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オロチ綺譚

彗星綺譚

作者: かなこ

シリーズ物です。上部「オロチ綺譚」より1作目「巡礼綺譚」からお読み戴けるとよりわかりやすいかと思います。

 宇宙の中心と言われるその惑星は、桁外れの防衛システムを備えた要塞であった。

 戦艦はもちろん兵器も山のように所持し、あらゆる攻撃から鉄壁の防御で守られている。

 その惑星は『星』ではなく『中央管理局』と呼ばれていた。

 それは宇宙全体の政治的統括機能を所持している機関の総称で、常に宇宙全体のバランスを保ち、そのためなら時に手段を選ばない。彼らが宇宙の法律であり正義だった。

 その要塞の一室、豪華だがどこか殺風景な部屋に置かれたベッドの上で、銀河海軍総合司令本部総司令官のシャカキはため息を吐いた。

 肝臓と脾臓の損傷、それによる腎機能の低下に伴い複数の合併症を併発し、危うく死にかけたところを中央管理局特殊部隊対テロ対策室の近江とオロチに救われたのだ。

 テロリストに負わされた怪我は思いのほか重症だったが順調に回復してきたので、シャカキはこの中央管理局の医療施設に移って療養していた。

 その傷も癒えないうちに、また新たなるトラブルを持ち込まれた。

「情けない話だ」

「その言葉には心から賛同しますが、今はそんな事を言っている場合ではありません」

 中央管理局特殊部隊対テロ対策室こと通称COETのボスである近江は、面白くなさそうにベッドに起き上がっているシャカキのひざに置かれたモニタへ鋭利な視線を向けた。

「我が中央管理局は統括が仕事、防衛はあんた達海軍の仕事。当面の問題を解決すべきは、普通に考えて海軍でしょうな」

「何が『我が中央管理局』だ。持て余されて半独立部隊になっているくせに」

 シャカキは無表情のまま近江を睨んだ。

「だがまぁ、理にかなっている事は認めよう。これは我が海軍の仕事だ。……だが」

 シャカキはモニタに指を滑らせて数字を表示した。

「これだけの質量、速度、熱量となると……」

「ええ、既存の船はもとよりミサイルですら近づく事は不可能でしょうね」

 シャカキは考え込んだ。

「今から使用可能な船かミサイルを開発したとして、どれくらいかかる?」

「それは本来ならこちらが海軍に伺いたい事ですが」

「その減らず口は嫌いじゃないが、今は端的に話を進めたい。まさか実情を把握していないのか?」

 近江は眉間にしわを寄せたが、一旦言葉を飲み込んでから再び口を開いた。

「開発には年単位の時間と天文学的な資金、それに莫大な人員が必要です。そもそも造船が可能であったとしてもそれを操縦できるパイロットがいません。ミサイルの場合も発射台も含めれば建設は時間的にほぼ不可能でしょう」

「スイリスタルとローレライに最優先事項で依頼できないのか? 資金不足なら金の代わりに情報や権利を与えればいい。パイロットも海軍に手練がいない訳じゃない」

「両組織にうんと言わせるだけでも3ヶ月はかかります。海賊ハスターとコールドホールの件で、彼らは中央管理局に遺恨がありますから」

 シャカキの瞳に忌々しさが宿った。

「それはお前達の采配ミスだ。私の知った事ではない」

「お言葉ですが、ハスターの件に関してはそちらにも打診があったはずです。蹴ったのはあんたでしょう」

「好きで蹴ったんじゃない。そもそも当時のハスターの事情に関しては……いや、それはこの際置いておこう」

 2人は同時にため息を吐き、近江が再び口を開いた。

「……彼らの承諾を得られたとしても、代償はおそらくかなり足下を見て来るでしょう。こちらには強気に取引できる材料が何もありませんからね。それに最近の海軍のパイロットは、技術は高いかもしれませんがまるで度胸がない」

「……耳が痛いな」

 シャカキは実際に片耳を塞いでみせた。それはシャカキが抱え続けている問題でもあった。海軍はその威光だけで戦いを鎮圧する事も多く、実際の戦闘で使える者は示される数字より少ないのが実情だ。

「だが打つ手なしという訳にもいくまい。そろそろとどめを刺さないと、ヤツはまた300年後にやって来る」

「俺としてはそれでも一向にかまいませんがね。どうせ破壊されるのはUNIONのものだ。俺には関係ない」

「お前……そういう自分勝手な事ばかりを言っているとそのうち本当に干されるぞ」

「ですな。今だってあんたなんかへの伝令扱いにされているところですし」

 今度こそシャカキは本気で近江を睨んだ。

「そういう事を口にするから、中央管理局で持て余された挙げ句に私に始末が押し付けられるんだ。いい加減にこの問題を解決できなかった時のUNIONへの供物に自分がなっている事に気付け」

「気付いてますよ。だからこんなにやる気満々なんでしょうが」

 やる気の欠片もない乾いた声で、近江は明後日の方向を見て呟いた。

「あんただって最初からわかっていたはずだ。あれを退治するなんざ100年早い。少なくとも今の海軍と中央管理局の力では倒す事はできない。どうせUNIONの圧力に屈したんでしょうが、生け贄にされる俺の身にもなってくれ」

「普段の素行に問題があるからだ」

「死にかけたあんたに言われたくはない」

 再び、2人は同時にため息を吐いた。

「……1つ、手がないわけではない」

「わかってる。だが連中こそ金では動かねぇぞ」

「崩せるとしたら、船長の南ゆうなぎだ。人情に厚い男だと聞く」

 近江は愉悦に似た色を乗せた視線をシャカキへ向けた。

「……そうやって、あんたはどんどん嫌われてゆくんだな」

「お前も人の事は言えないと自覚しろ」

 シャカキはモニタを閉じた。



「船長、進路はスイリスタルでいい訳?」

 主操船担当の北斗に見上げられ、船長の南はうなずいた。

「あんな脅迫を受けた直後だからな。地球へ寄って金を作るより先にフェイクフィルタの設置を急ぎたい。頭金は現在の金額だけで我慢してもらおう。進捗状況を聞いて向かう事を告げてくれ。できるだけ早くなんて言ってしまった手前、待たせるわけにもいかないだろうしな」

 南は前面スクリーンに視線を向けた。

 技術先進国のスイリスタルで作られたフェイクフィルタを持って行けば、当面イザヨイ星は守られる。あの美しく穏やかで夢のような村は、誰の目にも触れないままひっそりと存在する事ができる。木々の隙間からこぼれ落ちる太陽の光、底が見えるほど透き通った小川、姿も鳴き声も美しい鳥達が天空を彩り、人々は自然と共に生きている。今の時代、そんな世界は書物の中にしか存在しなくなってしまった。

 その楽園を守るための資金として、エルフ達の作った細工物をオークションで売って金に替え、スイリスタルで仕入れた荷をローレライで売って増やした。正直に言って儲けはゼロだが、金で楽園が守れるならまったくかまわない。族長のヒバリは反対するかもしれないが、今ごろはウグイスが説得できている事を願う。

 思えば長い道のりだった。その間に何度危険な目に遭った事か。

 南がしみじみと思い出していると、航行補佐兼生活担当の菊池がキッチンからブリッジへ戻って来た。

「ごめん、この近くに食材を仕入れられる惑星ってない?」

「どうしたんだよ朱己、何かあったのか?」

 狙撃担当の柊が振り向くと、菊池はへたれ眉毛で見返した。

「それがさぁ、コンテナの不調でミルクが全滅しちゃったんだよ」

「何だって? コンテナが壊れてたのか?」

 南が慌てて見下ろすと、へたれたままの眉毛で菊池は見上げてきた。

「接触不良が起きたみたい。設定温度が10度も上がってて、幸い漏洩はなかったから他に被害はなかったんだけど」

「別にミルクくらいなくたって平気じゃん。コーヒーくらいにしか使わないでしょ」

 北斗が気怠そうにそう言うと、菊池はとんでもないとへたれていた眉毛を吊り上げた。

「グラタンやシチューはミルクから作るんだぞ。フレンチトーストもカルボナーラも作れないし、パンだって焼けない。そもそもデザートにはミルクは必須で」

「わかったよ」

 北斗はひらひらと片手を振って立ち上がった。

「修理してくるからそう怒らないでよ」

「修理はありがたいけど、ミルクがないとポタージュもココアも作れないよ、船長」

 再びへたれ眉毛で見上げられた南は、仕方ないと苦笑した。

「食べ物はモチベーションを上げるのに必要不可欠だからな。柊、近くに物資調達可能な惑星はあるか?」

「えーっと、そうだな、黒潮星が近いかな。そこなら物資もそこそこあるんじゃね?」

 柊がスクロールさせていたモニタを新たに立ち上げて見せた。

「ならそこにしよう。柊頼む。北斗は修理を任せたぞ」

「了解」

 そうして、オロチは急遽惑星黒潮に着陸する事となった。



 黒潮星に到着後、菊池は喜々としてクラゲを連れて買い物へ出かけた。荷物持ちには医療担当笹鳴が買って出たのでオロチには南と北斗、それに情報分析担当の宵待が残る事になったのだが、どうせやる事もないのだからと北斗もふらりと外出を申請した。

