後始末
△ ???視点 △
「あの恩知らずがっ!!」
国へと続く街道の内、最も細く廃れた街道を、護衛の侍数人を引き連れながら急ぐ。
わしが奴の部下から、作戦失敗の連絡を受けたのが数刻前。それまで、作戦の成功を確信していたわしは、敵方の攻勢を何とか凌ぎ、その報を今か今かと待ち詫びていたのだ。が、やっと来た待ち人の寄こした報告は、わしの期待を大きく裏切る、まさに真逆のものであった。
そもそもこの戦は、わしの策の成功があってこそ勝ちが見えるのだ。量で勝っているとはいえ、質は圧倒的に日乃出に分がある。多少の人員差など歯牙にも掛けない程に、日乃出の侍、特に天下に名高い両将軍の力は理不尽なまでだ。
そこでわしは考えた。この戦に勝って日乃出をわしの手中に収め、それを足掛かりに東雲をも手に入れる算段を。それを為す為の策を。
その策の要となるのは、その理不尽な力を持った将軍の一人である成瀬の背信。そして、日乃出の君主である橘の暗殺。
その要を託した配下の者が失敗しおったのだ! しかも勝手に死んだという。その後の事は、全てわしに丸投げして!
「拾ってやった恩を仇で返すとはっ! これだから東雲の者は信用ならんのだっ!!」
木々に囲まれた西宮へと続く街道を、馬の背に乗りながら愚痴を重ねる。だが、それも当然だ。 この策を練るのに、 準備に、一体どれほどの時間が掛かったとおもっているのか。
(えぇい!!ムカムカするわっ!!)
周到に、緻密に、そして慎重に。今日まで事を運んで来たのだ!日乃出の、存在しない戦の兆候を報告し、殿に影武者の必要性を訴え、わしが用意した影武者を認めさせた後に殿を手に掛け、影武者を意のままに操ってわしの地位を不動のものとし、そして、西宮方面担当の将軍である成瀬の身辺を調査し、成瀬の弱点になりうる義弟の存在を掴み調査させて成瀬を逆心させ、そしてその必勝の策を持ってこの戦を仕掛けたのだ。それまでに十年以上の年月を費やしたのだ!!それなのに、失敗しましただとっ!!!
(そんな、そんな一言で済む話では無いわっ!!!)
腹の虫が一向に収まる気配を見せない中、夕暮れから宵の口へと差し掛かったこの時間帯、所々にある切れ間から、所々に薄明かりが漏れるとはいえ、木々が林立した道で馬を全力で走らせるのは無茶というもの。一刻も早く国に戻りたいが、ここで無茶をして万が一、という事にもなりかねん。速力を落としつつも逸る気持ちのせいなのか、それでも多少の危険を伴う速さではあった。
(もう一度体制を整えながら、裏切った成瀬への報いとして、見付けていた義弟の首をはねて、成瀬へと送り付けてやらねばなるまい!)
頭の中で、国に戻ってからやるべき事を考えていく。再び体制を整えるのに掛かる年月を考えると、気が滅入ってきた。
過ぎ去る木々が、音を残しながら後ろへと跳んでいく。やはり、速い。が、おちおちしていると、後ろから日乃出の者が追い掛けてこないとも限らない。何しろ捕まったら最後、戦犯として確実に腹を切る事になるのだから。
わしの護衛として共に居るのは全部で十騎。その内、わしより馬の扱いに長けた護衛の侍二人を先行させている。あとは横や背後からの攻撃に備え、わしの回りを守りながら、並走している。わしの中では危険な速力でも、こやつらには余裕のある速力なのだろう。手綱を上手く捌きながら、一定の距離を保っていた。
そんな中、何とか見える距離を保ちながら先行していた二騎が、ふと消える。どうやら、道の曲がり目だった様だ。
その予想は正しかったらしく、少し進むと左へと道が曲がっていた。
が、
(……?)
曲がった先に、先行していた二騎が見えない。かなり先を行っている様だ。
(ったく!! 離れるなとあれほど命じたものを!!)
だから、日乃出に質で負けるのだっ!と、舌打ちしつつ、他の護衛に先行した二騎の様子を見てこさせようと後ろを振り返る。
「……ん?」
感じる違和感。なんだ? 何が引っ掛かる?
護衛たちは、振り向いているわしを見て、不審がっている。その様子は何も感じてはいない様だ。
(……気のせい、か?)
戦の準備など、ここのところの心労と、何より失敗の報告のせいで、疲れが出たのかも知れん。それに暗闇の中での慣れぬ逃走劇も影響しているのかもな。
改めて前方を見ると、うすやみの中にぼんやりと二騎の騎馬が見える。
(やっと、こっちに気付いたか。馬鹿共が!)
