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二つの修羅

 


 △ シンイチ視点   △


 対峙する成瀬の顔には、はっきりと焦りの色が見てとれる。

 それほど、俺がここに現れた事が予想外だった様だ。


(まあ、そうだわな)


 俺たち東夷軍を東雲へと遣わしたのは誰なのか。

 成瀬の顔色を見る限り、それは明白となった感がある。

 成瀬の考え、というより、少し離れた所でアカリ様とユウ殿と対峙しているあの侍、それか西ノ宮の企みと考える方が当たっている気がする。

 恐らくは、俺が不在の間に殿を討ち、日乃出を簒奪する腹積もりだったのだろう。


(ま、今は関係ねぇ)


 スッと、愛刀である〈備前兼光〉を正眼に構え、


「さて、成瀬よ。色々と聞きたい事はあるが、俺達に言葉は無粋。語るならコレしかねえよな」


 俺と成瀬は、それこそガキの頃から互いを知る間柄だ。

 日下部家も成瀬家も、代々侍を輩出してきた家柄で、自然と俺も成瀬も侍になるべく、日々修行に明け暮れ、切磋琢磨しあった。

 侍になったのも、殿から将軍位を賜ったのも同時期の、いわば競争相手だ。

 成瀬とは修行時代から何度も打ち合っていて、酒よりも言葉よりも刀を交わした方が圧倒的に多いだろう。

 だから、今奴が何を考えているのかを知るには、打ち合った方が伝わってくる。判る事もある。


 俺の言葉に、渋々といった感じで自分の愛刀、〈備前長光〉を脇に構える成瀬。


 俺の〈備前兼光〉と成瀬の〈備前長光〉は兄弟刀らしく、共に殿から賜った一振りだ。日乃出建国に尽力した侍の愛刀で、宰相の任に就く者が賜る〈備前盛景〉と並び、東西両将軍がその任に就く際に賜る。


「日下部、どうしてここに?」


 頬に汗を流しながら、成瀬が問う。


「コイツで語ろうと言った筈だが? ……まぁ良いか。殿の居られる本陣の場所を探していた時によ、ちょうどこの本陣の上空に見たことも無い、不思議な明るい玉が上がったからよ。そこに何かあると思って来てみたって所さ」

「……東雲はどうした?」

「あぁ、行ったよ。と言っても、国境の村までだけどな」

「嘘だ、東雲との国境から、この西ノ宮の国境まで、どの位の距離があると思っている。それこそ、不眠不休で——」


 そこで、成瀬は腑に落ちたのか目を閉じ、「成る程な」と呟いた。


「納得している所で悪いが、俺も聞きてぇんだ。……何が有った?」


 あれやこれやと質問を重ねた所で、奴の答えはある程度目に見えている。だから、ざっくりと本筋を訊いた。

 だが、成瀬はフッと口許を緩めると、


「コイツで語るのではなかったのか?」


 チャリッと成瀬の刀が鳴る。

 俺も釣られて軽く笑みを浮かべ、


「ったく、汚ねぇ野郎だな」


 そう毒づくと、笑みを消し成瀬との間合いを詰めていく。


「お前が勝手に喋ったんだろ?」


 成瀬も摺り足で間合いを詰めてくる。


 俺の〈備前兼光〉よりも一尺ほど刀身が長い成瀬の〈備前長光〉。

 それゆえ、少し離れたこの間合いは奴の領域である。


 ジャリ。


「———?!」


 成瀬の間合いに入った刹那、唸りを上げながら向かってくる逆袈裟。


 だが、その構えから初太刀は逆袈裟だと踏んでいた俺は、その逆袈裟を後ろに下がる事で難なく躱す。


「——甘い」

「!?」


 が、一歩踏み込む事により再度俺を間合いに入れた成瀬が、逆袈裟で通り過ぎた刀を返すと、今度は袈裟に斬り込む。


「むぅん !!」


 カイィィン!!


