代償
「後ろを見ろ」
エルダーに言われ、イッキは振り返る。
そこには巨大な砂時計があった。
「この砂時計が落ちるまでの間が、私のターンだ」
「時間は?」
「一日。おまえにとって、永遠に感じるだろう。どうせすぐ、泣き叫びながら降伏することになる」
「一日、ねえ」
含みのある物言いに、エルダーが眉間にしわを寄せる。
「ずいぶんと短いなあ。どうせならもっと時間を使ってくれたほうが、後の決闘の時間が減るから楽になるんだが?」
ここは魔法によって作られた精神世界。
現実の時間の流れと連動しているわけではない。
イッキは現実世界ではその半分程度と予想していたが、実際は一時間に満たないものだった。
それは、短時間で恐ろしく効率よく、奴隷を調教できる仕組みなのだ。
「ほう――その根拠のない強がりは、後悔するぞ」
これまでエルダーが『調教』を担当した人間は、数百をくだらない。
例外なく、一時間以内に根を上げなかった人間はいない。
「俺が後悔? エルダーっていったか。仮定の話が好きなんだな。おまえが俺のなにを知ってるっていうんだ?」
「人間のことはなんでも知っている。どこを痛めつければ効果的か、どうすれば苦しいのか――恐怖と痛みは、最大のしつけだ」
「…………」
「普段の人間は死を意識しない。死を意識し、死に直面したときこそ、人間の本性があらわになる」
「それは一理ある」
イッキがエルダーに手を差し出した。
「じゃ、始める前に握手でもしよう。決闘はお互い、後腐れないよう、すがすがしい気持ちでやらなきゃなあ」
「……今さら気を紛らわせようとしても、無駄なことだ。だが、応じてやろう。せめてもの情けだ」
お互い、握手を交わす。
「くく、いい決闘にしよう」
「残念だが、始まるのは一方的な蹂躙だ」
巨大な砂時計の管が、ゆっくりと動き始める。
「砂時計が時を刻み始めたときが、開始の合図だ」
「わかった」
やがて砂時計の管が完全に反転し、さらさらと砂が流れ始めた。
「――ごぼッ⁉」
突然、大量の水がイッキの口の中に押し寄せる。
イッキは宙吊りにされ、巨大な水槽の中に頭をひたされていた。
「さあて、苦しいだろう? いきなり降参されては興醒めだ。まずはその中で、これまでの態度を反省してもらおう」
「――」
「気絶するほどの苦しみでも、気絶できない矛盾。死にたいと思っても、死ねない絶望。それが永遠に続くことになる。二度と人間が思い違いを起こさぬよう――たっぷりと、調教してやろう」
∞
「ね、ねえシェアさん、イッキくん、あれからずっと動かないけど……」
煮えを切らしたリコが、シェアに問いかけた。
エルダーがイッキに手をかざした状態で、お互いに動かない。
この状態がすでに数十分続いている。
「ンあ? ああ。エルダーの精神干渉魔法さ。術者も、それにかけられる側も、魔法が解かれない限り動けねェ。……拷問を疑似体験させるって世にも恐ろしい魔法だぜェ」
ぶるる、っとシェアが身震いする。
(ありゃあ、マジで地獄だったァ……)
シェアも一度面白半分にエルダーの拷問を味わってみたことがある。
そのときは、最速二分でギブアップするという驚異的な記録をたたき出した。
「シェア! どこで見つけたかわからないけど――その白髪人間、なかなか粘るじゃないか。エルダーの拷問にここまで耐えた人間は初めてだよ」
エルダーの精神干渉魔法は時間の流れが極端に遅い。
数十分現実で経過しているということは、あちらの世界では数時間は経過している。
「まあ、耐えているというよりは、エルダーにもてあそばれているって表現のほうが正しいんだろうけどねえ――フゴッ」
「んー、じゃあ待ってる間、ご飯にでもします?」
リコの提案に、ターブは不可解な面持ちになる。
「はあ? 今決闘の最中だよ?」
「えと、はい、だから、終わるまで、まだ時間ありそうだし。みなさん、長旅でお腹空いてないですか?」
挙句、リコは人間の心配までする始末。
「……じゃ、ごはん、できたら起こして――……」
アリスに至っては横になって眠り始めてしまった。
ターブにはそんな彼女たちが理解できなかった。
(なんなんだこいつら……今の状況わかってるのか⁉ 一回でも負けたら終わりだぞ⁉ なのになんでこんなにリラックスできるんだ⁉)
絶望的な状況下で、緊張感というものがまるでない。
絶対に勝てない敵に喧嘩を売っておきながら、勝つことを信じて疑っていない。
(あの白髪人間――)
そういえば、とターブは考える。
世界に宣戦布告したあの日、映像こそシェアのみだったが、声は別のものだった。
(……まあ、あいつが何者だろうが、エルダーには絶対勝てない。エルダーの精神世界にいる限り、ぜーったいに!)
