圧倒的な力の差
△ 藤田視点 △
息も絶え絶えな愛馬に、酷な鞭を入れる。そうでもしないと、すでに姿が見えない我が将軍様に後でこっ酷くどやされるからだ。
「ってか、シンイチ様はどんだけ先に居るんだよ~っ!」
愛馬がどれだけ速度を上げても、シンイチ様の姿は全く見えなかった。自分の愛馬も相当な軍馬であるが、シンイチ様の愛馬は日之出で一、二を争う程の駿馬。乗る人物の腕も相まって、かなり引き離されている様だ。
「そう弱音を吐くな、藤田! 取り合えず殿の居られる本陣は見えているのだ! まずはそこを目指そう! そこにシンイチ様は居られるに違いない!」
隣を並走する関が、同じく己の愛馬に鞭を入れた。
関の言う通り、少し先の高台に橘家の家紋が描かれた陣幕と軍旗が見える。東雲との国境の町からここまで走りっぱなしの愛馬に、あの高台を駆け上がるのはかなり酷であるが、本陣に着いたなら水も飼葉も塩もたっぷりあるだろう。ゆっくりと休ませるので頑張ってもらいたい。
「だが、ここまで付いてこれたのは、俺たちを含めて十騎も居ないとは……」
関が後ろを振り返り、やれやれと首を横に振る。この戦が終わったら全員鍛え直すと息巻いている。
だが、それも仕方の無い事だ。訓練でもほぼ経験した事の無い昼夜問わずの強行軍。しかもそれが三日間である。途中、馬を休ませる為に小休憩したとは言え、ほぼ不眠不休でここまで来たのだ。私や関と言った隊長格でも途中で何度か意識が飛んでしまった。それほどに過酷だったのだから、着いてきている他の侍を褒めるべきである。
普通ならこんな事は絶対にしない。どんなに急いでいたとしても、途中で必ず充分な休息を取る。でないと、過労で戦にならないからだ。行軍に必要な日程もそれを織り込んで組む。
だが、今回はそれを考慮しなかった。それほどまでにシンイチ様は焦っておられた。
それは、我が殿に、そして日之出に存亡の危機が迫っているからだ。
「しかし、まさか成瀬様が逆心とは……」
小高い丘に続く細い道を疾走する愛馬。林立する木々が風切り音と共に後方に流れて行く。
汗で滑る手綱を気力で握り締め、愛馬が木に激突しない様に手綱を捌きながら、昨晩の小休止の際に、シンイチ様が口にした恐るべき事を思い出す。
今回の東雲との国境の調査依頼。シンイチ様は殿から仰せつかったと言っていた。
殿に直接調査を進言する事の出来る人物は限られている。
宰相である、一条様。
東夷将軍である、シンイチ様。
そして、西夷将軍である成瀬様。
この中で、宰相である一条様は、カズヤ殿の責任を取って腹をお切りになるそうで、そんな事をする利点が無い。となれば……。そう、シンイチ様は見解を仰っていた。
そんな事を考えている時だった。
まだ距離のある本陣から、光の玉の様な物が空に打ち上がったかと思うと破裂し、周囲を煌々と照らし出したのだ。
「うわっ! なんだ!?」
慌てて手綱を引いた事で、愛馬が立ち上がる。なんとか振り落とされない様に必死に手綱を抑え、馬の腹を抑える足に力を込めた。
「何が起きているんだ!?」
熱を感じない事から、単純に明るいだけなのだろう。
それでも、夕刻前とはいえこれだけ明るい中でも、ハッキリと光を認識出来るほどの明るさである。
「恐らくは、アカリ様の側に居る、ユウとかいう者の仕業か」
直接会ってはいないが、シンイチ様が仰っていた人物像を思い出す。
刀はおろか、弓すらも持ったことが無い程の貧弱そうな体付きらしく、まだまだ少年の様であるらしいが、聡明で不思議な術を使うのだとか。あの光の玉も、恐らくはその不思議な術の類いなのだろう。
「おい、藤田! どうする!?」
薄れゆく光の残滓を見ながら、隣に並ぶ関が尋ねてきた。
関だって第二隊長なのだから、人に聞かずに自分で考えて欲しいのだが、昔から関はこうである。
「取り敢えず、あの光の元に向かおう! 何かの合図かも知れないし、もしかすると、殿に危機が迫っているのかもしれない」
落ち着きを取り戻した愛馬の首をそっと撫で付け、その鼻面を高台に向ける。
「それしかねぇな」
