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 △ ユウ視点   △



「とにかくあいつに勝たないと。今はそれだけを考えましょう」

「——分かった」


 意識を失っている間に何があったのかは分からない。ただ、一つだけはっきり言える事がある。それは、あの着物姿の男が放つ殺気が、とてつもなく恐ろしい程に大きくなっているという事だ。

 アカリが言っていた。あれは人間を止めた奴が行きつくモノだと。そんな化け物相手に、僕とアカリの二人だけで勝てるとはどうしても思えない。

 だが、僕の前に立ち、刀を構えて対峙するアカリの背中からは、どういう訳か自分達なら勝てるという、自信の様なものが窺えた。


(ほんと、意識が無い間に、一体何が有ったんだろう?それに、意識を失う前に聞こえた〈声〉は一体誰なんだ?)


 とても気になるが、今はそれどころじゃない。全てが終わったらアカリに聞いて見るとして、今はこの状況を何とかしなければ!


 杖を握り、魔力を練り始める。と、同時にアカリの髪がザワザワと蠢いたかと思うと、徐々に毛先から紅色に変化していく。【忌み子】化だ。

 着物姿の男から受けた攻撃のせいで、【忌み子】化が解かれてしまったが、その痛みも癒えたのだろう。まずは一安心だな。

 だが、アカリが再び【忌み子】になっても勝てる見込みは無い事は、意識を失う前の戦闘で判っている。

 あんな獣じみた姿になる前のあの男にさえ勝てなかったのだ。それよりも強くなっている今では、アカリ一人では絶対に勝てない。


(——僕が、僕が何とかしないと僕達は殺される)


 僕がしっかりしなければ、勝ち目は無い。


(でも、今のあいつ相手に何が出来る!?)


 そう、着物姿の男がああなる前に、すでに〈ライティング〉と〈ウィンド〉による目眩ましは躱されたり、効かなかった。化け物へと成り下がったあいつに同じ手が通じるとは到底思えない。


「殺す!殺してやるゾォ!!」


 口から泡を吹き飛ばしながら、物騒極まりない言葉を口にして、体勢を低くした着物姿の男は、今にも襲い掛かってきそうだ。

 しかも、そいつが見ているのは、認めたくは無いけど、どうも僕っぽい。殺気の籠った視線が、アカリ越しに僕に突き刺さってくる。それだけで戦意を失いそうになるけれど、


「させないわ」


 庇う様に立つアカリを前に、情けない所を見せたくは無い。それが男の意地ってもんだ!

 その僕の意気に応えたかの様に魔力が練り上がった。


(何だ!何が通じる!考えるんだ!)


 目眩ましの類いは通じないと考える方が妥当だ。だとしたら……攻撃魔法!

 だけど、使える攻撃魔法は慣れない〈ファイヤーボール〉だけ。【レベルアップ】した僕なら問題無く発動出来る。だけど。


 そんな弱気な気持ちになったのが悪かったのか、


「死ねェェェ!!」


 獣の吠え声の様に叫んだ着物姿の男が、刀を振り上げたまま、矢弾のごとき速さで飛んでくる!!狙いは、僕だ!!


「させないっ!!」


 直ぐ様、射線上に割って入るアカリ。腰を落として、奴の攻撃を受けようとするも、


「ジャマだぁァァァ!!」

「きゃあっ!!」

「アカリっ!」


 着物姿の男がアカリを振り払う様に横薙ぎに刀を振るうと、激しい剣風を起こしてアカリを弾き飛ばす。

 吹き飛んだアカリを心配するも、人の心配をしている場合では無かった。

 アカリを吹き飛ばした着物姿の男が、僕目掛けて突っ込んできたからだ!


「死ネェェァァ!!」

「ひっ!?」


 発する言葉すらもおかしくなってきている着物姿の男が、僕に刀を叩き付ける様にして振り下ろす。

 恐怖のあまり、魔法を唱えることが出来ず、咄嗟に練った魔力をそのまま解放した。

 魔力は魔法で形を与えないと何の力も生み出せない。そう僕は学校で教わっていた。それは世界の常識だと。

 だが、


「ムゥ!!?」


 振り下ろした刀を途中で止め、空いている手で顔を守る様に覆うと、肉食獣の様な俊敏な動きで跳び退いて行く。


(退いた……?)


