契約成立
シン……。
再び静まり返る会場で、次に声を発したのはシェアだった。
「う、売った~!」
会場の動物種は三分の一程度しか立ち上がっていないが、当然不満が噴出する。
第三者の横やりで、生意気な人間を叩きのめせないまま中断させられたのだ。
(よしッ! 奇跡ッ! 売れたッ! 俺様もう関係ねェ!)
シェアが即決した理由、それは一度売買が成立すれば、奴隷が犯した罪の責任はすべてその主が負わなければならないからだった。
「こらそこのイヌ種! 勝手に現れて、勝手に購入だ? ふざけるな!」
「そうだそうだ! この有様を見ろよ⁉ この人間の行為は重罪だ!」
リコは倒れている動物種たちを横目に見る。
「その手錠を付けた人が、ひとりでこんなことをしたの?」
「……こ、これは、この人間が攻撃を避けるから、流れで当てちまって」
「あなたは殴られようとしたら避けないの?」
「そういう問題じゃない! 先に挑発したのはこの人間だ!」
イッキは黙ってリコを見つめている。
「先に手を出したのは、あなたたちじゃないの?」
「そ、そこの奴隷商人が、この人間がゴーレムをたったひとりで討伐したなんてホラを吹くから、ただ確かめようと」
リコは、はあ、と大きなため息を吐いた。
「言葉に暴力で返すなんて、最低」
そのまま、ゆっくりシェアの元へ歩みを進める。
「これで、足りますか?」
リコが手渡したのは一枚のコイン。
だが、シェアは目を見張る。
(こ、こりゃァ、サイクロプスのコイン⁉)
モンスターのランク毎にコインの価値は異なる。
サイクロプスは中の上に分類され、手練れのハンターでなければ討伐困難といわれているモンスターだ。
コレクションとして保管する者が多く、売れば100万はくだらない代物だった。
「もッ、もちろんですッ! ありがとうございますッッ‼」
断る理由がないシェアは、喜んでリコに手錠のカギと首輪のリモコンを渡した。
「契約成立――これで、正式にその人はわたしの奴隷」
ぐ、と周囲の者は歯噛みした。
他者の所有物になれば、安易に手出しはできなくなる。
しかし、『最弱の人間』に誇りを傷付けられた彼らはそれでも引き下がれなかった。
「――ダメだ! その契約は不成立だ!」
「じゃあ、『決闘』しかないよね」
リコが向き直る。
「ルールは、さっきの続きにする? 相手は、あなたたち全員とわたしひとりでいいよ。もちろん、わたしは手もだすけど」
「――お、おいこいつ」
意義を唱えた内のひとりが、リコのギルド証に気付いた。
誘いに乗ろうとした男の服を引き、顔を動かして教える。
「⁉ ……こ、今回は、見逃してやるよ。引き取ったからにはきちんとしつけろよ、いいな⁉」
リコのギルド証のレベルにすっかり腰が引けてしまった彼らは、蜘蛛の子を散らすようにそそくさと退散していった。
荒れた会場に残ったのは、イッキと、リコと、シェアだけ。
「それじゃ、いこ?」
「……すみません。外で、待っていてもらえますか。そこのヘビの人にお別れの挨拶をしておきたくて」
「ん、いいよ。じゃ、待ってるね」
リコが外へ出るのを見送ったシェアは、内心気が気ではない。
(お、おおお別れ⁉ 今生の別れって意味じゃねェだろォなァ⁉ だったら泣くぞ⁉ 泣きわめていて――)
「エデンの奴ら、おまえの担当だろ? ……報復、するのか?」
「い、いえいえいえ! めっそうもございません! システムの故障だったとか、こちらで処理しておきますので!」
「そうか」
イッキはシェアに背を向ける。
「世話になったな。シェア」
「……へ?」
(な、なんだ? こいつ、礼を言ったのか? それより、はじめて俺様の名前――)
「あとは任せた」
立ち去るイッキの背を、シェアは呆然と眺めていた。
「……ひゃっひゃっひゃ」
(バカかあいつ! 任せただァ? 寝言言いやがって。報復しねーわけねェだろ疫病神がァ! 旧人類だか知らねェが、人間如きが俺様をさんざんコケにした罰は重いのだァ! しっかり痛めつけてェ……最弱の種って認識を……認識……)
イッキの先ほどの言葉が、シェアの頭の中で反復される。
