回復
△ ???視点 △
【アンダーモスト】で爺さんに厄介になってから三日が経った。俺の腹に空いた傷もすでに塞がり、薄っすらと痕が残っている程度まで回復していた。もう充分動けるだろう。
爺さんの手前、包帯を付けていたがそれを外して、俺の気に入っているTシャツを着、その上から、こいつも気に入っている黒の革ジャケットを羽織る。
Tシャツの腹の傷部分が赤く染まり、ジャケットには弾丸の痕が開いている。
「チッ。こりゃあ、洗って落ちんのか?」
弾丸痕は縫ってもらえばいけそうだが、Tシャツの方は落ちるか分からない。しかもジャケットと同じく穴が開いている。当たり前だ、銃で撃たれたのだから。
「お、起きたか? 兄ちゃん」
「ん?——何だ、爺ぃか」
「何だってことは無ぇだろ。ほら、朝めしだ」
お気に入りたちの悲惨な状況に、気分を悪くしていると、その気分をさらに害しさせる様な、いつも通りのしけた面をした爺さんが、手に皿を二つ持って現れる。そして手に持つ皿の一つを俺に差し出してきた。
「いつも悪いな」
「思ってもいねぇ事を……。ま、困った時はお互い様ってな。さ、冷めねぇ内に食っちまおうや」
「あぁ」
薄っすらと笑った爺さんから受け取った皿には、相変わらずの麦がゆが湯気を立てている。俺は、皿と一緒に受け取ったスプーンでそれを口にかっ込んでいく。今日も塩気が薄い。いつも通りだ。
「そういや、俺は今日で、ここを、出て行くからよ」
「食いながら喋んじゃねぇよ! なんでぇ、腹の穴はもう大丈夫なのかぃ?」
「ん?あぁ、もう、問題無ぇよ。服の方は、ボロボロだがよ」
「だから喋んなって! ボロボロぉ? 俺が着ているボロよりかは上等だろうよ」
「違い無ぇな」
「ウッシャシャ!……しかし、そうか。寂しくなんなぁ。で、行くとこあんのかぃ、兄ちゃん?」
食うのを止め、俺を見る爺さん。
「ん? あぁ、一応、な。良いとこじゃねぇが、ここよりはマシだ」
「ウシャシャ! 違い無ぇ! アンダーモストよりも悪い所があんのなら、お目に掛かりてぇもんじゃ!」
「そういう訳だ。……世話になったな、爺さん」
「おいおい、気にすんなって。兄ちゃんはただの拾いモンだ。それが元居た所に戻るだけじゃねぇか」
「……ありがとな、爺さん」
「……へへっ。なんだかこそばゆいな、こういうのは。ここに居る限り、出会いと別れってやつには慣れていたはずなのによぉ……」
そう言って俯く爺さん、が徐に顔を上げたかと思うと、皿に残っていた麦がゆをかっ込んでいく。
「お、おい、爺さん?」
「へっ! 別れの餞別ってのが麦がゆ(コイツ)ってのがアレだがよ? それでも腹一杯食ってけや!な?」
「……あぁ」
「へへっ、よし! お替りを持って来てやるかなぁ」
そう言って、空になった自分の皿にスプーンを置き、部屋から出る爺さん。そのスプーンがカシャンと寂しく鳴った。
☆
「それじゃな、爺さん」
「おう、達者でな」
「爺さんもな。そんなしけた面してたら、すぐにお向かいが来ちまうぞ?」
「ウルセェ!この顔は生まれつきじゃ!」
ほら、さっさと行け!と、まるでコバエでも追い払うかの様に、手を振る爺さん。それに向かって手を上げると、ジジジっと、天井の照明が点滅する、建物の間の狭苦しく薄暗い通路を歩いて行く。
ここ、アンダーモストはその名の通り、このクソッタレな都市国家、【バクスター】の最底辺、つまりは一番地面に近い所を差す場所。
地面に近いからと言って、土がある訳ではない。いや、有るには有るのだろうが、それを拝むには一面に覆われた、分厚いコンクリートをぶち破らなきゃならない。それにそんな事をした所で、出てくる土は死んだような腐敗臭のする腐った土だけだ。決して何かが作れる様なシロモンじゃない。
それに、このアンダーモストには、配給とは名ばかりの上部に住む人間の食い残したゴミが、下りてくる。それにさえ我慢すれば、ここは働かなくて、生きていくだけなら何とか出来る場所なのだ。
もちろん水道も完備されている。清潔かは別として、だが。
住む所もある。今歩いているこの狭苦しい通路。これはアンダーモストに乱雑に、窮屈に建つ集合住宅の隙間に作られた通路だ。この場所に落ちてくる人間は後を絶たない。だから国家政府のお偉いさんは、何の計画も立てず、ただイタズラに集合住宅を建てまくった。背の高く、そして窮屈な部屋の集合住宅を。
だが、どれだけの人間が流れてきたとしても、こんな生活をしていれば、おっ死んじまう奴らも少なくない。結果、多く建てられた集合住宅の多くは空き部屋も多くあった。爺さんに世話になった部屋も、その空き部屋の一つなんだろう。
服もある。これも上層から落ちてくるボロキレの様な物だが、それを何枚か重ねて着れば、何とか様にはなるだろう。
そう、このアンダーモストは働かなくても衣食住を揃った、まるで天国の様な場所——。
(……チッ……)
——に見せかけた地獄。
まともに点いていない裸電球の照明の下に、ぼろ切れさらにボロボロにさせた、裸同然の恰好をした女が、壁に背を預けながらこちらに寄ってくる。
「ね、ねぇ。お兄さん、ヤラない? 今なら、10トイで良いわよ?」
「わりぃな、間に合ってるんだわ」
死んだ目で近寄ってくるのは、所謂娼婦だ。このアンダーモストでは珍しい事では無い。この場所に落とされたのか落ちて来たのか判らない、——そこに大した違いは無いが、こうした女はたくさん居る。そしてどいつも痩せ細り、目には生気が全く感じられない。そんな女を、金を払ってまでヤリたいとは思えない。
「じゃ、じゃあ、7トイ。いえ、5トイでも良いわっ!」
「しつけぇなぁ。間に合ってるって言ってんだ——」
しつこい娼婦を追い払おうとふと腕を見ると、そこには腫れ上がった注射痕が幾つもあった。
(チッ!)
腹立だしい。そんなもんに手を出したこの女に、そして、そんな女に力で追い払えない自分に。
クスリに手を出すやつも珍しくはない。何の希望も持てないこのアンダーモストでは特に。何もやらなくても生きていけるというのは、つまり死んでいないってことと同意。そこには生きているという実感は無い。その生きている実感が欲しくて、手を出してしまう。
下はコンクリートに覆われ、上を見上げれば灰色の天井=上層部の床面しか見えず。陽の光も、地面の温もりも何一つ感じられなければ、人はおかしくなってしまうというのに、それすら無い。
このバクスターでは陽の光なんて、最上部のほんの一握りの人間しか拝めない。そんな人間に、今のこのアンダーモストはどう写るのだろうか。
「ほらよ」
革のジャケットと同じ材質の、穿いている黒のズボンのポケットに手を突っ込むと、、小銭が数枚、手に触れた。それを、掴んで出すと、女の前に放り投げた。
「あぁ~!?」
一枚か、二枚が転がっていったのだろう、逃げていく小銭を這いながら必死に追いかけていく娼婦。
「チッ! 最悪だぜっ!」
女の横を通り過ぎる。ほんとに胸糞悪くなる場所だ。