 何が起きたのか分からないけれど、取り敢えずは助かったけれど、恐怖でその場にへたり込みそうになる。が、気持ちを奮い立たせて吹き飛ばされ、仰向けに倒れているアカリの元へと向かう。


「アカリ!」


 声を掛けると、


「痛たた、もう!か弱い女の子に何て事するのよ、アイツはっ!!」


 すぐさま起き上がり、そう悪態を吐く。良かった、大した怪我は無さそうだ。


「大丈夫か、アカリ」

「えぇ、大丈夫よ! それより、思った以上にアイツは危険だわ! 刀を振った剣風であの威力よ。まともに打ち合ったらどうなるか……」


 そう溢すアカリの頬に冷や汗が流れる。


「そんなにかよ……」


 アカリの言葉に息を呑んだ。

 アカリの攻撃は往なされ、僕の目眩ましは通じず、アイツの攻撃にはまともに打ち合えないとなると、こちらの打つ手は無い。まさに詰んでいる様な状況に意気消沈していると、アカリが僕の顔を覗き込む様にみていた。


「——な、なんだよ!?」

「ユウ、あなた何したの?」

「はぁ?」


 アカリが言っている意味が分からずに、思わず素っ頓狂な声を出してしまう。

 が、構わずアカリが再び訊いてきた。


「そのままの意味よ。あなたに向かって行ったのに、突然飛び退いたのよ?あなたが何かしたとしか思えないじゃない」


 言いなさいよ、とアカリが僕のおでこを小突いた。

 が、そうはいっても心当たりは無い。ただ魔力を放っただけなのだから。


「何もしていないよ!ただ、練っていた魔力を放っただけだ」


 小突かれたおでこを擦りながら、抗議する様に声を大にして訴える。

 だけど、


「魔力を放った……」

「……?」


 アカリは顎に手を当て、考え込む。僕の言った言葉の何が気になったのだろう?


「……アカリ?」

「……そうか!獣そのものなんだ……」

「ちょっとアカリさん?」

「良い、ユウ!!」

「はいっ!?」

「? 何をそんなに慌ててるのよ? まぁ、良いわ。それより聞いて!アイツを倒せるかも知れないわ!」

「!? ほんとに!?」

「えぇ。と言ってもその手掛かりを見つけたかも知れないって程度なんだけど」

「それでも良いよ! で、その手掛かりって一体?」

「今のアイツは人間を辞めてるって言ったわよね? でも、それは人間じゃなくなったって事じゃなくて、人間としての理性を失ったってことなの。ここまでは解る?」

「あぁ、何となくだけど。それで?」

「ほんとに解ってる? まぁ、良いわ。それでね、理性を失ったって事は、考える事も止めたって事なの。つまり、アイツは本能のまま動いているって訳なのよ!」

「……で?」

「っもう! だから、アイツは動物なのよ。獣そのもの。だから、さっきユウが魔力を放った時、アイツはそれが何か分からなかったから、逃げたのよ。本能的に危険を察知してね」



 頬を膨らませながらも説明を続けるアカリ。だが、その推察は実に的を射ていると思う。


「つまり、普段なら自分の経験で大丈夫か、そうでないかを判断する所を、本能でしか区別していないのよ。大した事の無い事にでも、判断が出来ないから過剰に反応してしまうって訳」

「過剰に反応……か」


 その推論は正しいと思う。何の攻撃力も無いただの魔力を、着物姿の男はあそこまで恐れたのだから。


「良い、ユウ。たぶん私の攻撃はあいつには当たらないわ。それは本能とかの問題じゃなくて、普通にアイツが強いから。虎や獅子に人間が勝てないのと同じ道理」


 まぁ、私なら良い勝負出来るけどね、と何故か腰に手を当てて胸を張る。


「強ければ勝てるんじゃないか?」

「圧倒的に強ければね。でも、普通の人はそこまで強くはなれないわ。シンイチ様や成瀬様は別格だけど」


 そこで、シンイチさんと成瀬さんの方に目を向ける。

 追うようにして僕も目を向けると、いつの間にか戦いを終えた二人は、ボロボロになりながらも肩を貸しあい何とか歩いて、お殿様や宰相様の方に向かっていた。


「だけど、ユウは別。正確に言えば、ユウの使う魔法は別なのよ。だってこの世界には無い力なんですもの。獣は自分の知らない物には過敏になるのよ」


 いつの間にか僕に視線を戻していたアカリが僕を指差す。


「ユウ、アイツに勝つにはあなたの力が絶対に必要よ。アイツとの戦い、あなたが命運を握っているって訳」


 解った?と首を傾げるアカリ。だけど、僕はあまり聞こえていなかった。


(なんて言った? 僕が命運を握るって言わなかったか?)


