叫び
褒める――その単純なことが、イッキにはひどく難しく思えた。
上っ面だけならどうとでも言えただろう。しかし、なまじ生活を共にしてきたリコ相手だからこそ、うまく、言葉がでてこないのだ。
リコ自身、自分に驚いていた。
あれだけ意気込んでいたのに、ターブの放った言葉が頭の中から離れない。
(た、食べなきゃ……負けちゃう。でも、なんで、なんで手が動かないの……?)
嫌われたくない――その感情に、身体を支配されてしまっていた。
(勝った! 吾輩の勝ちだッ!)
ついにターブはリコの記録を抜き去り、着実に完食へと向かう。
「あ、ああああ、負ける、負けちまうゥ……! もうダメだ終わりだ無実の俺様有罪死刑であの世行きだ~‼」
シェアが錯乱し、イッキは奥歯を噛み締める。
恥じている場合ではない。
(捨て去れ――)
この世界は現実。
繰り返しの挑戦はできない。
一度でも負ければ終わりなのだ。
心の中で、イッキは強く思う。今までそうしてきたように。勝ちに徹するために。誇りも、恥も、勝利の前では、ゴミ同然のもの。
「リコ! 俺は、大食いの女は――」
すうっ、と大きく息を吸い込む。
「好きだ! 大好きだあああああああああ‼」
魂の限り、声の限り、張り上げた。
その声はエデン中に響き渡り、しばらく反響する。
「――!」
リコの耳が反応した。
(今さらなに言ったってもう遅い! 吾輩の勝利は揺るがない!)
あと、残りの料理はたった数品。
そろそろターブの限界も近いが、勢いを維持しつつ、口へ放り込んでゆく。
(残り、二品! もらったあ!)
「――ごちそーさまでしたっ♪」
「むごぉ⁉」
――リコ、完食。
リコの目の前の料理が、すべてなくなっていた。
その衝撃は、ターブの心を瞬時に折れさせると同時に、一気に限界を迎えさせるには充分だった。
「――がっ、ふぁああっ」
ターブ、リバース。
キラキラと、唾液に濡れたものが宙を舞い――決闘の終了を告げた。
∞
「――人間は、絶対に……じ、自由になんて、させない!」
仰向けに倒れ、息も切れ切れのターブは、ギロリとイッキたちを睨む。
「い、いいか……お、おまたちは無謀な――うぷっ……無謀な、戦いを挑んだ。次々と、吾輩たちよりも何倍も強い猛者が……う……、ぜ、ぜったい、後悔すること……に……」
再び吐き出しそうになるのをこらえ、ターブは奴隷の人間たちに視線を切り替えた。
「な、なにしてる⁉ 撤退だ! 吾輩たちを早く船に――うぶっ……」
言われるがまま、奴隷の人間たちはエルダーを運び、次いでターブも船に運び込んでゆく。
「ねえ!」
リコの呼びかけに振り向いたのは、最初、ターブに見せしめにされた少女だった。
「待っててね。頑張るから。絶対、わたしたちが勝つから」
「…………」
少女はリコの言葉にはなにも答えず、ただ少し頭だけ下げ、船の中に入っていった。
船が遠ざかっているのを見て、シェアが安堵の息を吐く。
「――ふう。なーんとか勝てましたねェ、旦那。……旦那?」
勝てたというのに、イッキの顔は浮かない。
今回、勝利の代償に引き換えたものが、イッキの中ではあまりに重く、未だ尾を引いている。
まさか大衆の面前で告白まがいなことを羽目になるとは、夢にも思っていなかった。
「イッキく~ん! 勝ったよ! 見てくれた⁉」
「……あ、ああ。よかったよ」
チラリとリコの顔をうかがうと、その大きな瞳は輝きにあふれている。
そのあまりの眩しさと気まずさに、イッキは思わず顔をそむけてしまった。
「でもでも、なんかビックリするくらい簡単に勝てちゃって、なんかこの調子なら思ったより楽に奴隷解放目指せそうだね!」
「……そうだね」
「それじゃ、わたしモンスター獲ってくるね! またみんなのぶんも用意しなきゃ!」
身体を動かしたくて仕方がないという様子のリコ。
パタパタと全力で尻尾を振りながら、水着に着替えもせず、海へ駆けて行った。
「……ししょー……」
くい、とイッキが手を引かれる。
アリスがイッキを見上げていた。
「――……ぼくも、大食いだよ……?」
「お、おう……?」
なぜかリコと張り合うアリスに、イッキはあいまいな相づちしか打てない。
「……次は、ぼくも、頑張るから……!」
「期待してるよ」
エデンの島民たちも、予想だにしなかった快挙に湧いている。
楽勝ムードさえ漂っているが、イッキの初戦での感想は真逆のものだった。
(――なかなか、歯ごたえはありそうだ)
エルダーとの決闘で、時間をたっぷり使ったつもりだった。
だが、現実世界では二時間しか経過していなかったという事実。
実質、丸二日分の疲労が負担としてイッキにかけられていた。
