バケモノ
「ウーン、雑魚ばかりだな! これでよくあのドラゴンに勝てたもんだ」
突如として現れた異形の存在は、僕たちを見回した後にそう口にする。
赤黒く、ゴツゴツとした筋肉に覆われた体。その鍛え抜かれた体に申し訳程度の布を身に付け、その手には、所々が大きく欠けた、人間には持つことさえ無理そうな巨大な剣を持っている。そして、特徴的なのは、その頭に生える大きな二本の角——。
「——オーガ」
「オーガ!? あれが……」
そう、そこに現れた異形はまさしく教科書に載っていたオーガそのもの。
だが、
「俺様をオーガなんぞと一緒にするんじゃ、ねぇぇっ!!」
ッドン!!
「「!!??」」
オーガは怒鳴った後に体勢を低くすると、撃ち出された様な音を残して、こちらに迫る!
「危ない!!」
「うわっ!?」
「お兄!?」
馬鹿みたいに巨大な剣を持っているにも関わらず、瞬時にこちらに迫ると、その剣を上から叩き付けた! 僕と、僕に抱き着いていたサラは、イーサンさんに押し出される様にその場から離れる。
振り下ろした剣が地面を叩くが勢いは変わらず、地面に大きな穴が開く!その穴の土砂が巻き上げられ、アースドラゴンを倒して沸き立っていた村の人達や冒険者に、礫の様に襲い掛かった!
「うわぁ!?」「痛ぇ!!」「無茶苦茶だぁ!?」
撒き上がった土砂が降り注いだ後には、凄惨な光景が広がっていた。比較的近くに居た人は大きなケガを負ってしまっていて、頭から血を流し、何処かしらの骨を折っているのか呻くばかりで動けない様だ。その人達を比較的ケガの程度が軽い人達が、肩を貸し、または引き摺る様にして逃げていた。
その原因を作ったオーガは、大きな穴の中心に立ち、巨大な剣を地面に突き刺して、
「オウ、あれで誰も死なねぇとは。こりゃ、少しは楽しめるかもしれんナ」
その口からはみ出る程の大きな牙を覗かせて、不敵に嗤った。
奴から少し離れた所で倒れていた僕達は、急いで立ち上がろうとするが、
「痛いっ!」
「サラ!? 大丈夫か!?」
「うん、少し足を捻ったみたい……。お兄は?——大変! 頭から血が出てるよっ!」
「あぁ、地面に倒れた時にぶつけたみたいだ。大丈夫、少し切っただけだよ。それより、イーサンさんは!?」
「ここじゃ……」
「——イーサンさん!?」「おじいちゃん!?」
僕たちが突き飛ばされたすぐ後ろに、イーサンさんは倒れていた。受け答えが出来るから無事だと振り向いて凍り付く。起き上がろうとするイーサンさん、その腕の一本が完全におかしな方向を向いていた。
「おじいちゃん! その腕!?」
「うむ、掠っていた様じゃ。わしとした事が衰えたもんじゃ」
「それって僕達を庇って、負ったんじゃ!?」
「いや、これはわしが不甲斐ないからじゃて。しかし困ったのぅ。あのオーガ、思ったよりも強い!」
「ン~、またオーガって言われた気がするぞぅ?」
嗤っていた顔を真顔に戻し、こちらをグルリと向く。そして、巨大な剣を肩に掛けるとズシンズシンと巨体を揺らしながら、こちらに向かってくる!