∞
「はじめてだ。おまえのような人間――いや、おまえのような生物は」
驚嘆。それ以外の言葉がない。
水攻め、火攻め、身体へのありとあらゆる拷問――それらすべてを、イッキは耐え抜いた。無駄に声を上げることもなく、表情もほとんど変えることなく。
エルダーの拷問で見るも無残な姿にされたイッキが、笑う。
「……くく」
「なぜだ? ありえない。痛覚でも欠落しているのか? おまえは――人間としても、生物としても、『正常じゃない』……!」
「あんまりイジメるなよ。俺だって、少しは気にしてるんだ。だがまあ、一方的になぶられるっていうのは、やっぱりなかなかきついものがあったよ。おかげで、いろいろと思い出せた」
まるで過去、似たようなことがあったと言わんばかりの口ぶりだった。
「敗因を教えてやろうか。死なない精神世界なんていうのは、拷問の意味がない。しかもタイムリミットのおまけつきとくれば、ただ時間がくるまで我慢すればいいだけの話さ。あの世界より、何百倍も、ぬるい」
イッキの言う言葉を、エルダーは理解できない。
我慢すれば、とイッキは言ったが、それがどれだけ過酷なものか、エルダーは知っている。耐えようと思って耐えられるものではないのだ。
「そしてまあこれが一番重要なんだが、なにを糧に耐えるか。俺は十二分に心得てたってことさ」
「…………」
「要は耐えきったあとの『ご褒美』だ。こんな理不尽な目に遭わせるヤツにどうやって復讐するか、それだけを考える。その点、おまえは優しい。目の前にずっといて、その感情を煮えたぎらせてくれるばかりか、いきなり『ご褒美』をくれるっていうんだから、大盤振る舞いじゃないか」
イッキが、巨大な砂時計の前まで歩く。
「これを反転させたら、今度はこっちの番だろ?」
エルダーは動じなかった。
例えイッキが先攻でも、問題はなにもないのだ。
――ここは、エルダーの世界。
(元々、この世界で身体の感覚はない)
エルダーはこの世界において、無敵。
なにをされようが、苦痛というものからは無縁の存在だった。
イッキがこの決闘を受けた時点で、勝敗は決していたのだ。
イッキがゆっくりと砂時計を傾ける。
瞬間、エルダーの視界が反転した。
「へえ、こりゃ便利だ。こっちが思ったことが、ここでは現実にできるんだな」
エルダーは宙吊りにされ、イッキにした水攻めを、今度はされている。
(だが、問題はな――)
「――ごぼァッ⁉」
(なぜ、苦しい……⁉)
「どうした? なんで苦しいって、そんな顔してるぞ? くくく」
「⁉」
「おまえの魔法だぞ。警戒しないわけがないだろ? 決闘が始まる前、握手したよな。そのとき、かなり強く握ったはずだが、おまえはまるで動じなかった。なにも感じないって様子で。そこで気付いたんだ。おまえは『不正』をしてるってな」
抵抗もできるはずがないエルダーは、ただ一方的にイッキの言葉を聞くしかない。
(た、例え気付けても、それを打破する術がなければ……)
「だからおまえの魔法を、少し書き換えたんだよ。いや、チート行為のバグを取っ払ったって表現のほうが正しいな。お互い、決闘はフェアにやらないとなあ?」
エルダーは理解した。
目の前にいるものは、エルダーのよく知る人間でも、ほかの種族でもない。何者にもあてはまらない――生物ではなく、怪物なのだと。
「おまえ、言っていたよな。死を意識したときに見せるのがそいつの本性、って」
イッキがエルダーを見下ろした。
その瞳は、歓喜の色が浮かんでいる。
それはこれまでにされた拷問の仕返しを、何倍にもして返してやろうという、強い意志の込められたものだった。
「今度は俺に見せてもらおうか。――おまえの、本性ってヤツを」
エルダーは恐怖した。
手を出してはいけないものに手を出してしまった代償――。
これから始まるのは、怪物からの一方的な蹂躙なのだから。