エルダーとの決闘は、イッキでなければ到底勝てない相手だったろう。
そういった意味では、紙一重の勝利だったともいえる。
しかし、リコが身につけた自信と、せっかくのムードに水を差す必要はない。
勝ちさえすれば問題はないのだ。
そのために、油断だけはしてはならない。敵の見極め、監視の役割は自身が果たす、とイッキは当初から覚悟していた。
不眠不休でのぞむつもりだったため、初戦での体力の浪費は予想外だったのだ。
だが、それでもイッキは不敵に笑う。
逆境こそ望むところ。今まで何度も乗り越えてきた壁なのだから。
∞
その夜、イッキはひとり海岸にたたずんでいた。
眠るわけにはいかない。
これからはいつ、何時に敵がやってくるかわからない。忍び込まれ、罠を張られる可能性もある。
(早く――こい)
まだ見ぬ決闘相手を待つ。
戦いこそ、疲労を忘れさせてくれるのだ。
「――リコ、か?」
茂みに隠れていたリコは驚いた。
完全に気配を絶っていたつもりが、イッキに見抜かれた。
イッキから漂う張りつめた空気、緊張感に声をかけられずにいたのだ。
「まだ、起きてたんだ」
「眠れなくてね。いい機会だから、少し話そうか」
リコはいそいそとイッキの隣に歩み出る。
イッキが横目で確認すると、リコはまだ余韻の尻尾を振っていた。
よほど、昼間の一件が嬉しかったのだろう。
「な、なに? 改まって」
「わかっていたことだけど、やっぱり決闘を挑みにくる連中は、人間嫌いが多いね」
ターブと、エルダーの人間に対する憎悪は本物だった。これまで出会った人間を憎む動物種に共通するもの。それは――
「旧人類、が原因だろう?」
なぜ滅んだ世界の情報が知られているか、これはイッキの予想だが、意図的に残されたのだ。
「……うん。でも、変だよね。今の人間は、関係ないのに」
「――前に、どこから来たのか、訊いたよね」
「うん」
「俺は、旧人類の生き残りだよ。たぶん、世界でたったひとりの」
この告白を、どうしてする必要があったのか、イッキ自身もわからなかった。敵が来るまでの暇つぶし――にしては、リスクが高すぎる。
昼間、リコのつけた自信を無駄にさせないと決意したばかりなのに。
「だから、実際の当事者は俺なんだ。あのブタ種の言った言葉――」
『――きみもただ利用されてるだけなんだよ!』
「あれは、あながち嘘じゃ――」
「す……」
「す?」
「すっっっっっごぉい! 旧人類⁉ ホントに⁉」
予想していた反応ではなく、イッキは対応に困る。
リコはパタパタと尻尾を振り、瞳を輝かせていた。
「て、テンション高いな」
「だって、旧人類だよ⁉ 一回会ってみたいと思ってたの!」
「今の世界じゃ、旧人類は諸悪の根源みたいな扱いだけど」
「だから、だよ。噂や書物だけでみんな決めつけてるから、実際会わないとわかんないことも多いって、ずっと思ってた。やっぱり、イッキくんみたいにいい人もいたんだね!」
「いい人?」
イッキは自嘲気味に笑う。
「リコは誤解しているようだけど、これは俺だけの戦いだ。元々この決闘は俺の都合で始めたものだよ。エデンを――この世界の人間を勝手に巻き込んで、リコも」
「それは違うよ。奴隷解放は、わたしだって望んでたことだもん。イッキくんは、きっかけを与えてくれただけ」
「…………」
「イッキくんだけの戦いなんかじゃない。だから、頼りないかもしれないけど、頼ってほしいかなって」
「……ふ、くく……」
リコの真摯な言葉に、思わずイッキは吹き出してしまった。
「な、なんで笑うのお⁉」
「いや、ごめん。つくづく、リコはイヌだなあって、そう思っただけさ」
「それって、ご先祖さまのこと⁉ ね、よかったら教えてよ。イッキくんの世界のこと、わたしのご先祖さまのこと――」
イッキの中にわずかに残る、遠い昔の記憶。
かつて飼っていたイヌのことを思い出した。
「なんていうか、天然で――バカっぽい?」
「ば、ばかっぽい、の……?」
涙目になるリコ。
「けど、真面目で、従順で、人間が辛いときもずっとそばにいて……大事な、パートナーだったよ」
「そ、そうなの? えへへ、さすがご先祖さま」
「それで、こうやって撫でてやるとすごく喜んだ」
くしゃっ、とリコの頭を撫でると、リコは頬をふにゃっと緩めてしまう。
(そうか)
今さらながら、イッキは認識する。
他の動物種が言うように、あの世界は争いだらけで、偽善に満ちていた。それでも、幾多の犠牲のうえに成り立った平和な日々は、イッキにとってかけがえのないものだったのだ。
(やっぱり俺は、あの世界が――好きだったんだ)
そして、翌日の早朝。
『ソレ』は群れを成し、飛んできた。




