170話
「何か気になったのか、アカリ?」
腕を組むのを止め、僕の顔を見つめるアカリに対し、疑問で返した僕。アカリの口にした疑問の言葉、それが何を指し示しているのか分からなかったから、自然と出た疑問だった。
「考えても見て。これだけ大騒ぎになっているのに、何で他の人は騒がないのかしら?」
疑問に疑問で返された事に対して怒る様な事はせずに、自分が疑問に思った事を簡潔に述べるアカリ。確かにデコボココンビがあれだけ騒いだのに、なぜ騒ぎが起きないのか?
(結界魔法? いや、そんな高度な魔法を使える人は殆ど居ないはず。あるとしたら生活魔法の——)
そこまで考え、ある答えを導き出した僕は、何て事は無いという様な感じで、それに答えた。
「あぁ、それはね。多分最初にこの部屋を襲って来た、あのデコボココンビのどっちかが、〈サイレント〉の魔法を使ったんじゃないかな?」
「〈サイレント〉?」
「うん。生活魔法の一つで、自分が指定した場所の音を消す魔法なんだ。昔、夜の見張りを担当していた兵士が、昼間に行われる訓練とかの雑音のせいで寝むれなくて、夜の見張りの時についうっかり寝てしまって、そのせいで敵の発見が遅れた結果、敵に攻め込まれた事が有ったとかで、その後、そう言った事が無いようにって生まれた魔法みたいだよ」
学校で使っていた教科書に書いてあった、それぞれの魔法が生まれた由来や生い立ち。そこには当然〈サイレント〉の生い立ちについても書かれており、その魔法が何で出来たのかといった理由や由来に興味があった僕は、特にそういう面白い逸話に関しては、覚えている事が多い。〈サイレント〉が造られた逸話も例外なく覚えていたので、そこに書かれていた文面をそのままアカリに話す。
「恐らくだけど、あの二人組のどっちかがこの石鶏亭に入る前に、宿をスッポリと覆う位の大きな〈サイレント〉を張ってから、侵入してきたんだろうね。だから、あのコンビや、その後に来た黒装束たちがこの部屋を襲撃しにきても、この宿の人達は、誰一人として騒いでいない」
「でも、会話はできていたわよね? 音が消えるのなら、会話も聞こえないんじゃないの?」
「そうだね。本来なら会話も消せるよ。でも、この部屋を襲撃したあのデコボココンビはしなかった。何故だと思う?」
「……なるほど、会話まで消しちゃうと、襲う相手にその異常を気付かれちゃうから、襲撃には向かないって事ね?」
「その通り。まぁ、普段使う〈サイレント〉じゃあ、あまり会話は消さないよ。会話まで消しちゃうと、不便だろ? だから、普通の人は〈サイレント〉で自分の指定した音だけを消すんだ。自分の指定した音なら何でも、剣の音や人が走る音、中には爆発音まで消せるからね」
「でも、黒づくめの刺客が襲ってくる前に、昼間の当たり屋の二人がこの部屋を襲って来た時は、音が聞こえていたわよね? しかもあの二人が落ちた時、派手な音を立てていたわよね? それでも誰も出て来ないってのは、おかしくないかしら? 私達にはあれだけ派手な音が聞こえたのに、よ?」
「う~ん、推測でしかないけど、多分、僕たちの部屋以外に〈サイレント〉を使ったんじゃないかなって。なんでそうしたのかは分からないけれど、たぶん暴れるのが好きな人達だから、この部屋だけには〈サイレント〉を掛けたくはなかったんじゃないかな?」
「……そう……。この宿の宿泊客や、住人が騒がないのは分かったわ」
「うん、〈サイレント〉の魔法があるからね。〈魔力探知〉を使えば、他の部屋を包む魔力を探知出来るんじゃないかな」
だけど、僕の話を聞いたアカリは、納得する所か逆に自分の中の疑惑を深めたらしく、さらに僕に疑問をぶつける。眉間に皺を寄せて。
「じゃあ、何で隣の家とか向かいの宿とかに居る人達は騒がないの?」
「……え?」
「だって、そうでしょう? ユウが言った様に、この宿にその〈サイレント〉って魔法を使ったのだとしても、他の建物には使われていないのなら、あの昼間の男が二人、外に落ちた時に立てた音は、周りには聞こえる筈でしょう? それに音は聞こえないかもしれないけれど、これだけ激しく戦えば、音はもちろん、振動だってあるはずじゃない。それすらも消せるの?」
「……あ」
アカリの鋭い指摘に、僕は言葉を失う。
アカリの言う様に、〈サイレント〉で幾ら音は消せたとしても、戦いで生じる振動は消せない。僕達の部屋で生じた激しい振動は、上下左右の部屋には確実に伝わっているはずだ。部屋に泊まっている人が居ないって事もあるけれど、上下左右に誰も居ないなんて考えられない。最悪、一階の受付にいるだろう、この石鶏亭の女将さんは居るのだ。なのに、女将さんは来なかった。それは、僕たちのイザコザに巻き込まれたくないと考えていたから——と考えるのは不自然だろう。そんなイザコザが起きれば、自分の宿に被害が及ぶのは目に見えている。そんな事、どうしたって阻止したいに決まっている。
(じゃあ、衛兵でも呼びに行った、とかか?)
