173話
「どうするの、お兄!?」
目の前にそびえ立つ、イサーク名物の石で出来た頑丈そうな壁を前にして、僕は呆然としてしまう。そんな僕の耳に、サラがこれからどうするかを聞いてくるが、まともに話が入ってこなかった。
(やられたっ!)
僕の頭の中は、それだけが占めていた。
あの襲撃者たちは、僕たちが何処をどう逃げるのかを最初から予測して、そして行動していたんだ!だからこそ、一気に攻めてくる事をせず、僕たちの背後にピッタリと張り付いて、アカリに弾かれるのも御構い無しに、効果の無いナイフ投げに徹していたんだ。全ては僕達をこうやって行き止まりに追い込むために……。
「私が走る道を間違えちゃったのかなっ!?」
「いや、そんな事は無いよ。違う所を走っていたとしても、その時は、こことは違う行き止まりに追い込まれていたよ」
俯き、自分を責めるサラの頭の上に、ポンと手をおいてサラの言った事を否定する。別の道を行ったとしても、巧妙な襲撃者は違う手を使って、今と同じ様に僕達を行き止まりへと誘っていただろう。
「……なら、ここで迎え撃ちましょう」
「アカリ……」
「だって、それしか無いでしょう? それにここで戦っていれば、誰かがこの街の衛兵に通報してくれるかもしれないじゃない。周りにこれだけ建物があるんだし」
アカリはそう言って、周り囲むようにしてに建っている、壁と同じ石造りの建物を見上げる。石鶏亭と同じ位の高さのその建物たちは、石鶏亭と同じく宿なのか、それともイサークの住人の住居なのかは分からないけれど、部屋の窓からは魔道具で出来たオレンジ色の灯りが漏れ出ている部屋がかなりある。これならば、アカリの言う様にここで騒ぎを起こせば、すぐにでも誰かがそれに気付いて、衛兵に通報してくれるかも知れない。
だけど、そのアカリの言葉を聞いたサラが、暗い顔をした。
「……多分、無理かも。だってここも、もう〈サイレント〉と〈スリープ〉で覆われているから」
「え、ウソだろ!?」
サラの言葉に驚きを返す僕。
「だって、石鶏亭からかなりの距離を走ってきたじゃないか!? ——て、まさか!?」
「……うん、その通り。向こうの魔法使いも移動しているってこと」
「ってことは、移動しながら〈サイレント〉や〈スリープ〉を維持しているってことか!?」
自分の口から出た言葉なのに、「有り得ない!」と強く否定する。幾ら生活魔法の〈サイレント〉や〈スリープ〉だからといっても、多少なりとも魔力の錬成を必要とする。魔力を錬成し、自分の行使したい魔法が発動する様に集中する。そしてその魔法を維持するのにも集中は必要だ。魔法使いの端くれ——と言っても本当は召喚術士なんだけど——の僕が言うのもなんだけど、それだけ魔法を行使するってのは大変なのだ。魔法を発動させちゃえば、その後の集中はどうにかなるにしても、とてもじゃないけれど移動しながら、しかも逃げる僕達に追い付く位の速度で走りながらでなんて、無理だ!
そんな事が出来るのなんて、魔法を使うのに錬成を必要としないのなんて、〈サーチ〉を常時発動にしているサラや、元トライデントであるエマさん位である。その位、魔法っていうのは錬成を必要とする行為なのだ。
——と、そこまで考えた僕は、顔を青くさせる。それはここまで全力で走ってきた事で、息切れをした訳ではなく、ある事に思い至ったからだ。
それはサラも思い至った事らしく、蒼褪め、言葉を失っている僕の顔を見て頷いた。僕に向けるその顔はその瞳は、僕の出した答えが正しいと物語っていた。
「そんなに、強力な魔法使いが向こうに居るってことか!?」
「うん。魔法使いかは分からない。もしかすると、おばあちゃんと同じ魔導士クラスが居るかも」
「魔導士……!」
サラから出たジョブ、“魔導士”は、アイダ村に居る元トライデントの一人、エマさんのジョブだ。魔法使いよりも実力、知識、経験などが優れていて、優れた魔法使いの中でも、ごく一部でしか魔導士にはなれないと言われている。そんな存在が相手方に居ると言われて、僕は納得してしまった。それしか、考えられなかったからかも知れないっていうのもあるが、身近な人にトライデントだのスペルマスターだのが居れば、相手に魔導士が居た位じゃあまり驚かない。
でも、驚かないだけで、充分に脅威な相手だ。そんな希少な魔導士が、なんでこんな悪い奴らと一緒になって僕達を襲ってくるのか?
