黒き厄災
「神を、殺す……」
「違いますか?」
「くく、驚いた。――さっきの、握手か?」
ぴん、とサクラの尻尾が逆立つ。
イッキから、明らかな敵意を感じるのだ。
サクラは思わず後ずさり、冷や汗を流す。
(これが……これが、人間の、もの……?)
「妙だとは思ったさ。握手した瞬間、魔力とも違う……奇妙な力を感じた」
「……私の『鑑定スキル』は、家族に代々受け継がれる、特別なスキルです」
スキル――魔法とも異なる、特殊能力。
(使徒の連中しか持っていないと思ってたが、一般にもいるのか)
「人の内面を勝手に覗き込むなんて、あまりいい趣味とはいえないな。それも、こんなタイミングで」
イッキが歩み寄る。
サクラは逃げ出しそうになる衝動を、必死に堪えていた。
(だ、大丈夫。この人は、今は私に危害を加えない)
そんなことをすれば、ここに集まっている者の士気は一気に乱れ、神裁は失敗に終わる。
今、このタイミングがイッキと交渉する最適のタイミングと、サクラは判断したのだ。
「その鑑定スキルとやらは、どこまで覗き込める? 過去も、可能なのか?」
「え?」
「あんな一瞬じゃ、それほど鑑定できてないだろ。どうせなら、じっくりと鑑定してみてくれよ」
イッキが手を差し出した。
不敵に笑うイッキを、サクラは唇を噛み締めて見つめる。
先ほどの敵意は消えている。
それに、サクラにしても望むところなのだ。
イッキのいうように、先ほどの『鑑定』はあくまでわずかなもの。
イッキの本質に到達するには至っていない。
恐る恐る、サクラはイッキの手を握る。
――と、
(――!)
サクラの中を駆け巡る、膨大な情報量。
(なにこれ……ッ! 過去の長さが、普通の人間の、何倍……何十倍…・…何百倍……・! それに、こんな……何回、殺され……ッ!)
そして、一夜にして滅ぼされた世界に立ち尽くす、イッキの姿。
ついにはイッキから手を離し、サクラは口を押さえてうずくまってしまう。
「ご覧の通り『神』と因縁があってね。そいつに復讐しなきゃ、俺の気が収まらない」
(そんな、この人がエルノールさまを殺して……『人類解放決闘』も……『リセット』前の、旧人類の生き残り……)
一度に入る情報量の多さに、サクラはただ黙ってイッキを見上げることしかできないでいる。
「――みんな、平和に、暮らしてるの」
「俺たちも、そうだった」
「だからって、復讐なんてなにも生まない! 仮に神さまがいなくなったら、この世界だってどうなるかわからないの! あなたがしようとしていることは、あなたがされたことと同じことなのに……!」
「くく」
イッキの笑みに、サクラは驚いた。
その表情はすべてを理解したうえで、くだらないと一蹴するに等しいものだったのだ。
「『復讐はなにも生まない』、か。懐かしいな。確かに、あの頃は俺だってそう思ってた。復讐の連鎖、復讐のあとの虚無……復讐なんて、愚か者のすることだって。響きはいい。言ってる側は、さぞ正義感で気持ちいいだろうさ。俺も、そうだった。だが『被害者』になってみて、よくわかったよ」
「…………」
「それは、他人が言っていい言葉じゃない」
サクラは言い返せなかった。
イッキの過去を見て、その言葉がどんなに重いか、サクラは知ってしまっている。
「仮に、リコを俺が殺せばおまえは俺を恨まないか? 俺は、おまえにとってのリコのような存在をすべて失った。家族、同級生、幼なじみ……すべてだ」
「それは……」
「まあ、どうしても止めたいっていうなら、方法はたった一つ。力尽くで、止めることだ」
途端、イッキから放たれる殺気。
そのあまりの凄まじさに、サクラは身体を震わせ、萎縮してしまう。
「どんなに奇麗事を並べても、結局は力が伴ってなきゃ意味がない。神から教わった教訓だ」
「……そ、そのためなら、なにをしてもいいの? なにを犠牲にしても――」
「ああ。必要ならな」
即答される。
(だめ……この人は、止められない……)
あまりに強い、意思の力。
弱者の嘆きほどこの世界では無力ということを、サクラも理解している。