 黒潮星は雑多な雰囲気の惑星だった。

 人口は多く活気があるものの、洗練された雰囲気とは言いにくい。しかし物資は豊富そうで、ずらりと並んだ商店街には所狭しと商品が並べられ、露天の店も多い。

 この惑星には哲学者の輩出が多かった気がする。そう思いながら北斗は粗末な屋台の1つを選んで腰を下ろした。よくわからない物が煮込まれていたが、空腹を誘ういい匂いを放っていたからだ。それともう1つ、情報収集にはこういう店の方がいい。高度な政治的駆け引きの情報は得られないが、代わりに生活に密着した貴重なネタを得る事ができる。

 北斗が適当につまみと飲み物を注文すると、粗末な服に身を包んだ店主はそれでも威勢のいい返答をして皿とジョッキを北斗の前にどんと置いた。肉と木の実を煮込んだ物のようだが、思いのほか味はよかった。

 軍人の時代よりこのかた、北斗は情報収集が半分習性になっていた。宇宙戦争の勃発する現在、確かに装備は大事だが、それより評価すべきは情報だ。いかに相手が強大な武器を持っていようとも、その情報が漏れてしまえば対策を練られてしまう。

 実は案外この情報収集は菊池も得意としていた。菊池はあまり人に警戒されない雰囲気を持っているので、つい相手が重要な情報をぽろりと漏らしてしまうのだ。

 さて何を聞き出そうか。北斗が心の中で舌なめずりをした時、不意に隣に誰かが座った。

 面倒だな。いや、場合によってはこいつからもネタを得られるかもしれない。そう思った北斗の視界の端に、懐かしいがそれほど思い出したくはないデザインの服が見えた。

 軍服だ。しかも北斗が以前所属していた海軍中央本部のもの。

 心の中で舌打ちした時、隣に座った人物が店主に向かって注文をした。

「適当に見繕ってくれ。あ、一応勤務中だからアルコールは軽いもので頼む」

 そのだらけた声に、北斗は弾かれたように顔を上げた。

「あんた……!」

「よっ。久しぶりだな、すばる」

 にかっと笑うひげ面を見て、北斗は今度は実際に舌打ちをした。

「親父……」

 北斗吹雪は、ドヤ顏で笑ってみせた。


「いやぁ、本当に久しぶりだなぁ。何年ぶりだ? もしかしたらお前が海軍を飛び出して以来じゃねぇのか?」

 北斗は返答せずにジョッキを口に運んだ。

 吹雪は北斗の実の父親であり、海軍中央本部でも最大規模を誇る6方面艦隊司令室司令官をしていた。その影響力は名前を聞いただけで海軍士官達が姿勢を正すほどで、その息子である北斗はもちろんそういう意味では有名人だった。そういう七光り的な立場が嫌で、北斗は最年少で第1級パイロットの資格を取得するほど努力したのだが、それでも吹雪の影響下から脱出する事はできなかった。それが海軍を飛び出した理由の1つでもある。

「何の用?」

「相変わらず可愛げのねぇ野郎だな」

 吹雪もジョッキを呷った。

「用がなきゃ我が子にも会っちゃいけねぇのかよ」

「オロチを尾行してたの?」

 そうでもなければこんなところで海軍の司令官ともあろう者がふらふらしているはずがない。オロチが黒潮星へ降りたのは予定があっての事ではなく、つい先日急に決めた事だ。追跡でもしていなければ、ましてや地上で会えるはずもない。

 吹雪はつまみを口にかき込むと、もう1度美味しそうにジョッキを呷って息を吐いた。

「なぁに、半分は偶然よ。ちょっとこっちに用があってな。そこにお前達の固有電波をキャッチしたって訳だ」

「残りの半分は?」

 北斗は素っ気なく返してつまみを口に入れた。菊池の味付けに慣れている身としては、徐々に大味に感じてくる。

「お前の顔が見たくなったんだよ」

「制服で?」

 海軍の制服は目立つ。黒地に銀色の縁取りがされ、ましてや吹雪クラスになると階級章が重そうにいくつもぶら下がっている。着崩してはいるものの、見れば誰にでもすぐに分かるものだった。

「仕方ねぇだろう。出歩くなら制服でって、副官にしつっこく言われたんだからよ」

「へぇ、母さんも元気なんだ。で?」

 北斗の愛想のなさは一貫していた。半分以上は地だが、意図している部分も大きい。

 吹雪はちらりと北斗に視線を投げ、静かにジョッキを置いた。

「……事前情報だから未確認な部分も多い。それを前提に聞け」

 不意に吹雪の声が低くなったので、北斗は一瞬口に運びかけた箸を止めた。

「サウザンドビー……って聞いた事があるだろう?」

 北斗は無言で肯定を示した。

 サウザンドビー。別名有機生命集合体。

 彼らは一応生命体だと判断されているが、自我や意識の確認はされていない。名前の通り生命体が集合して恒星に匹敵するエネルギーを持った彗星だった。その質量は北斗の生まれた天の川銀河にある太陽のおよそ10倍。音速に近い速度でUNION本部のある銀河系を周回している。その周期はほぼ300年と言われており、以前やって来たのは北斗が生まれるずっと前だった。

「それがそろそろ帰ってくんの?」

「帰ってくんの」

 吹雪は懐からタバコを出して美味しそうにふかした。

「ふー。日和のヤツ、最近は禁煙しろってうるさくてな。こういう時でもないとタバコも吸えねぇ」

「くさいからやめて」

 北斗はわざとらしく煙を払った。海軍は原則として禁煙だ。司令官ともあろうものがおそらく普段は隠れて吸っているのだろう。嘆かわしい、と北斗は思った。

「ったく、そういうところは日和に似やがって」

 吹雪は最後に思い切り肺に煙を送ってからタバコをもみ消した。

「今のUNIONは、外見は何ともねぇように装っちゃいるが内情は火の車だ。地位のある連中の麻薬使用が明るみに出たからな」

 北斗は黙った。それはおそらく南の友人である元海賊アゲハの告発が原因だろう。あの時立ち会っていたのはUNION幹部のウララ・カスガだけではない。引き渡し先として海軍の階級クラスの人間も南とアゲハの会話をモニタリングしていた部屋にいた。外部へ出さない事はできたとしても、海軍には知られてしまっただろう。そこから吹雪も聞いたに違いない。

「そんな最中にサウザンドビーの来襲だ。しかも今回はUNION中央本部の真正面に突っ込んで来る可能性が高い」

「おめでとう。何万人ものフリートレイダーの溜飲が下がるよ」

 北斗はジョッキを飲み干してお代わりを頼んだ。

「そうも言ってられねぇんだよ」

 吹雪は子供のように不機嫌そうに下唇を突き出して北斗を睨んだ。

「人事異動が吹き荒れる今のUNIONでは責任の所在も明確じゃねぇ。だから中央管理局と海軍に丸投げしてきやがったんだ」

「じゃあ仕事すればいいんじゃないの? こんなとこで油売ってないでさ」

 出し巻き卵を口に運んだ北斗は眉間にしわを寄せた。菊池の作った物の方が100倍美味い。

「ばーろー。UNIONと海軍と中央管理局は持ちつ持たれつの関係なんだよ。そうじゃなくても次の重要ポストに誰が就くかで関係に変化が出るかもしれねぇ。いいかすばる、それによってはお前達フリートレイダーの身の振り方も変わって来るんだぞ」