 今まで生きてきた中で、そんな事を言われた事なんて一度もない。せいぜい、カズヤの謀反の証拠を録るための〈レコーディング〉の時に、ちゃんと頼むわよとアカリに言われた位だ。それだって、当時は魔法は僕しか使えないから仕方なかった事だし。

 僕よりもよっぽど強い人間から頼られるなんて、初めての経験である。


「ち、ちょっと待ってよ! そんな重要な事、僕には無理だよ! ――そうだ! アイツが知らない事をすれば良いんだろ!? なら、アカリの技の中で、アイツが知らなそうな技を出す方が、勝率は上がるんじゃないか!?」


 アイツが知らない技を繰り出せば、本能で戦っているというのなら、牽制で引っ掛かればと、必死にアカリに提案してみる。

 だけど、


「ユウ、あなたの言いたい事は解るわ。でもね、私の持っている技の殆どは、刀を使うものなの。という事は、侍であるアイツが知らない、予測も付かないなんていう事はたぶん無いわ。刀を使う以上、アイツの予想を超える事は出来ないわ」

「そんな……」


 アカリの言葉に凍り付いてしまった。もう僕が何を言ってもアカリの考えは変わらないと思ったからだ。

 突如襲い来る重圧。決して慣れる事は無いこの緊張感は、僕の居た村を焼き滅ぼした絶望(ザファング)の目の前に立った時に味わった以来かも知れない。

 あの時はサラや母さん、アーネの命を、今はアカリの命が僕に掛かっている。

 そう思うと膝が笑いそうになる。今すぐにでもボロボロに傷付いているシンイチさんや成瀬さんに泣きつきたい。なりふり構わずアカリを説得して、考え直させたい。

 だが、そんな事は出来ないと解っていた。どんなに泣き言を言った所で、アカリが言った事が正しいと解っているから。

 俯くと剥きだしの土が目に入る。僕が失敗すれば、僕はおろか大切な相棒であるアカリまで、この地面に血を流す事になる。血だけでは無く命を落とすかもしれない。



(そんなのは絶対に嫌だ!) 


 ――そうだ。僕はアカリを死なせたくない。こんなにも僕を信じてくれた人を死なせたくは無い!


 ———ポゥ……。


 フッと、心に何かが宿る。

 それに名前を付けるのは難しい。

 でも、僕はそれを何か知っていた。だって、今までもあったから。


 ——それはサラにお兄ちゃんらしい所を見せようとした時。

 ——それはスライムと戦った時。

 ——それはアカリを相棒と認め、守ろうと決意した時。


(あぁ、そうか……)


 判っていた。これが何なのかを。解っていた。この後僕がどうするかを。


 その時、知らずに固く握っていた手に何かが触れた。

 ハッとして顔を上げると、アカリが僕の手を握りながら、顔をじっと見つめて、


「大丈夫よ。何があっても私はあなたを信じてる。もし万が一失敗して死んじゃったとしても、私は後悔しないわ。あなたを信じた結果だもの」


 そう言ったアカリは、花の様にフワリと微笑む。その眩しさは向日葵の様だ。

 見惚れる。それしか出来なかった。


「な、何よ!? 言っておくけど、簡単に殺されたら、化けて出てやるからねっ!?」


 だからしっかりしなさい!と、顔を真っ赤にし、それを誤魔化す様に僕の背中をバンッと叩く。


(……まいったなぁ……)


 お見通しなのだ、彼女には。僕が弱い人間である事なんて。情けない人間である事なんて。

 それでも信用してくれたのだ。僕しか出来ないから、では無く、僕だから信じてくれたのだ。


 —ボワッ!


