183話
「おら、ちゃんと警戒しやがれ! もしまたアイツ等が出てきやがったら、その時は坊主一人で相手してもらうんだからよ!」
「そ、そんな!?」
後ろから掛けられる脅し文句に、思わず抗議の声を上げる。だが、そんな事をしても無意味だという事をこの短い時間で思い知らされた僕の口からは、さらなる抗議の言葉が続く事無く、「はぁ」と短い溜息が漏れ出たのだった。だがそれも、後ろに居る人に気付かれない様に注意を払ってのものだったから、溜息を吐いたというのに、心は何一つ軽くはならなかった。
だが、耳聡いアラン兄に僕の溜息は届いていたらしく、
「何だ、不満か? それとも何か? 怪我人を二人も背負っている俺にも戦えとでも言うのか、あぁ!?」
「言ってない! 言ってないですよっ!」
と、威圧的な言葉が飛んで来る。それを必死に否定しながら、これ以上溜息が出ない様に祈る。
倒れていた銀髪の人──ノエルさんというらしい──に〈ファーストエイド〉を掛けて何とか応急処置を済ませた僕は、まだ後ろでブチブチと文句を言っているアラン兄(最初にこう呼んだ時、殴られそうになったけど、じゃあアランにしますか?と言ったら渋々了解を得た。殴られたけど)と、ミナちゃんという、僕より年下な女の子、それと──
「まぁ、ユウさんは攻撃魔法が使えるみたいだから、ケガだらけの今のアラン兄よりかは、頼れると思うよ」
と、ミナちゃんと肩を貸し合いながら、ヨロヨロと最後尾を歩くジャン君と一緒に、煌々とした灯りが照らす白い廊下を歩いていた。ここがどこだか分からない僕は、取り敢えず事情を知っているアラン兄と一緒になって、出口を目指す事になったのだ。
アラン兄がジャン君を、僕がノエルさんを治療し終わった後、取り敢えずここから離れようと提案、では無く命令してきたアラン兄。だが、治療は終わったものの、まだ意識を戻さないノエルさんと、こちらも意識を戻さない、金髪の女の子──ノインちゃんというらしい──を放っておくわけにはいかないでしょ!とミナちゃんが文句を言うと、「しょうがねぇなぁ!」と、アラン兄が器用にその二人を背負ってしまった。意識を取り戻さない二人以上に、その二人を背負っているアラン兄の方が、腕や足に銃と呼ばれた武器でやられた傷が痛々しい。よくそんなケガで二人を背負っていられるなと、驚きを越して呆れてしまう。
そんなアラン兄に背負われたノインちゃんは、驚く事にノエルさんの主だという。ノインちゃんが着ている、見た事も無い程に綺麗な白いワンピースからして、もしかするとどこかの貴族様なのかもしれない。
そんなノインちゃんだが、特に目立ったケガをしている感じは無く、ただ気を失っているらしいので安心した
「うるせぇぞ、ジャン。お前を治してやったのは、誰だと思ってやがる?」
「はいはい、ありがとうね、アラン兄。……ところで、ユウさん。ちょっと聞きたいんだけどさ?」
「ん? 何かな、ジャン君?」
相変わらずの白い壁に覆われた廊下を、来た方向とは逆に進んでいく。とはいっても、おっかなびっくり歩く僕を先頭に、気を失った二人を背負うケガ人と、お互いが肩を貸し合って何とか歩けている二人という集団な為、その速度はかなり遅いが。
そんな緊迫してはいるが、中々進まない状況に飽きたのか、ジャン君が質問してきた。アラン兄にケガを治してもらってからというもの、歳も近いジャン君は、こうして僕にちょくちょく僕に話し掛けてくる。
「アイツ等に放った攻撃魔法って、何なの!? もう一回出来る!?」
「え、攻撃魔法?」
「……この馬鹿。怖いモノ知らずというか、ただのバカというか……」
列の一番後ろから掛けられた言葉。その声には、好奇心という名のワクワクが多分に含まれていて、ジャン君の顔すら見ていないというのに、彼がどんな顔をしているのか、手に取る様に解る。
男の子特有の、怖いもの見たさというか、ただ単に自分の知らない物を知りたいという、冒険心から来た質問を受け、「う~ん……」と唸っていると、何故か後ろで呆れているアラン兄。