「へー。それってサウザンドビーとどんな関係があんの?」

 脱線しかけた吹雪を北斗はきれいに修正した。昔からこんな感じなので慣れている。吹雪は苦い顔でジョッキを空にし、また同じ物を頼んだ。

「……ええとな、うん、それで、ああそうだ。お前ヤバいぞ」

 北斗は胡乱な視線を吹雪へ送った。これで本当に司令官なぞ務まっているのだろうか。

「いいかすばる、ここからが本題だ。基本的にサウザンドビーは俺達海軍が討伐する事になった。中央管理局は全面的にこれをバックアップする態勢をとる」

「妥当な判断だね」

 北斗は箸を置いた。これ以上食べてしまったら菊池の作る夕食が入らなくなってしまう。屋台の店主に対する情報収集ももうできそうにない。

「だがいくら海軍が宇宙一の力を誇ろうと、6,000Kを超える温度の彗星に突っ込んで平気な船なんかあるわけがねぇ。しかも相手は音速に近い速度で飛んでる。その中心を狙って狙撃できる腕を持つスナイパーと、そのスナイパーが撃てる操縦ができるパイロットなんざ、今から用意してたら間に合わねぇ」

「遠方から反陽子ミサイルでも撃つんだね」

「馬鹿野郎。中心に到達する前に蒸発しちまうだろうが」

「コーティングすれば?」

「何でやれってんだ? 日和の厚塗りだって負けちまう」

 吹雪はタバコを取り出しかけたが、北斗に睨まれたのでそのまま手を引っ込めた。

「幸いというか、サウザンドビーは固体ではなくエネルギーの集合体だから中心まで突っ込む事は可能だが、いかんせん温度が高すぎる。現在の最高素材はウンカイ星のレアメタルだが、あれだって5,000Kが限界だ。だいたい一気にそこまで加熱した場合のデータなんかありゃしねぇ。できるだけ短時間で中心部へ到達してコアを破壊するとなれば真正面からの侵入になるが、音速に近い彗星に真正面から突っ込んですれ違い様に反陽子ミサイルを撃つなんて離れ業は、誰にだってできる芸当じゃねぇ」

「御愁傷様。まぁ頑張って」

 ごちそうさま。そう言って立ち上がろうとした北斗の手を、吹雪が掴んだ。

「まだ話は終わってねぇ」

「軍を辞めた俺にはもう関係ないよ」

「だから、そうも言ってられねぇんだよ」

 吹雪が真顔だったので、北斗は渋々座り直した。

「すばる、俺達にはある情報がある。絶対零度の深淵から這い上がった、奇跡の船の情報だ」

 北斗の視線が一瞬で険しくなった。

「その船はスイリスタルとローレライの技術の結晶であり、すべてを飲み込んで進むコールドホールから太陽系を救った。操船技術と狙撃に於いてはUNIONすらさじを投げた海賊ハスターを殲滅したほどの腕前だ。今現在サウザンドビーを破壊する事ができる可能性があるのは、この宇宙でその船だけだ。どんな生物も死滅する0Kから一気に大気圏に突入したのに、溶解も分解もせずに戻って来たんだからな。速度とエンジンは海軍の巡洋艦クラス、都合のいい事にスイリスタルの最強兵器タンホイザー砲まで搭載している」

 北斗の身体から殺気がこぼれた。

「あんた……」

「これは俺だけが持っている情報じゃねぇ。中央管理局と海軍の司令官クラスなら誰でも知っている」

 2人は空気が凍るほど睨み合った。

「すばる、こんな事をお前にしゃべった事がバレたら俺だって始末もんだ。だが、今ならまだ間に合う」

 吹雪は静かに手を離した。

「逃げろ」



 上機嫌で買い物から帰り、ミルクのフルコースを並べた菊池は、夕食で北斗の報告を聞いて愕然とした。

「それ……本当なのか?」

 北斗は黙ってうなずいた。

「馬鹿親父は逃げろって言ってたけど、中途半端な場所じゃあUNIONの衛星にすぐ捕捉されるだろうね」

「待てよ。どうして俺達が逃げなきゃならねぇんだ?」

 柊はおもむろにフォークをグラタンに突き刺した。

「俺達は何も悪い事はやってねぇ。ローレライの時みてぇに何か融通して欲しい条件があるわけでも、新世206号……今は283号だっけ? その時みてぇに状況がマズい訳でもねぇ。取引する材料が相手にはねぇだろう」

「しぐれの言う通りだよ。俺達がこそこそする必要はないよ」

 菊池が肉団子のミルク煮を配りながら憤慨するのを見て、北斗もスプーンを手にした。

「親父はもう1つ言っていた。中央管理局には取引材料があるらしいって」

「それは何だ?」

 南が視線を向けると、北斗は小さく首を横に振った。

「そこまでは親父も知らないようだった。何でも俺達が動かざるを得ない切り札を持っているらしいって」

「はったりや。そんなもんあらへん」

 笹鳴は何事もないようにポタージュにスプーンを入れた。

「確かに法に抵触するようなギリギリの商売もした事あるけどな、証拠は残してへん。中性子ミサイルを積んどる分の余計な税金もちゃあんと払っとるしな。半額免除やけど」

 ポタージュをすする笹鳴に視線を向け、北斗は小さく吐息した。

「俺だってそう思ってる。でも、もしそんなものが本当にあったとしたら、依頼を受ける前に逃げた方がいいと思う」

「依頼やない。ほんまにそんなもんがあったとしたら、そら脅迫や」

 難しい会話に、クラゲは不安そうにクルー達を見上げていた。

「考えられるとしたら、家族を人質にとるって方法じゃないかな」

 息でシチューを冷ましながら、宵待はふと思いついて顔を上げた。

「それやったら俺と朱己は除外されるな。天涯孤独やし」

「俺も似たようなもんっスよ。遺体が確認されてねぇだけで、多分死んでるから」

「俺も多分そうだな。海賊に誘拐されたって事は、多分もう生きてはいない」

 柊と宵待が続けてそう告げ、次いで南も顔を上げた。

「俺も除外していい。俺の身内は今はもう母だけだが、現在のエアシーズの王を人質とするのは無意味だろう」

「なんだ。じゃあ家族がいるのって北斗だけ?」

 菊池が驚いたように北斗を見た。

「そうみたいだけど、うちは両親揃って海軍士官だから人質ってのは無理だと思うよ。いくら海軍がバカでもそこまで捨て身じゃないでしょ」

「じゃあ人質の線はなしか……」

 宵待は考え込み、再び顔を上げた。

「俺達と親しいといえばスイリスタルだけど、スイリスタルを敵に回すなんて事はないかな」

「ない」

 南は断言した。

「北斗の父親はUNIONと海軍と中央管理局は持ちつ持たれつの関係だと言ったそうだが、経済的立場で言えばUNIONはダントツだ。UNIONが敵に回したくない市場がスイリスタルにある以上、海軍と中央管理局がスイリスタルを敵に回す事はない」

 全員がため息を吐いた。

「じゃあ何だろう……俺達に仕事をさせるための切り札って。やっぱり逃げるしかないのかな」

「納得いかねぇっての」

 菊池の言に柊は面白くなさそうにグラタンの残りを口にかき込んだ。

「なんで俺達がUNIONやら何やらに手ゴマ扱いされなきゃならねぇんだ? 冗談じゃねぇよ」

 南は難しい顔で視線を落とした。

「俺達はこれからスイリスタルへ向かってフェイクフィルタを受け取らなきゃならない。そこまではUNIONに捕捉されてもかまわないが、それをイザヨイ星に運べばエルフの村の場所を追跡される可能性がある。それだけは避けたい」

「せやな。おもろないけど、サウザンドビーが去るまで雲隠れしよか」

 柊はなお面白くなさそうだったが、それでもイザヨイ星への影響を考えて口を結んだ。



「あのさ、菊池」

 夕食の後片付けを手伝いながら、宵待はおずおずと菊池を見た。

「毎回申し訳ないんだけど、サウザンドビーっていったい何なんだ? 北斗はエネルギーの集合体って言ってたけど」

「ああ」

 鍋を洗っていた菊池は顔を上げた。

「UNION本部のある銀河系の中心にある恒星の重力に引かれて周回する彗星の事だよ。俺の出身の太陽系にもハレー彗星っていうのがあって、楕円軌道を描く氷や塵の塊なんだ」

「氷や塵? そんなものなら撃ち落とせそうだけど」

「それがそうもいかないんだ。サウザンドビーは他の彗星とは構成物質が違うんだよ」

 菊池は蛇口から温水を出した。途端に周囲に水蒸気が上がる。

「ほら見て。一般的な彗星っていうのは、こういう水蒸気の集まりみたいなものなんだ。その中心に、水蒸気を発生させる核となるお湯がある。だから水蒸気そのものにミサイルを撃ったって消滅はしないけど、お湯に当たれば消滅する」

