187話
『狂犬を差し出せぇ!!』
「うわっ! なんだ!? 痛っ!?」
耳をつんざく音で跳び起きた僕は、二段ベッドの下で寝ていたせいで、頭を上のベッドにぶつけてしまった。
「痛たたっ。い、今のは一体!?」
「……ギャズ、だ」
ぶつけた所の痛みが早く消える様にと擦っている僕に、ベッドの上から答えが降って来た。
「ギャ、ギャズって、昨日この教会で、アカリに追い返されてた人!?」
「あぁ、そいつさ」
僕の質問に、苦々しい声で答えたアラン兄は、「よっと」と二段ベッドから飛び降りる。
「あの野郎、何しに来やがったんだろうな」
「もしかして、昨日アカリにやられた仕返しに来たんじゃ──」
「そんな暇な野郎じゃねぇさ」
「じゃあ、何しに来たのさ?」
「さぁ、な」
部屋の窓からそっと外の様子を窺うアラン兄の顔は、愉快気に歪んでいた。
☆ ギャズの回想 ☆
「あの娘は何なのだ!」
ここはジエンド内にある自分の家、その中にある執務室だ。ミッドタウンで買い揃えた、ミッドタウン製の家具や調度品の数々が並ぶ中、私の前には、先ほど一緒に教会へと行った部下たちが横に一列になって並んでいる。その誰もが体のどこかしらにケガを負っていた。
その部下の一人、主任格の一人に怒鳴り散らす。そんな事をその部下に聞いた所で、答えが返ってくるとは思ってはいなかったが、当たらずにはいられなかったのだ。
「わ、解りません……」と、その主任格の部下は、頬から流れる冷や汗をスーツの袖で拭っている。よく見ればそのスーツには汚れが見られた。あの娘にやられたのだろう。
あのボロい教会に連れていったのは、主任格の部下も含めた目の前の部下たち。その数10人。その全てが、変な服装をした娘に叩きのめされ、ノコノコと逃げ戻ってきたのだ。私も含めて。
(クソ! 狂犬の居ない内に全て押し付けてしまいたかった!)
私があの教会に行ったのは、全てをあの狂犬のせいにする為だ。その予定が狂ってしまった。アヤツの妹分である小娘を呼び出したのも、牢に押し込めたのも、その妹分を探しに狂犬が来る事も、狂犬を捕らえる事も全て計画通りだった。そうして意気揚々と教会へと赴いたというのに、このザマだ!
しかもあの娘に良いようにあしらわれている時に、あろう事か、その捕まえた筈の狂犬が姿を現したのだ! まさか脱走したのか!?と訝しむ私が自分の家に戻って来た時、とんでもない報告が舞い込んできた。なんと、狂犬と“あの商品”が逃げ出したというのだ。秘書の部下すら倒して。
(あり得ん!! あの狂犬にどれほどのクスリを飲ませたというのか! しかもアイツ等も一緒に逃げ出すとは! 一体、秘書は何をしていたのか!)
狂犬にやられた秘書とその子飼いである部下は、今もベッドの中だ。暫くは使えもんにならないだろう。事情を聴こうにも、まだ時間が掛かるという事だ。
(クソ! 全て計画通りに行っていたのに! どこで間違えた!?)
何年も前から計画していた。何遍も何遍も、見直しに見直しを重ねた。そして全てが上手く行っていた。途中までは。
(また計画を見直す、か……? いや、時間が無い!)
本来ならば、ケチの付いた時点で止める。だが、今回は無理なのだ。じゃあ、どうする!?
(いや、まだだ!)
教会へと赴いた時、もっと無理しても良かった。だが、部下共々、退却した。そのまま無理を通していたら、背負うべき計画が全てパァになってしまった。それだけは何とかして避けたい! そして、そうなってはいない。──いまは、まだ──
(あの御方の力を借りねば!)