「——来るわ!」
短く、アカリが警告を発する。見ると、僕たちの曲がって来た角から一人、また一人と黒い装束に身を包んだ襲撃者が、僕たちが曲がってきた通りの角から、その姿を現す。どうでも良いけど、そんなに黒い服、どこで売っているんだろう? 特注かな?
そんな暢気な事を考えている間に、ぞろぞろと出て来た襲撃者は全部で10人。その全員が手にナイフや小剣を持って、袋小路に追い込まれた僕達にジリジリと圧力を掛けていく。
スッと、俺とサラを守る様に前へと立つアカリ。走っている間もしっかりと握っていた〔姫霞〕を改めてギュッと握ると、正眼に構える。
「10人か……。ユウ、サラちゃん。少しはそっちにお裾分けしちゃうかもしれないけれど、大丈夫かしら?」
「うん、問題無いよ。だからアカリも無理はしないで」
「そうだよ。ってか、私の魔法で終わらせちゃうかも」
「ふふっ。なら、そうなる前に私も少しは活躍しなきゃ、ねっ!」
そう言うと、アカリの体から魔力の様な圧力が噴き上がる。それはアカリの居た世界、日乃出国で、何度か感じられた、“剣気”と呼ばれる、一流の侍が放つ気迫。
日乃出国で初めて体験した人同士の戦争の時に、将軍位に就いていたシンイチさんと成瀬さんの圧倒的さには及ばないまでも、アカリの放つその威圧感は、目の前の襲撃者たちを、意識してか無意識なのかは分からないけれど、数歩後ろへと下がらせる。それは、目の前に立つ黒髪の少女に脅威を感じた事を如実に表していた。
その後ろで、「アカリさんって、凄い強いんだねぇ」などと暢気な感想を口にするサラに、
「サラ、この中に居るか?」
「……ううん、居ないよ」
「そうか」と返して、サラに向けていた視線を前に戻す。今だに黒装束の襲撃者はアカリの剣気に押されているのか、少し横に動いたり、襲撃者同士で場所を入れ替えたりしながら、アカリの隙を伺っていた。
その中に、今、この場に張られている〈サイレント〉と〈スリープ〉の魔法を使っている魔法使いは居ないみたいだ。恐らくは何処か離れた所に居て、僕たちの様子を見ているのだろう。
中々攻めてこない襲撃者たち。その様子を見て、さらに膨らむアカリの気迫。さっきまでの気迫には“僕達を守る!”という純真な気持ちが込められていたけれど、今は少し様子が違う。何か少し怒っている様な。
(あぁ、そうか。きっと、常に後ろから投げられるナイフの対応に、嫌気が差していたんだな……)
アカリ的には正々堂々と戦いたかったに違いない。なのに襲撃者は、つかず離れずの距離を保って、僕たちを刺激するかの様に、後ろからナイフを投げて来るだけ。立ち止まって相手をしたいけれど、そんな事をすれば、僕やサラを守れないかもしれない。だから我慢していたのだろう。
そう思うとアカリに悪い事をしたなと思うが、そもそも襲撃者たちが僕たちを襲ってこなければこんな事にはならなかったんだと思い直す。
「来ないのなら、こっちから行くわ——」
「〈世界に命じる! 風を生み出せ! ウインド!!〉」
「「えっ!?」」
僕とアカリの驚きの声が重なる。その驚きを与えた張本人、サラはいつの間に練っていたのか分からない魔力を〈ウインド〉の魔法に変換すると、グリューンリヒトの杖先に生まれた風の渦が生まれる。その数は10個!