「サウザンドビーはそうじゃない?」

 うん、と言って、菊池は温水を止めた。

「サウザンドビーは氷や塵のような無機物が核じゃないんだ」

「そういえば有機生命体だって言ってたっけ」

 フォークとスプーンを所定に位置に納め、宵待は振り向いた。

「え? って事は、宇宙空間で生きて行ける生命体が集まってるって事? 全部の核、つまり命を奪わないと消滅しない?」

「違うよ」

 菊池は笑った。その隣ではクラゲがせっせとお玉や菜箸を拭いて片付けている。

「サウザンドビーっていう名前にヒントがあるんだけど、わかる?」

「ええと……」

 宵待はラップを手に考え込んだ。

「サウザンドは1,000だろ? ビーって事は、AやCもあるって事かな。彗星のクラス?」

 菊池はまた笑った。

「それも違う。ビーは『Bee』、つまりミツバチの事なんだよ」

「ミツバチの彗星? もしかして、花みたいな星雲を渡り歩くとか?」

 調理器具を片付けた菊池は、次に食器洗浄機を開けた。

「確かにミツバチの特性からついた名前ではあるんだけど、ちょっと違うんだ。中心に女王蜂がいるからなんだよ」

 宵待は納得したようにうなずいた。

「女王蜂……つまり、それが核って事? その女王蜂さえ退治すれば、彗星は止まる?」

「多分ね。重力に引かれて周回しているのは女王蜂なんだ。他の生命体はそれにくっついているにすぎない。だから女王蜂さえ退治すれば、周囲の生命体は消滅とまではいかなくても霧散する可能性が高い。女王蜂に近づこうとすれば働き蜂達の相当の抵抗があるだろうけどね。もっともそれはまだ仮説の域を出ていないんだ。解明はまだきちんとされてないから」

 菊池は食器洗浄機から次々と皿や小鉢を出しては食器棚に放り込んだ。

「俺が知っているのは太陽……俺の生まれた太陽系の恒星の10倍のエネルギー量を持っていて、推進速度は秒速300キロ前後、300年周期でやって来るって事くらいだよ。サウザンドなんて言ってるけど、いくつの生命体が集合しているのかもわかってないんだ」

「じゃあ、核の大きさもわからないのか?」

「えーと、そういえばどっかに書いてあったような……」

 菊池が考え込んだ時、それまで黙っていたクラゲがぴょこんと台から飛び降りた。

「きゅきゅう!」

「え?」

 クラゲは菊池の足にちょこんと触手で触れると、そこから3メートルほど離れてからくるりと振り向いた。

「きゅう!」

 その光景を見て宵待と菊池はあぜんとした。

「え……? クラゲ、サウザンドビーを知ってるの?」

 クラゲは胸(らしき部分)を張って「きゅう!」と自信満々に鳴いた。

「そうか、クラゲって宇宙空間を漂っていたところを捕獲されたって言ってたっけ」

「え? そうなのか? じゃあクラゲも宇宙空間で生きていけるって事?」

「多分」

 菊池はクラゲに近づくと抱き上げた。

「サウザンドビーと肉体構造に類似点があるのかもね。だとすると、女王蜂の大きさはおよそ3メートルって事か」

「たった3メートルの核で、恒星に匹敵するエネルギーを生み出せるのか?」

「密度が違うんだ。ましてや生命体だからね」

 菊池は微笑んだ後に、ふと真顔になった。

「でも、だからこそオロチに目を付けられた理由がわかるよ。100万キロ以上の直径を持ち、秒速300キロで進むサウザンドビーの中心にあるたった3メートルの核を破壊するなんて事、北斗としぐれのコンビ以外にできるわけがない」

「そして温度もだ」

 宵待も真顔になった。

「表面温度ですら6,000Kもある彗星に耐え得る宇宙船なんかあるはずもない。現在の技術プラス、菊池の力が必要だ」

 きれいに片付いたキッチンで、2人は苦々しい表情を作った。



「これよりUNIONの航路を外れて雲隠れに入る。幸い黒潮星で燃料と食材の補給を済ませる事ができたから、ひと月くらいなら大丈夫だろう」

「やれやれ。その間は開店休業かい」

 笹鳴は南に苦笑を見せてシートに腰掛けた。

「せやけどええんか? 北斗。俺達が雲隠れしよったら、情報を漏らした自分の父親がどない処分を受けるかわからへんで」

「さぁね。俺の知った事じゃないよ」

 北斗は帽子をかぶり直した。あの父親の事だ、過去の経歴からいってそう厳罰処分にはならないだろう。最悪懲戒免職を受けたとしても、そう簡単に生きていけなくなるタマではない。

「まずはこの銀河系から出る。この際ステルス機能を全開にしろ」

「宇宙航法違反は?」

「それこそ知った事じゃないな」

 南はキャプテンシートに座って天井に視線を飛ばした。

「故障だとでも言うさ。北斗、柊、頼む」

「了解」

「エンジン全開と同時にステルス起動」

 オロチは通常航路を外れた真っ暗な宇宙へ向かって飛び始めた。どこか辺境の地域でしばらく息を殺してサウザンドビーが通り過ぎるのを待つ。1ヶ月も大人しくしていればサウザンドビーは通り過ぎるだろう。その際にUNIONの中央本部がどうなろうと知った事ではない。彼らには税金の搾取と航行時の制限こそかけられ、恩恵は何1つ受けていないのだから。

「ヒマになったら何しようかな。溜まってる映画でも見ようかな」

「俺はレシピを増やすよ。ゴハンは期待しててね」

「俺はニュースをたくさん見て勉強するよ。事典も買ったしね」

「せやなぁ。俺は何しよ。北斗は何すんねん」

「寝る」

 好き勝手話すクルー達に、南は苦笑して目を細めた。サウザンドビーに突っ込むとなれば命がけだ。そんな事はごめん被りたい。

 だが、UNIONはそんなに甘い存在ではなかった。

 ステルス機能を全開にして姿をくらましたオロチへ、中央管理局と海軍を使って全力で捜索にあたり始めたのだ。もちろん非公式の捜索なのでメディアには一切出なかったが、航路を含めた宇宙海図のほとんどを把握しているUNIONの情報を提供された挙げ句に何万もの船を所有する宇宙規模の組織2つに追跡されては、せいぜい捕捉されるまでの時間を多少稼ぐ程度の事しかできなかった。

 もちろんオロチは全力で逃げたが、あらゆる方向から執拗に追跡され、10日目にしてとうとう根を上げた。

 宵待を連れて全宇宙の海賊から逃げ回ったあの時よりずっと数が多かったのもあるが、もっとも大きな原因はガス欠だった。オロチの燃料ではなく、またコンテナの接触不良が起きて、今度は卵が全滅したのだ。菊池はそれでも卵なしで何とか調理を続けたが、茶碗蒸しを好物とする北斗のモチベーションを上げる事はできなかった。卵焼きを愛する南も食事の度に口数が減り、フライを愛する柊も徐々にやる気を失った。

 オロチの基本動力を司るこの3人が気力を失っては、どれだけ燃料が満タンであろうともガス欠も同然の状態になってしまう。チャーハンもパンもプリンも作れない状況になり、親子丼もオムライスも食べられなくなり、「こんな思いをあと3週間も続けるくらいなら、サウザンドビーを退治しに命を賭ける方がまだマシだ」と、とうとう柊が口にした。