「……もういい、下がれ」と、執務机の前で並んでいた部下たちを部屋から追い出した私は、目の前の受話器に手を伸ばす。そして、ダイヤルボタンを押した。
☆ ユウ視点 ☆
表の騒ぎを受けて、アラン兄を呼びに来たジャン君と共に、教会の玄関ホールへと向かう。
「ま、待ってよ、アラン兄! どうするつもりなのさ!?」
「あん? どうするも何も、アイツが俺をご指名したんだ。なら、おもてなしするのが当たり前だろ?」
「そんな事も解らねぇのか?」と、玄関ホールに向けズンズンと歩くアラン兄。その態度と口ぶりからは、とてもじゃないが、もてなそうとする考えなんて、これっぽっちも無い事がすぐに分かる。
これじゃあ、昨日の様な騒動になるのは明白だ! 今日はサラを探しに行きたいし、元の世界に戻る手掛かりも探したいしと、やる事は多い。それには、この世界、この町に詳しいアラン兄の協力が必要不可欠なのだ。なのに、こんな事に巻き込まれたら、サラの捜索も、手掛かり探しも出来っこない!
「ジャ、ジャン君!?」 隣を歩くジャン君に、僕は助け船を求めた。が、
「ゴメン、ユウさん。ああなったアラン兄は止められないよ」
「そ、そんなぁ!?」
両手を合わせて、頭を下げるジャン君。だがその顔に悪びれた様子は無く、むしろ少し笑っていた。まるで、これから行われるであろう一悶着を、楽しみで仕方が無いといった感じ。
「ね、ねぇ、アラン兄!? あんな人達、放っておこうよ、ね!?」
「うるせぇなぁ。指名されたんだから、せめて指名料くらい貰わねぇとならねぇだろうが」
これから暴れますか!という様に、腕をグルグルと回すアラン兄。もうすっかりヤル気である。そんなアラン兄を何とか考え直そうと、めげずに説得する僕。「やっちゃえ!」と焚きつけるジャン君。そうして、広間に出る。するとそこには青色の着物に黒の袴を着たアカリが、まるで行く手を遮る様に、通路の真ん中に立っていた。こちらを見るその顔は、かなり機嫌が悪そうだ。
「おい、退け」
「いえ、退かないわ。あなた、どこに行くつもり?」
「あぁ? オメェには関係無いだろ!?」
「すっこんでろ!」と、立ち塞がるアカリの肩を、ドンと押すアラン兄。だけど、押されたアカリは一歩も動かない。その様子に、少し驚いたアラン兄だったが、すぐさまアカリを睨み付ける。
「……テメェ」
「もう一度聞くわ。どこに行くつもりかしら?」
「オメェには関係無ぇだろ!」
最初よりも強く、見ようによってはまるで殴るのではと思う程の強さで放たれたアラン兄の手が、アカリの肩へと飛んで行く。
だがアカリは、向かってきたそれをパシッと軽く受け止めると、ヒョイっと軽く捻る。
「!? おい、女! 何しやがる!?」
「あなたこそ、何するつもりよ」
「決まってんだろ! 表の奴らが俺の事を呼んでいやがんだ! だからお迎えするんだよ!」
アカリに腕を取られながらも、引こうとしないアラン兄に、アカリが「はぁ」と溜息を吐いた。
「あなたね、そんな事をすればどうなるか分るでしょう? またあの子たちに危害が及ぶかも知れないのよ? あなたが教会では一番の年長者でしょう? ならば、その事も考慮しないと──」
「うるせぇ! だからだよ! ここで舐められてみろ! アイツ等好き勝手しやがるぞ! そっちの方が、ガキ共にとって悪い事だろうが!」
「お、落ち着いて二人とも!」
顔を突き合わせ、激しく口論する二人。僕としては、アカリの言い分の方が正しいと思うけれど、この世界の人間じゃない僕達には分からない決まりとか掟とか、そういうのがあるのかも知れないし、男としてアラン兄が言っている事も少しは解る。
だが、今は言い争っている場合じゃない。それは、言い争う二人を見てアワアワするジャン君を見なくても解る。すると──
『おい聞いているのか。狂犬!』と、再び外から大きな声が。それにしてもこんな大きな声、一体どうしてるんだろ?
その大きな声を聞いたアカリは、その細い首をコテリと傾かせる。
「狂犬? 誰の事かしら?」
「……俺の事だよ」
アカリの力が緩んだのか、捕まられた手をスッと抜いたアラン兄がバツが悪そうに、その抜いた手で後ろ首を擦りながら答えると、アカリはスッと目を細め、
「こんなに弱いのに?」
「あぁ!?」
「止めて、二人とも!」
二人の間に割って入る。なんでアカリは、アラン兄にこうも食って掛かるんだ? アラン兄もすぐに挑発に乗るし。今はそんな時じゃないだろうに!
