中をポンと叩いてきた。
「それにしても、さすがユウね! あの銃の先を見つめていたら、確かに火の魔力を感じたわ! それのお陰で玉の出る拍子が分かって、何とか躱せたわよ!」
「飛び出してきた玉を切り伏せるには、流石に速すぎるけれどね」 アカリはそう言うと、小さな舌をペロリと出した。
そんなアカリに、「はぁ~!」と盛大な溜息を吐いた人が居た。……アラン兄だ。
「おいおい、冗談もほどほどにしてくれよ。弾を躱しただって!? それに火の魔力だってか? ったく、冗談も嘘も小さいから笑えるんだぜ?」
「冗談でも嘘でも無いわよ! ほんとに躱せたんだからっ!」
「はいはい、わかったわかった! それで? 奴らはどうしたんだ!?」
これで話は終わりだと、肩を竦めたアラン兄がアカリに問う。すると、まだ納得していないアカリが、「フン」と腰に手を当てて不貞腐れたアカリが、階段の方を見て、
「憲兵の一人を打ち据えて、追っ手に投げてきたわ! だから、ここに来るまでにはまだ時間が掛かるわね」
「ぶん投げただぁ? そりゃまた、勇猛なこって」
「何よ! 文句でもあるの!?」
「いや~、別に~」
手を頭の後ろで組んで、口笛を吹き出すアラン兄。すると、すでに扉を通っていたノエルさんが、呆れながらやって来た。その後ろには何が可笑しいのか、少し笑顔を浮かべたノインちゃんも付いてくる。
「どうでも良いが早く逃げないか? いつまでも下らない話をしている場合では無いと思うのだがな」
「確かにそうね。せっかく私が一人で頑張って、追っ手の足止めをしたんだもの。こんな奴と下らない話をしていて、追っ手が来ちゃったら意味が無いわ!」
「何言ってやがる! 俺は自分で奴らの相手をするって言ったんだぞ!? なのにお前らが勝手に行ったんだろうが!」
「何言ってんのよ! そんな怪我をしたあなたが出来る訳無いじゃない! ほんと、こんな奴の心配なんかするんじゃなかったわ!」
「んだと、コラァ!?」
「もう二人とも止めなよ! ノエルさんの言う通り、早く逃げようよ!」
ノエルさんに注意されたというのに、結局言い争う二人。その二人の間に割って入って、言い争いを止めようとしていた時、
「あのメスガキ! ほんとに弾を避けやがった!」
階段から、そんな恨み節が聞こえてきたかと思うと、程なくして僕たちの居る踊り場に、ヌッと人影が現れる。
「畜生! 狂犬だけじゃなくてあのガキども! もう許せねぇ! 殺してやる!」
そう叫びながら階段から姿を現したのは、なぜか顔から血を流している兵隊隊長だ。その後ろを見ると誰も居ない。どうやらこの兵隊隊長以外の追っ手は、皆倒れてしまった様だ。
その兵隊隊長は踊り場まで上がってくると、僕たちを見つけ、睨みつける。だけど、顔は血だらけだし、どこかを痛めているのか、その足取りもヨロヨロとしていて頼りない。
「ね、ねぇ。アイツ、ケガしているよね!? なら、ケガをしたアイツ一人だけなら、僕たちで掛かって倒した方が早いんじゃないの!?」
さっきアカリにも言ったけれど、あの時とは状況が違う。あの時は三人も居た追っ手だけど、今はケガをした兵隊隊長だけ。ならば、ここで戦っても、ノインちゃんやケガをしたアラン兄に危険が及ぶ心配は殆どない。それに、ここで追っ手を倒しておけば、この後逃げるのに、何の不安も無くなる。
あの兵隊隊長を倒すのは良いことしか無い様に思える。ならばここで、あの兵隊隊長を倒す方が良い! そう考えた僕は、持っていた杖を握る手に力を入れる。さっき練り上げた魔力はまだ使用していないから、いつでも魔法を使える!
グッと力を入れた肩。その肩にそっと手が置かれた。振り返ると、アラン兄だった。
「いや、まだ追っ手が居るかもしれねぇ。 だったら、とっととこの扉を通って、閉めちまえばいい! 奴一人なら、この錆び付いた取っ手を動かす事も出来ねぇから、時間が稼げる!」
「……確かにそうね。それに、アイツと戦っている時に、そこの弱犬さんのケガが悪化してしまう事もあるし」
「あぁ!? んな事無ぇよ! なんならここで、唾でも付けて治してやろうか!?」
「そんな汚いの、見たくないわよ! 良いからさっさと行きましょう! ノインちゃんもノエルさんもそれで良いわよね?」
「あぁ、構わない。というより、こうなる前に早く先に進もうと言っていたのだがな」
「文句なら、そこの弱犬さんに言ってちょうだい」
「あぁ!? 誰が弱犬だってぇ!?」
「もう良いから、早く行こう! 追っ手に追い付かれちゃうよ!」
また言い争う構えを見せるアラン兄の背中をグイグイ押しながら、いつの間にか扉を通っていたノインちゃんと、開いている扉の傍にいるノエルさんの元へと急ぐ。
「お、おい押すなって!」
「良いから早く! ほら、追っ手が来ちゃうよ!」
追っ手である兵隊隊長は、ケガをしているせいかかなりゆっくりとした足取りだ。でも少しずつ近付いて来ている。モタモタしていたら、追い付かれちゃう!