 かわせないと踏んだ俺は、成瀬の袈裟斬りに向け、刀を振り下ろす。

 火花が散ろうかというほどの衝撃。

 俺の得意技である武器破壊攻撃。だが、俺の愛刀と奴の愛刀は兄弟刀。俺の刀では奴の刀は折れないという事だ。

 だが、折れないまでも奴の体勢は崩せた様で、渋面を浮かべながら間合いを取る。


「相変わらずの無茶振りだな」

「別に無茶じゃないぜ。狙ってやったからよ」


 そう返して、再び正眼に構える。


「そうか」


 成瀬も再び脇に構え、じりじりと間合いを詰めてくる。


(さて、どうするか)


 成瀬の得意な逆袈裟からの返し袈裟。その技に奴は何とか返しみたいな名前を付けていた。


(ちゃぶ台返しだったかな?)


 その得意技を解っている俺でさえも何度もかわす事は難しい。それは技を繰り出す事によりその技に体が馴染んでくるからだ。

 刀の長さの分、成瀬の間合いは俺より長い。俺には遠間でも、成瀬にとっては得意な間合いだ。なので、成瀬の攻撃を掻い潜り、自分の得意な間合いに入り込まなければならない。

 だが、奴の間合いに入った途端に、あれが飛んでくる。

 相手が並みの相手ならばどれだけ間合いが不利であっても問題は無いんだが。


(どうしたもんかね)


 さらに、強行軍の影響だろうか、思った様に体が動かせない。

 さっきの成瀬の逆袈裟もその後の返しの袈裟斬りも、幾ら速かろうがいつもの俺なら来ると分かっている攻撃なぞ、簡単に往なせられる。だが体が考えに追い付かなかった。

 それは対面の成瀬も分かっただろう、俺がいつもの実力では無い事など。それが分かってしまう程、俺たちは互いを知り尽くしていた。


(人間、やっぱり寝ないと駄目なんだな)


 そんな当たり前の事を、今さらながら実感する。だが、今は過ぎた事などどうでも良い。


(取り敢えずは奴の技の癖を見切らなきゃな)


 何度も技を繰り出す内に、成瀬は体が馴染んでくる。そうなると技の切れが増すので成瀬に有利に思えるが、逆を言えば俺も何度も技を見れるという事だ。

 という事は奴の技の癖を掴む事も容易くなるという事。こちらにも利になる。


(癖を見極める前に、こっちが殺られなきゃ良いけどよ)


 俺も強いが成瀬も強い。そんな奴の攻撃をそう何度も躱せるものじゃない。


(ニ、三回が限界か)


 目算で出した奴の技を往なせる回数だ。奴の技の見極めにそれ以上掛かれば、それだけ分が悪くなっていく。

 そんな事を考えている内に、間合いを詰めて来た成瀬の間合いに入ったのだろう、


「———シッ!!」


 目の端で何かが煌めいたかと思った刹那、飛んでくる成瀬の刃。


(やはり技の切れが増してやがるっ!)


 初立ちと同じ様にして躱すと、同じ様に返しの袈裟切れが飛んでくるだろう。


(ならばっ!)


 俺は前に一歩踏み込んだ。

 踏み込んだ事により躱すことは出来ない。そもそも躱す事すら考えてもいない。

 そう、斬られなければいいのだ!


「!?」


 躱すと思っていたのだろう、成瀬が怪訝な表情を浮かべる。だが、そんなものが技に影響する様な奴では無い。凄まじい速さの逆袈裟。狙いは俺の脇腹。


「ここだ!」


 奴の逆袈裟が当たる直前、体を傾け着ていた鎧を逆袈裟にぶつける。

 直後、重い衝撃が脇腹を襲う。


「がっ!?」

「なっ!?」


 思った以上の衝撃に呻く俺と、その行為に吃驚する成瀬。

 俺の着ているこの赤い鎧は、日下部家の家主に代々受け継がれる甲冑である。数々の戦において、先代の父を始め先祖を守ってきた優れた逸品だ。

 鎧をぶつける角度も考慮した。逆袈裟の成瀬の刃に対し斜めにぶつける事により、表面を撫ぜる様に刃が滑っていったのだ。

 だが、そこまでしても衝撃は殺しきれなかった。さすがは成瀬という所か。

 だが、怯んでもいられない。吃驚していて硬直している今が好機である。

 幸い踏み込んだ事により、充分では無いが俺の間合いに近付いた。

 痛みを訴える脇腹を無視して、充分な間合いにする為、さらに一歩踏み込む。


「おらぁ!」


 正眼から手首の返しだけで刀を振り下ろす。

 だが、成瀬は俺の詰めた分だけ後ろに下がりながら、俺の脇腹に打ち込んだ刀を俺の振り下ろしに合わせてきた。


 ッキィィィン!!