きっと、一刻も早く逃げたいという気持ちがそうさせたのだろう。その気持ちは解るが命令違反だ。しかもわしを置いて逃げるのだから、こっぴどく叱ってやらなければな。
「ったく! おい、行くぞ!!」
一緒にその場に止まっていた他の護衛に、声を掛ける。その時、振り向いたがまた違和感を感じた。
——いや、違和感なんかではない!はっきりと解った——
「——なっ!?」
合わないのだ、数が!
足りないのだ、騎数が!!
「ど、どうして!?」「一体何が!?」「おい!あいつはどこだ!?」
わしの驚愕の声に、その場に居る他の護衛たちが、やっと状況を理解する。
そう、八騎居た護衛が、今は六騎しか居ないのだ。残りの二騎が文字通り消えていた。
その時!
ガササッ!
「何奴!?」
道端の草むらが大きく揺れ、草むらの近くに立っていた護衛の一人が持っている槍を問答無用で突き入れる。
「——むっ? 特に手応えが——」
と、そこまで言うと、突然突き入れた槍が引っ張られ、護衛の侍もろとも草むらへと引きずり込まれる!
「な、なんだ!! ……グッ!? ……」
引きずり込まれた直後は護衛が抵抗したのか、草むらが大きく揺れ、争うような音が聞こえたのだが、呻いたかと思うと
何の音もしなくなった。
「ヒッ! ヒィッ~!?」
「!? 執政様、お待ち下さい!!」
十中八九、日乃出の追っ手の仕業だ! いつの間にか追い付かれていたのだ!!
乗っていた馬の腹を蹴り付けて、急ぎこの場を後にする為、馬を走らせる。
暗闇なぞ気にせん。捕まったら確実に命は無いのだから!
「執政様、お待ちを!!離れると危険で御座います!!」
護衛の侍が制止を促してくる。
「えぇい! お前たちは追っ手をどうにかせぃ!! わしは先行している二騎と先に行く!!」
そうだ、こいつらに追っ手の相手をさせている間に、わしは逃げ切るのだ!
「執政様!!」
しつこく制止を促す護衛を尻目に、先に居る二騎の護衛の元へと急ぐ。わしの後ろからは、剣を交える音が響いてくる。やはり、日乃出の追っ手だった様だ。
すでに薄明かりも無くなり、暗闇に包まれた街道の中を走るのは心に悪い。が、逆に言えばこの暗闇の中ならば今この時を乗り越えれば、逃げ切れる勝算がある!
やがて、先行した二騎の元に辿り着く。これで、後ろの護衛が時間を稼いでくれれば、逃げ切れる算段がつく!
(もし、追い付かれてもこの二騎を囮に使って、何とかわしだけでも!!)
——だが、わしはこの時点で気付くべきだったのだ——
追っ手が何故、最初からわしを狙わなかったのかを。
追っ手が何故、簡単にわしを逃がしてくれたのかを。
そして何故、この先行した二騎は、わしらが襲われているのに戻って来なかったのかを。
「はぁ、はぁ、おい、行くぞ! お前ら、わしをしっかり守れよ! そうしたら、先に行き過ぎた事を不問に致す!!」
暗闇で顔がしっかりと見えないが、先行した護衛の二騎だと思い命令を下した。
だが、何故か二騎の侍は馬から降りて、わしの元へと歩いてくる。
「おい、どうした!! さっさと馬に戻ら——」
「うーん、五月蝿いおっさんっすねー」
明らかに護衛の侍では無い、若い女の声にわしは言葉を失う。「いやー、この道を張っていて良かったっすねー」などと言っている事から、間違いなく日乃出の追っ手だ。
(ど、どうする!? どうすれば切り抜けられる!?)
焦る気持ちにさらに追い打ちを掛けるかの様に、若い女は持っていた刀をわしに向けてきた。
「ヒッ!」
「お前が西宮の執政、奈乃境ゴンゾウっすね?」
若い女の誰何に、わしは首を横に振る。
「違う!!わしはそんな名前では無い!!」
「ん~? じゃあ、何処に居るんすかねー?」
「ししし、知らん! わしはそんな奴は知らん!!」
ここはしらを切る事にしたわしは、ガバッと土下座をすると、訴える。
「わ、わしは、西宮の老将の一人、加藤ミマサカと申す!! 今回の戦の結果を、国におわす殿に御知らせする為の道中じゃ! た、頼む! わしを行かせてはくれまいか!? 後生じゃ、頼む!!」
今回の戦で戦死した、憎き加藤の名前を名乗り、咄嗟に出たとは思えないわしの完璧な言い分に、若い女は「うーん……」と悩んだ声を出す。
(ここはもう一押しじゃ!)