(……だがまあ、エデンの奴らはいざという時の人質として使えるしな。念のために保護してやらんこともないか。俺様の海のような懐の広さに感謝しろよクソ人間が)
「ケッ」
∞
リコと合流し、しばらくイッキはリコの後をついて歩いた。
その間、会話は一切ない。
そうして人通りが少なくなったところで、
「――っはぁぁぁっ。こわかったよぉぉぉ」
リコは突如へなへなと地面に座り込んでしまった。
耳と尻尾をぺたんとさせ、先ほどの凛々しい様子とは一転、ふにゃっと気の抜けた表情に変わっている。
「…………」
「はぅっ⁉ あ、ご、ごめん! ずっと緊張しちゃってて……。ほんとはわたし、人と喧嘩なんてしたことないの。えへへ」
柔らかな笑顔で、リコは立ち上がった。
イッキに近寄ると、手錠をシェアから受け取ったカギで外す。
(いい匂いがする――イヌ……だな)
イヌの耳と尻尾、純真無垢な瞳。
そこを除く外見は人間の美少女だが、イッキの凝視に対して小首を傾げるさまは、イヌの仕草そのものだ。
「わたしの顔になにかついてるかな?」
「あ、いえ。お手」
(しまった。つい)
自然に『お手』とイッキの口から出てしまった。
「え? 急になに――はうっ⁉」
リコは自分でも無自覚の内に、イッキの手の上に『お手』をしていた。
「…………」
「…………」
しばらく気まずい空気が続いたあと、イッキはお手から握手へと強引に変える。
「僕はイッキといいます。よろしくお願いします。えっと――」
「あ、ああ、わたし、リコっていいます! よろしく!」
尻尾を振りながらリコは答えた。
「先ほどはありがとうございました、リコさん。でも、どうして僕を?」
「市場が騒がしかったから、なんだろって思って覗いたら、あなたがいたの。それで――そっか、わたし、奴隷買っちゃったんだぁ……」
イッキから手を離し、リコはしゃがみ込むと両手で顔を挟む。
(どうしよどうしよ……どうしたらいいのかな。マニュアルとかあったっけ。今日から一緒に住むんだよね? 部屋片付けてたかな。でもでも、男の人と急に一緒に暮らすなんてそんな)
「あの」
「はうぅ⁉」
(……こいつは『敵』じゃ、ないな)
ころころと表情を変えるリコに、イッキはすっかり毒気を抜かれてしまった。
おそらく動物種の中でも『変わり者』に分類されるだろう。
「ご、ごめん! 助けたいって気持ちはもちろんあったんだけど、もっと別の気持ちが強かったんだ。すぐにわかったの。この人は、なにか違うって」
「…………」
「普通の人間って、わたしたちを怖がって、怯えて、なんていうか、目が生きてないの。だけどあなたは違った。力強い眼で、立ち向かってた」
「……あれはただ、逃げるのに必死だっただけですよ」
んふふー、とリコは笑う。
「見てたよ~。あのクマの人、蹴ったでしょ? やっぱり人間にも強い人っているんだね。ふふ、わたしスッキリしちゃった。だって、動物種って人間に偉そうな人多いんだもん」
そう言って、リコは目を伏せる。
「悲しいよね。わたしたちと同じ、生命なのに――」
ぐぎゅるぅぅぅ……。
タイミングよく腹が鳴った。
リコではない。
(……俺か?)
イッキは自分でも驚いていた。
あのモンスターと戦い続ける空間では、空腹などなかったのだ。
腹が減る、という感覚自体、実に久しぶりのものだった。
「お腹減っちゃった? じゃ、わたしの家にいこっか。外は人間お断りのお店も多いし」
ここでふと、イッキは疑問に思う。
(こいつらって、なにを食うんだ?)
この世界が創造される前――イッキたちの時代ではいろいろな動物を食料にしていた。
だがここの場合、それをすると『共喰いモドキ』になるのではないだろうか。
疑問を抱きつつ、イッキはリコの後を追った。
――奴隷契約、成立。
イッキはアルモニアの正式な居住権を得る。
この『人間の奴隷』が、世界を揺るがす存在になることを、まだ、誰も知らない。
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