隣の関も、同じように手綱を引いた。
(あの場所に必ずシンイチ様はいらっしゃるだろう)
そう確信し、愛馬に最後の踏ん張りを促す為、腹に力を込めた。
△ ユウ視点 △
赤い陣羽織が、宰相さんを庇うように立っていた。同じく赤の鉢巻きをしたその黒く短い髪は汗をかいているのか、陽の光を受けキラキラと光る。
片手で持つ赤い色をした刀で成瀬さんの長大な太刀を受け止めながら、偉丈夫は僕を見て、ニカッと人懐こい笑みを浮かべる。
「世話になった人に何も返せずに死なれちゃ、目覚めが悪いからなぁ」
「……よく言うわ。こっちはお前とタカノリの厄介事のせいで毎日寝不足じゃ」
「そいつは済みません。では、その厄介事のついでにまだ死なないで頂けると助かるのですがね。———さて、」
そういうと、赤い陣羽織の偉丈夫、東夷将軍のシンイチさんは浮かべていた笑みを消し、その長大な刀を振り下ろしたまま止まっている成瀬さんを睨む。
「——よう、成瀬。 どうした?刀を向ける相手を間違えているようだが」
「——日下部……」
突然現れたシンイチさんに驚いたのか、成瀬さんは刀を引き、シンイチさんと正対する。
「西夷将軍ともあろう者が、斬る相手を間違えるなんて、どうしちまったんだ? ん?」
シンイチさんのその言葉使いは友人に語る様な明るさを感じるが、含まれている物は全く逆。そこに含まれるのは、殺気にも近い怒気。
と、そこへ、
「何をやっている!? 東夷将軍だろうがそんな邪魔者、さっさと殺してしまえ!」
着物姿の男が、成瀬さんに命令する。
それを、面白くなさそうに聞いていたシンイチさんは、成瀬さんに向け、
「何だぁ、あいつは? あんな奴の言う事なんざ聞いているのか?」
「……」
シンイチさんの問い掛けに応えない成瀬さん。その態度が気に食わなかったのか、業を煮やした着物姿の男が、
「さっさと殺さないと、大切な弟がどうなっても知らんぞ!」
成瀬さんに脅しを掛ける。
「ちっ、何やら訳有りって事か」
「……」
それにも答えず、静かに刀を構える成瀬さん。
それに応えるかの様に、シンイチさんも自分の刀を真っ直ぐに構えた。
「いかん! シンイチ! タカノリ! お前ら二人が争う事は許さん! このじぃの首でここは凌ぐのじゃ! シンイチは殿とアカリ様達をお連れして逃げろ!」
シンイチさんの背中越しに、宰相さんが怒鳴るが、
「済みません、一条様。 そいつは聞けません。俺もあいつもすっかり殺る気になっちまってますから」
「じゃから、それがいかんと——」
「——待て、じぃ」
それまで、事を静観していたお殿様が宰相さんの言葉を遮る。
「殿!?」
「やらせてやれ。曲りなりにも東夷将軍。シンイチも何も考え無しで言った訳では無かろう」
「……ですが」
「お主もタカノリも失わない策が有るのかも知れん。……そして、タカノリの弟殿もな……。今はシンイチを信じてみよう」
「……御意」
宰相さんはそれで納得したみたいだ。
「殿、上手く行くかは分かりませぬが、このシンイチを信じて下さった事、誠に有難き」
「うむ、存分にやるがよい」
お殿様はそれだけ言うと。今度は僕とアカリに向かって、
「アカリ! ユウ殿! ここが好機じゃ! タカノリはシンイチが押さえる! お前達はその男を倒すのだ! 良いな!!」
檄を飛ばす。
「はい、お父様!」
その檄を受けたアカリは、気合を込めた様に刀をぎゅっと握った。
「……舐められたものよな……」
着物姿の男が、そう愚痴る。
「——まぁ、良い。すぐに娘の無残な姿を見る事になるのだからな」
スッと刀を正眼に構えると、
「その髪の色、そこの坊主が何か奇術でも使ったか? まぁいい、部下頭をやって良い気になっているようだが、私には勝てんぞ」
フッ。
「えっ!?」
「くうっ!」
着物姿の男がフッと消えたかと思うと、突然目の前に現れる。そして、振り下ろしたであろう刀を、こちらもいつの間にか真横に居たアカリの刀が受け止めていた。
(全く見えなかった……)
対応出来なかったとはいえ、禿頭の男の太刀筋は見えていた。その動きも。