わしはガバッと顔を上げ、暗闇の中でもはっきりと判る赤茶色の具足にすがり付きながら、
「頼む!——そうじゃ! 名を教えてはくれまいか!? わしが無事に西宮へと帰還した暁には、後日、殿自らの礼状をお届けしようでは無いか!? もちろん、少なくない謝礼もお付け致す! どうじゃ!?」
わしが出した条件は悪くない筈だ。普通なら敵将を討ち取ったり捕虜にすると、大概自分が仕える君主から良くやったと称賛され、報奨が与えられるのだがそんなに多くは無い、他の仲間との戦勝の祝い酒で消えてしまう位の微々たるものだ。
国によっては多少の増減はあるだろうが、倹約家として有名な橘家じゃ。そんなに多くはない筈である。
そんなわしの推測が正しかった事を証明するかの様に、若い女の侍は明らかに悩んでいる様で、
「う~ん、それは魅力的っすね~」
と、身悶えしながらチラチラとわしの顔を見る。
(フッ、解っておるわ)
若い女の侍が言いたい事を理解したわしは、赤茶色の具足から手を離し、再び土下座しながら、
「無理な事を御願いしておるのは重々承知しております。——ならば、わしの、加藤家に代々伝わる宝剣もお付け致そう!! それで、御願い致す!!」
西宮で、一二を争う歴戦の武将である加藤の名は、日乃出でも知れ渡っているはず。そんな名家の宝剣と言えば、かなりの値打ち物だ。誰でも食い付くに違いない!
「!? おぉ~~!! そ、それは本当っすか~~!?」
若い女の侍も例外無く食い付いた。これはもう、作戦は成功したも同然!
「命よりも大切な家宝であるが、殿を、西宮の未来を守る為ならば惜しくはない! 約束致す!!」
「!!! 解りました!! この石塚、そなたをここで見ていません!!」
「!? 良いのですか!? 」
「良いのです!! 何の問題も有りま——」
ボカッ!「痛っ~~!!?」
「問題だらけだ、馬鹿者が……」
若い女の侍がわしを通そうとした時、下馬したもう一人の侍が、その頭に拳骨を落とす。
女の侍よりかは歳が上の、黒染めの鎧を身に纏ったその侍は、顔を上げたわしを睨み付ける。
「友人の部下を誑かすのは、止めて貰えないだろうか」
抑揚の無い声。だが、そこには有無を言わさぬ迫力が込められていた。
わしは再三土下座をし、男の侍に訴える。
「そそそ、そなたにも報奨をご用意致そう! 加藤の宝剣はそちらの石塚殿に差し上げる約束をしたので……、おぉ、そうだ!!殿に進言して、そなたには西ノ宮の五宝剣を差し上げたいと思うが如何か!?」
わしは切り札を出す。【西ノ宮の五宝剣】といえば、その昔、西ノ宮の建国に携わった侍が所持していたという、国の由緒ある宝剣だ。同じ様な歴史を持つ宝剣は、日乃出にも東雲にもあるが、それぞれ持ち主は決まっている。有名な所では、日乃出の宝剣は両将軍が保持していると聞く。
こんな所まで追っ手として送り込まれたという事は、恐らく軍の中でも下の方の役職、……いや、役職すら無いただの一兵の可能性もある。そんな雑兵が見ることすら難しい宝剣を、わしを見逃せば手に入れる事が出来る。こんな旨い話は無い!
「えー!? 寅さんだけ良いなぁ……」
「……」
若い女の侍が嫉妬してしまう程の破格の報奨だ。間違いなく、この男は堕ちる!
———だが、
「……ふっ」
——嗤った。そう、嗤っただけだ。わしを小馬鹿にする様に……。
そして、腰に差していた刀を抜いて、土下座で地面に付けている両手の間の地面に突き刺す。
「ひ、ひぃ~~!?」
余りの出来事に尻餅を突いたわしに、その男は優しい口調で、
「加藤さんとやら。この刀、どう思う?」
と質問してきた。
「ど、どう思うと言われましても……」
四つ這いになって恐る恐る刀に近付いていく。
「は、拝見させて頂きます!」
そして、地面に刺さっている刀をまじまじと見てみた。
「——こ、これは!?」
暗闇でもうっすらと光る刀身には、綺麗な杢目肌、鍔や柄も趣向を凝らした贅沢な作りになっている。間違いなく、業物だ。
わしの反応に満足したのか、男の侍は、
「お、 解るか!? さすがは西宮の加藤殿だな!」
と嬉しそうに話す。
わしの目に狂いが無ければ、目の前のこの業物は日乃出に伝わる三振りの宝剣の内の一振り、〈備前盛景〉で間違い無い筈だ。
確か〈備前盛景〉は、日乃出の宰相である一条家が所有を許されている太刀。
しかし、一条家の跡継ぎである一条カズヤは、わしの計略により謀反を謀るも暴かれ、その罪で捕まって居る筈である。
ではこの男は一体誰で、何故〈備前盛景〉を持っているのか?
