決行
深夜、王宮。
イッキとリコは高台から王宮を見下ろしていた。
リコは、くん、くん、と匂いを嗅ぐ。
「――この匂い、たぶん人間の……アリスちゃんの匂いだ」
イッキは感心してしまった。
リコが特殊なのかもしれないが、イヌ種の嗅覚は凄まじい。
だが、嗅ぎ続けながらリコは小首を傾げていた。
「アリスちゃんの匂いしか、しない……?」
見張りさえいないということなのだろうか。
侵入者をまるで警戒しないというのは好都合だが、不気味さは拭えない。
(エルノール様も、いないなんて――)
「あ、ちょ、イッキくん⁉」
イッキはリコに新調してもらった長剣をトントン、と背に当てながら、王宮を目指していた。
主を失った王宮内は、もぬけの殻。
リコは息を殺しながら、周囲に気を張って、そろりそろりと歩みを進めている。
イッキはというと、王宮の構造に目移りしながら、美術館でも徘徊するかのような軽やかな足取りだ。
「イッキくん……! そんな足音立てたらバレちゃうよ」
「大丈夫だって。どう見たって誰もいない。リコは緊張しすぎだよ」
イッキの声が、王宮の中にこだまする。
「こ、声! 大きいから下げて……! 普通、緊張するよぉ」
深夜に王宮へ忍び込み、罪人となる少女を強奪する――緊張の要素だらけだ。
一体どんな修羅場をくぐればこんなに度胸がつくのだろうかと、リコは率直に疑問に思う。
「リラックスリラックス♪」
イッキに、ポンポン、と頭を撫でられる。
むぅ~、とリコは口を尖らせた半面、緊張が和らいだ。
「ここ、ここだよ、イッキくん」
地下への入り口となる、らせん状の階段を見つけ、リコは手招きした。
アリスの匂いも、この階段の奥へと続いている。
「――いた!」
階段を下り、通路を渡った先に、アリスはいた。
そこは、牢屋というよりも、殺風景な小部屋だった。鉄格子がないのだ。
アリスは、部屋の隅で座り込んでいる。
駆け寄ろうとしたリコを、イッキが腕で制した。
「イッキくん?」
「見張りがいない理由がわかったよ」
長剣を抜き、アリスの部屋の前に近付ける。
――バチバチッ!
雷光が剣先で発生し、侵入を拒む。
「わ……ッ⁉」
「強力な魔法の結界だ。並の力じゃ破れない。最初から放置が目的の結界だよ。わざわざ罪を犯した人間を世話する物好きはいないってことさ」
イッキの推察は当たっていた。
アリスはこの部屋にひとり、水も、食料も与えられず、ただ、『放置』されていたのだ。
「だ、大丈夫なの⁉ アリスちゃん!」
「…………」
アリスは一度顔を上げただけで、再びうつむいてしまった。
精神と肉体、その両方が衰弱している。
「リコ、少し後ろに下がっててくれ」
リコを下がらせると、イッキは右手をほぐすように開口させ――一気に結界へと突っ込んだ。
「イッキくん⁉」
――バチバチバチッ!
当然、結界はイッキの手を強力な力で阻む。
お構いなしに、イッキは結界を素手で『掴む』と、ドアノブを回すかのごとく、力強くひねった。
バチィン‼
結界が飛び散り、細切れとなった残骸が地面を溶かした。
「……ふう」
イッキの右手が、煙を上げている。
「結界を、壊した――の? ……けど、その手」
リコがイッキの手を取り――
「ああ、平気平気、このくらい――」
――ぺろ。
やけどになった箇所を舐めた。
「うぉあッ⁉」
これには素っ頓狂な声を上げ、後ずさってしまう。
「どうしたの?」
「どうしたの、って、なんで急に舐めた⁉」
「はう? なにかおかしい?」
リコは不思議そうに小首を傾げる。
(そ、そうか、一応はイヌ、なのか)
外見がほとんど人間だから、イッキはつい人間の感性をリコに当てはめてしまう。
ケガをした箇所を舐める、という行為は、彼らの中ではごくごく一般的なものなのだろう。
「手、出して。もっと舐めなきゃ」
「いーや! もういい! 大丈夫! ありがとう!」
戦いに明け暮れていたイッキの弱点――『こういったこと』に耐性がまるでないのだ。
これまで幾度かリコに抱きつかれたことはあったものの、こう、『生々しい』ものはダメだった。
「アリス――だっけ⁉ 彼女を早く連れ出すのが先決だろ⁉」
「――……ぼくが、おうさまを、ころした」
ポツリと、アリスが呟いた。
リコの瞳が揺れる。
「……だから、助けてもらわなくて、いい……」
「勘違いするな。こっちの都合で、勝手に助けるんだ」
「……勝手なこと、しないで……」
ガシャン。
アリスの前に、イッキの長剣が放り投げられた。
「持ってみろ」
「……いやだ」
「持てたら、黙って帰ってやるよ」
「…………」
アリスは細い腕を伸ばし、柄に手をかける。
「――ッ」
長剣は、持ち上がらなかった。
アリスは早々に手放し、そっぽを向く。
イッキは長剣を拾い上げた。
「決定、だな。弱っているのを考慮しても、それを持ち上げられないようじゃ、あんな大剣を軽々と持てるわけがない」
「イッキくん……それじゃあ」
「ああ。誰かがアリスを利用して、王を――ッ⁉」
刹那、イッキの身体が吹き飛ばされ、背後の壁を破壊する。
「イッキく――⁉」
ぞわっ。
圧倒的な『悪意』に、リコの全身の毛が逆立つ。
「――おやおや。私の結界を破るとは、成長しましたねえ。リコ、さん?」
片手に衝撃魔法の余波を残しながら――使徒エルノールが、たたずんでいた。