 完全に火が点いてしまったこの名も無き感情は、すぐにでも彼女の力になれとせっ突いてくる。


(解っているって)


 前を見る。もう下を見ない。下には何も無いのが解ったから。前にしか、アカリに応える場所に答えはあると解ったから。

 杖を握る。それで良いと褒められている気がした。それも何故か父さんに。不思議である。


(もう大丈夫だから)


 滅多に表面に出て来ない、この持て余し気味の名も無き感情。いや、“男の矜持”にケリをつけ、為すべき事を考える。

 その僕の顔を見たアカリは、「……うん」、と小さく頷いて、僕の前にスッと立つ。


「アカリ?」

「勘違いしないで。別に守って欲しい訳じゃないわ。ユウが為すべき事をする様に、私も為すべきことするのよ」


 そう言って、チャリっと刀を正眼に構える。


「あなたの魔法が完成するまで、私の意地に掛けても邪魔はさせないわ!だからお願い。アイツを倒せるやつ、頼んだわよ!」

「……分かった」


 頷いて、魔力を練る。瞬間、今までに無いほど魔力の昂りを感じた。今ならどんな魔法でも使えると思ってしまう位だ。


「キ、危険なヤツ!コ、コロスゥゥ!」


 遠巻きに僕たちの様子を探っていた着物姿の男が、練り始めた魔力に反応して、また吠え始める。さっきよりも言葉が怪しくなっているのは、気のせいじゃないよな?


 着物姿の男は四足歩行の動物の様な格好でこちらを窺っていて、唯一地面に触れていない刀を持った手を浮かせて、刃先を僕に向けながら、まるで何かの機会を測る様にユラユラと揺らしている。着物姿の男が、得体の知れない僕の魔力を恐れるのと同じ様に、着物姿の男の、何をするのか読めないその様子は僕を脅えさせるには充分だ。


 だけどそれだけ。必要以上に脅える必要は無いのだ。アカリの期待に応えようとするこの気持ちは、脅える気持ちよりも大きいのだから。


 そんな気概を胸に秘め、目を瞑り練り上げた魔力をどの魔法を使うか考える。


(恐怖心は本能に近い感情なんだよな。本能……、獣……、恐れる物……)


 僕の知っている獣は、家の近くの森でした狩りで仕留めた動物たちだ。その狩りの時、何をしていたのかといえば、弓矢や剣、魔法や罠で捕まえたり殺したりはしたけど、それを恐れていたとは考えられない。むしろそうした動物たちは、僕たち人間を見るだけで恐がって逃げ出したり、表に出て来なかったりする。


(もっと、根本的な何か……)


 動物だけじゃなく、人間にも本能はある。じゃあ、僕は何が恐いのだろう?死ぬ事、傷付く事、飢え、暗闇……。


(——あ、そういえば!)


 暗闇で思い出した。

 あれはまだ一人ではろくに狩りが出来なかった頃、良くアーネのお父さんとアーネと一緒に、森の中で狩りをしていた。その日は森の奥まで行ったから、途中で野宿する事になった。

  深い森の中は夕方過ぎなのに光さえも届かない位薄暗くて、アーネと二人、その暗闇から何かが出てくるんじゃないかってビクビクしていたっけ。

 そんな中、アーネのお父さんが森の中から枝木を拾ってきて、生活魔法で火を点けて焚き火をした。

 その灯りを見て、僕もアーネも心底ホッとした時に、アーネのお父さんが、


『良いかい?夜の森で一晩過ごす時は、火を絶やしちゃいけないよ。森の動物たちは火を恐れるからね。この森は魔物は居ないけど、それでも熊等の危ない動物も居る。そんな動物から身を守る為にも決して火は消さない事だ』


 と説明してくれた。

 僕もアーネも、見ているだけで落ち着くこの火が、動物たちを恐がらせるという事に驚いた。でも実際、夜営した場所のかなり近くから遠吠えや唸り声は聞こえていたけれど、その夜は動物が襲ってくる事は無かった。何故かは分からないけれど、動物は火を恐れるんだ、不思議だなぁと幼心に思ったものだ。


(まさかその体験が役に立つなんてな)


 心の中でアーネのお父さんに感謝しつつ、目を開けると練り上げた魔力に力を与える為、詠唱を開始する。イメージはその夜営時に見た大きな火。

 前までの僕なら、苦手な火属性の魔法は避けていたけれど、【レベルアップ】した事と、アカリの期待に応えたい思いの為か、失敗する気が全くしない!


「〈世界に命ずる〉!」

「オ、オ前だけハ~~!!」


 僕の詠唱に反応した着物姿の男が、四つん這いの状態から、打ち出された矢の様な速さで僕に迫る! 僕の魔法を妨害する為、そして、僕を殺す為に。

 だが、僕の前には紅い髪の頼れる相棒が在る!