「マズい! 逃げよう! イーサンさん! 肩を貸します! サラは歩けるか!?」
「うん!」「済まんの、ユウ」
急いで起き上がると、左腕をだらんと下げたイーサンさんに肩を貸しながら、走り出そうとするが、
「ン~? 何処に行くのか、な!」
「「「!?」」」
突然目の前に現れた赤黒い肌! そしてお腹に響く、鈍く強烈な衝撃! 思わず倒れ込んだ。
「ぐぶぅ!!?」
「お兄!!?」「ユウ!!?」
気付けば口の中に液体が込み上げ、溜まらずそれを吐き出した。真っ赤に染まる地面。
「ガハッ!? ゴボッ!!」
「オ~!? 今ので死なないなんて感心、感心!」
凄く遠い所で響く声。耳に入るその音よりも、自分のお腹から響く痛みの音の方が何十倍も大きい。
「サラちゃん! 急いでユウと一緒に逃げるんじゃ!」
「おじいちゃんは!?」
「何とか時間を稼ぐ! 早くするんじゃ!!」
「……うん! お兄、大丈夫!? 立てる!?」
「うぅ……」
耳には入ってきているのに理解出来ないから、返事も出来ない。それを理解しようとすると、自分のお腹で何が起きているのかも理解しそうで、怖いのか。
「お前か? 俺様をオーガと呼んだのは?」
「……あぁ、そうじゃ。わしの知らない内に最近のオーガは喋れる様になったのかのぅ?」
「言うねぇ、爺さんっ!!」
「ぬぅううっ!?」
ガキィィィンン!!!
イーサンさんとオーガの剣が交錯する! 瞬間、押し出される空気!
「きゃあっ!?」「うぅっ!?」
至近距離でその暴風を受け、二人一緒に吹き飛ばされる僕達。そのまま近くに建っているお店の柱に引っ掛かる。
そこに!
ドゴオォォォン!!
何かが飛ばされてきた。
「!? おじいちゃん!?」
「……うぅ……」
お腹の痛みが酷すぎて、そちらを見られないが、サラの悲鳴を聞く限り、飛んできたモノはイーサンさんらしい。
呻き声を上げているから死んではいないだろうが、すでに自分で立てない位、深いダメージを負っているようだ。全身鎧を着ているイーサンさんにそれほどのダメージを与えられるなんて!
「オイオイ? もう終いか?」
そして、嬉しそうに近付いてくるオーガ。
「散々、俺をオーガと蔑んでおきながら、もう終いかよ? ん、爺さん?」
「……うぅ、クソッタレめが……」
「おぉ、良いねぇ。これから殺される奴が最後に見せるその顔! ゾクゾクさせてくれる、ねぇ!」
「ぐおうぅ!?」
助けなければと、頑張ってそちらを向くと、着ていた全身鎧はあちこちが凹み傷付き、両腕はおろか左足でさえおかしな方に曲がり倒れているイーサンさんのお腹を、上から踏み付けているオーガの姿。
「ぐうおおおおぉぉぉ……・」
「おらおら、どした~? 何とかしないと死んじまうぞ~!?」
ミキミキミキッ!
「ぐわああぁぁ!!?」
骨の軋む音。そして、イーサンさんの苦悶の声。このままではっ!
「〈世界に命ずる!風を生み出し穿て!ウィンドランス!!〉」
響くサラの絶叫! サラの目の前に風の槍が生まれ、
「いけぇっ!」
「おお!?」
サラの気合いの声と共に撃ち出された風の槍を、嬉しそうな声を上げて迎え撃つオーガ。
シャォォォオン!!
鋭く回転する風の槍は、オーガの腹目掛けて飛んでいき、そのままオーガを後退させる。だが、その先端が刺さる前にオーガに捕まる。そして、
「——ぅぬうぅぅんっ!!」
バキィィン!!
「——うそ……」
ぺたんとへたり込むサラ。それも当然だ。サラの出した〈ウィンドランス〉を、そんな風に握り潰したなんて、とてもじゃないが信じられるものではない。
〈ウインドランス〉を掴んだ手の平から滴る黒い血を舐めながら
「ふー、良いねぇ。今の不意打ち。殺す気満々じゃねぇか。なぁ、嬢ちゃん?」
「——ひっ!?」
オーガに鋭く睨まれ、震え上がるサラ。
そのサラを見て満足そうに嗤うと、ゆっくりを近付いてくるオーガ。まるで、恐怖でゆっくりと心を殺していくかの様に。
(な、何とかしない、と……)
未だ主張を続けるお腹の痛みを無視し、グググッと腕に力を入れて立ち上がろうとする僕の腕をそっと掴むイーサンさん。
「イーサン、さん?」
「ユウ、お主では、無理だ。逃げ、ろ。このまま、では、全、滅……」
イーサンさんはそこで意識を失ってしまった。そのイーサンさんの言葉が僕の中で繰り返される。
でも!!