そんなわしの疑念が顔に出ていたのか、男の侍は地面に刺さった太刀を抜いて、一つ振るうと鞘に納めた後、
「何で俺がこの刀を有しているのか疑問に思っているな? ふむ、良いだろう。教えて差し上げよう」
そして、四つん這いで顔だけを上げていた、わしの目線の高さに合わせる様に座り込むと、笑みを浮かべて、
「借りたんだよ、本来の持ち主にな。タカノリの馬鹿を止める為に必要だったからな。だが、シンイチが来て成瀬とやりやがったから必要無くなったんだが、返す機会が無くてな」
と、まるで友にでも話す様に気さくに話しているが、その内容はとてもじゃないが聞き捨てならない!
それは、若い女の侍も同じだったらしく、
「え、え、え!? タカノリ様を馬鹿扱い??? 隊長を呼び捨て???」
と、むしろ、わし以上に混乱している。
だが、わしを狼狽えさせたのはそこでは無い。
(———成瀬を止める———、だと!?)
確かにこの男はそういった。という事は、この男は西夷将軍である成瀬と同等の力が有る、という事だ。
(マズい、マズい、マズい~~!!)
噴き出した汗がこの男にバレない様に俯く。
(この男は危険過ぎる! 直ちにこの場から逃げなくては!!)
必死に頭を絞る。この場から逃げ出す算段を考える。しかし、無情にも何も浮かばない。
「むむっ? 加藤殿、汗が凄いですな? どこかお体の具合でも?」
「!? い、いえいえ、お気使い無く!!」
「そうですかー。あ、そういえば」
「!!?」
男の侍が何かを思い出したのか、「参ったなー」と、後頭部に手を添えたかと思うと、
———ザシュ!
「「……え?」」
何時抜いたのか、抜き身の〈備前盛景〉が、地面に付いていたわしの右手に突き刺さっていた。いつ刺されたのかも判らない。気付けば刺されていた。若い女の侍も気付いていなかった。
「うぎゃ~~!!?」
「——喚くな、下衆が」
痛みに意識が傾く中、心が凍り付く様な底冷えのする声が耳に入る。
「ななな、何故、こんな事を~~!!??」
理由が分からず、痛みに悶絶しながら男に聞いた。だが、男は何も答えない。ただ、わしの手に刺さっている〈備前盛景〉をぐりぐり弄っている。
「痛い、痛い!! 止めてくれっ、頼む~!!」
歯を食い縛り、痛みに耐えながら男に懇願すると、〈備前盛景〉を弄っていた手を止めて、わしを睨む。
「俺はよ、加藤殿を知っているんだよ」
「——えっ?」
「昔、国を離れて放浪した時に、加藤殿と出会った事があるんだよ。その時かなり世話になったんだわ」
「———!?」
何という事だっ!? まさかあの加藤のジジィと、この侍が知人だったとはっ!?
「……わしが加藤だと? 貴様みたいなヒキガエルが加藤殿を騙るなど、おこがましいわっ!!」
「ひぃっ!!?」
最早殺意が籠もった鋭い目でわしを睨み付けた。
「貴様が何者かなんて、最初からお見通しなんだよ! 観念してお縄を受けろ!」
「くうっ!」
ここまで来て、捕まる訳にはいかん!!
(何か無いのかっ!?)
すると、相変わらず、わしの手に〈備前盛景〉が刺さっている。
(———!! これだ!!)
痛みに苦しむ素振りを見せながら、慎重に睨み付ける男の侍を見る。普通なら脇差を差している筈なのだが、この男は脇差は差していない様だ。と、いう事は丸腰という事。
「———っ!! 死ねぇ!!」
手に刺さっていた〈備前盛景〉を引き抜き、ケガしていない左手に握って、男に斬り付ける。
男は反応しない。わしの行動が意外過ぎて反応出来ないのかもしれない。
(殺れる!)
このままこの男を殺し、若い女の侍を誑かして、この場を逃れてやるのだ!
だが、
「やれやれ、思った通りかよ……」
瞬間、
ドガッ!!
「うぐぅ……」
腹に衝撃が走る。痛みを感じる暇無く、意識が薄れていく。意識が落ちる前に聞こえてきたのは、
「安心しな、今は斬りやしない。一条様に怒られるからな。 あぁ、それから、加藤殿は生きているぜ。俺が匿って加藤殿が死んだと嘘の情報を流しただけさ」
(……ち、く、しょう、め……)
そして、意識を失う。それはこの戦の終わりを意味していた。