閑話 魔王視点
つい――感傷的になってしまった。
魔王コロネはため息をついた。
エルギフォスのせいで若い時の感情がそのまま流れ込んできたせいか、妙に胸がざわついて仕方がない。
目が覚めた猫やコロネから逃げるように、天界を飛び出したが――
気が付けばいつのまにかエルフ領の上空にいた。
自分が幼いときに過ごしたその場所に。
小高い丘で街を一望できるその場所にストンと飛び降りて、魔王は辺を見回す。
かつてともに戦い――人間や異界の神々に殺されてしまった仲間達が、そこでは笑って生活をしていた。
異界の神々や人間との戦いの中。いつかきっとと夢望んだ平和な暮らしがそこにはあったのだ。
仕事ばかりにあけくれて、家族を顧みる事をしてやれなかったと悔やんで死んだグラッドは、こちらの世界ではすっかり子煩悩な父親になり、仕事よりも家族を優先している。
自分が王になればこのような悲劇は起こらなかったのかもしれないと嘆いていたリュートは、今では逃げる事なく王位を目指し、ずっと貴方に仕えていたかったと死んでいったレヴィンはいまではコロネの密偵として働いていた。
他の者も――多少道は違えど、自分が後悔していた人生を、やり直しているのだ。
決して彼らは無駄死になどではない。
死んでいった彼らの魂は――確実に彼らの中で生きている。
何一つ無駄ではなかったはずだ。
それでも彼らを看取る時の恐怖は拭えない。徐々に生気を失い冷たくなっていく感覚。
どうしようもない絶望感。ただ看取ることしか出来なかった自分への後悔。
原初の巨人を呑み込んだ今でも、時々あの悪夢にうなされる。
自分の力で悪夢を見ないようにするのは簡単な話だが、それをしてしまえば、自分の存在価値がなくなるような気がして、それすらできなかった。
「お主はよくやったよ」
まるで心を見透かされたように声をかけられ、魔王は振り返った。
そこには何故か銀色の狼であり守護天使のミカエルが立っていたのだ。
「……何の話だ」
魔王が聞けば、ミカエルは鼻でふふんと笑い。
「何、独り言だ」
と、横にドシンと座る。
「何のつもりだ?」
魔王が凄んで聞けば、ミカエルはさして気にした風もなくペロペロと毛づくろいをはじめ
「かつての弟子の隣に座るのに何か理由が必要か?」
「……私はもうコロネではない」
「そのわりには過去の責任だけは一人で背負い込んでいるようだが」
ミカエルが言えば、魔王は表情を変えず、ミカエルを静かに見つめる。
「何を勘違いしているのかは知らないが、私にもう、コロネ・ファンバードとしての感情など残っていない。
そんなものは全て片割れに押し付けた」
魔王が言えば、ミカエルはやれやれとため息をついて
「本当に主はそれでいいのか?
過去だけは全て背負い込み、望んだ未来は全てエルフの方に差し出して。
後悔は残らないというのだな?」
ミカエルの問いに魔王は自嘲気味に笑い
「何を言っているのかわからぬな」
と、景色を見つめる。
「そうか。ならよい」
と、ミカエルはそのまま隣に座ったまま動かない。
しばらく心地よくそよぐ風を二人であび
「……もし仮に……」
魔王がポツリと話し始める。
ミカエルは黙って顔をあげた
「猫まっしぐらの事を言っているのだとしたら、それこそ思い違いだ。
あのような面倒な小娘は私には手に負えん。
――それに、あれが、惚れたのはコロネ・ファンバードであっても、分離して、別の道を歩み、すでに別人となった私の半身だ。
いくら魂が同じだからといって、私が口を出す権利はあるまい」
そう、過去に来たその時から、彼女が見ていたのは常に自分ではなく自分の後ろにいる、未来のコロネだった。
あの時からすでに、自分は片思いでしかなかったのだ……と、考えてしまい魔王は首を振った。
「どうした?」
ミカエルが不思議そうに聞けば
「いや、何でもない」
魔王が答える。
どうやら、まだ自分は過去の自分の感情に引きずられているらしい。
猫に情を抱いていたのは過去のコロネであって自分ではないはずだ。
再びだまり込む二人。
魔王は普段なら一人である事を望むのにミカエルが隣にいることを心地よいと感じてしまう自分に戸惑いを覚えた。
やはり自分はまだ過去の感情に引きずられているのだろうか?