「なんかアレだよね……オロチって本当に人力で動いてるよね……」

「そうだな……」

 菊池と宵待はそう言ってため息を吐き、笹鳴もそれ聞いてため息を吐いた。

「そんな顔しないでよ、ドクター。仕方ないよ、みんな10日も卵なしでよく頑張ってくれたよ」

「頑張ったんは朱己やろ。せやけど、正直俺も限界や」

 柳川鍋と錦糸卵の乗ったちらし寿司を食われへん人生なんて、と笹鳴は真顔で呟いた。


 海軍に発見された時、オロチは辺境の地に着陸していた。

 そこで卵を購入していたところを捕捉されたのだ。海軍の上層部に報告された内容には「オロチのクルー達は、大量の卵を嬉しそうに購入していた」と記された。

『……ったく何をやってるんだ? おめぇらはよ』

 吹雪は通信モニタの向こうで苦々しい表情を作った。せっかく情報を流してやったのに、とはさすがに口にしない。

「仕方ないでしょ。茶碗蒸しが食べられなかったんだから」

『はぁ?』

 吹雪は呆れたような表情でため息を吐いた。我が子ながらこいつはアホだ。

『で、ちょっと依頼したい内容があるんだがな』

「想像はついている」

 今度は南が返答した。厳しい表情でキャプテンシートに寄りかかる。

「だが、こちらにはそれを受諾する義理がない。悪いが他を当たってくれ」

『そうはいかん』

 オロチの通信モニタに新たな画面が立ち上がった。

『今回は……今回も、是が非でも受けてもらう』

 モニタに現れたのは、いつか船に乗せてやったCOETのボスだった。

「てンめぇ! COETの!」

『久しぶりだな』

 近江が何か手を滑らせる仕草をすると、吹雪のモニタが消えた。

『ここから先は内密な話だ』

「別に、俺達には隠すような事は何もない」

『本当か? 海軍の通信を切ってやったのは、お前達のためだぞ』

 近江は無表情のまま冷ややかな視線をモニタ越しに送っていた。

『これは、今回サウザンドビー討伐を任じられた銀河海軍総合司令本部総司令官のシャカキ総帥からの言葉だ』

「お前は中央管理局の人間じゃなかったのか?」

『好きで伝書鳩やってんじゃねぇ』

 近江は舌打ちしたそうな表情で南を睨んだ。

『……発見したのは中央管理局だ。そこから海軍に情報が回った。それを伝えれば、お前達は必ず動くとな』

「ンなもんねぇよ」

『惑星イザヨイのエルフの件だ』

 オロチのブリッジが凍り付いた。

『先だって中央管理局の探査船が偶然地上に光を発見した。森の深部にあるはずのない集落の形跡があるとな。磁鉄鉱に邪魔をされて最初の探査ではポイントを限定できなかったが、2度目に最新のジャイロコンパスを搭載して探査したところ、半径50キロ前後を居住区域とした現住民族の集落を発見した。幻の民、エルフの集落だ』

 ブリッジはまだ静まり返っていた。

『スイリスタルUNION支部の情報によれば、お前達はフェイクフィルタ作成を依頼しているそうだな。内容は、半径50キロ内の探査機器類等からの遮断……これは何のためだ?』

「お前……エルフに何をした?」

『まだ、何も』

 険しい表情で睨みつけて来る南へ、近江は無表情のまま告げた。

『だがお前達次第だ。エルフは身体能力が高い上に外見も美しく、薬剤の関する知識も豊富だという。公然に引きずり出されたらどうなるかわからん』

「てめぇ! 助けてやった恩を仇で返しやがって!」

『言っておくが、その礼は新世283号の件で返した。それにこれは俺の考えではなく、あくまでもシャカキ総帥の指示だ』

 噛み付いた柊へ、近江は冷然と答えた。

『もしお前達が今回の件を引き受けるのなら、少なくともUNION及び海軍、そして我が中央管理局も、今後一切エルフの集落には手を出さないと約束しよう』

「信用しろと言うのか?」

『約束を反故にされたら報復はシャカキ総帥にしろ。その時は及ばずながら俺も手を貸そう』

 本気なのか、近江は真顔だった。

『考え方を変えろ。これはUNIONへ恩を売る最大のチャンスだ。そしてサウザンドビー討伐を命じられた海軍へも恩を売れる』

「お前達中央管理局にも、か?」

 近江は無言で肯定を示した。

『……あらゆる兵器、防御システムの提供は惜しまない。船だけ借り上げろという意見もあったが、お前達も船の一部であるという考えから俺の一存で却下した』

「ありがたい話だ」

 南は吐き捨てた。あの楽園が無粋なUNIONの手によって蹂躙されるかと思うと、想像しただけではらわたが煮える。

『まずは通常の航路に戻れ。詳しい話はそれからだ。悪いようにはしない』

「すでに最悪だ!」

 南は叩き付けるようにして通信を切った。

「くそ……っ!」

 柊が思い切り床を蹴りつけた。

「あん時見殺しにすりゃあよかった!」

「同感だ」

 宵待が顔を歪めた。ローレライの2人が作ったフェイクフィルタでは、とうとうカバーしきれなくなったのだ。中央管理局が発見したとなると、他の企業や輸送船に発見されるのも時間の問題だ。こうしている間にもエルフ達の生活が破壊されてしまうかもしれない。

「……やるしかない」

 南は顔を上げた。

「何としてでもサウザンドビーを討伐し、UNION連中からエルフの村を守る。笹鳴」

「……なんや」

「必要な兵器その他諸々をすべてピックアップしろ。ふんだくってやる。宵待」

「はい」

「サウザンドビーに関する情報をかき集めろ。どんな些細な事も漏らさずにだ。柊」

「……はい」

「宵待と情報を共有して対サウザンドビーの対策を練ろ。菊池」

「はい」

「クラゲと一緒にお前の力がどれだけ必要かシミュレーションしろ。それからスイリスタルへ連絡して、すぐにフェイクフィルタ設置の準備をするよう伝えろ。北斗」

「……はい」

 南は音を立ててシートに寄りかかった。

「ステルス解除! 固有電波発信! 通常航路に戻れ!」

「了解」

 オロチは勢いよくエンジンを点火させ、宇宙の中心部を目指した。


「さっきので完全に嫌われたね」

 近江の後方の席で参謀の羽叉麻が呟いた。羽叉麻自身はオロチの連中が嫌いではないが、彼らは強大な力を持ちすぎた。本人達の意思がそこにないにせよ、船の性能はもちろん、クルー達の質が貿易船にしては高すぎる。海賊を殲滅し、レジスタンスに力を貸して時の政府を転覆させ、宇宙すべての海賊を敵に回して生き延び、惑星を消滅させ、テロリスト達から海軍総帥を守り抜き、そしてとどめに化け物コールドホールから宇宙一の商業地区を救った。どれ1つとっても、並の貿易船にできる事ではない。

「俺だって好きで交渉したんじゃねぇ」

 近江はふんと鼻を鳴らしてコントロールテーブルに両足を乗せた。

「だがもうあいつらに頼る他に道はねぇんだ。脆弱な海軍のせいでな」

「違うでしょ。UNIONのせいでしょ」

 羽叉麻は近江の足に両手をかけると「よっこいしょ」とうなってコントロールテーブルから放り落とした。

「さ、俺達の仕事をするよ」

「総帥への報告ならお前がやれ」

「違うでしょ。エルフの件だよ。今後一切エルフの集落には手を出さない……なんて条件、俺は聞いてないけど?」

 近江はもう1度コントロールテーブルにどしんと両足を乗せた。

「サウザンドビーを退治してくれるならUNIONはどんな条件でも飲むだろうよ。UNIONが飲むって事は、海軍もウチも飲むって事だ」

「じゃあその交渉をやんなきゃでしょ」

 羽叉麻はもう1度近江の両足に手をかけて突き落とそうとしたが、今度は近江が力を入れて抵抗した。

「ちょっと。見た目が悪いから下ろしてよ」

「いやだ。これ以上誰かの思い通りになるなんざごめんだ」

 近江は口をへの字に曲げた。



 サウザンドビーは速度を変えずにUNIONの中央本部がある惑星を目指していた。

 直径100万キロのその物体は、本体が生命体であるがゆえに他の彗星のような重力はない。

 何を栄養としているのか、どんな繁殖方法で増えているのか、それはまだ謎のままだ。今までもっとも近くまで接近した無人衛星は、映像こそ送って来たものの本体は戻らなかった。近づきすぎて蒸発したのか、あるいは食われたのか。

 彼らはただ宇宙を300年周期で回り続けている。その目的もわからないままに。

「分かる限りのデータを集めてみたんだけど」

 宵待は中央スクリーンにモニタを立ち上げた。

「直径は約100万キロ、表面温度は約6,000K、中心温度は1.5×10の8乗、秒速約300キロ、輝度およそ3×10の40乗、構成物質は水素とヘリウムと炭素……これで生命体って言うんだからすごいな」

「速度はハレー彗星よりやや劣るが、救いと言えるほど遅いわけじゃねぇ」

 柊がやけ気味に宵待に続いた。

「コールドホールの件があってローレライの連中がおもしろ半分に耐熱処理をしてくれたから、ざっと見てオロチの耐熱温度は6,000Kは堅い。だが中心温度はそんなもんじゃねぇ。1.5×10の8乗だ。10の8倍じゃねぇぞ、8乗だ。一瞬で蒸発しちまう」