「シッ!!」


 正眼の構えから刀を突き出す様にして、流れる様に刀突を放つアカリ。その速さは今まで見た中で一番の速さだ。僕が魔法を使うまでの時間を絶対に稼ぐという、アカリの意地の一撃。


「—クッ!?」


 その刀突の切れが予測を上回ったのか、受けずに回避する着物姿の男。結果、回避した事によって時間が掛かり、僕に攻撃するのが遅れた。

 アカリの意地が生み出した時間。それはほんの数秒。だけど今の僕にはその数秒で充分だ!


 目の前に構えた杖に魔力を通す。僕の魔力を受けて微かに光り、魔力が魔法へと昇華していくのを手助けしてくれる。そして徐々に杖の先に熱が集まり始めた。


「グガァァ!!」


 その熱を本能で感じ取ったのだろう。着物姿の男は地面を深く抉りながら加速する。

 が、もう遅い!

 魔力を最大まで乗せ、最後の詠唱が紡がれる。


「〈火を生み出し飛ばせ! ファイアボール〉!!」


 ——瞬間。


 ——ゴオゥ!!


 今までに見た事も無い様な大きさの火の玉が、杖の先に生まれる。

 前までの〈ファイアーボール〉が拳大だったのに、今、杖の先で轟々と燃える火の玉は、家の近くで狩ったイノシシ位の大きさだ。その余りの大きさに、僕の方が尻込みしてしまう。だが不思議と熱さは感じない。ゴウッ!と火が渦巻く音はするけれど。


「う、うぁ……」


 いつの間にか目の前まで迫っていた着物姿の男が、その大きな火の玉を見て、怯えた声を上げる。この世界にも火はある。屋敷の台所でも見たし、部屋の行灯という照明の中にもロウソクに灯った火を見たし、今もこの本陣の陣幕内にかがり火が見える。

 普段の生活で火を見慣れているにも関わらず、この魔法の火に怯えているのだ。

 おそらく、ここまで大きな火を見た事が無いのだろう。そして、何も無い所から突如として現れた事も。


「す、すごい……」


 アカリも〈ファイアーボール〉を見て驚いている。アカリも同様に、ここまで大きな火を見た事が無いんだろうな。


「ユウ! 凄いじゃないっ!! これならアイツも倒せるわ!!」


 興奮したアカリのキラキラした目。まるで、新しいおもちゃを見つけた子供みたいだ。お姫様である女の子が、〈ファイアーボール〉を見てその目をするのはどうかと思う。

 けど、気持ちは解る。僕も、多分キラキラした目をしているんだろうな。

 何せ、苦手だった火属性の魔法が一発で成功、さらに今までに見た事が無い程の大きさとくれば、男の子なら興奮しない理由は無い。


 アカリの言葉に賛同した僕は頷いて、杖の先を着物姿の男に向ける。


「ヒッ!?」


 四つん這いだった男は腰を抜かしたかの様に尻餅を付きながら後ずさって行く。

 その目は完全に怯えていて、すでに戦意を失っているようだった。


(……もう、良いんじゃないか……)


 ここまで怯えている相手に、〈ファイアーボール〉をぶつけなくても、もうこの戦いは終わっているんじゃないのか? わざわざ傷付けなくても、このまま捕まえてしまえば良いんじゃないか?


 僕は人を傷付けた事はあっても、殺した事は一回も無い。

 杖の先でゴウッと燃え盛るこの大きな火の玉は、直撃すれば確実にその人の命を奪い去る事が出来る。その位の威力はあると確信出来る。

 そんな物を、すでに戦う事を放棄した人間に撃ち当てる事が果たして正しいのか……。


(——殺せない、僕には人は殺せない……)


 杖の先を、着物姿の男に向けたまま躊躇う僕の耳に、


「……ユ、許しテ……」


 音が、いや、声が聞こえる。

 それは、後ずさる着物姿の男が発した声。


「ごめんなサイ、ご免なさイ」


 首を振り、目を見開きながら、僕に向けて謝ってくる。その目にはうっすらと涙が浮かんでいる様だ。

 発するその言葉も、理性が戻りつつあるのか、人間らしいものに変わりつつある。


(……もう、良いよな)


 着物姿の男に向けていた杖先を、スッと男から外す。


(これで良いよ。これ以上、誰かが傷付く事も無いんだから)