それでも追っ手に追い付かれる前に何とか僕とアラン兄が扉を通り、最後にアカリが通り抜けた。
「みんな通ったよ! 早く扉を閉めよう!」
「おい、貴様ら! 待ちやがれ!!」
「やなこった! 待てと言われて待つバカが居るかってんっだ!」
僕たちが扉を通った所を見て、慌てた様子で扉に急ぐ兵隊隊長! でもケガのせいか足を引きずっていて、その速度はかなり遅い。本人は急いでいるつもりだろうけれど、これなら追い付かれる事は無さそうだ。
そんな兵隊隊長に向けて、「や~い! 悔しかったら走ってみやがれ~!」などと、子供の様な挑発をするアラン兄。その姿に「ほんと、この弱犬は……」と、アカリが呆れている。
「んじゃあな!」 一生懸命にこちらに近付いてくる兵隊隊長に対し、最後に自分のお尻を向けてペンペンと叩いて挑発したアラン兄は、それで気が済んだのか、扉の近くに居たノエルさんに、
「よし、そろそろ扉を閉めようぜ? 俺の気も済んだしな!」
と、機嫌良く口にする。だけど、扉を閉めていたノエルさんが、もう少しで完全に閉まるという所でピタッと止まったかと思うと、それから動かなくなってしまった。どうしたんだろ?
「おい、もう良いって。充分楽しんだからよ。だからそろそろ閉めて──」
「……無いのだ……」
「あ、何がだ?」
「どうしたってんだよ」 アラン兄がブツブツ言いながら、扉の傍に居るノエルさんに近付いていく。そのアラン兄に、ノエルさんが扉の一部を指差しながら何かをアラン兄に伝えると、アラン兄の体が小刻みに震え始めた。な、何だろ? 嫌な予感しかしない。
「ねぇ、早く扉を閉めなさいよ! じゃないとアイツが来ちゃうわよ?」
腰に手を当て、二人に抗議するアカリ。その後ろでは、ノインちゃんが不安そうにアラン兄とノエルさんを見ていた。すると、震えていたアラン兄が振り返る。その顔は青い。血を流し過ぎたせいかな?
「ほら、そんなに顔を青くして。だから僕がケガを治してあげるって言ったじゃないか! 取り合えず扉を閉めようよ。閉め終わったら治してあげるからさ!」
「違う、そうじゃねぇんだよ……。無ェんだよ……」
「無い? 何がさ?」
「……見てみろ……」
僕の質問に答えず、その場を退くアラン兄。こんな事をしている場合じゃないのに!
「どれどれ」と、扉に近付く僕。扉に詳しい訳じゃないけれど、特におかしな所は無いと思う。
「別に変なところは無いと思うけど?」
「そう、無ぇんだ……」
「何が?」
後ろに立ったアラン兄に質問すると、アラン兄は「無い」と答えるだけ。いい加減我慢出来なくなったアカリが、
「もう! 男が集まって何も出来ないの!? 良いから退きなさい!」
「うわっ! アカリ!?」
僕の肩をグイっと掴んだアカリが、僕と入れ替わる様に扉の前に立つと、扉を見てイライラした声で聞いてきた。
「それで!? この扉はどうやって閉めるのよっ!」
「だからそれが無ぇんだよ!」
ガァっと怒鳴るアラン兄。「な、何でそんなに怒鳴るのよ!」と、アカリが驚く。そこで何故かピンときた僕は、ガバっと扉に張り付くとその表面を調べ始めた。そして有る事に気付く!
「ねぇ? こっち側に取っ手が無いんだけど……?」
そう、扉の表面には取っ手はおろか、一つの凹凸も無かった。 この扉は僕たちの居る側とは反対側、つまり向こう側に向けて開いている。という事は、扉を閉めるとしたら、この扉を引っ張ってこなければ閉められない。なのに、扉を引っ張る場所が無いのだ! これじゃあ、この扉を閉められない!
「何よそれ!? これじゃあ閉まらないじゃない!」
「だからそう言ってんだろうが!」
アラン兄とアカリが言い争いを始めてしまった。だけど、言い争っていても何も解決しない。どうしよ! 何か考えないと!
そこで、こちらに近付いてくる兵隊隊長と目が合った。僕たちの会話がしっかりと聞こえていたのだろう、「なんだよ、閉められねぇのか」と、愉快げにその血だらけの顔を歪ませる。
「じゃあ、取り合えずあの追っ手を倒そうよ!」
「そ、そうね。取り合えずは目の前の敵を倒してから、考えましょ!」
「そうだな! んじゃ、取り合えず殺っちまうか──」
アラン兄が物騒な事を言い、アカリの目が怪しい光を放つ。うわぁ、この二人が争っている時は怒らせないようにしよう。そう心に決め、背中を震わせていると、
「おわ、何だこれ!?」
「おい、味方がやられてるぞ! 隊長は!? 狂犬たちはどこ行った!?」
「上じゃねぇか!?」
階下から、複数の男の声が聞こえてきた。アラン兄が言っていた追っ手の援軍が来たのだ! これじゃあ、目の前の兵隊隊長を倒しても何も解決しないじゃないか!?
