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幻燈の果てに

作者: 篠城将朝

 私は故郷の駅前の大通りを歩いていた。まだ昼前であったが、大通りには私以外に歩いているものはいないようだ。車の往来も無く、私の足音のみが静寂を破っている。春先のような暖かい日差しの下、ゆっくり道を歩いていくと、街路樹の下に女が佇んでいるのが見えた。背が高く、髪の短い美しい女だった。私がそのまままっすぐ歩いて女の横を通ると、女も歩き出し、二人並んで歩く格好となった。横目で窺うと女はきっと前を見つめ、一心に歩いている。だが、常に私の隣を歩いており、何だか古くからの知り合いと一緒にいるような気持ちになってしまった。

 この女が気にかかり私は試みに歩みを緩めた。すると女も歩みを緩めた。急ぎ足にした。女も急ぎ足になった。やはりこの女は自分についてきているのだと納得した。

 いつの間にか辺りはどこまでも広がる田園風景となっていた。田にはまだ若い稲が植えられ、水面は空の青をくっきりと映し出していた。

「懐かしいね。」

不意に女がそう言った。低いがよく通る不思議な響きだった。

私はぼんやりと雲を眺めていた。

「懐かしいね。」

また女が言った。表情を窺うと顔には微笑が浮かんでいる。

「ああ。」

私はそんな曖昧な返事をしただけだった。しかし女は満足したらしく、ゆっくりとうなずいていた。そうして、

「懐かしいね、懐かしいね。」

と、歌うように言った。言葉の一つ一つを飴玉のように口の中で転がしているようであった。

 田園風景はどこまでも続いていた。私と女は小魚の踊る小さな小川を渡り、狐の隠れる古い民家を通り抜けた。小川にも民家にも見覚えがあったような気がした。やがて遠くに大きな神社があるのが見えてきた。まるで水田の中に浮かんでいるようで、どこか寂しげに見えた。

「懐かしいね。」

その神社が見えてくると女はまた言った。

「でも行けないね。」

その声はすこし悲しげであった。女の顔を見たが、女は相変わらず微笑を浮かべているだけだった。

「なんで行けないのさ。」

私はその横顔を窺いながら尋ねた。

「だってもうこんな時間だから。」

女は空を見上げながらそうつぶやいた。すると青く澄んでいた空に一筋の閃光が走った。空には大きなヒビが入り、空の青はそのヒビの隙間へとこぼれていき、暗い赤色だけが残った。もう、夕暮れの時刻である。

「帰りたいね。」

女が言った。

「どこに。」

「帰りたいね、帰りたいね。」

それだけを言って女は私を見つめた。その顔はどこまでも薄く微笑んでいるだけだった。

「懐かしいね、帰りたいね。」

その瞳には私の姿がぼんやりと浮かんでいる。そのうち瞳の中の私はゆらゆらと霞み、煙に吹かれるように消えてしまった。

 気が付くと女の姿はもうどこにもなくて声だけが響いていた。そしてその声は風に流され消えていった。辺りはみるみるうちに夜に染まっていき、月が高くなった。

ちりん。

 どこかで鈴が鳴った気がした。


 私はすっかり暗くなった夜の中を一人歩き始めた。周りの水田からは幾匹ものカエルの鳴き声があがっている。それは機械的で、悩ましげで、不快であった。遠くには人家らしき建物の明かりがぼんやりと浮かんでいる。しかし、いくら歩けどもその光は一向に近づかなかった。もう、なんのために私は歩いているのか思い出せなかった。 

ふと気が付くと目の前に大きな聖堂が見えた。たしかに先ほどまで存在しなかったはずだが、無意識のうちに私はそちらへ歩みを進めた。

 聖堂は白い外壁の重厚な造りになっていた。おおよそこんな田園のなかには似つかわしくなく、西欧の古都にそびえているような立派な建物である。正面の扉が開いており、そこから青い光が漏れている。私は迷わず中へと進んだ。聖堂の中は真っ白で、天井の高い広々とした空間となっていた。何も物は置いておらず、殺風景で不気味な静けさが漂っている。一方、壁には緻密な彫刻が施され、何百体もの人の姿が刻まれていた。息をのみ、その一つ一つの顔をよく見てみると、それらはすべて、私の知っている顔であった。

 部屋の奥には小さな扉があり、そこからも青い光が漏れ出していた。誘い込まれるようにして扉を開けると、目の前に大きな絵が現れた。一人の青年が立派な鎧や兜、剣を身に着けている絵である。