 ホッとした途端、アカリの慌てた声が耳に入る。


「——ちょっと、ユウ! どうしたのよ!?」


 そんなに距離は離れていないのに、どうやらアカリには着物姿の男が発した謝罪が聞こえていなかった様だ。

 アカリからすれば、僕が勝手に戦いを止めたと思ったのだろう。


 僕はアカリに目を向けて、説明する。


「……もう、良いんじゃないのかな。この人も、すでに戦う気が無さそうだよ」


 確かに、着物姿の男がやってきた事は、とても許せるものじゃ無いだろう。直接的では無いにしろ、この男の部下だった禿頭の男に斬られた金本さんは、いまだ意識が戻らず、生死の境をさ迷っている。

 それに、成瀬さんの弟を人質に取って、成瀬さんを苦しめた罪もある。

 だけど、それだって、誰かに頼まれたからなのかも知れない。宰相さんが言っていた、敵の本陣に居る奴の命令で動いていただけかも知れない。

 そう考えると、体勢を変え額を地面に付けながら、いまだに小さな声で謝り続ける男に対し、僕の中で可哀想と思う気持ちすら芽生えていた。


「ユウ? ちょっとあなた、何を言ってるよ?」


 アカリの声が、不審のあまり平淡になる。


「ご免なさい、ご免なさい……」

「……捕まえて、もう終わりにしようよ。後の事はお殿様たちに任せて——」

「——ごめん、ナサイッ!!」


 突然、頭を下げ謝っていた着物姿の男が、地面に置いた刀を握り締め襲い掛かってきた!


「———ユウっ!!」

「———っ!?」


 アカリの叫び声と同時に、ほぼ無意識の内に、杖先を着物姿の男に向けていた。


 ——そう、襲い掛かってきた着物姿の男が、大きな火の玉に突き進む様に——


 刀を握った手が、〈ファイアーボール〉に触れた。

 途端、杖先の炎が男に襲い移る!


「ヒェッ!!」


 すぐさま腕を引くが、一度移った炎はまるで生き物の様に、少しずつ杖先から手腕へと伸び、さらに肩を覆う。


「ヒッ!ヒィッ!!」


 目を見開き、取り乱した着物姿の男は火を消したいのか振り落としたいのか、火がついた腕を大きく振るが、火の勢いは一向に変わらない。

 それどころか、杖先から男へと移っていく火の量が徐々に増し、肩から全身へと回ろうとしている。

 刀を落とし、手で火がついた場所を消す為に叩くが、全く消える様子は無い。


「火!火!火ぃ~~!!」


 そして、杖先にあったイノシシ大の火の玉は全て着物姿の男に燃え移り、全身を包み込む!


「熱い!熱い!熱イ~~!!!」


 叫びながら倒れ、転げ回って火を消そうとするも、通常の火ならともかく、魔法で生み出した、しかも全身に回った火がそんな簡単に消える事は無い。


「うぎゃ~!! 燃える、燃える~~!!」


 手で顔を被い、転げ回るその体からはブスブスと煙が上がり、皮膚は焼け爛れている。


(このままでは死んじゃう!!)


 余りにあっけない、着物姿の男との戦いの幕切れに呆けていた僕は、その悲鳴で現実に戻る。そして、火を消して着物姿の男を助ける事を決意する。

 魔力で生み出した魔法は、基本的に魔力でしか消せない。それは生活魔法で生み出した火や風でも同じだ。

 例外的に、普通の大量の水を掛け続けるとか、地面の土で覆い被せるとかすると消えるらしいが、生活魔法で生み出した小さい火くらいなら、同じ生活魔法で生み出した水や風で簡単に消せるし、それが一番手っ取り早い。


 急ぎ魔力を練る。火を消す生活魔法なら、そんなに魔力は必要としない。簡単に練り上がる。


「〈世界に命ずる〉!」


 練り上がった魔力を杖に通しながら着物姿の男を見ると、すでに動き回らなくなってしまった。ピクピクとは動いているので生きてはいるが、早くしないと手遅れになる。


「〈風よ吹け!ウィンド〉!」


 詠唱が終わると、魔力を通した杖の先から、風の塊が生まれる。

 普段使う生活魔法じゃ杖なんて使わない。使わなくてもちゃんと発動するからだ。

 だけど、着物姿の男の全身に回った大きな火は、杖無しの普通の生活魔法じゃ消せないと思った。しかも水だと時間が掛かると思った僕は、魔法の風で一気に火を吹き飛ばそうと考えたのだ。


「はぁ!」


 杖先を火に包まれた着物姿の男に向けると、ゴオッと突風が着物姿の男に吹き荒ぶ。そして、突風が過ぎ去った後には、ブスブスと煙を上げるも全身の火が消えた着物姿の男が横たわっていた。狙い通りだ!