「「くっ!?」」


 やはり成瀬に打たれた脇腹の痛みが動きを阻害したのか、真速では無かった一撃だった為、成瀬に刃を合わせられてしまった。

 お互い弾かれる様に、再び距離を取る。


「チッ、しくじったぜ」

「ったく、呆れた奴だ」


 フッと、お互い自然と笑みが浮かぶ。

 将軍位を賜ってから大きな戦は無かったが、それでも小さな争い事は経験してきた。東雲や西宮との小競り合いもあった。

 当然東雲や、西宮の名立たる武将とも刀を交えた事も多々有るが、正直その誰もが俺よりも脆弱で、数合も打ち合えば相手は知らぬ内に倒れているか、降参していた。

 初めの内は相手を屈服させる事に高揚感があった。が、それもいつの間にか消え失せていた。

 俺は強者に飢えていたのだ。

 同じ様に笑う成瀬も同じだったのだろう。東雲に於いても、西宮に於いても、俺や成瀬を満足させられる相手など居なかったのだ。

 それが今、目の前に居る。己を満足させられる申し分ない相手が。

 これが嬉しくない訳が無い。昂らない訳が無い。

 一条様に成瀬との一騎打ちを禁止された時、酷く落胆した。

 殿に一騎打ちをお許し頂いた時、体中の血が沸き立つのを感じた。

 練習試合や立ち稽古では決して味わえない、血沸き肉躍る真剣勝負。

 まだ痛む脇腹の主張など、クソくらえだ。俺はまだまだこの時間を楽しみたい。


(あと二回、か)


 が、その時間にも限りがある。楽しむと同時に、殿や一条様をお護りしなくてはならないのだ。その為には勝たなくてはいけない。その限度が二回。


(鎧で受けたのは失敗だったか、な)


 徐々に退いてはいるが、それでも痛みはある。痛みからすると切られてはいないが、打撲、最悪ヒビの一つも入っているかもしれない。この痛みが無ければ、限度が延ばせていた可能性もあった。


(……いや、過ぎた事だな)


 結果として、成瀬は傷一つ負ってはいない。だが、俺のした事は奴の脳裏には無かった行動だったはずだ。その証拠に、奴は俺が鎧で受けた後、吃驚して動きを止めていた。短い時間ではあったが、相手の力量が高ければその時間は致命的なものになる。

 奇抜な俺の行動が、成瀬に混乱を、迷いを生み出させる。傷を負ったが、それに見合った収穫もあった。


(だが、そう何度も通じるとは思えんな)


 成瀬とて歴戦の侍。様々な敵と相対してきたはずだ。その中には俺よりも突拍子も無い動きをする者だっていたはず。

 奇抜な行動を俺がするとは思わなかった、その混乱を利用しているに過ぎないのだ。慣れてしまえば、それ相応の修正をする事なぞ造作もない。


「さて、次は何をしてくるのかな?」

「抜かせ」


 嬉々とした顔を浮かべ問う成瀬にぼやくと、刀を立て八相に構える。


「むっ?」


 俺が正眼以外の構えを見せたからだろう、いぶかしむ成瀬。

 こちらの真意を推し測る様に、先程と同じく脇構えの体勢だが、間合いを詰めようとするその動作に、若干の躊躇いが見て取れる。


(よしよし)