(そんなの解っている!あの化け物なんかに僕なんか敵いっこないって!でも、嫌なんだ! もう、誰かを失うなんて、もう大切な人に会えなくなるなんて。もう……、嫌なんだよっ!!)
震え、力の入らない膝を拳で殴り付け、何とか立ち上がると、もう一度吐き気を催す。
「うぐっ? ごほっ!?」
「!? お兄!?」
「ぐっ、だ、大丈夫だ、よ。サラ」
「オイオイ坊主。寝んねしてた方が楽だぞ?」
「〈世界に命ずる!火を生み出し飛ばせ!ファイアボール!!〉」
いつの間にか杖は手元に無かったが、何故か発動出来ると確信していた僕は、詠唱を唱えると手の平をオーガに突き出す。と同時に火の玉が生まれ、オーガに飛んで行く!が、
「——フン!」
オーガが向かってくる火の玉を手の甲で軽く払うと、火の玉は打ち消されてしまう。だが、そんなのサラの〈ウィンドランス〉を握り潰した時点で判り切っていた事だ。
「〈世界に命ずる!火を生み出し飛ばせ!ファイアボール!!〉」
「〈世界に命ずる!火を生み出し飛ばせ!ファイアボール!!〉」
「〈世界に命ずる!火を生み出し飛ばせ!ファイアボール!!〉」
魔力を練るそばから〈ファイアーボール〉を放つ! だが、オーガに悉く打ち払われていく。だけど気にするもんか!
「〈ファイアーボール〉――!!!」
だが、僕の少ない魔力量に限界が訪れる。魔力が切れた事による、独特な頭痛が襲ってきた。
「うぐっ!?」
「お兄!?」
サラが蹲る僕の元に向かって来た。
「お兄!? 大丈夫!?」
「あぁ、ただの魔力切れだよ。……それより」
「嫌だ! 私は最後までお兄の傍に居るっ!」
「……頼むよ、サラ……」
「嫌っ! 絶対に嫌っ!!」
「ウーン、美しい兄妹愛ってやつかい? 生憎と俺様には兄妹がいなくてよぅ? そういったもんは解らねぇんだわ」
最後に放った〈ファイアーボール〉も簡単に打ち払ったオーガが、変わらずゆっくりと歩きながら話掛けてくる。
「まぁ、そんな俺様でも、一つだけ解っている事がある。それはな?」
そして、僕たちの目の前に立つと、その強大な剣をいとも簡単に持ち上げ、
「どっちを先に殺せば、より強い絶望を与えられるかって事だぁ!!」
ニィと嗤ったあと、振り上げた剣をサラ目掛けて振り下ろ——、
「〈世界に命ずる!風を生み出し舞い踊れ! ジャズウインド!!〉」
瞬間、目の前のオーガを覆い尽くす様に、小さな風の刃が無数に生まれた。
「ウオッ!?」
「ユウ君、サラちゃん!!」
「!? サラ!」
「うん!」
その掛け声と共に、オーガの目の前から一目散に逃げる。走りながら振り向くと、無数の風の刃に纏わり付かれたオーガが、鬱陶しそうに風の刃を手で払い除ける。が、数が数である。その内に、
シュッ! シュシュッ! シュシュウゥゥ!!
