待ち望まれたもの
アリスが開発した、決闘終了までのカウントダウンを告げる時計。
その数字が――ゼロになる。
「……え、おわり?」
あまりにあっけないものだったので、思わずリコが呟いた。
「終わり――じゃないと困るんだが、アリス、なにしてるんだ?」
アリスが自分の肩をはだけ、ジッと見つめていた。
それはアリスだけではなく、皆、一様に腕まくりして自身の肩を確かめている。
「――……奴隷の刻印……人間には、みんな、あるもの……」
それは丸く、魔法陣にも似た模様だった。
「そういえば、イッキくんにはなかったよね?」
「――ん? あ、ああ」
「……あ……」
アリスの肩の模様が、徐々に薄れてゆく。
「き、消えていくぞ!」
「本当だ!」
続々と、歓声が上がる。
『決闘決着。勝者の望みが叶えられます。王の制約が解除されました』
それぞれの頭の中に、決闘開始を告げた『声』が響いた。
『――よって、人間は奴隷から解放されます』
その瞬間、イッキが後ろに倒れる。
リコが抱きついていたのだ。
「ふっ……ひぐっ……」
イッキの胸に顔をうずめ、嗚咽を漏らしている。
リコは、人間ではない。
しかし、この場にいる誰よりもこの日を待ち望んでいたのは、間違いなくこの少女だったのだ。
イッキは黙ったまま、軽く背中を叩く。
――こうして人間の尊厳をかけた決闘は終わり、今日より、新しい世界が始まることになる。
∞
「ひゃっはっはっは! オラ崇め敬えたてまつれ! 俺様は人間の救世主だぜェ⁉」
エデンでは、ありったけの物資を使ってお祭り騒ぎ。
その中心になっているシェアは、傷ついた身体を引きずりながらも、祭りを満喫していた。
だがその中に、本当の主役であるイッキの姿はない。
「ねえアリスちゃん、イッキくん見なかった?」
「……ぼくも、捜してる……」
リコの鼻も、イッキの匂いをとらえることができない。
一抹の不安がリコの脳裏をよぎる。
(まさか、どこかに行っちゃったんじゃ――)
人間が奴隷となる時代は終わった。
イッキがリコと一緒にいる理由はなくなったのだ。
「……わたし、捜してくる!」
エデンの山頂にて、強い風にさらされながらイッキは空を仰いでいた。
「――くく」
最初の『声』に関しても思ったことだが、自分でも驚くほど鮮明に覚えていた。
改めて、自分の目的、生きる理由を実感する。
着実に、近付いているのだ。
「イッキくん!」
振り向くと、息を切らせたリコが立っている。
「よ、よかった……こんなとこに、いたんだね……どこかに、行っちゃったんじゃないかって、心配で……」
「…………」
「戻ろうよ。なんか、シェアさんが主役みたいになっちゃってるけど、ほんとに一番頑張ったの、イッキくんでしょ? 人間を救ったのはイッキくんで――」
「俺は人間のためにやったわけじゃなくて、自分のためにやっただけだよ。俺は救世主なんて柄じゃない。それにシェアだって奴隷解放に充分貢献した。人間解放がシェアの手柄になるっていうのはかえって好都合なんだ。今はまだ、目立ちたいわけじゃない」
リコはしばらく言葉を失ってしまう。
あれだけの功績を上げたにも関わらず、イッキはなにも見返りを求めていない。
「――イッキくんって、ほんと、すごいよね。人間解放が決まったときだって、そんなに喜んでなくて、まるでそうなることが、当たり前みたいに」
「これでもそれなりに喜んでるさ」
「ほんとにすごすぎて――遠い、別の世界の人みたい」
リコはゆっくり、イッキのすぐ近くまで歩く。
そして、手を伸ばした。
カチッ、と音がして、イッキの首輪が取り外される。
「これで、イッキくんも自由」
そのまま、リコはうつむく。
「ありがとう、リコ」
「お礼を言うのは、こっちだよ。わたしの、おとうさんの願いを叶えてくれた。世界を変えてくれた」
「――リコは、純粋すぎる。……俺と一緒にいるべきじゃない」
リコが、きゅっと、下唇を噛み締める。
言われる予感はしていたことだ。
イッキの力は明らかに人間とも動物種とも違う、一線を画すもの。
その力は、このまま大人しくとどまるものではないだろう。