  『勇者の絵』

絵の下にはそれだけ書かれていた。

「ああ 想えば哀しき勇者かな。望まぬ戦に駆り出され、遠き異国に遂に果つ。」

突如聞こえてきた声に振り返るとすぐ後ろにトレンチコートを羽織った一人の男が立っている。青白い肌に、鋭い黄色い目が映えている。

「愚かな戦い、人の諍い、聖戦などとのたまえば、大地は紅く染まりけり。」

コツコツと足音を鳴らしながら男は近づいてくる。

「闇は払えし、さしもの勇者も、醜き戦に身を投じ、その身に傷を増やしけり。」

男はするりと私の横を通り過ぎる。足音はしない。そして絵を見上げ、両手を掲げながら続けた。

「気づけば勇者は既に亡く、人は戦に疲れ果て、長き時が」

声が途切れた。男は変わらず、両手を挙げたままである。不審に思って、恐る恐る顔を覗くと男はただの人形であった。そして、勇者の絵を見上げると、そこには形容しがたい、赤黒い異形の怪物が描かれているだけだった。青い光に包まれ、足早に私は聖堂を後にした。扉を開けたとき、後ろから「然るに勇者は…」とかすれた声が聞こえた気がした。


 外に出ると辺りは紅い光に包まれていた。空を見上げると空を覆いつくさんばかりの巨大な赤い光球が浮かんでいる。それはいつか夢の中で見た世界の終末の光景によく似ていた。私は漠然と世界はこれでお終いなのだと思った。不思議と恐ろしくはなかったが、先ほどの女性の事だけが気がかりであった。

 光球から一滴の滴がこぼれた。それはほんのわずかではあったが、近くの水田に落ちるとそこを瞬く間に燃やし尽くした。しばらくすると炎はすっかり消えたが、そこには何も残らなかった。文字通り「何も残らなかった。」のである。そこには焼け跡も地面もなければ、空間が無くなっていた。そのうちに雨のように光球から滴が降り注ぎ始めた。大地は一瞬にして燃え盛り、火の海となった。赤々とした炎はやがて私を包み込んでいく。不思議と熱いという感覚は無く、私は燃える炎を美しいとさえ思った。やがて煙で何も見えなくなってしまい、私の存在も煙の中に溶け込んでいってしまった。


 どのくらい時間が経っただろうか。私は気づいた。だが、周りは依然として煙に覆いつくされ、何も見えなかった。暑さも寒さも、痛みも苦しみも何も感じない。そこは限りなく無に近い空間に違いなかった。そのとき、煙の向こうに緑色の光がぼんやりと見えた。もはや他にどうすることもできない私は光の方へと足を進めた。

 緑色の光に近づくと煙はやがて薄くなり、何とか周りを見渡せるようになった。そして光の元へと進んだ。どうやら光っているのは一メートルほどの岩らしい。細長い形をしており、台座の上へと乗せられている。近くに錆の目立つ案内板があり、そこにこの岩の説明が書かれているようだ。


  浮舟岩

   この岩はその細長い形状から舟に譬えられ「浮舟岩」と呼ばれています。この岩には、かつて一人 の旅人が濃霧により、道に迷っていた時にこの岩が光り、行く先を照らし出したという民話が残されて います。古くからこの地域の信仰の対象とされ、およそ300年前にこの場所に安置されたと伝えられ ています。



 説明を見終えて辺りを見渡すと、すでに辺りに煙は無く、私は一人田園に立ちすくんでいた。頭上で大きな鳥が濁った声で鳴きながら飛んで行く。

しゃらん。

 鈴の音が近い。

 

 朝焼けなのか、夕焼けなのか、田園風景は地平線の太陽の光に輝いていた。空には一つの星が瞬いている。すぐ近くには古びた神社が見える。私はこの神社の鳥居まで歩いていくと、この神社には見覚えがあることに気づいた。不揃いな石段を上ると苔むした灯篭と狛犬が見えた。それはいかにも長い歴史を感じさせるものであったが、なぜか拝殿だけは今できたばかりのように新しく、堂々としていた。

しゃらん、と鈴の音がした。拝殿の前に誰かが佇んでいる。淡い紺色の着物を着ている女性だった。彼女は私の足音に気が付いたようで、ゆっくりと振り返った。

「また会えたね。」

彼女は微笑んだ。その目には涙が浮かび、光を受け輝いていた。




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