だが、目の前でアカリと鍔迫り合う着物姿の男の動きは、全く見えなかった。という事はこの男は禿頭の男よりも明らかに速く、強い。
「ユウ! 離れて!!」
真横のアカリが叫ぶ。横から着物姿の男の太刀を受け止めているせいで、力が入れ辛いのか、苦悶の表情を浮かべている。
急いで二人から離れると、アカリも僕を追うようにして、着物姿の男から距離を取った。
仕切り直す形になったアカリは、ゆっくりと息を吐きながら、正眼に構える。
「勝てそうか?」
「……どうかしらね。あれで本気なら五分五分といった感じかしら」
「本気だと思うか?」
「……それは無いわね。残念だけど」
そんなやりとりをアカリとしていると、
「まさか、私に勝とうなどと思っている訳では無いよな?」
着物姿の男がそう口にする。
「勘違いしない様に、少し本気を見せてやる」
そう言うと刀を上段に構えて、気合いを込めた。
「はあぁ!!」
着物姿の男が纏う殺気が急激に膨らんでいく。少し距離が離れているにも関わらず、体が大きく見えるのは単に錯覚しているだけなのだろうか。
「……不味いわね」
アカリが頬に冷や汗を垂らす。【忌み子】状態のアカリは普段とは比べ物にならない位強い。そして、【忌み子】状態の恩恵なのか、相手の力量もある程度なら把握出来るらしい。そのアカリがこうも余裕の無い表情をするなんて。
「取り敢えずユウは離れていなさい。ユウじゃあれとは数合も打ち合えないわ」
「そんなにか……」
僕だって杖術の鍛練をしている。剣術ほどでは無いけれど、ある程度の打ち合いは出来るほど鍛練してきたつもりだ。勝てないにしても、カールやアカリの攻撃を防ぐ位なら出来る自信がある。
そんな僕の力量を知るアカリがそう言うのだから、今の着物姿の男には、僕は簡単に斬り伏せられてしまうだろう。
「分かった。離れて援護に徹するよ」
「そうしてちょうだい。私だって余裕は無いけど、何とかしてみせるわ」
そう言うと、アカリは僕から離れていく。着物姿の男を僕から離す為に。
アカリと反対方向に距離を取った僕は、アカリを援護する為に急いで魔力を練り始める。
「別に二人掛かりで来ても構わんのだぞ?」
「……そこで伸びている人も前に同じ事を言っていたわよ」
着物姿の男の挑発に、アカリは倒れている禿頭の男を目で指して、挑発を仕返す。
「ちっ」
それが気に食わなかったのか、着物姿の男は舌打ちする。
「私も本気を出させてもらうわ」
着物姿の男が黙った事で、挑発が上手くいったと判断したのか、アカリがそう宣言すると、
「はあぁ!」
正眼に構えて、気合いを入れる。
アカリも着物姿の男に負けず劣らずの気迫だ。これならば、僕の援護抜きでも勝てる気がするが、念には念を入れないとな。
「——ほう」
アカリの気迫に気を良くしたのか、着物姿の男が感嘆の声を上げる。
「——随分と余裕ね。シンイチ様が来たことで、あなたの目論見などとうに破綻しているっていうのに」
アカリが問う。
すると、着物姿のフッと鼻で笑う。
「別に大した事は無い。この私がさっさとお前たちを殺して成瀬に助太刀すれば、東夷将軍も殺れるだろうさ。その後でゆっくり橘をやれば良いのだからな」
むしろ、東夷将軍も殺れるのだから好都合だと着物姿の男は言った。
その言葉が癪に障ったのか、アカリが怒りで顔を赤く染め、
「やれるもんならやってみなさい!」
そういうなり、ドンッという音と共にアカリの姿が消える。
ギィィン!!
金属同士が激しくぶつかる音が辺りに響く。急いで音のした方を向くと、アカリと着物姿の男が激しく打ち合っていた。
(アカリの姿も目で追えなかった)
魔力は練り上がった。だが、アカリ達の動きが見えなければ、援護どころか逆にアカリを攻撃しかねない。
(どうする?! 取り敢えずアカリに叫んでから魔法を放つか?!)
【忌み子】状態のアカリなら、僕の詠唱が理解出来る。ならば、僕の狙いが解るはずだ。
(取り敢えずそれでいくか!)
そうと決まれば早速アカリに伝えようとアカリを見ると、着物姿の男と鍔迫り合っている。
(ああやって止まっているなら問題は無いのに!)