 成瀬の混乱に乗じる形で、今度はこちらから一気に間合いを詰めていく。


 正眼から八相にしたのには訳がある。

 元より八相は体の負担が軽くなるという利点がある。脇腹に痛みを抱えている現状、無駄な体力の消耗は避けるべきだ。

 それに、これは俺だけかも知れないが、正眼に比べ、八相の方が袈裟斬りが出し易い。

 そう、成瀬の逆袈裟に真っ正面から袈裟斬りを繰り出す。どうせあと二回しか斬り合えないのだ。だったら得意の袈裟斬りに賭けたい。


 一気に詰めた間合い、当然、自分の間合いになる前に、成瀬の間合いになる。

 だが、八相の構えと先程の鎧での受けが伏線となり、成瀬の動きがほんの僅かに鈍る。その隙を見逃さず、さらに間合いを詰める。


「おらぁっ!!」


 そして、間合い十分から勢いを乗せた袈裟斬り。狙い通り脇腹の痛みもほとんど感じない。まさに俺の真速での一撃。

 対する成瀬も逆袈裟を繰り出す。が、先程までよりも切れが悪い。迷い鈍った一撃。


「甘い!」


 そんなもので俺の真速の一撃は防げない。俺は勝利を確信する。だが成瀬を殺してはいけない。殺してはこの戦に勝ったとしても、日乃出としては負けなのだ。


 俺と成瀬の刃が交わる。が、俺の袈裟斬りによる打ち下ろしと、成瀬の逆袈裟による打ち上げ。どちらがより力が入りやすいかは、自明の理。

 元々の力も俺の方が強い。その代わり速さは成瀬の方が一枚上だが。


「くっ!」


 成瀬が苦し気に眉根を寄せ呻く。幾ら成瀬とはいえ、明らかに体勢が不利なこの状況から逃れられるとは思えない。

 さらに刀を押し込めていきながら、同時に成瀬を殺さずに戦闘不能にする方法を模索する。

 通常なら、相手の刀を壊すか、首や腹に強い衝撃を加えるのだが、成瀬に対してそう易々とそれが出来るとは思えない。


(いっそ、腕の一本でも)


 そっちの方が簡単そうに思えたが、腕一本落とした所で成瀬が止まるとは思えないし、日乃出の為にはならない。


(さて、どうするかな。このまま押し込んで成瀬に膝を付かせ、腰の脇差しを首に当てれば、いかに成瀬とて降参するかな?)


 ちまちまと考えるのは性分に合わない。あまり深く考えず、それが一番の策だと決め、成瀬を跪かせる為、さらに押し込んでいく。


 が、


 スッ。


「——なっ!?」


 突如、成瀬が鍔迫り合う刀を引いた。当然、押し留めていた物が無くなった事で、俺の刀は勢いそのまま成瀬の躯体に吸い込まれる様に向かっていく。


(このまま、浅く斬っても良いか)


 その成瀬の行動に驚いたが、悪くは無い。成瀬の来ている蒼い鎧も、俺の来ている鎧と同じく逸品物だ。このまま斬っても大した傷は負わないだろう。


 そう判断した頭の中を、警鐘がけたたましく鳴り響く。と同時に首根っこがチリチリとひりつく。

 それは、人間の根幹ともいうべき生存本能からもたらされた喚起。

 成瀬の腹に向かっていた袈裟斬りを無理やりに止め、無意識の内に肩に担ぐ。

 そこに、


 カイィィン!!


「がっ!?」


 耳をつんざく様な金属音とともに、刀を担いだ肩に凄まじい程の衝撃が走る。

 見て確かめるまでも無く、そこには成瀬の刀があった。マズい、このままだと——!?


「——ふんっ!!」


 咄嗟に体を回転させながら力づくで成瀬の刀を押し弾く。そして、半ば転がる様にして成瀬から距離を取る。が、


「くっ!?」


 刀を乗せて成瀬の攻撃を防いだ右肩に痛みが走る。


(折れたか?)


 負傷した事を成瀬に悟られない様、肩を軽く上下させる。動いた事から折れてはいない様だが、やはり痛む。


(それにしても今のは何だ?)


 奴の刀を弾くのが僅かでも遅れれば、確実に首と体がおさらばする所か、俺がこの世からおさらばする所だった。


 右肩を回して痛みの具合を確かめながら、自分の刀の状態を確認している成瀬に聞く。


「おい、さっきのは何だ? 見た事無い技だったが?」

「ふっ、俺が素直に言うと思うか? ……まぁ、良い。さっきのは新しく考案した新技よ」

「新技?」

「あぁ、俺の〈蜻蛉返し〉は知っているな?」

「……あぁ」

(あぁ、そうだった。蜻蛉返しだったな)