(わたしに、イッキくんを止める権利なんてない。イッキくんは自由なんだから)
「……そ、そうだよね。イッキくんだったらもっと世界のためになること、できるだろうし、わたしなんかがいたら、足手まといになりそうだし」
「俺は、リコが思ってるような人間じゃない」
「でも――!」
リコが顔を上げる。
「それでも、一緒にいたいって思ったら……やっぱり、だめかなあ……?」
その今にも泣きだしそうな顔を見て、イッキは思う。
このあまりに純粋無垢な少女は、疑うことを知らない。
未知なものが多いこの世界において、リコは大いに利用価値がある。
それでも突き放そうとしているのは、一種の情を、リコに抱いているのだ。
リコは――本性を現す前の神奈に、どこか似ている。
最も憎んでいる相手にも関わらず、その矛盾した感情。
リコと神奈が一瞬重なって見えた。
(ああ――そうか)
「――お手」
サッ。
「あぅ……またぁ……?」
イッキはリコの頭を軽くなでると、下山に向けて歩みを進める。
「じゃあ、帰ろう。また、ハンバーグでも作ってあげるよ」
「――! う、うんっ!」
(忘れてたよ。そういえば、ここはおまえの世界だったな。俺の世界を壊して、創った世界)
その顔に、狂気を帯びた笑みを浮かべた。
(なら迷う必要なんてない。俺はただ、進むだけだ。おまえに復讐するために)
目指すものは、まだ先にある。
そこに至るまで、一切の配慮は必要ない。
ただひたすらに、信念のまま突き進むだけなのだ。
(くくく――会うのが愉しみだよ、神奈)
∞
「――あーはいはい。こっちも一応頑張ったの。仕方ないでしょう? 決闘の結果はくつがえせない。そんな文句言う前に、やるべき仕事山積みでしょ。――あのね、誤解しているようだけれど、私は王の配下であって、あなたたちの部下じゃないの。――それじゃあね」
感知魔法を終え、リンネは半ば呆れ気味のため息を吐き出した。
けれどすぐに、ほほ笑みの吐息に変わった。
「やったのね、イッキ。あなたならできると思っていたわ」
リンネが立ち上がる。
世界樹と呼ばれる、大樹のてっぺん。
世界が一望できると言われるこの場所が、リンネは一番のお気に入りだった。
吹き抜ける風――その風は、いつもと違っていた。
「ここは素直におめでとう――というべきなのかしら」
人間は動物種と同格に扱われ、新たな歴史が始まることになる。
王の悲願は、達成されたのだ。
「けれど――」
同時に、初代王の制約は破られたことになる。
リンネは迷宮図書館で見つけた、初代王の日記の切れ端を思い出していた。
『人間を、決して自由にしてはならない。なぜならば――』
「世界は大きく変わるわ。それがいいのか悪いのかはともかく、ね。ふふ、これから、面白くなりそう♪」
――リン。
鈴の音を残し、リンネが消える。
『――恐ろしい厄災が、よみがえる』
――。
『やっと来たね、イッキ』
長い、黒髪が揺れる。
光が差しては消え、空間が歪んでは戻り、天井もなく、地上もない。
およそ現実とはかけ離れた空間。
その空間の中で、少女はクスクスと笑う。
『ずっと待ってたよ。ほんとに、待ちくたびれちゃった』
感情を表に出したのは、本当に久しぶりのことだった。
『これからもっと、もぉっと楽しませてあげる。喜んでくれるかなあ? 喜んでくれるよね? わたしの、わたしたちの、世界なんだもの』
愛おしそうに、少女は目を細める。
『――会うのが愉しみだね。イッキ』
これにて二章は終了となります。
こちらの都合で度々お待たせしてしまいましたが、読者のみなさまのおかげでここまで続けることができました。
三章以降の内容も考えていますので、今度は少し書き溜めてからアップしていこうと思います。
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ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
※10/9追記
次回更新日は10/16になります。
お待たせして申し訳ありません。