考えられるのはその辺りだけど、何故か腑に落ちない。あのデコボココンビが、衛兵が呼ばれる覚悟で僕達に襲撃を掛けるなんて、あまりにお粗末だ。いや、あのコンビだけならそれでも納得は出来る。でも、アカリ達にやられて床で伸びている黒装束たちが、明らかに襲撃のプロだと思うこの人達が、そんな手抜きをするだろうか?
(そういえば、あのデコボココンビが、女将さんたちにお寝んねしてもらったって言ってたな)
あのコンビが部屋へと押し入って来た時の、アカリとのやり取りを思い出す。お寝んねしてもらった——と言うのは物理的に、例えば当身とか強い衝撃を当てて気絶させた、という様な事を表した揶揄では無く、実際に寝かせたのしたら……?
僕がその考えに至った時とほぼ同時に、床に倒れていた黒装束への物色を終えたサラが、突然声を上げた!
「!? 大変だよ、お兄っ! また誰かがこの宿に近付いてくるよ!」
「誰かって誰だ!?」
「分かんないよっ! でも、悪い人ってのは間違いないよ!」
「悪い人って、またこの人達みたいなのか!?」
「う~ん、どうだろ? 色々な人が居るから分からないよ~!」
「色んな人って、何人も居るのか!?」
「うん! 私の〈サーチ〉で分かったのは10人だけど、もっと居るかもっ」
「じゅ、10人だって……!?
サラの警告に、僕は動揺した。 そして、床に倒れ伏している、サラの物色の被害に遭って、すっかり黒装束を脱がされ、中に着ていた黒の肌着姿になっている女性襲撃者を見た。
アカリもサラも、この襲撃者達にほとんど苦戦していない。だけど、それは一対一だったからだし、相手も3人しか居なかったからだ。この襲撃者が弱かったわけじゃない。むしろ、僕よりもずっと強いと思う。という事は、アカリとサラは僕を守りながらの戦いになる。それは確実に二人の負担が増すという事だ。そんな負担を背負いながら、これから襲ってくるという10人の襲撃者と戦うと言うのは、流石に危険だ。
一体どうしたら?!と考えようとするけれど、焦りで丸っきり考えが浮かんでこない僕の服の裾を、グイっと引っ張る人が居た。アカリだ。
アカリは、これから襲撃者が10人も襲ってくると言うのに大して慌てた様子も見せず、剣を振るうにしてはあまり剣だこの無いその綺麗な指で、自分の顎を掴む様に触ると、
「ちょっと聞いて良いかしら? なんでサラちゃんはこれから襲撃者が来るって判ったの?」
「え? あぁ、それはサラの〈サーチ〉の魔法で、襲撃者が来るのが判ったんだよ」
「魔法って……、サラちゃんはいつ魔法を使ったのよ?」
「い、いつって、サラは〈サーチ〉の魔法を常時発動状態にしているんだよ。スゴイよなぁ、生活魔法だからって常時発動なんて、普通は出来ないんだよ? でもサラは膨大な魔力があるから——」
「それは後で聞くわ! という事は、サラちゃんは今、魔力の動きは判るって事よね!?」
「う、うん、そう言う事だねっ」
僕に質問を重ねる度に、顔を近付けてくるアカリ。それを見て、「あ~っ!? 何してんのっ!?」などと騒ぐサラ。だがアカリは、そんなサラの指摘も、僕と顔が近い事も特に気にする事も無く、ブツブツと呟くや否や、首をグルリと回して、
「サラちゃんっ!」
「——!? は、はいっ!?」
いきなり自分の名前を呼ばれるとは思っていなかったのだろう。アカリの後ろにジリジリと近付いていたサラは、その体をビクッと大きく跳ねさせる。
見ると、その手は微妙な高さに上げられていた。もしかすると、そっと近付いてアカリの脇でもくすぐろうと考えていたのかも知れない。
そんな子供じみた事(と言っても普通に子供なんだけど)を企んでいたとは思っていなかったアカリは、その中途半端に上げられていたサラの手をガシッと掴むと、「ひっ!?」と短く上げた悲鳴を気にする事も無く、今度はサラに顔を近付けると、
「サラちゃん! この宿に何の魔法が掛けられているか分かる!?」