 急いで着物姿の男に駆け寄り、容体を確認する。


「うっ!? 酷い……」


 自分の魔法がした事とはいえ、あまりの酷さに顔を顰めてしまった。全身に亘る(わたる)火傷のせいで皮膚がボロボロだ。特に最初に〈ファイアーボール〉に触れた右腕が酷い。一部炭化している。


(取り敢えず冷やさなきゃ!!)


 そして、次の魔法を唱える。


「〈世界に命ずる。水を生み出せ。ウォーター〉!」


 最初に練った魔力に余剰があったのか、魔力を練らなかったのにも関わらず魔法が完成して、杖の先から真水が溢れ出した。

 ここまで酷いやけどならば、氷とかの方が良いのだが、氷属性は幻の属性と呼ばれていて、誰も使えない。サラでさえ無理だった。そもそも詠唱を誰も知らない。

 なので、ここは流れる水で冷やすしか無いのだ。


 まだ少し燻っていたのか、水を掛けるとジュワっと煙が上がる。肉の、髪の焦げる嫌な臭いに吐き気を催すが、我慢してとにかく全身に水を掛け続ける。


 すると、


「〈世界に命ずる。水を生み出せ。ウォーター〉!」


 着物姿の男を挟んだ反対側に影が出来たかと思うと、魔法を詠唱する。アカリだ。アカリは、手の平に〈ウォーター〉で生み出した水を、顔を中心に掛け始める。

 最初の時と同じ位の量の、チョロチョロとした水を掛けるアカリに顔を向ける。


「アカリ……」


 だが、アカリはかなり不機嫌な顔をしていた。怒っているといってもいい。


「アカリ?」

「……言いたい事は山ほどあるけど、今はこの男を助ける事に集中しましょう」

「……わかった」


 声にも棘が感じられるが、アカリの言う様に今はこの男を助ける事に集中しよう。


 そして、水を掛け続ける事数フン。


「……ぅ、……ぅぁ……」

「「!?」」


 着物姿の男の意識が戻ったのか、腕で庇っていて比較的火傷の具合が良い口から、微かな呻き声が漏れる。

 火傷の具合から、正直このまま死んでしまうと思っていた僕は、同じ様に思っていたアカリを顔を見合わせると、さらに水を掛けていく。

 そして、


「……う、うぐ……つぅ……」


 先程よりも遙かにはっきりとした声が口から出たかと思うと、薄っすらと目を開けた。


「……ぉ、俺……は……?」

「黙っていなさい。今、あなたを救う為に必死に頑張っているんだから」


 嫌だけどね、と付け加えるアカリ。


「……そ、うか……」


 掠れた様な声で答える着物姿の男。おそらくは熱で喉も火傷しているかも知れない。

 水を飲ませて、冷やした方が良いのかと悩んでいると、着物姿の男は開けた目を再び閉じる。

 そして、


「……もぅ、いぃ……」


 諦めの言葉を口にした。


 それに対し、アカリは怒鳴り気味に声を荒げ、


「うるさいわね! 黙ってやられるがままにしていなさい! あなたに死なれると、この馬鹿が要らない心労を抱えるのが目に見えているんだから!!」


 本当に面倒臭いわ、とアカリは僕を睨む。



「ご、ごめん……」

「……ふっ……」


 アカリに謝る僕に、微かに哂う着物姿の男。


「……ぼう、ず。気に……する、な……。お互い……、に……やりあった、結果……」


 男は何とかそこまで言うと目を開き、焦点の合わない目を空に向ける。


「……お、れは、むかし、……東雲、のさむ、ら……いだ、った……」

「「えっ!?」」


 思わぬ独白に、僕とアカリは驚いてしまった。


「え、何でよ!? あなたは西宮の刺客なのでしょう!?」


 〈ウォーター〉の水を掛け続けながら、アカリは質問する。


「……それ、は、……拾われ、たんだ……。あの方……に」

「あの、方?」


 僕の呟く様な疑問は聞こえなかったのか、それには答えずそのまま続ける。


「俺、と……妻……は、東雲……から、逃げ、たんだ……飢餓……から」

「「!?」」


 それは、カズヤの謀反の謀略をお殿様に訴える為にお城で行った合議での事。カズヤの謀略が明かされ、その後お殿様がカズヤに動機を聞いた時に出た言葉。当時、日乃出国が東雲国と小競り合いを繰り返していた理由について、