「いっけぇ~!」
サラが場違いな程の明るい声でグリューンリヒトを横に振るうと、生まれた風の渦が球状になって、次々に襲撃者たちに向かっていく! その大きさはサラの拳大くらい。だが、威力はその見た目とは違い、
「——グフッ!?」
アカリの剣気に押され身動きの取れなかった、一番前にいた襲撃者のその無防備なお腹へと、吸い込まれる様に触れると、途端に破裂した! その衝撃は相当なものだったらしく、食らった襲撃者はくぐもった悲鳴を上げると、膝から崩れ落ちた。
「「————!?」」
それを見た他の襲撃者たちから、動揺する空気が伝わってくる。だが、そんな暇は無い。 襲撃者の人数分用意された風の珠が、次々と襲ってきているのだから!
「——グッ!?」「ウグゥ!?」
「私の出番が……」と、ポツリと嘆いたアカリのやる気を削いでいく様に、そうして一人、また一人と、サラの放った風の珠を、お腹に、或いは後頭部に食らい、倒れていく刺客たち。〔姫霞〕を握る手から力が抜けていっている様で、少しダランと下げられていた。
そうして、残る襲撃者は7人。その誰もが、逃げても追って来るサラの放った風の珠から、必死になって逃げていく。そんな中——、
「〈世界に命じる。風を生み出せ。ウインド〉」
「えっ!?」
「どこっ!?」
サラとは違う、でも確かに聞こえた〈ウインド〉の魔法を行使する抑揚の感じられない声。そして——!
「〈世界に命じる。火を生み出し飛ばせ。ファイアボール〉」
「「え!?」」
〈ウインド〉を唱えた声とは別の、もう一つ聞こえた詠唱に、耳を疑う僕とサラ。 街中で〈ファイアボール〉だってっ!?
だが、聞き違いでは無かったらしく、少し離れた所に、サラの生み出した風の珠よりも少し大きな火の玉が3個、何も無い空間に突如として生まれた。その後ろには、サラの風の珠と比べ、少しだけ歪な形をした風の珠が7個生まれている。
相手が生み出した風の珠は、サラが生み出し、逃げる襲撃者を執拗に追い回す風の珠へと向かっていく。まるで、風の珠同士の空中戦! 風の珠同士が弾き、弾かれを繰り広げ、負けた方の風の珠が、あちこちで爆ぜて行く!
「サラっ!」
「ゴメン、お兄! 私は〈ウインド〉で精一杯! 〈ファイアボール〉の対応お願い!」
「う、うん! 分かった!」
サラはグリューンリヒトを振るいながら、自分の風の珠を操作している。その様子を見るに、相手の〈ウインド〉で生み出された風の珠も、かなり精度が高い事が解る。時折、追加で風の珠を出すサラの額には汗が滲んでいた。
そしてサラの言う様に、今、僕たちに向けて、三つの火の玉が襲い掛かって来た。敵の魔法、〈ファイアボール〉だ。
その三つの火の玉は、まるで競争するかの様に、それぞれ互いが互いを追い抜き追い越しながら、前に立つアカリの横を通り過ぎ、僕に向かってくる!
「街中で魔法なんて使って、一体何考えてんだよぉ!」
街中では、生活魔法以外の魔法の使用は、騎士や衛士など、許可された人間しか認められていない。なのにも関わらず、普通に攻撃魔法を放ってきた相手に腹が立った僕は、大声で相手に文句を言いながら、必死に横に飛んでは、迫りくる火の玉を躱していく!
僕の耳元を、不気味な程の静けさを持った火の玉が通り過ぎ、地面に着弾、火柱を上げる!
(こんなに威力のある魔法を、平気で放ってくるなんて!!)
襲撃者の考えは今だに分からない。一体何を考えて僕達を襲ってきているのかも。もしかすると、あのデコボココンビが言っていた様に、伯爵様がお気に召されたっていう花瓶を、あの時僕が本当に割ってしまって、それに怒った伯爵様が、僕を殺す為にこの襲撃者たちを向かわせたのかもしれない。
だからって、こんな街中であんな威力の魔法を使ったら、万が一、周りに建っている建物に向かってしまって、中に住んでいる人に当たってしまったら、火傷だけでは済まなくなるだろう。
(そんなの許せない!たとえ相手が伯爵様だったとしても、だ!!)
奥歯をギリリと噛み締める。自分勝手な行動をする相手に。ここからは見えない〈ファイアボール〉を放った相手に。その奥にいる、この襲撃者を僕達へと向かわせた黒幕に。僕は無性に怒りが湧いた。