「頼れるのは菊池とクラゲの力だけ、というわけだな」

 南はうなった。彗星に突入などと言っているが、実際は太陽に飛び込むようなものだ。頭がおかしいとしか思えない。

「それだけじゃねぇっスよ。奴らは生命体だ。女王蜂を守る働き蜂の塊っス。すんなり中心に到達できるとは思えねぇ」

「つまり」

 笹鳴はモニタを見つめて目を細めた。

「働き蜂による更なる熱と攻撃の計算をせなあかんって事やな」

「時間も問題っスね。秒速300キロで突っ込まれた場合、直径100万キロならこっちが止まっていたって通り抜けるのに1時間近くかかる。だとすれば後ろからの侵入は論外だ。もっと時間がかかるからね。正面から同じ秒速300キロで突っ込んでも半分の約30分。倍速でも約18分だけど、これでも長過ぎる」

 あの北斗が眉間にしわを寄せてモニタを睨んでいた。

「秒速600キロでも18分……どんだけでっかいんだ」

 菊池は呆然としてため息を吐いた。太陽の中に18分もいたら、いくら菊池の力をもってしてもオロチは溶けてなくなってしまう。

「オロチの最高速度は設計上秒速800キロや。それでも15分かかるで」

 南は頭を抱えた。サウザンドビーの中心温度は0が250個以上続くほどの高温だ。そんな中に15分もいられやしない。

「それに、そんな速度で飛んですれ違い様にミサイルなり何なりを撃ち込むなんて、いくら人外な柊サンでも無理だよ」

「あンだと北斗! ……って言いてぇところだが、相当近距離で撃たねぇと女王蜂に到達する前に熱でミサイルが蒸発しちまうから、難しいのは事実だ。当たり前だが女王蜂に近づけば近づくほど温度は上がる。ほとんど接触しながら撃たねぇ限り、ミサイルの方が先に昇天しちまうだろうな。チャンスは時間にして0.01秒あるかないかってとこだが、既成のゴーグルで視覚が確保できるかどうかの問題もある」

「ミサイルに関しては俺とクラゲがシールドするけど……視界はどうしようか? クラゲ、光の屈折って変えられる? あ、でもそうすると狙えなくなるのか」

「きゅう〜ん……」

 クラゲが菊池のひざの上で触手を組んで鳴いた。

「オロチが焼け落ちるのが先か、女王蜂の息の根を止めるのが先か……」

 宵待はモニタの数字を視線でなぞった。先だっては絶対零度、今度は灼熱だ。

 南もモニタの数字を睨んだ。高熱を相手にするだけでもやっかいなのに、その上時間的な制限と働き蜂による攻撃も考えなければならない。しかもチャンスは1度きり、瞬きする間もないほどだ。

 せめて真っ直ぐ飛べれば柊も狙いやすいだろうが、半径50万キロという距離と反撃を考えればそれも難しい。菊池の能力でどれだけ熱を緩和できるかも問題だ。コールドホールの時は、結局船内にまで絶対零度が侵入してきてしまった。時間もそう長くは保たないだろう。コールドホールを抜けた後、菊池は1週間も高熱が続いたのだ。それは避けたい。そもそもESP能力が身体に与える影響について、南はあまり詳しくない。菊池は言わないが、もしかしたら寿命を縮めているのかもしれない。南はぞっとして両腕を掴んだ。

 クルーを失う。それは南にとって最大の恐怖だった。

 何か方法があるはずだ。必ず成功する方法が。クルーを守り、エルフの村も守る方法が。

「熱と時間と反撃と速度か。敵が多すぎるな……」

 柊は真剣な表情でモニタを睨みつけていたが、やがてシートごとくるりと回転させ、南を見上げた。

「船長、俺がなんとかする。時間をくれ」

 南はきょとんとして柊を見下ろした。

「え? なんとかって、何をどうやって?」

「この間のコールドホールの場合をふまえると、朱己が確実にシールドできる時間は、温度と迎撃力等をざっと計算してだいたい5分だと思う」

「5分って。全速力で飛んでも15分はかかるんだぞ」

「だから、それをなんとかするって言ってんの」

 柊は不意に真顔になった。

「スイリスタルの時は俺がいなかったから仕方ねぇにしても、コールドホールで1度オロチは致命傷を受けた。この俺が乗っているにも関わらず船が使い物にならなくなるなんて、いい赤っ恥だ。次は絶対に船ごと守る」

 それを聞いた北斗は、少し不本意そうに柊を横目で眺めた。

「船にこだわるんだね。UNIONは」

「うるせぇよ。次々と船を買い替える海軍のやり方じゃあUNIONじゃ速攻クビだ。荷も乗員も船も守る。それがUNION護衛艦隊のやり方だったからな。嫌でも身体に染み付いてんだよ」

「せやけど具体的にどうすんねん。俺かて朱己に無理はさせたないけど、他に方法があらへんのやったら」

「だからそれを何とかするって言ってんでしょーが。Sシールドじゃあ衝撃は跳ね返せても温度までは無理だ。それは前回のコールドホールの件でよくわかっただろ? ローレライの時の秘蔵のシールドミサイルとやらの製作は間に合わねぇって話だし、第一それがサウザンドビーに通用するかどうかのデータもねぇ。一か八かの賭けには出たくねぇんスよ。朱己に無理をさせず、船体にも必要以上に負荷をかけない。UNIONごときの脅迫で、俺は船を……俺達の居場所を危険に晒したくねぇ」

 柊は真剣な表情で南を見上げた。

「時間をくれ、船長」

 南は無言のまま柊を見下ろした。

「例え朱己が15分保ったとしても、15分きっかりでシールドを解除できるわけじゃない。接近する間もシールドは必要となるでしょう。その間に女王蜂を破壊するためのタンホイザー砲も撃つんスよ。朱己にどれだけ負担がかかると思ってるんスか」

 南はしばし柊と視線を合わせていたが、やがて小さくため息を吐いた。

「……わかった。やってみろ」

 それを聞いて、柊はすらりとシートから立ち上がった。

「部屋で計算してくる。自分から出て来るまで誰も来ないでくれ」

 柊はそう言ってブリッジを出て行った。



「上手く承諾させる事に成功したようだな」

「お陰さまで」

 近江は相変わらずの仏頂面でシャカキの前に立っていた。シャカキと言えば、こっちも相変わらずベッドに縛り付けられている。

「それで? UNIONにエルフの件を承諾させたのか?」

「ええ。そっちも何とか」

 シャカキは胡乱な視線で近江を見た。

「よくYESと言わせたな。脅迫でもしたのか? 新世283号の時のように」

「さぁ。参謀に任せましたので」

 近江がすっとぼけて返答するのを見て、シャカキは半眼になった。という事は、脅迫したのだろう。

「お前、ろくな死に方しないぞ」

「内臓破裂でくたばりかけたあんたに言われたくはないな」

「内臓破裂じゃない。肝臓と脾臓を多少損傷しただけだ」

「申し訳ありません。少しばかり願望を混ぜてしまいました」

 シャカキは額に手を当てた。普段は優秀で冷徹な対テロリストのエージェントなのに、自分を前にするとどうにもこの男は稚気が全開になる。

「わかった、もういい。それで、オロチは何を要求してきた?」

「詳細はリストにしてあります」

 近江はシャカキのひざの上にあるモニタにファイルを表示して見せた。

「輝度を遮断する特殊グラスにシールド増幅装置等です」

 シャカキはそのリストの文字を視線で追った。そしてふと不思議なものに気付いた。

「……なんだこの『食料保冷用コンテナ(丈夫な物)×2』というのは?」

「ああ、何でも食料を保管する保冷庫の調子が悪いんだそうです」

「それとサウザンドビーに何の関係が?」

「食事はオロチの最大の燃料なんだそうです。まったくもって同感ですな」

 シャカキはぐったりしてクッションに寄りかかった。オロチもこの男もヤケクソになっている。

「お前……私の事が嫌いだろう」

「今ごろ気付いたんですか。許可サインを願います」

 シャカキは怪我の悪化を感じた。



 サウザンドビーがUNION中央本部のある惑星に接近し、ただでさえ多忙を極めていたUNIONは更に蜂の巣をつついたような騒ぎになった。

 直撃されたらまず助からない。かといって逃げ出せはしない。中央本部には宇宙的にも重要な建物や組織が密集しており、惑星ごと逃げ出さない限りはUNIONの機能そのものを維持できなくなってしまう。

 UNIONは固唾をのんでオロチの行方を見守っていた。自分達の運命はすべてオロチが握っている。

 準備を整えたオロチがUNIONの前に姿を現したのは、サウザンドビーとの距離が1光年を切った頃だった。オロチは一定の距離をとってサウザンドビーと平行に飛行しており、それを見たUNIONの首脳部は悲鳴を上げた。