無い物ねだりだなと諦め、刀を押しきり着物姿の男に上段から叩きつける様に刀を振り下ろすアカリに向かって叫ぶ。
「アカリ! 僕の声も気にしてくれ!」
特に返事を期待していなかったけれど、
「分かったから早くやって!」
と攻めているにも関わらず、余裕の無い返事を返すアカリ。
「何やらつまらぬ事を企てているようだが、私には通じんぞ」
逆に余裕を持ってアカリの攻撃を捌いている着物姿の男。
(その余裕の面を剥がしてやる!)
【忌み子】状態のアカリの攻撃を、余裕を持って対処している事に歴然とした力の差を感じたが、アカリ一人で戦う訳じゃない! 僕がしっかりと援護出来れば勝機はある!
(〈世界に命ずる。風を吹け!〉)
着物姿の男に杖の先端をしっかりと向け、気付かれぬ様に心の中で詠唱する。
だが、二人の攻防が速すぎて、魔法を発動するタイミングが掴めない。何とかさっきみたいに立ち止まってくれると良いんだけど。
二人の動きに対して、杖が右往左往する。魔法を発動待ち状態にしてある為、そっちにも集中しなければならず、精神がすり減っていく。
(止まってくれ!)
頬に汗が垂れる。レベルが上がったとはいえ、そう簡単に精神力は上がらないみたいだ。
だが見兼ねた神様の仕業なのか、願いが通じたのかの様に二人が大きく距離を取った。
(今だ!!)
アカリを見ると、今までの攻防で体力を消耗したのか、肩で息をしていてこちらを見ようともしない。それほど必死にならなければやられていたのかもしれない。気を抜けなかったという事だ。
(だけど、ここからは僕の番だ!)
既に杖の先端は着物姿の男に向けている。
発動を止めていた詠唱を完了させた。
「〈ウィンド〉!!」
声高に魔法を唱えると、アカリがハッとして顔を上げた。と同時に杖の先に風の塊が生まれる。それをチラッと見たアカリがチャリッと刀を水平に構えた。
ここからはアカリと呼吸を合わせなければならない。アカリの攻撃だけでも、僕の魔法だけでも、あの男に躱されてしまうからだ。
それはアカリも理解していて、僕と視線を合わせると目で合図を送ってきた。
(私が先に仕掛けるわ!)
(分かった!)
前もって合図もそれの意味も決めてはいなかったけれど、何故か意図が伝わってきたので、頷き返す。
「はあ~~!」
アカリが気合いと共に、着物姿の男に突撃する。
「そこの奴が何やら叫んでいましたが、結局はただの突進ですか」
着物姿の男はやれやれと首を振り、腰を落としてアカリの突きに備える。
だが、そこに油断が見て取れた。仕掛けるならここだ!
アカリと着物姿の男の距離が一気に無くなり、そのままの勢いでアカリが突きを放つ。
(ここだ!)
「いっけぇ~!」
杖の先を勢いよく着物姿の男に突き出すと、杖の先にある風の塊が着物姿の男に向かって飛んで行く。
狙いは城下町の路地裏で禿頭の男を吹っ飛ばしたあれである。禿頭の男より強いあの男を吹っ飛ばす事は多分無理だと思うが、体勢位なら崩せるだろう。そして、その隙をアカリは見逃す筈が無い。
アカリの突きを受け止める為に、着物姿の男は自分の刀を胸の辺りで横にする。刀の腹で受け止めようというのだろう。
だがそこに、僕の魔法で生み出された風の塊が直撃する!
「くっ!?」
突然の衝撃に、着物姿の男は苦悶の表情を浮かべ、片手で顔を覆う。体勢は崩せなかったが隙だらけだ。そして、予想通りその隙を僕の相棒が見逃す筈も無く、
「はあ!」
鋭い突きを、着物姿の男の肩に突き出す。
絶対にかわせない至近距離からの一撃に、勝利を確信した。
「やった!」
「———なんてな」
が、手で覆った顔から覗く口許には笑みが浮かんでいた。
「「えっ?」」
驚く僕とアカリを余所に、着物姿の男は繰り出したアカリの突きを受ける為に、横にした自分の刀をスッと立てる。そこにアカリの突きがぶち当たった。すると、そのアカリの突きの力を利用するかの様に、自分の刀を軸にそのまま流れる様に体を反転させる。
そして、
「そらっ!」
「くうっ!?」
突きを逸らされ、体が泳いでいたアカリに、反転の勢いを利用した横薙ぎをお腹に向けて繰り出す。それを躱せないと判断したアカリは、何とか身を捩って自分の着ている鎧の部分に当てたが、それでも衝撃までは殺せる筈もなく、体をくの字に曲げて吹っ飛ぶ。
「アカリ!」
吹っ飛んだアカリの元へと急ぎ、様子を窺う。
「うぅ……」
お腹を抑えて蹲るアカリ。お腹から血が流れていないから切られてはいないみたいだが、ギリギリだったのだろう、お腹の部分の鎧は完全に裂けていた。その衝撃は相当だった様で、蹲ったまま体を震わせていて、髪の色も元の黒色に戻っていた。
「アカリ! 大丈夫か!? 」
「——ごほっ! ごめん、暫くは無理そう……」
弱々しくそう言うと、再び咳づく。暫くは動く事も無理そうだ。
そんな中、
「今のは良かったですよ。本気を出さなければ、危うくやられていました」
着物姿の男はそう言うと、首をコキリと鳴らし、
「ですが、もう二度と通じません」
スッと体勢を低くすると、
「今度はこちらの番です」
フッと消える。
不味い!? いまだにアカリは蹲っていて動けそうも無い。だからといって、僕ではあいつの相手は無理だ!