「……コロネ様?」
唐突に背後から声をかけられ魔王は振り返った。
普段なら誰かが近づいてきているのに気づかないなどということはないはずなのに。
そこに立っていたのは黒髪の長身の竜人。レヴィン・ウォーカー。
かつて自分を守るために死んでしまった、男が今、目の前にいるのだ。
思えば、過去の自分はいつも守られるばかりだった。
――貴方が最後の希望なのですから――
言って、自分を庇って死んでいったレヴィンの最後が思い出される。
彼が人間たちにつるしあげられ、十字架に張り付けられて殺された時も――自分は助けに行くことはなかった。
罪悪感を抱えて一人生き残るくらいならレヴィンを助けにいき、そのまま死にたいと願っても、未来に帰る前のミカエルの言葉が蘇り、死ぬことを許されなかった。
――お主はこの世界の滅亡そのものを未来を救う力がある。決して死ぬなと――
その言葉がつねにコロネに呪縛のようにつきまとい、いつも見捨てる選択しかできなかった。
グラッドやリュート達の死も似たようなものだった、自分が出向けばもしかしたら助けられたかもしれなかったのだ。
それでも、未来のためにコロネは生き延びる事を優先した。
自分には世界を救う力があるというミカエルの言葉を信じて。
いま、不必要なほど自分を犠牲にしてしまう癖は、ひょっとしたらあの時の罪悪感から来るものなのかもしれぬな――と魔王は苦笑いを浮かべる。
それでも――
「……人違いだ」
言って、魔王が立ち去ろうとすれば
「いいえ、違いません。
魂の色がコロネ様ですから」
にっこりと腕を掴まれる。
……そういえば、この男は過去でも強引なところがあったということを失念していた。
扱いに困り魔王がたじろげば
「原初の巨人の力を手に入れる事に成功なされたのですね。おめでとうございます。
貴方ならできると信じておりました」
と、レヴィンはにっこり微笑んだ。
「……なっ!?」
「忘れたかコロネ。こやつには魂に記憶を閉じ込める術をおしえたであろう。
大体、マスターとアルファーはさっさと帰したくせに、我だけあのあと100年も残しておいて礼もないとは何事か」
と、ミカエル。
「はい。コロネ様ならきっと世界を救えると信じておりましたので。
転生しても、コロネ様との記憶が残るように魂に封じておきました。
システムが稼働していたせいで、思い出すのが遅くなってしまいましたが」
二人の言葉に魔王が困ったように眉根をよせれば、
「さぁ、約束だぞ。コロネ。
全てが終わって再会できたら酒を飲みに行こうと約束したはずだ」
ミカエルがそのまま立ち上がり、街へと向かおうとする。
「もちろんミカエル様の奢りですよね?約束ですから」
と、レヴィンが笑顔でかえした。
「1000年以上も前の古い約束をよく覚えていたものだ」
ミカエルがレヴィンを睨みながらいい、
「ミカエル様の教育のおかげでしょうか?」
と、ふふんと胸をはるレヴィン。
かつて3人で暮らしていた時の光景を視ているようで魔王は息を飲む。
「行くぞ、コロネ、何をしている?」
「……だから私はコロネではないと言っているだろう」
魔王が呆れたようにいえば
「エルフのコロネは覚えておらん。
ならば責任はお前がもつべきだ」
「そうですね。
それにあちらのコロネ様の方は猫様に夢中で私など眼中にありませんから。
貴方が責任をとって約束を守ってください」
ミカエルとレヴィンが笑顔でがっちりと魔王の腕を掴む。
「強引な所は相変わらずなのだな」
魔王のつぶやきに二人はニッコリと微笑むのだった。