「くっくっくっ。 おいどうするんだ、オマエ等? 俺の仲間が来たようだぜぇ?」
傷を負った足を引きずって僕たちに近付いてきた兵隊隊長は、その声を聞いて含み笑いをすると、その場で止まった。仲間が来たから無理しないって事か!?
「ちっ! 面倒ごとが増えやがった!」
「どうするアラン兄! どうするの!」
「うるせぇ! 騒いでいねぇで、何か良い案を出しやがれ!」
「そ、そんな!?」
とても不機嫌に舌打ちしたアラン兄に怒鳴られてしまう。でも、こんな追い詰められた状況で、良い案を考えろって言われても!?
(どうしよ! 取り合えず追っ手を全員倒す!? でも、何人居るか分からないし、その間にノインちゃんに危害が及んだら!? ノエルさんが守るにしたって限界があるだろうし、それにアラン兄のケガもある! 追っ手全部を相手にするのは流石に厳しいよな! でも、他に何か手は──?!)
あれやこれやと考えるけれど、良い案が浮かばない。周りを見ると、アラン兄もアカリも、そしてノエルさんも頭を押さえ、必死に解決策を考えているみたいだった。でもその表情を見るに、良い案が浮かんだ感じはしない。
そんな僕たちをさらに煽る様に、カンカンと複数の人が階段を駆け上がる足音が辺りに響く。このままじゃあ、考えが浮かぶ前に新たな追っ手の相手をしなきゃならなくなっちゃう!
すると凛とした、澄んだ鈴の音の様な落ち着いた、でも幼い子が発する独特な高さの声。
「──私が残ります」 ──ノインちゃんだった──。
「お前、自分が何言ってんのか分かってんのか?」
「はい。私が向こうから扉を押します」
「それは駄目だ!」
アラン兄が大声で否定した。声に出してはいないけど、僕も同じ気持ちだ。一体、ノインちゃんは何を考えてるんだ!? ノエルさんなんて、声すら出ないみたいで口をパクパクとさせている。
「俺はババァに、ミナにお前の事を頼まれてんだ! 勝手な事を言ってんじゃねぇ!」
「勝手な事ではありません。ちゃんと考えた結果です」
「なんだ、それ! 何を考えたってんだ!?」
変わらずの怒鳴り口調で、ノインちゃんに質問するアラン兄。他の人が見れば、アラン兄がノインちゃんを虐めている様にしか見えない。だというのに、僕もノエルさんも、そしてアカリすらもそれを止めようとしないのは、ノインちゃんの考えを聞きたかったからなのか。それとも、アラン兄がノインちゃんを考え直させるのを期待しているからなのか。
だけどノインちゃんは、僕たちの臆病な思いとは裏腹に、ピンと背中を張って堂々と自分の考えを口にした。
「とても不服なのですが、私はあの人達にとって大事な“商品”。私ならあの人達に捕まっても、殺される事はありません。私が行くのが、一番安全なのです」
「ぐっ!?」
ノインちゃんの考え。それは、僕たちの予想を超えてちゃんとした考えだった。その証拠に、怒鳴っていたアラン兄が言葉に詰まる。だけど、一人だけ納得の行かない人が居た。
「ならば私が!」
「……なりません、ノエル。あなたが捕まったら、誰が私を助けるのですか?」
そう言うとフッと笑う。ノインちゃんなりに冗談を言ったみたいだ。だけど、その冗談に笑う人は居なかった。すると、真顔に戻ったノインちゃんが再び話を始める。
「──ですので、総合的に判断すると私が適任です」
「しかし──!」
扉を再び通って向こう側、つまり追っ手が居る側へと歩き出すノインちゃん。そのノインちゃんの肩に手を乗せ、説得を試みるノエルさん。だけど、ノエルさんの手に自分の手を重ねたノインちゃんは、振り返るとノエルさんを見つめ、
「ノエル、私は信じています。あなたが、そしてここに居る皆さんが、必ず助けに来る事を……」
「おい! 何を勝手な事を言ってやがる!」
抗議するアラン兄。するとそこに、踊り場までやって来た追っ手の援軍の姿が見えた。
「おいお前ら! こっちだ、こっち!」
「──隊長!?」
「おい、商品のガキだけが残っているぞ!」
その声に、僕らは一瞬そちらに目を取られた。するとその隙に、ノインちゃんが外側へと飛び出していく!
「ノイン様っ!!」
「──大丈夫だから、早く逃げて……」
そうして、最後に優しい笑顔を浮かべたノインちゃんによって、ガチャリと扉は閉められた。