「その技の派生だ。お前の様な馬鹿力だと、打ち合った時にやはり逆袈裟は不利になりやすい。その事は前から危惧していた」


 特に問題は無かったのか、成瀬は確認し終えた刀をまた脇に構えて続ける。


「さっきのお前の様に、力で押し込まれてしまうのなら、その力を逆に利用すれば良いと考えたのだ」

「……それが先程の技か」

「あぁ。逆袈裟で受けた後、相手が力を込めた瞬間に逆に引いて、そのまま刀を旋回させ、相手の首元を狙う。それが俺の新技だ」

「……なぜそこまで教える?」

「なに、解っていても俺の有利は変わるもんでは無いからな」


 自信をたっぷりと込めて、成瀬は笑う。が、成瀬がそこまで言うのも解る。遠間から繰り出す通常の蜻蛉返しだけでも厄介なのに、近間でも繰り出せる新技だ。この二つが有れば事実上隙は無い。


「……さて、お喋りは終いにしよう」


 ジリジリと間合いを詰めてくる成瀬。

 対する俺は脇腹の痛みに加えて、右肩にも痛みを抱えている。


(こりゃ、本格的に不味い、か)


 だが、出来る事など限られている。

 俺は八相に構えると、成瀬が間合いを詰めてくるのを待つ。

 向こうが来てくれるのだから、楽でいい。無駄に体力を消耗しないで済む。


 成瀬もそれか分かっているのだろう。俺からは来ないとみて、今は間合いを詰める歩幅も大きくなっている。


「……俺を殺った後はどうする?」


 構えを解かぬまま、成瀬に問う。


「知れた事。お前が来る前に戻るだけ」

「……そうか」

「——なぁ、日下部」


 ふと、構えそのままに成瀬は歩みを止める。

 その顔は苦悶に満ちていた。その声は悲哀に満ちていた。

 そしてふと、陣幕内を見回す。俺も視線を巡らすと、腹を抑え倒れているアカリ様の前に立ち、敵の侍の攻撃を受けているユウ殿が見えた。

 アカリ様を懸命に守ろうとするその姿勢に、自然と心内が熱くなってくる。

 今すぐ助けに行きたいが、今は成瀬で手一杯だ。ユウ殿にはもう少し耐え忍んで欲しい。


「——俺は何処で間違ってしまったのだろうか」


 それは慙悔(ざんかい)の念。己への問い掛け。だが、俺は答えてやらねばならない。


「……そうだな。殿や一条様に御相談しなかった。一人で抱え込んじまった。そこだろうよ」

「……そうか」


 俺からの答えを期待していた訳では無かったのだろう、俺がそう答えると、少し驚いた顔をした後、そう呟いた。


「……だが、もう引き返せん」

「そうだな」

「ならば、せめて」


 そこで再び歩み始め、成瀬の間合いに入った。


「為すべきを為す!」


 叫び繰り出した成瀬の、さらに切れの増した逆袈裟。まさに稲妻のごとき速さで刃が飛んでくる。


(こちとら、満身創痍だっていうのによ!)


 毒づくが、これといって打てる手も無い。


(ちっ!)


 あれこれ考える前に無意識の内に体が反応し、繰り出した八相からの袈裟斬り。狙いは成瀬の持っている刀。

 今の俺に出来るのは成瀬の刀を壊す事では無く、刀を落とす程の衝撃を与える事!同じ強度の刀を壊す事は現実的では無いからだ。

 しかも奴が新技を出せる隙さえ与えない速さで。そう考えると防御を捨て一撃に掛けるしかない。分の悪い掛けなのだ。その位の心構えでなければ確実に負ける。


「うおらぁ!!」


 迷いを断ち切る為、吼える。手を、腕を、体ごと成瀬の逆袈裟に全力の一撃をぶつける!


 ギイィィィン!!!


 火花が出る。どちらの刀が発したものだろうか、耳をつんざく激しい悲鳴が響く。

 が、そんなものを気にしている時では無い。このまま押し切り、奴から刀を取り落とさなければならないのだから。

 決死の一撃は俺の真速を超えて成瀬に鍔迫り合う間すら与えず、一気に押し込んで行く。このまま奴の刀を地面に叩き付けて——。

 だが、


 ズキィッ!