「だがまあ、あくまで目的は復讐を果たすことだけだ。邪魔さえ、『敵』にさえならなきゃ手出しはしない。それに、神を殺したところで案外世界はこのままかもしれないだろ? 実際、俺の世界には信仰はあったが、目に見える神なんていなかった。そう悲観することもないさ」
「……せめて、リコ、だけは」
「リコ……」
フッ、と、重たい殺気が解除され、ようやくサクラはまともに呼吸ができるようになった。
「やっぱり、イヌ種の中でも相当な変わり種なのか、リコは。まー、あそこまでのお人好しはいないよな。それが幼なじみなら、心配して当然だ」
汗だくのサクラが見たその表情は、実に穏やかなもの。
先ほどまでの、復讐鬼のそれとはまるで別物だった。
サクラは顔の汗を拭って立ち上がる。
「それじゃ、そろそろ戻るぞ。さすがに作戦会議くらいはしとかないとまずい」
イッキがサクラに背を向けた。
「礼を言っとくよ。ありがとな。多少、気が和らいだ」
「ま、待って! まだ、話は――」
「ついただろ? 俺の意見は言ったハズだ。邪魔さえしなきゃ、それでいい」
「リコは、あの子は、ほんとに優しくて、素直で……騙されても、自分が悪いって笑うような子で……だから、これ以上リコを巻き込むのはやめてください……!」
イッキは、サクラを横目に見た。
「リコが、それを望んだのか? おまえの勝手な願望だ。俺に押し付けるな。リコに言いたきゃ言えよ。なにを選択するか決めるのは、リコ自身の問題だ」
「そんな……」
リコへ、真実を告げる――それは結果的に、より深く巻き込むことに繋がってしまう。
サクラは知っている。
一度関わった人物を、リコは決して見捨てない。
「……卑怯、です」
「おまえが思ってるより、リコはずっとしっかりしてる。まずは、目の前の神裁ってやつに集中しなきゃ、その先はなさそうだしな。そのあと、おまえがどうしようと勝手だ」
イッキが歩みを進める。
「おまえもいいヤツだ。できれば敵にはしたくないが、もし、俺の邪魔をしようっていうなら、容赦はしない。例えそれがリコの――」
振り返ったその瞳で、サクラは即座に理解させられる。
自分が、いかに無謀なことを試みていたのかを。
イッキに説得は通じない。
その段階は、とっくに過ぎているのだ。
「幼なじみ、でもな」
常軌を逸した意志と決意を動かせる者など、存在するハズがなかった。
◇
テンナインが瞳を閉じ、『神裁』に関するデータベースを探っている。
「ふむ……やはり無駄だな。神裁は『神』の力が及ぶ場所。記録の取得自体、禁忌とされていることなのかもしれない。王の絶対の権限と同様にな」
「事前の対策は不可能ってわけか」
イッキが腕を組む。
神裁というのは、以前の世界の裁判をそのままあてはめたものなのか。
それともまったくの別物なのか。
「リコも、詳しくは知らないよな」
「うん……。開催時刻は正午で、前に開かれたのは100年前、ってくらい、かな」
神裁の詳細はまったくの不明。
それは事前にリコからも聞かされていたことだった。
「まあ、問題は裁判官だ。権力があるのは使徒連中だろ? さすがに、審判を下すやつがあっち側の人間じゃ、かなり分は悪い」
「さいばんかん?」
リコは首を傾げる。
いや、リコだけでなく、テンナイン、その場にいる全員がその単語の意味すら理解していない様子だ。
「たぶんだけど、審判を下すのは、巫女さまだと思う」
「巫女?」
「神さま関連の行事には、絶対いるの。神さまの代弁者が、巫女さまだから」
(巫女……くく……そいつと接触できれば、神の、あいつの手がかりがつかめそうだ)
「旦那、だ、大丈夫、ですよね?」
「余計な小細工ができないぶん、開き直ればいいさ。『神』が絡んでくる以上、ある程度の公平感はあるハズだからな」
「ひゃーっ、また負けました! やっぱりアリスさまつよーい!」
「……へへ……」
「ったく、呑気なもンだぜ」
「おまえもビビッてばかりじゃなくて、前向きに考えろよ。ここを乗り切れば、種族ランクだかは確実に上がるだろ?」
「そ、そうだよなァ! 旦那さえいれば、絶対なんとかなるぜ!」
その中でひとり、少し離れた場所で、サクラは暗い顔のままその様子を眺めていた。
(どうして、みんなあの人を信頼してるの……?)