「この馬鹿! 奴らが来ていないっていうのに、わざわざこっちから呼ぶ様な事をする事は無ぇだろうが、よ!」
「痛っ!? 何すんだよ、アラン兄!」
ゴチンと鈍い音が聞こえたかと思うと、ゲンコツを落とされたであろうジャン君が文句を言う。その横に居るミナちゃんが、「はぁ~」と大げさな溜息を吐くのが聞こえた。
「うるせぇ! 今はここから出る事が先決なんだよ! 坊主の治癒魔法で血は止まったとはいえ、ノエルも、そしてノインもまだ目を覚まさねぇし、今、この状態で襲われたら、今度こそ確実に捕まっちまう!だからとっとと、ここからオサラバするんだよ! 坊主の攻撃魔法なんて、ここから出た後に幾らでも見せてもらえ! 良いな!」
「うぅ、解ったよ」
ガァっと一気に責め立てられ、反撃の一つも出来ずに白旗を上げるジャン君。だが、アラン兄の言っている事が正しいと解ってくれたのか、渋々といった感じだが納得したみたいだ。
「じゃあ、後で見せてね、ユウさん?」
「うん、わかった。ここから出たら、必ず見せてあげるよ」
「やった!」と喜ぶジャン君。何だろ、そんなに攻撃魔法が珍しいのかな? まぁ、街中だと攻撃魔法は使っちゃいけない事になっているから、見た事が無いんだろうな、きっと。
「それじゃ、先を急ごうか」と、曲がり角から顔を出し、先の様子を窺う僕の後ろで、「ったく、ガキの散歩じゃ無ぇんだぞ」と、アラン兄のボヤいていた。
☆
それからも、黒服とアラン兄が呼んでいた敵と出会う事無く進む僕達。そうして暫く進むと、左側の壁に、見た事も無い形の扉が見えて来た。
(なんだろ、あれ?)
通って来た廊下にあった部屋には取っ手が付いていたのだが、その扉には、開く為の取っ手が何も無い。数字の書いてある丸い模様が、その扉の脇の壁にあるだけだ。すると──
「お?! やっとエレベーターがありやがったな」
「? えれ、べーたー?」
後ろから嬉々とした声があがる。アラン兄だ。アラン兄は僕を追い越すと、壁にあった数字の書いてある丸い模様、その一つに触れる。すると、その模様の縁が光った。背中にノエルさんとノインちゃんを背負いながらなのに、器用な人だ。それにしても、あれは一体?
「あ~あ、僕がエレベーターのボタンを押したかったのになぁ」
「うるせぇ、早いもん勝ちだ」
「ちぇ~」と、ミナちゃんの肩を借りてやってきたジャン君が残念がるが、僕の頭はえれべーたーとぼたんという、二つの聞き慣れない言葉に支配されていた。
(何だろ、聞いた事は無いと思うけど、やけに引っ掛かる……)
えれべーたーとぼたんという言葉を聞いても、それがどういった物なのか全く分からない。なのにも関わらず、何となくそれを知っている様な……。例えるのならば、まるで昔会った事のある人に再度会った時に、最後までその人の名前が思いつかない、そんな感覚。
そんな気持ちの悪い感覚に襲われている僕をよそに、そのエレベーターと呼ばれた扉の前では、
「やっぱりな、俺は最初から右が良いって言ったんだよ」
「嘘言って。あの時左に行こうって言ったのは、アラン兄だったじゃない」
「あれ、そうだっけか?」
ミナちゃんからジト目で見られていたアラン兄は、話を誤魔化す様に「よいしょ」と、背負っていた二人を背負い直すと、
「さて、ここまで来ればもうひと踏ん張りだ。だが奴らも、おめおめと俺らを逃がすとは思えねぇからな。最後までぬかるんじゃねぇぞ?」
と気を引き締め直す。それに「あぁ!」「えぇ!」と応えるジャン君とミナちゃん。だけど、原因の分からない気持ち悪さのせいで、僕はそれに応えられなかった。
「おいおい、どうした坊主?」
「い、え、別に」
「……別にって感じじゃねぇぞ? それに顔色も悪い。どうした?」
「……いえ、何も……」
心配気に僕の顔を覗き込むアラン兄。だが僕自身、この気持ち悪さの正体を掴みはぐねているので、そんな顔を向けられても困るのだ。
すると、エレベーターと呼ばれた扉から「ポーン」と音が鳴ったかと思うと、スッと扉が開いた。
え?誰も居ないし触れても居ないのに、どうやって開いたの、この扉!?