「うぐっ!?」


 右肩に痺れる様な痛みが走る。成瀬に打たれ傷んだ肩が俺の力に耐えられなかったのだ。

 気合いで抑え込もうとするが、一度感じた痛みはそう易々とは消えてくれない。しかも痺れもあるので力も入れ辛くなった。

 当然、袈裟斬りの勢いも落ち、成瀬に対応される間を与えてしまった。鍔迫り合う形になってしまったのだ。


(マズい、このままでは!)


 このままだと、先程の二の舞になってしまう。だが、それを回避しようにも力が入らなければどうしようもない。捨て身での一撃である、奴の新技を躱すのも難しい。

 そして、無情にも先程の再現の様に、成瀬がフッと刀を引いた。


(来るっ!)


 ———が、

 ふと成瀬と目が有った。そこに浮かぶのは諦観。これから俺を殺ろうという男が浮かべる表情では決して無い。

 そして続く違和感。違和感の元を探ると、そこには成瀬の引いた刀。


(何故だ!?)


 そう、先程ならばそこから刀が旋回、俺の首目掛けて飛んできた。


(何故、そこにある!?)


 だが今は成瀬の体に密着する様に、だらりと下がっている。

 それはまるで斬ってくれと言わんばかりに——。


(こいつまさかっ!?)


 気付いたがもう遅い。俺の真速を超える捨て身の一撃だ。途中で止めることなど考えてもいない。だから、それに気付いても止められない。


(この馬鹿野郎!!)


 このままでは成瀬を切り捨ててしまう。そうなってしまっては、俺を信じてくれた殿や一条様を裏切る事になってしまう。


「止まれぇぇ!!」


 必死に腕を止めようと試みるが、


(ダメだ! 止まらねぇ!!)


 自分の体なのに、全く言うことを聞かない。

 成瀬は全てを覚悟したかの様に目を瞑った。

 そして、まるでスローモーションの様に、俺の袈裟斬りが成瀬を捕らえ——、


 ギイィィン!!


「きゃあっ!」


 俺と成瀬の間に、突如として槍が差し込まれる。そして、俺の袈裟斬りを受け止めた。

 が、完全には受け止めきれずに、槍と庇った成瀬と共に吹き飛んでいく、濃い柿色の短髪の人物。

 まさに横槍を入れられた形になったが、結果として助かった。あのままなら確実に成瀬を切り捨てていたからだ。


(それにしてもどこのどいつだ?)


 必死に止めようとしていたとはいえ、俺の一撃を一瞬でも受け止められる奴などそうはいない。吹っ飛んでいった方を見ると、成瀬と折り重なる様にして倒れている一人の侍が目に入った。

 成瀬と同じく群青の鎧を身に纏っている事から、西夷軍の誰かなのだろう。そして、脇には一本の槍が転がっている。


(西夷で槍使い、しかも俺の一撃を止められるとなると……)