『うむ。のちに判った事だが、その年、東雲では何年に一度かの凶作でのう。東雲の民の多くは飢えに苦しみ、そして死んでいったと聞く。その結果、東雲と境を面する町や村が襲われる様になった。小競り合いの原因は、東雲の民たちが食料を求め暴徒と化した結果じゃ』


 そう言っていた。そしてその後、アカリの母親とカズヤの母親が殺されるという悲惨な事件が発生、その後の国の対応に不満を持った事が、カズヤが謀反を考える動機に繋がっていった。

 その飢餓の被害者がここにも居たのだ。


 着物姿の男が掠れた声で続ける。


「最初……は、日乃出……に行った……。侍……とし、て、雇わ、れるた……めに。だが、……無理、だ……った。門前、ば……らい、を……食らった……よ」


 当時を思い出しているのか、フッと微かに懐かしむ様に微かに吹き出す。

 だが、すぐに真顔に戻る。


「妻……に、話し……たら、しょうがない……と、笑って……いたよ。……その時……は、東……雲と、……日乃出は、……戦に……なり掛け……て、いたから……な」


 それについても聞いていた。たしかお殿様と宰相さんも戦に賛成していた位に、両国の関係は最悪だったと。そんな中、敵国の侍が来て雇ってくれと言った所で相手にされる訳が無いよな。最悪、殺されてもおかしくは無い。


「……だから、……妻……と、相……談……して、……西宮、に……行くこと、に、……決めた……のだ。……だが、……俺と、……妻は、碌に……食って、無くて……な。……西宮、……への、道中……、二人……揃って、倒れて……しまった」


 日乃出から西宮まではかなりの距離がある。この戦場まで来るのに、馬に乗っていたのにも関わらず、一昼夜掛かったのだ。徒歩で、しかも空腹状態ならば、途中で倒れるのも無理は無い。


「……目が……、覚めたら、……荷馬車……に、乗って、いた。……隣……には、妻……も居た。……息を……して、いな……かった……」

「「……」」


 男の話を聞きながらも、水を掛け続ける僕とアカリは何も言えなかった。以前、アカリにこの世界について聞いた事があって、その時の話では、まだまだ行き倒れやその日暮らしの人が多い事を挙げていた。「お姫様なら飢える事は無いだろ?」と軽い気持ちで言ったのだが、その時のアカリは神妙な顔をして、自分の想いを口にしていた。人々が日々安心して、平和に、飢える事無く暮らしていける様にする事が、この身分に居る自分の責任だという事。その実現について、自分は色々考えている事など、強い決意が籠もった目をして、語っていたっけ。

 だから、この男の奥さんが飢えて亡くなった事に、そこまでの悲しみを感じなかった。


 男は続ける。


「……悲しい……のに、……涙が……出な……かった。……泣く……体力も、無かった。……そして、……また、意識……を、……失った。……次に、……目を……覚ますと、……布団……に、寝かされて、……いたよ。……枕……元には、……水……差しが、あって……な。……気付けば……、その中……の、水を、飲みほ……して、いた……」


 そこでふぅと息を吐くと、目を瞑る着物姿の男。


「一息……ついて、……起き上がり、……周りを、……見ると、……そこは、……屋敷……の中……だった。……それも、……立派な。……程無く……して、……一人の……男が、……来た。……その方に、……命……を、……拾われた……んだ」

「……そいつが今、相手の本陣に居るのね……」


 男に質問するアカリ。 だが、それには答える事無く、頬にスッと涙を流す。


「……これで……。……返しまし……た。……ぅと、……また……」

「!? しっかりしなさい!!」


 意識を失いそうになる着物姿の男に、アカリが叫ぶ。


「……あぁ、……会いに……・来て……。……うん。……一緒……に…………」


 だが、それを最後に、着物姿の男が話す事は無かった。悲しい生涯を過ごした侍が最後に浮かべた顔は、火傷の痛みで苦しい筈なのに、長らく逢えなかった最愛の人に出会えたかの様な、とても柔らかいものだった。


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