186話
ユウ視点
少しガタついている、木製の長机の上に両足を乗せたアラン兄は、腕を組み、目を瞑っていた。
ギィギィと座っている椅子が悲鳴を上げているのは、決して古いせいでは無く、アラン兄が椅子の背もたれに振り子の様に体重を掛けているせいだ。そのせいで椅子の片脚が浮き、もう一方の片脚に負担が掛かっているせいだろう。ロッキングチェアならまだしも普通の椅子の為、そんな事をすればそのまま後ろへと引っくり返りそうで、見ていて危なっかしい。
僕が今居るのは、アラン兄が家と呼んでいた建物、その中の一室だ。大きな広間になっているこの部屋には、アラン兄が足を乗せている長机が四つ、等間隔に並んでおり、その間を僕達が座っているのと同じ、木製の椅子が長机と同じく、等間隔に並べてある。
部屋には、僕達が入ってきた扉とは別にもう一枚扉があり、そして部屋の壁は表の外壁と同じく灰色の、見た事の無い材質(アラン兄はコンクリートと呼んでいた)で造られていて、無機質な印象を僕達に与えていた。
だが、部屋の中央の壁は別だった。そこだけ、色とりどりの布で彩られていて、見れば花(造花らしいけれど)も飾られている。そして、その布と造花で彩られ、まるで祭壇の様なその壁の中央には、見た事の無い神像が安置されていた。
表面に凹凸の類がほとんど無く、なんとか顔と認識出来る部分に至っても凹凸もあまり無い為、男神か女神かも分からない。だが、崇拝されている事は確かな様で、その神像の前には、水と何かの穀物が乗せられた皿が二つ、お供えされている。あれは小麦、かな?
(祭壇があって神像があるって事は、ここは教会なんだ……。でも、アイダ村の教会の神像とも、イサークの大教会の神像とも違うな……)
祭壇をじっくりと見る。僕の住む世界を守護している女神様とは全然違う雰囲気ではあるが、どこと無く似ている気もする。表情とか全然分からないんだけど。
(って事はこの世界の神様ってことだよな)
ジッと見つめても、やはり良く見えない神像の顔。なぜこの世界に来たのか分からない僕にとって、その手掛かりとなる情報は多いほど良いのだが、この神像からは何か情報を得られる様子は無かった。まぁ、神様が事情を知っているとしても、お会いする事なんて出来ないんだけどさ。
その神像が安置されている祭壇を背にして、文字通りふてぶてしい態度を見せるアラン兄。すると、
「……ねぇ、ユウ。なんなの、この人?」
ポショポショと、隣に座っていたアカリが、長机を挟んで目の前に座るアラン兄をジト目で見ては、僕に顔を近付けて尋ねてくる。
「ん? あぁ、アラン兄? ん~、アラン兄は──」
「……おい、お前」
思いのほか近くにあったアカリの顔に、頬が熱くなるのを感じながら、さて、どう説明しようかとあれこれ考えていると、アラン兄が閉じていた目を開く。そして、乗せていた長机から足を下ろし椅子から勢い良く立ち上がると、「バン!」と長机に手を突いた。
「お前の方こそ何モンだ? 教会の前で、ギャズの野郎と何してやがった? あぁ!?」
アカリのコソコソ話が聞こえたのか、アラン兄はかなり不機嫌な様子でアカリに事情を問う。アラン兄の言う様に、僕とアラン兄がこの教会に着いた時、アカリは黒服の男たちと、でっぷりとしたお腹の男──アラン兄曰く、その人がギャズという悪いヤツらしい──と一緒に教会前に居たのだ。
だが──
「お、落ち着いてください、アラン兄! さっきも言った様に、アカリは僕の大切な仲間です!それに、アラン兄も見たでしょう? アカリがあの黒服たちと戦っていた所を!」
そう、確かにアカリはこの教会の前に居た。しかしそれは、泣きじゃくる小さな子供達を守る為に、あの黒服たちと戦っていたのだ。決してこの教会に何かしようとしていた訳じゃない。
それはアラン兄も理解している様で、「ぐぬぬ」と喉の奥で唸る。自分の目でも見たし、ギャズさんや黒服の人達を追い払った後、泣いていた子供達が「ありがとう!お姉ちゃん!」と一斉にお礼の言葉を口にしたのも見ているのだ。それで理解しない方が難しい。
「た、確かに、それは俺様も見たさ! だが、それもコイツの作戦なんじゃないか? ガキとババアに気に入られる魂胆なんじゃねぇのか!?」
「なっ!?」
アラン兄の言葉に声を失う。ここまで相手を疑うなんて、この人、どうかしてるぞ!?
「どうして、そうなる──」
「──もう良いわ、ユウ……」
あまりに馬鹿げた主張に、僕も良い加減付き合い切れなくなってきた時、スッと、僕を遮る手。アカリの手だ。
「んだよ! もう良いって! ──そうか! テメェの非を認める訳か!? んなら話は早ぇ! この俺様に洗いざらい全てを吐き出し──」
「馬鹿を相手にするのはもう良いって言ったのよ!」
言うなり「バン!」と、先程のアラン兄に負けない大きな音でもって机に手を付くアカリは、立ち上がるなりアラン兄へと指を差しながら、バカ呼ばわりする。アワワ!? そんな事を言っちゃあ──!?