「……痛てて。はっ! タカノリ様っ!?」


 首を振りながら上体を起こしたそいつは、自分の心配よりも成瀬の事を気に掛ける。そして、自分の上に倒れている成瀬を確認すると、顔を真っ赤に染め、


「な、ななっ! タカノリ様! いけません、そんなっ!?」


 と、突拍子も無い事を口にし、アワアワと狼狽えている。


「……別にお前を襲おうとしている訳じゃ無いと思うぞ、岩坂」

「はっ!? 日下部様!?」


 掛けた言葉で現実に戻ってきた、俺も良く知る西夷の女隊長である岩坂は、俺を見るなりキョロキョロと辺りを見渡す。


「探し物はこれか?」


 そう言って、落ちていた岩坂の槍を放り渡すと、それを受け取りながら、咎める様な顔を俺に向けた。


「どうしてタカノリ様と戦っておられるのですかっ!? お答え次第では——」

「——なぁ、成瀬……」


 岩坂の問いを半ば無視して、今だ岩坂の上に覆い被さる様にして倒れている成瀬の傍にしゃがみ、尋ねる。


「……お前、死のうとしやがったな?」

「——えっ……?」


 俺の言葉に目を見開く岩坂。そのまま覆い被さっている成瀬に目を向けた。


「ど、どういう事ですかっ!? タカノリ様が死ぬってそんな!?」

「……岩坂、お前いつ本陣に来たんだ?」

「つい先程です! というより答えてください! 何故タカノリ様が——」

「岩坂、少し黙ってろ」

「ひっ!?」


 岩坂を軽く睨み黙らせると、再び成瀬に問い掛けた。


「今さら死んでも何の詫びにもならんぞ。殿にも、一条様にもな」

「……」

「おい、何とか言え。いつまで部下の上に寝っ転がっているんだ」

「ちょ、日下部様!?」


 成瀬を無理やり岩坂の上から退かし、仰向けに地面に転がす。その扱いを見て岩坂が抗議の声を挙げるが、先程の脅しが効いているのかあまり強く言っては来ない。


「おい、いい加減答えろ。何故今さらそんな気になったんだ?」


 目を瞑りグッタリとしている成瀬の胸倉を掴み、引っ張り上げる。

 すると、


「……思い出したんだよ……」


 ポツリと成瀬が呟く。


「お前とやり合っている時、ふと思い出したんだ。昔はこうしてお前と日が暮れるまで何度も剣を交えた日々を。当時は木刀だったが」

「……あぁ、確かにな」


 まだ俺たちが侍見習いだった頃、成瀬とはそれこそ時間を忘れて剣を交えていた。もう十年以上も前の事だが。


「あの頃は楽しかった。侍になる事をひたすら目指し、余計な事も考えずにひたすら剣を振るっていたあの頃。侍になって国を、そして殿を御護りする事を夢見てな」

「……」

「お前と剣を交えていると、あの頃の事が不意に蘇った。そして心に浮かんだんだ、あの頃の想いが」

「……」

「そして同時に思ったのだ。今の俺は何をしているんだと。御世話になった殿や一条様に刃を向けて、俺は一体何をやっているのかと」

「……」

「そう思ったら、何だか情けなくなった。確かにシズエの弟殿を助けたい気持ちは大きい。だが、それ以上に殿や一条様に申し訳が立たない気持ちが大きくなっていったんだ。今さらだがな」

「……あぁ、今さら過ぎるな」

「そんな想いに苛まれてこのまま生きる位なら、大恩ある殿や一条様にこれ以上無礼を重ねる位なら死んでしまおうと。お前の手で終わらせてもらおうと思ったのだ。迷惑だと思うがな」

「あぁ、とんだ迷惑だ」

「ふ、そう言うな。それでもシズエの弟殿も助けたいのだ。だが不自然に俺が死んだ所で、奴らは弟殿を解放しないだろう。だが、俺を殺せる人間などそうは居ない。そう、まさにお前が適任だったのだ。お前なら殿と一条様を御護りしながらこの状況を打破する事も容易いしな」

「俺に丸投げじゃねーか。それにシズエ殿の弟殿までも俺に頼るなんざ、人が悪いにも程があるってもんだ」

「だが、お前はぶつくさ文句を言いながらもやってくれる、だろ?」

「ぬかせ」


 そこで成瀬が笑う。きっと俺も笑っているのだろう。

 それこそ小さい頃からの仲なのだ。俺が成瀬を良く知る様に、成瀬もまた俺を良く知っているのだ。だから、成瀬は思ったのだろう。自分が死んでも俺なら上手くやってくれると。