(でもなんで、あの人達はアラン兄を?)
ギャズさんという人は、昨日も来た。アカリに門前払いされたけど、一体なぜアラン兄を要求するのか?それに昨日、僕たちはギャズさんの家(とアラン兄が言っていた)に居たのだ。だというのに、なぜギャズさんはアラン兄を出せなんて言ったのか? その当本人であるアラン兄は自分の家に居るというのに……
「……なぜ、あのギャズさんはアラン兄を?」
「分からん。あいつもしかすると俺のファンなのかもな」
「ふぁん?」
聞いた事の無い言葉に、首を捻る。その横で、「そんな訳無いじゃん」と呆れたジャン君に、アラン兄がゲンコツを落とした時、また外から大声が響く。
『お前が昨日、我が屋敷から奪った商品を返しなさい! さもなくば、痛い目に遭うどころか、この教会の存続にまで関わるぞ?』
「!? あの野郎!」
まるで、ここを人質にでも取るかの様な物言い。アラン兄が怒るのも無理はない。それにしても、彼らがここに来た目的である、商品ってなんだ?
「商品、って?」
「ノインとノエルさんの事だよ、ユウさん」
「え、あの二人の事!?」
「うん! 昨日、ギャズの部下の奴らがそんな事を言ってたんだ!」
ジャン君の答えに驚く。と、着ていたシャツの袖がクイクイと引かれた。アカリだ。それに気付いた僕は、アカリ耳を寄せる。
「ねぇ、ユウ。ノインとノエルさんって?」
「ん? あぁ、アカリも見ただろ? 昨日アラン兄と僕が連れて来た二人」
「あの珍しい、金髪と銀髪の人達?」
「うん。確か、金色の髪の女の子がノインちゃんで、銀色の髪の男の人がノエルさんだったかな」
僕が二人に出会った時、すでに二人とも意識が無かったから直接自己紹介されたわけじゃないけれど、確か合っていると思う。
アカリに説明を終えた僕は、アカリの顔を見る。するとアカリは不満気に目を細めていた。
「な、なに!?」
「ふ~ん、ユウってば、相手が女の子だと、名前を覚えるのも早いのね?」
「な、何言ってんだよ!?」
「おい、イチャつくならよそでやれ」
「な、なに言ってるのよ!このバカ犬!」
「んだとぉ!?」
「それにしてもその二人の事を商品って呼ぶって事は、つまり──」
「──人身売買、ってやつね」
「……だよね」
僕とアカリの話に、アラン兄が首を突っ込んで話が大きく逸れてしまったので、元に戻そうとした僕は、考えを纏める為にそれらを口にする。と、アカリが僕と同じ結論を出した。
僕の住む世界であるアルカディアにも人身売買は存在する。──所謂【奴隷】だ。
奴隷が存在する、というのを知識として知っているだけでアイダ村には居なかったから実際には見た事が無い。だから奴隷について、そこまで詳しくは無かった。ただ一つ、お金で売り買いされる存在、という事を除いて。
(この世界にも奴隷が存在するのか?)
「ねぇ、アラン兄? この世界にも奴隷っているの?」
「あぁ、奴隷? んなモン居る訳無ぇだろうが」
「そ、そうなんだ」
「当たり前だろ。だがまぁ、ある意味奴隷っていえば奴隷だな。俺達は」
「え?」
「え?じゃねぇよ。アンダーモストの連中なんて、奴隷そのものじゃねえか」
何を当たり前の事をという様な感じのアラン兄。そのまま続けて、
「それに、愛玩として上の階層の奴らが売買する事はある。……主にガキをな」
そう口にしたアラン兄の顔は、まるでこの世の全てを憎んでいるかの様な、憎悪に満ちた顔だった。
(一体、アラン兄に何が──?)
が、何かを察したアラン兄が、その事に触れさせまいとするかの様に、言葉を発する。
「さて、どうするか?」
「──どうするもなにもありません、私たちをアイツ等に引き渡してください」
そう言って広間に現れたのは、白いワンピース姿の金髪の少女だった。