逃げ出したい、走り出したい衝動にかられるが、僕の後ろには守るべき相棒が居る。逃げる訳には行かない!
(えーい、ままよ!)
勘に頼り、咄嗟に杖を勢いよく前に出す。その瞬間、
カァァン!
杖が何かとぶつかる。
「くっ!?」
ぶつかった衝撃で手が痺れ、危うく杖を落としそうになってしまうが、これを落としたらすぐさま殺されるのが目に見えている。意識を集中して必死に杖を握る。
「ほう? 今のを防ぐか」
間近で着物姿の男が感嘆の声を上げる。どうやら咄嗟に出した杖が、運良く着物姿の男の攻撃を弾いたのだろう。
「——これは面白い」
予想に反して攻撃を防がれた事に、苛立つどころか楽しむ余裕を見せる着物姿の男。
「どこまで防ぎ切れるかな?」
楽しそうにそう呟くと、上に下に、左に右にと刀を無造作に振るう。
まるで嵐の様な剣戟を前に、杖を出したまま一歩も動けない。さっきのはたまたま勘が当たっただけで狙って出来る訳じゃないし、そもそもそんな技量も無い。
着物姿の男もそれが分かっているのだろう、
「ほらほら、どうした? それでは後ろの姫を助けられんぞ?」
と嘲笑う。
だが、馬鹿にされた所で反撃はおろか、その斬撃を見切る事すら出来ない。
今はただ、アカリが回復するまでの間、戯れる様に僕の杖に打ち込んでくる着物姿の男に飽きられない様願いながら、亀のように身を竦め耐えるしかなかった。
だが、永遠にも感じたその小さな頑張りに、不意に終わりが訪れる。
「そんな棒っ切れで私の前に、侍の前に立った事を後悔しながら——」
戯れに飽きたのか、僕の亀の様な姿に機嫌を悪くしたのか吐き捨てる様に言うと、着物姿の男は持っている刀を大きく振りかぶり、
「———死んでいけ!」
愉悦混じりに叫び、振り下ろす。
真っ直ぐに僕の頭目掛け振り下ろされたそれは、実際は瞬くほどの速さであろうがやけにゆっくり見えた。
やがて来る絶対的な死に、目を瞑り体を固くする。
「ユウ!!」
後ろに庇うアカリが叫んだ。
(ごめん、アカリ。相棒の君をちゃんと守れなかった)
そう、心の中で謝った。
そして、腹をくくる。
願うなら、あまり痛くないといいなと。
願うなら、アカリが回復しているといいなと。
——出来るなら、母さんやサラと同じ所に行ける様にと願いながら。
———しかし、
『———マッタク、マダマダダ』
唐突に頭に響く何者かの《意思》。
(これは、あの時の!?)
徐々に薄くなる意識の中で何とか思い出したのは、僕の居た世界でケルベロスに襲われた時の事。
サラに身を挺して守られ、己の不甲斐なさで潰されそうになっていた時に突如聞こえた【声】。
その後、意識を失った僕は何が起こったのかを目を覚ました時にサラに聞いた。
信じられない事に、僕の放った〈ファイアーボール〉の一発で、ケルベロスを追い込んだらしい。
俄かには信じられないが、隣に住んでいたお爺さん、元【トライデント】のイーサンさんも同じ事を言っていたので、嘘では無い筈だ。
そんな訳も分からない、自分の意識外の力。
なのに、僕は安心して意識を手放した。きっと、この力は僕の大切な相棒を救ってくれると確信出来たから。