 今からサウザンドビーの正面に回って突入を行い、女王蜂を狙うにはあまりにも時間が無さ過ぎる。そんな事をしている間にサウザンドビーはUINON本部を飲み込むだろう。

 UNIONはオロチを呼び出したが、オロチは通信をブロックしていた。これにはオロチとの橋渡しを行った中央管理局に抗議が行ったが、海軍総帥の指示であるという言葉を繰り返すだけで埒があかなかった。

 UNIONはパニックになった。確かに討伐に関してはオロチに一任するという条件をのんだが、オロチはまるでUNIONを救う気がないように見える。

 UNIONは中央管理局と海軍に責任の追求を問い続けたが、そうしている間にもサウザンドビーは着実にせまっていた。

 そんな騒ぎの中、通産交渉部門管理官ウララ・カスガは1人静かにモニタを見つめていた。

 カスガの知る南ゆうなぎという男は、確かに義理人情に厚い男だが、それ以上に計算を間違うような愚かな男ではなかった。

 UNIONの中央本部を救えなかったという事になれば、オロチは完全な閉め出しを食らうだろう。今は自由に使えるUNIONの航路も使えなくなり、それは補給できないという一点に於いて貿易が不可能になる事を示す。

 南はそんな不利益な選択をするほど感情的な男ではない。例えUNIONに遺恨があろうとも、クルー達を巻き添えにして路頭に迷うような真似はしないはずだ。

 カスガの見つめているモニタには、サウザンドビーを見守るように操行するオロチが映っていた。それはUNIONの中央本部の周辺に張り巡らされた衛星からの映像だ。

 UNION中央本部の自分のデスクで、カスガはオロチが動くのを待った。

 その時、オロチは突然姿を消した。まるでモニタの故障かのように、こつ然と姿を消したのだ。

 カスガは一瞬腰を浮かせた。まさか、逃げたのか。

 他のモニタでオロチの動向を見守っていたUNION関係者達も、息を止めてその映像に食い入った。

 オロチが消えた。

 何の前触れもなく、何も知らせる事なく。

 一瞬静まり返った中央会議室に、次の瞬間には怒濤のような悲鳴がこだました。

 オロチはUNIONを見捨てた。サウザンドビーのエサにしたのだ。

 中央管理局と海軍への通信はパンク状態になるほど苦情が殺到した。UNION中央本部が消滅する。それはUNIONそのものの消滅ではないにせよ、宇宙全体にとってかなり危機的な状況になると言ってよかった。均衡が保たれていた宇宙に、巨大な穴が穿たれるのだ。

 大混乱に陥った周囲を尻目に、カスガはモニタから目を離さなかった。

 何かある。あのオロチが、南ゆうなぎが、そんなバカな真似をするはずがない。

 サウザンドビーは刻々とUNION中央本部にせまる。

 徐々にその大きさが具体的に分かって来るにつけ、UNION中央本部の人間達は言葉を失った。

 サウザンドビーは、まさに巨大な太陽だった。人の無力さを痛感するほど、圧倒的に大きい。

 徐々にモニタを埋め尽くすほど近づくサウザンドビーに、カスガの隣で部下が腰を抜かして床にへたり込んだ。科学が発達し、人が宇宙で生活できるようになって尚、自然は圧倒的な力を持っている。

 カスガですら椅子に座り込んだ。

 死への恐怖からというより、それは自然に対する絶望的なまでの畏怖からだった。

 このまま飲み込まれる。

 誰もがただ見守る事しかできず、呆然とモニタを眺めていたその時、サウザンドビーが歪んだ。

 カスガは光による視覚の暴走かと思ったが、サウザンドビーをモニタリングしていた機器類も異常を示した。

 サウザンドビーは一瞬ぐにゃりと歪んだ後、今度は収縮を始めたように見えた。密度が凝縮し、輝度が上がる。

 次の瞬間、ソニックブームのようないくつもの空気の輪がサウザンドビーより放たれた。

 誰もが固唾をのんでサウザンドビーを見守る。

 次にサウザンドビーの四方に光のようなエネルギーの放出が起こり、今度こそサウザンドビーは球体の形を崩した。

 バラの花びらが1枚ずつはがれるかのように、サウザンドビーが外側から音を立てずに崩壊し始める。

 ぼろぼろとはがれ落ちた花びらのような光の塊は、UNION中央本部のある惑星の外気圏に触れるより先に、宇宙へ溶けていった。

 やがて、サウザンドビーは大気圏突入で燃え尽きる宇宙衛星のようにきらきらと光を放ち、長い尾を引いて消滅した。

 UNION中央本部にいた者達は、いったい何が起きたのかわからなかった。

 まるで太陽が消滅したかのよのように空は暗くなったが、あれだけ巨大な物体がなくなった事に頭がついていかなかった。

 さっきまで自分達を飲み込もうとしていた巨大なエネルギーの塊が一瞬で消滅したのだ。美しいほど儚く。

「あれは……!」

 そう叫んでカスガが見上げた巨大モニタの中央に、小さな点が現れた。

 それはついさっきまでサウザンドビーを正面から捉えていたモニタだった。今はもうただ暗い宇宙を映しているだけで、サウザンドビーが現れる前の状態に戻っている。

 その中央、サウザンドビーの、おそらく女王蜂がいただろう場所に現れた白っぽい物体。

 間違いなく、さっきまでサウザンドビーと平行して飛んでいたオロチだった。

 姿を消してから現れるまでの時間はごくわずかだった。おそらく5分と経っていない。半径50万キロの中心に一瞬で到達し、無数の働き蜂達の攻撃をかわしつつ女王蜂の息の根を止めるまで、わずか5分。

 その時、カスガは気付いた。

 あの瞬間、姿を消したあの時、オロチは決してUNIONを見捨てた訳ではなかった。

「ワープか……!」

「え、な、何ですか? カスガ管理官」

 床にへたり込んでいた部下が、ようやく我を取り戻して上司を見上げた。

「ワープだよ! オロチは女王蜂のいるサウザンドビーの中心へワープしたんだ!」

 通常、ワープとははるか前方へするものだ。その常識を覆して、オロチは左右への瞬間移動へ使った。だがそれは言葉にするほど簡単ではなく、未だに成功させた者などいない。UNIONのスーパーコンピュータですら計算に半年は有する難題だ。実際に実施するとなると、試験期間も含めて時間は更に必要となる。

「柊しぐれか……!」

 元UNIONの護衛艦隊隊長。その能力は戦闘に関しても天才的な力を発揮したが、彼は戦略にも異様に長けていた。周囲の惑星の重力や磁場を計算し、あらゆる場面で必ず勝利を引き寄せた。その勝率は未だにUNIONの護衛艦隊の中でも凌いだ者はいない。

 当然スーパーコンピューターなど積んでいないオロチがその計算を成功させたのだとすれば、柊以外にやってのけられる者などいない。

「なんて男だい……つくづく惜しい男を手放したもんだよ」

 苦笑するカスガを、部下は愕然とした表情で見上げた。

「まさか、そんな、左右にワープするなど不可能です!」

「それを可能にしたんだよ、柊しぐれは。ところでいつまでそうしているつもりだい? さっさとオロチを迎えに行きな」

 部下は慌てて立ち上がると、通信マイクへ向けて救護船の発進を促した。



 サウザンドビーの中心へワープする事を提案したのは、カスガの予想通り柊だった。

 その計算は南ですらまったくわからない理屈で行われ、ワープ後の進退に関しては北斗が戦略を立てた。

 ワープと同時にSシールドを全開にし、菊池はクラゲとともに温度調節にのみ専念する。働き蜂達の攻撃はSシールドですべて跳ね返し、それでも侵入して来たものはプレ・ロデア砲で北斗が片付ける。タンホイザー砲を発射する瞬間だけ菊池がSシールド内に新たにタンホイザー砲のみをシールドする結界を作り、Sシールドからタンホイザー砲が出たらすぐにシールドと温度調節を同時に行い、爆発をやり過ごす。

 タンホイザー砲発射と同時のワープは、柊の計算能力をもってしても不可能だった。それゆえに爆発の中心地で全力で状況を維持する事を選択したのだ。

 その際、ローレライの技術者達がシャレで付けた音波発射装置が功を奏した。

 それは宵待の低周波を菊池を媒介とする事なく放出させるもので、その低周波によって仲間同士音波で連携をとっていたサウザンドビーの動きを牽制する事に成功したのだ。

 だが、爆破の中心地の衝撃は柊の想像を遥かに超える威力だった。菊池の力をもってしても圧力にシールドが押しつぶされ、ウンカイ星のレアメタルで造られた船体でなければ、ひしゃげてぺしゃんこになっていただろう。