「……そうか? まぁ、坊主が良いって言うのならいいんだがよ。とにかくここから出るまで、頼むぜ」
「……はい」
「んじゃ、とっとと行くぞ。エレベーターに乗ったらすぐだからよ! ジャン、先に中に入って一階のボタンを押しとけ!」
「え、良いの? やったぁ!」と、アラン兄の指示を受けたジャン君は、ミナちゃんと一緒にその開いた扉から部屋の中に入ると、クルリと体の向きを変える。そして入った部屋の端の壁にそっと触れた。その動作からみるに、こちらからでは見えないが、恐らく中にも、ボタンと呼ばれた模様があるのだろう。
「さ、坊主もさっさと中に入れ!」
「はい」
アラン兄に促されるまま、僕も部屋へと入るとすぐに行き止まる。(なんだ、この部屋、小さすぎないか?!)と驚いていると、「おら、もっと奥に行ってくれよ」と、二人を背負ったアラン兄がグイグイと押してくる。
「痛た!? ちょ、ちょっと、何ですか、この部屋!? すぐに行き止まりになって。これじゃあすぐに捕まっちゃいますよ!?」
「あぁ? お前何言ってやがる? おい、ジャン! 皆乗ったから、さっさと扉を閉めろ」
「は~い」とジャン君が壁にある模様──ボタン──に触れると、アラン兄が指示した様に、部屋の扉が閉まる。すると、ガコンと部屋全体が鳴ったかと思うと、小さな浮遊感を感じた。一体どうなってるんだ!?
「何これ!? なんなの、この部屋!?」
「あぁ? そうか坊主。お前、エレベーターに乗ったことが無いのか?」
「は、はい」
意味も分からず感じる浮遊感に、少し怖くなった僕は、近くに居たアラン兄の服を無意識に掴んでいた。
「そうか。じゃあ、坊主はロワ―タウンの出なのか?」
「ろわーたうん?」
また聞き慣れない言葉に思わず聞き返すと、
「んだよ、ロワ―タウンを知らねぇって事は、お前はアンダーモストの奴か?」
「あんだーもすと?」
「おいおい、アンダーモストも知らねぇのかよ? じゃあ、もしかしてミッドタウンの出か? それにしちゃ、形がなぁ」
と、僕の恰好を見てブツブツ言うアラン兄。今、僕が着ているのは、いつも村で着ていたシャツとズボン。そしてその上に、外套を羽織っていた。
「……いや待てよ。バクスターで暮らしている人間が、ミッドタウンもロワ―タウンも、そしてアンダーモストも知らねぇなんて有り得んのか?」
僕の服装を無遠慮に見ていたアラン兄の目が、スッと細まる。
「……おい、坊主。お前、どこから来たんだ? ここに捕まる前はどこに居た?」
「え、捕まる?」
「あぁ、そうだ。お前もギャズに捕まったクチじゃねぇのか? 俺達の騒動に便乗して、牢屋から逃げ出してきたんだろ? そうじゃないなら、お前はどこから来たんだ? どこで暮らしていた?」
「ど、どこって。僕はイサークの街に居て、黒装束の奴らに襲われて、気付いたらここに」
「イサーク? んな町、聞いた事無いな。それに黒装束の連中だと?」
「は、はい。って、イサークの街を知らない!? じゃ、じゃあここって、何の街ですか!?」
「あぁ? さっきも言ったろ。ここはロワ―タウン。その中でも一際クソッタレな場所の一つ、ギャズの野郎の屋敷だ」
「ロ、ロワータウン?」
聞いた事の無い地名。母さんに渡された地図にも、イサークの街の周辺に、そんな地名は無かったと思う。
「それよりも俺の質問が先だ。坊主の言っていた黒装束って、どんな連中だ? お前は一体何をしたんだ? お前は裏じゃねぇのか?」
混乱の中、アラン兄が矢継ぎ早に質問をしてくる。だが、何一つ答えられない。僕自身、何も解らないからだ。すると──
「ストーップ! ここから出るのが先なんでしょ! なら取り合えずユウさんの事は、教会に着いてからゆっくり聞けば良いじゃない。ユウさんもそれでいい?」
「う、うん」「お、おう」
ミナちゃんの迫力に、混乱していた僕とアラン兄はコクコクと頭を縦に振るのだった。