「ムゥッ!?」
無数の小さな風の刃がオーガの周りを高速で回りながら、切り刻み始める。
「ウ、ウオォォオ!?」
まるで竜巻の様になった無数の風の刃が、オーガの姿を覆い隠す。その纏わりつく風の色にどす黒い赤色が混ざる。
「ユウ、サラちゃん、こっち!!」
「うん! お兄!」
「あ、あぁ」
痛む頭を抱えながら、サラと一緒に店の軒先へと逃げ込む。そこには気を失っていたイーサンさんと、
「ありがとう、おばあちゃん!」
「何とか間に合って良かったわ」
そう、先程の〈ジャズウィンド〉を放ったエマさんが、気を失っているイーサンさんに膝枕をしながら、治癒魔法の第二位格である〈キュア〉の魔法を唱えていた。
「……ん……、エマ、か?」
「えぇ。 大丈夫?派手にやられたわねぇ」
「……なーに、こんなもん、唾を付けておけば治るわ。———それより、ユウ?」
「はい、何ですか?」
「アイツか? お前の言っていた脅威は?」
「……いえ、違います」
僕が殺されたのはザファングと名乗る悪魔だ。あんな筋肉質のオーガでは無い。
僕のその答えがあまりに衝撃的だったのか、質問したイーサンさんと、それを聞いていたエマさんが目を見開く。
「……あれ以上の化け物、か?」
「……どうでしょうか。僕にはアイツもザファングもどっちも規格外でしたから」
「……そうか、あれと同格がもう一体……か」
それきり黙るイーサンさん。そして、
「エマ……」
「……はい」
「「?」」
持っていた白い鞄から、何やら液体の入ったビンをイーサンさんに手渡すと、エマさんは僕達の方を向き、
「ユウ、サラちゃん、今の内に逃げなさい。そして、殿下と共に隣町へと急ぐのです」
「……援軍を呼んで来るんですね? なら、馬の扱いに長けた別の人に———」
「——いえ、この村の事は忘れなさい」
「「———えっ?」」
僕とサラ、二人同時に驚く。
エマさんに貰ったビンの中身をイーサンさんはグイっと飲み干し、「ふぅ、相変わらずこのポーションは苦いわぃ」とボヤくと口元を拭い、エマさんに続くように、
「これはな、ユウの話を聞いた時に、エマと二人して考えたことなんじゃ。ユウの言う様な規格外の化け物、その化け物がもしわしらの手に余る様なら、その時は殿下とユウ、そしてサラちゃんだけでも逃がす、と」
「そんな……」
「良いか、ユウ。衰えたとはいえ、わしらは元トライデント。それが二人揃っても勝てない相手なぞ、国にとって恐るべき脅威。その脅威が発生した事を国に伝えるのも、とても大事なお勤めじゃ」
「……そうですけど……」
「それにこれは殿下にもお話して了解を得ているのじゃ」
「!? 母さんが?」
「うむ。あの方も昔は国政に携わっていたお方。事の重大性を良く理解しておるからの」
「……」
「勘違いして欲しくは無いから言うがの。殿下は最後まで皆を救おうと努力しておった。何か良い策は無いかと頭を悩まされておった」
「……」
「しかしの、これほどの脅威は流石に計算外じゃ。あのオーガだけでも厄介なのに、ユウの話ではもう一体居るという。これほどの脅威、王にご連絡為さらなければ、その時は……」
「……その時は?」
「———国が滅ぶ」
「!!」
その衝撃的な事実に、僕は何も考えられなかった。だが、冷静に考えると、元とはいえトライデントが二人掛かりでも勝てなかったという事は、そう言う事なのだ。
「頼む、ユウ! 殿下とサラちゃんを連れて、無事にこの村から逃げ出してくれっ!その為の時間なら、この老骨が二人、何としてでも作る! 頼むっ!!」
エマさんの膝枕から、ヨロヨロと上体を起こすと、僕に頭を下げた。
「私からもお願いするわ、ユウ。殿下をお願い」
「イーサンさん、エマさん……」
元トライデントが二人して頭を下げるその光景。それほどまでにあのオーガとザファングの規格外の力は、国にとって差し迫った脅威なのだろう。
「……分かり、ました……」
「お兄……」
「うむ、有難う、ユウ」
「難しい決断をよくぞ、下しましたね」
「———だけど、絶対に諦めないでください! 絶対に援軍をこの村に派遣させますから!」
「——ユウ……」
「……えぇ、分ったわ」
それが僕の精一杯だった。解っていたんだ、もうこの村は助からないだろうって。あのザファングだけでも相当なのに、それに加えてあのオーガである。トライデントはおろか、国の総力を挙げないと、対抗すら難しい相手が二体も居るのだから。
僕のそんな自己満足的な薄っぺらな要求を、ただ笑って受けてくれる二人。
「……では、行ってきます」
「うむ!」「はい!」