 女王蜂の爆砕そのものにも柊は尽力した。もちろん外すなんて事は論外だったし、女王蜂を守ろうと向かって来る働き蜂達に盾になられるのも避けたかった。突然侵入してきた異物に対し猛攻撃を加えて来る働き蜂達のわずかな隙を見つけて、柊はタンホイザー砲を放った。

 その柊が思う存分動けたのは、北斗のお陰だった。熱と猛攻のただ中で、北斗は機首を一瞬もぶれさせる事なく女王蜂へ向け続けた。並のパイロットなら機首を保つだけでも至難の業だが、オロチを自分の身体のように扱い、それを成功させた。

 それでも火傷を負ってしまったクルー達へ、笹鳴は治療に手を尽くした。柊の計算通り菊池とクラゲは5分間のみのシールドで済んだお陰でタンホイザー砲の防御へ全力を注ぐ事ができ、お陰でオロチは機体を分解させる事なく生還した。

 その全体の指揮を、南は確実に行った。クルー達を絶対に失いたくない。その一念で、この危険な賭けを成功させたのだ。

 船体には多少の被害が出てしまったが、それでも全員生き延びた。

 所々ノイズが走ってろくに映らない中央モニタに、それでもこちらに向かって来るUNIONの救護船を見つけ、南はキャプテンシートに深く寄りかかった。



 オロチの外装に損害が出てしまったので、クルー達はUNION中央本部での停泊を余儀なくされた。

 内部にそれほど被害はなかったものの、外見は見るも無惨な姿になってしまったオロチへUNIONは修理を申し出たが、南はそれを丁重に、しかし断固として断った。オロチの内部をUNIONなんかに知られては何をされるかわからない。代わりに船ごとスイリスタルへ移送する事を依頼した。修理代はかさんでしまうが、UNIONに借りを作るくらいならローンを組む方が100倍マシだった。

 オロチの輸送船を待つ間、柊は与えられた部屋から一歩も外へ出ようとしなかった。

 何人もの人間が柊に面会を申し込んだが、それが過去の同僚であろうと柊は頑として会おうとせず、日がな一日ヘッドホンで音楽を聴き続けていた。

 南も表彰だの栄誉だのの授与を言い渡されたが、それらをすべて蹴った。自ら志願して行った作戦ではない。脅迫されて仕方なくやった事を評価されてもちっとも嬉しくなどなかった。

 菊池と宵待と笹鳴は少しだけ外へ出たが、観光施設ではないのですぐに飽きた。

 わずかな停泊期間の間、オロチが面会したのはたった3人だけだ。

 UNION通産交渉部門管理官ウララ・カスガ、中央管理局特殊部隊対テロ作戦部室長近江天武、銀河海軍6方面艦隊司令室司令官北斗吹雪。それも1人ずつ会うなんて真似はせず、3人いっぺんに面会した。ウララ・カスガと北斗吹雪は旧知の仲だったが、近江は初対面だった。しかしそんな事にかまわず、南は『3人いっぺんにならいい』と言ったのだ。

「今回はカスガのばーさんが無理を言ってすまなかったな、南」

「バカお言いでないよ。交渉したのは中央管理局じゃないか」

「……俺はシャカキ総帥の言葉を伝えただけだ」

 仏頂面で並ぶ3人へ、同じくらい不機嫌そうな顔をした南が正面から睨みつけた。他のメンバーも一応同じ席に着いてはいたが、柊だけは少し離れた場所でヘッドホンを耳にかけていた。

「これを機会に言っておきたい」

 南は腕を組んで3人を見据えた。

「もう2度と、金輪際、何があっても、あんたらの脅迫には屈しないからそのつもりでいてくれ」

「脅迫したのは中央管理局とUNIONだろ? 俺達海軍じゃねぇ」

「同じだよ」

 北斗が吹雪を睨み返した。

「もう面倒ごとはごめんだね。あとは自分達で何とかして」

「今回の件に関してはUNIONが何とかするだろうが」

 近江は苦い顔で長い足を組んだ。

「これからの事は保証できん」

 クルー全員に睨まれても近江は表情を変えなかった。

「なぜなら俺達はそれぞれの組織のトップではなく中間管理職だからだ。上に指示されれば従わざるを得ん」

「なら上にそう報告してくれ」

「もちろん報告はするが、それを上が聞き入れるかどうかは別の問題だ」

 笹鳴はうんざりした表情でメガネを押し上げた。

「なんや。使えへんな、自分ら」

「中間管理職の辛さがてめぇにわかってたまるか」

「好きでやっとんのやろ。いややったら辞めたらええ」

 近江は返答できずに口をへの字に曲げた。

「まぁそういじめなさんな。こいつの事はあたしも噂で聞いてるけどね、そう悪いヤツじゃあないよ」

 カスガはソファの中央で親指で近江を指して笑った。

「今回の事だって、ずいぶん陰であんたらをかばったらしいよ。あたしは聞かされてないけど、あんた達が脅迫されたって内容の条件、それを海軍とうちに承諾させたのは近江なんだから」

 近江はふんと横を向き「気に入らねぇヤツらにささやかな仕返しをしただけだ」と言った。

「吹雪だって事前に情報を流したそうじゃないか。バレたらただじゃあ済まなかったはずだ。これでもあたしらはあんた達をかばったつもりだよ」

「諸悪の根源のUNION関係者に言われてもな」

 南は半眼になってカスガを見た。

「何にせよ、もう俺達には関わらないでくれ。俺達はまっとうな商売をささやかに行っていきたいだけだ」

「なぁにがささやかだ。ささやかな貿易船は惑星を破壊したり海賊をなぎ倒したりしねぇよ」

「あんた達海軍が情けないからでしょ」

「何だとすばる! お前だって元海軍だろうが!」

「元、ね」

 北斗はつんと吹雪から顔を背けた。

 そこで近江は小さくため息を漏らした。

「……俺達3人は、オロチに嫌悪感を抱いてはいないという共通点がある。特に俺は1度は助けられた身だしな」

「貸し借りはもうないって言ってたじゃないか」

「仕方ねぇだろう。あの通信は中央管理局の上層部も盗聴してたんだ。迂闊な事は言えなかったんだよ」

 その割には総帥に報復する時は手を貸すとか言ってたよね、という菊池のつぶやきは、近江に意図的に無視された。

「嫌いじゃねぇ。だが表立っては協力できねぇ」

「それは」

 南は前屈みになって両膝に両肘をついた。

「表立ってでなければ、今後は協力すると言っているように聞こえるが」

「そう思うならそうなんだろうよ」

 相変わらず仏頂面の近江に、カスガは苦笑した。

「結局はそういう事さ。あたしらはあんた達が好きなんだよ。自由に自分の意志で宇宙を飛び続けるあんた達が。いつまでもそうあって欲しいと願ってるのさ」

「なら放っておいてくれ」

 南の言葉にカスガはまた笑い、立ち上がった。

「邪魔したね。もう少し話していたいけど、あたしらもそこそこ忙しくてね」

 カスガに続いて近江と吹雪も立ち上がった。

「オロチの輸送は中央管理局で引き受ける事になった。2日後には輸送船が到着する。それまで好きにしていてくれ。輸送指揮は俺が取る」

 近江はそう言ってきびすを返した。

 その後を追おうとした吹雪は、ふと立ち止まって振り向いた。

「おいすばる。時々は連絡を寄越せ。日和が心配してたぞ」

「俺の心配なんかより、不出来な自分の亭主の心配でもしててって伝えて」

 吹雪は眉間にしわを寄せたが、それでも苦笑を浮かべてドアへ向かった。

 カスガはそのまま出口のドアへ向かわず、そっぽを向いたままヘッドホンをしている柊へ近づいた。

「……あんたを手放した上司のクビが、この間飛んだよ」

 柊は目を閉じたまま、微動だにしなかった。

「そのうち色々とわかってくるだろう。あんたは立派だった。例え上層部が認めなくても、あたしはあんたを認めるよ。たいしたヤツさ」

 尚も反応を見せない柊に苦笑して、カスガもきびすを返した。

「じゃあね、オロチのみんな。また会おう」

「会いたかねぇよ」

 目を閉じたまま初めて言葉を発した柊に振り向き、今度は柔らかい笑みを浮かべて、カスガは出口の向こうへ姿を消した。

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