「どうしたのサクラ? やっぱり、緊張する?」
声をかけてきたのは、リコだ。
「……う、うん、ちょっとだけ」
「えっと、さっき、イッキくんとふたりでどこか行ってたけど、なに、話してたの?」
「そ、それは……ちょっと、言えない、かな」
「まさか――」
リコが口を開け、サクラを見つめる。
その迫真の表情に、サクラの喉がゴクリと鳴った。
「イッキくんに、一目惚れ、しちゃった、とか⁉」
「なんでそうなるの⁉」
「あ、はは、いや、だってさ、わたし、初めてイッキくんを見たとき、直感、みたいなものがあったの。この人は、なにか違うって」
リコが瞳を細め、イッキを見つめた。
顔を赤らめるリコに、今度はサクラが口を開ける番だった。
「……リコ、イッキさんのこと……」
「え、ち、違うよ⁉ そういうのじゃなくって」
「だめ! だめよリコ! あの人は――」
カー……ン、カーン。
鳴り響く、音。
「鐘の……音?」
――ギギ、ギギギギ。
続けて、巨大な扉が開く音が響く。
先ほどまで閉じていた『裁きの門』が、再び開かれようとしている。
ビリビリとした緊張感が、周囲を包み込む。
「開始の合図、ってわけか」
イッキが門の先を見つめ、笑った。
「サクラ」
未だ不安げな表情を浮かべるサクラの手を、リコが握る。
「絶対、大丈夫。わたしも――イッキくんもついてるから」
「……うん」
◇
「わー、ひろーい!」
イルの声が響き渡る。
中は、広い神殿のような場所。
色は白で統一されていて、まさに『神聖』な場所と呼ぶにふさわしいだろう。
特に目立つものといえば、中央の、円形の高台。
遥か上空までそびえていて、てっぺんになにがあるのかうかがい知ることはできない。
「だ、旦那、あれ」
「……ああ」
対面にいるのは、わずか10名ほど。
そのうちのひとりは、見覚えのある人物だ。
イッキに気付くと、嬉しそうに手を振っている。
「――よせ、リンネ」
「べつにいいじゃない。私の勝手」
隣の、フードをかぶった人物が肩をすくめた。
リンネ以外の人物は全員、フードをかぶった装いでその中身はわからない。
「ま、まさか、あれ、全員……!」
「たぶん、シェアの予想は当たってるぞ」
(使徒エルノールを除くと、数は合う)
「公平を期すため、助言しておこう」
背の高いフードの人物が、歩み出る。
「鐘の音から、神裁は始まっている。以降、偽りを述べることは、最大のタブーだ。もし嘘をつけば――確かめたければ、実際に言ってみることだ」
(嘘はつけない……か。あいつの口ぶりからするに、かなりまずい事態になりそうだ)
シェアはすでに両手で自分の口を封じ、余計なことを喋らないようにしている。
「発言は、この台座の上で行う。そちら側にもあるだろう。『巫女の高台』の近くだ」
フードを取り、台座に上る。
「最初に、君たちが裁かれる決定的で絶対的な理由を二つ、言おう」
ざわめくイッキ側群衆。
額から生える二本のツノ、深紅の瞳。
姿を現したのは――ドラゴン種の男。
右眼に切り傷が入っており、まさに歴戦の戦士、という風格だった。
「驚くのも無理はない。我は、我が一族同様、滅多に人前に姿を見せぬからな」
イッキが目を細める。
(エルノールと同じ、伝説種……か)
「我が名はドレイヴン。使徒エルノールの件については調査中だが、王は、人間でなければ殺せない。これは絶対のもので、そこの、元王の奴隷が殺したことに、疑いの余地はない」
びくり、とアリスの身体が震える。
「次に、『不運が重なり』奴隷から解放された人間だが、これこそ最大の過ちだと、わしは強く説こう。皆、忘れたわけではあるまい? かつて世界を荒らしまわり、動物種を虐殺した、ひとりの人間の存在を」
(ひとりの、人間?)
「だからこそ、初代王は人間を奴隷とし、二度と同じ過ちが繰り返さないようにしたのだ。ヤツはレベル強化、進化、突然変異、そのどれにも属さない――厄災。長らく封印してきた忌まわしき名だが、今こそあえて、その名を語ろう」
ドラゴン種の男がしばらくの間、イッキを見つめた。
(なんだ……?)
「厄災の名は――黒き厄災、レイジ」