「だが、もう遅い……。俺は大罪を犯してしまった。事もあろうに殿に、一条様に剣を向けたのだ。死んで詫びる事でしか無い。腹を切る資格すら俺には無い……」

「……タカノリ様……」


 それまで黙って成瀬の独白を聞いていた岩坂が、そう呟く。その顔は悲哀に満ちている。今の成瀬の話を聞いて、ある程度の事情を理解したのだろう。そこは流石隊長格である。


「だから日下部、俺を殺してくれ。お前になら、……いや、お前の手に掛かって死にたいのだ。頼む!」

「……」


 成瀬は寝転びながら、強く訴える。その目には決意が色濃く見えた。

 成瀬の気持ちは解る。逆の立場であったなら、俺もそうしていただろう。だが、


「なぁ、成瀬よ。お前さんに聞くが、殿も一条様もお許しになられて、尚且つシズエ殿の弟も助けられるかも知れないとしたら、お前はどうする?」

「———どういう事だ?」

「なに、そのままの意味さ。俺が何も考えも無しにここまで来ると思うか?」

「……昔のお前を知る者なら、そう思っても不思議では無い、が。何か考えが有るのか?」

「まぁな。ここに来ているのは俺だけじゃないって事さ。が、今言えるのはそれだけだ。それより——」


 そこで、周囲に目を向ける。

 殿は傷付いている一条様の看病をしているのか、蹲っている一条様に何やらお声掛けしながら、自分の着ていた着物を破り、それで一条様の傷を塞ごうとしている様だった。

 そして、


「かあぁぁぁ!!」


 視線の先で、西宮に刺客である侍が、まるで獣の様に吼えた。

 その刺客の先では、アカリ様とユウ殿が寄り添う様に並び立って、刺客の侍を対峙している。


「マズいっ!?」


 同じくその状況を見た岩坂が悲鳴を上げ、そちらに向かおうとした。


「岩坂!」


 だが、それを止める。


「日下部様!? どうしてです!? あいつは危険です!? このままではアカリ様もあのユウという少年も殺されてしまう!」

「ダメだ、行くな!」

「何故です!?」


 岩坂が抗議する。確かにあの侍の纏う殺気の大きさは異常だ。あれは人間を止めてしまった者が手にする類の物。恐らくは己の限界を超えて手にした禁断の力だろう。今の奴はもしかすると俺や成瀬に匹敵しうる力が有るかも知れない。


「助けに行きたい気持ちは解るが、あのお二人にお任せするんだ。それよりも岩坂、お前には任せたい事がある」

「任せたい事?」

「あぁ、実は——」


 そこで、俺は岩坂に任務を伝える。本来なら俺がする筈だったんだが。


「——なんと!? ですが、それなら日下部様が出向いた方が宜しいのでは?」


 任務を聞いた岩坂が、その内容に驚きながらも、さも当然の様に質問してくる。が、


「そうしたいのは山々なんだがな。こいつとの殺り合いで思いの外負傷しちまったからよ。今の俺にはちとキツイわ」


 と、成瀬を見る。岩坂に伝えた任務は成瀬にも聞こえていた様で、俺の軽口の後、


「岩坂、頼まれてやれ。これも俺が強すぎた結果だ」


 そう岩坂に伝えると、岩坂はきょとんとしたかと思うと不意に微笑んで、


「了解しました! この岩坂、両将軍の御依頼、精一杯務めさせて頂きます!」

「お、おぅ。 じゃあ頼む」

「はいっ!!」


 気持ちの良い返事を返すと、傍らに置いてあった愛槍を手に取り、駆ける様に陣幕から出て行く。


「……お前の方が強い。だと?」

「間違ってはいないな」

「ぬかせ。万全ならお前なぞ数合で終わっている」

「面白い冗談を言える様になったな」

「……ははっ」「……ふっ」


 軽口を言い合いながら起き上がると、互いに肩を貸し合って立つ。

 俺はともかく、成瀬も負傷したようだ。出血は見られないから、恐らくは俺と同じ様に体を痛めたのだろう。俺の最後の一撃が原因だろう。


「日下部、良いのか? あの二人をお救いしなくて」


 成瀬が言う二人とは、視線の先に居るアカリ様とユウ殿の事だろう。


「あぁ、これも作戦の内だ」


 これは愛妻であるユキネが計画した作戦だ。先ほど岩坂に課した任務もその作戦に基づいたものである。その作戦もすでに大詰めの段階だ。事の次第によっては全てが解決する。

 が、


「——だが、強いぞ?」


 成瀬が相手の侍を見て言う。確かに強い。ユウ殿ならいざ知らず、【忌み子】になったアカリ様でもまず勝てない。


「それでも勝っていただく」


 知らず、体に力が籠もる。正直言えば今すぐにでもあの二人の正面に立ち、御護りしたい。

 だが、それでは駄目なのだ。それではお二人は成長しない。

 自分に勝つ為に。大切な人を守る為に。人には成長しなければならない時は必ず有る。そして、お二人のその時が今なのだ!


(アカリ様、ユウ殿、信じていますぞ!)


 己の人生の正念場に向かう若き二人の侍に己を重ね、顛末を見守るのであった。


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