「んだと、コラァ! もういっぺん言ってみやがれ!」
「えぇ、何度だって言ってやるわよ! このたわけ者!」
「な~に~!!」
案の定、アカリに馬鹿呼ばわりされたアラン兄は、眉間に筋を立てて怒り出す。一方のアカリも謝る所か、一歩も引く様子は無い様だ。忘れてた、アカリは僕よりも沸点が低かったんだっけ……。
「あの、アカリさん、落ち着いて、ね?」
「ちょっとユウは黙ってて!!」
「はいっ!」
アカリにグワッと吼えられ、首を引っ込める僕。こうなったら──
「あの~、アラン兄? 少しは落ち着いてお話を──」
「黙ってろ、坊主! ぶん殴られてぇのか!?」
「ひ、ひい!?」
アラン兄にガアッと吠えられる。こうなったら僕の出る幕なんてない。
「あれを見て、私がアイツ等の仲間って、どうしてそうなるのかしら?!」
「うるせぇ! アイツ等と一緒に居る時点で、お前も同類なんだよ!」
「馬鹿じゃないの! そんな事言うのなら、騒ぎを聞きつけて見に来た他の人達だって、アイツ等の仲間って事になるじゃない!」
ギャアギャアと非難の応酬を繰り広げる二人。最早手に負えないと、僕は早々に諦め、長机に突っ伏す。結局二人の言い争いは、この教会のシスターであるお婆さんが姿を見せるまで続いたのだった。
☆
狭い空間に、無理やり押し込められた二段ベッドが二つ。それ以外には何も無い部屋。
二人の言い争いを見事に収めてみせたシスターのお婆さんが、「さぁ、もう遅いから休みましょう。アラン、あなたもよ」と促すと、舌打ちをしたアラン兄に「おら、行くぞ」と言われ案内された部屋だ。
さっきまで居た広間と同じ、コンクリートの壁の片隅にある窓から見える外は真っ暗だった。天井から降り注ぐ人工的な白い明かりも、今はひっそりと消えている。驚くべき事にこの町は、大がかりな魔道具で町全体を照らしているんだそうだ! そんな魔力どうやって!?ってアラン兄に聞いたら、「あぁ? 魔電気に決まってんだろ?」との事。そんな言葉聞いた事無い。……はずなんだけど、電気と聞いた時、また何か胸に引っ掛かるものを感じた。それはあのエレベーターとボタンという言葉を聞いた時と同じ感覚だった。一体なんだろう……。
時折明滅を繰り返す、外の暗闇から守る様に点けられた、部屋の灯り。だがそれも、「おら、もう寝っぞ!」とアラン兄が消してしまうと、外の高い建物──ビルというらしい──からほんの僅かに入る光があるけれど、殆ど真っ暗だ。すると早速、寝息が聞こえて来た。同じ部屋で寝るジャン君のものか、はたまたジャン君と同い年だというシュウ君のものか。まさか、アラン兄じゃないよな?
一つだけ開いていた二段ベッドの下で横になってはみたが、慣れない環境のせいで、中々寝付けない。でも、色々と考えたい事があったのでちょうど良かった。今だ会えていないサラのこと、この世界の事。そしてなぜこの世界に来たのか──。
本来ならアカリに相談したかったんだけど、当の本人は子供たちに「お姉ちゃん、一緒に寝よう♪」と誘われ、子供たちの寝る大部屋へと手を引かれていったので、そっちで子供たちと一緒に寝ているのだろう。だから今は、自分で考える事にしよう。何せ違う世界に来たのは二回目なのだ。その経験を生かそう。まずは前回との違い。といっても、何が違うのかすら分からないんだけど。
(待てよ? なんで今回は記憶がある状態で、違う世界に来たんだ?)
アカリ達が居た世界である日乃出国へと行った時、最初、僕は自分自身の記憶が無かった。その時の記憶は今の僕にはちゃんと残されているから、記憶が無かった事は確かだ。だけど今回はちゃんと、“僕”という記憶がある状態でこの世界へと連れて来られている。これは何か意味があるのか? それとも無いのか?
(う~ん、ダメだぁ、全然分からない──)
「──おい、坊主」
「はいっ!」
悩む僕に向けて、暗闇の中で掛けられた声。それは僕の寝ている二段ベッド、その上に寝ているアラン兄の声だ。うぅ、ビックリしたぁ。
「バカ野郎、静かにしねぇとジャンとシュウが起きちまうだろうが」
「う、すみません」
アラン兄が声を掛けて来たからビックリしたのに、なんて言い草だろうか。アカリが怒るのも無理ないな。
「何か心配事か?」
だが一転して、次にアラン兄の口から出たのは、僕を気遣うものだった。
「い、いえ。別に……」
予想外なアラン兄の態度。それに毒気を抜かれたはしたものの、アラン兄に相談なんて出来っこない。“僕が違う世界から来た人間だって事”を。
そんな態度が表に出てしまっていたのか、僕の返答を聞いたアラン兄が、面白くも無さげに「……フン」と鼻を鳴らすと、
「何をウジウジ悩んでいんのか知らねぇが、明日から忙しくなるんだ。早く寝ちまえ」
「は、はい……」
そのまま怒られるかと思って身構えていたのに、続く言葉も僕を気遣う様なものだった。なので素直に返事を返すと、ベッドにあった毛布を頭から被り、目を瞑る。アラン兄も寝る体勢を取ったのか、二段ベッドの上からガサゴソと音がする。
(寝れる訳がない)そう思っていたのに、自分でも驚くほどにあっさりと眠気が襲ってきた。
(まぁ、良いか。このまま寝ちゃおう。明日はサラの事を探さなきゃな。サラ、無事に居てくれると良いけど……)
サラの事だから、よほどの事が無い限り大丈夫だと思うけれど、それでも心配だ。すぐに探してあげよう。そう、決意して眠りに落ちるのだった。──そして次の日、大きな音で目を覚ますことになる。