王 前編
※王 前編/後編 は王サイドの物語となっております。
「――」
アルモニア、王宮。
ロングの金髪、蒼い瞳――小さな少女が、せわしなく手を動かしている。
宙に浮かぶ、複雑な文字列の数々――。
アルモニアに点在するシステムの大半は、現在のところ彼女が管理していた。
その中にはエデンシステムの管理も含まれている。
王宮で唯一の奴隷の人間――アリス。
若干十二歳の、まぎれもない天才だった。
「やーやー、夜遅くまで頑張っとるねキミィ」
背後から、頭を大きな手で撫でられる。
そのぬくもりが、アリスは大好きだった。
「――」
「お疲れさま、アリス」
白いマント、栗色の髪、イヌ種独特の耳と尻尾。
王は、優しくほほ笑むのだった。
世界の象徴たる王の仕事は、国家間の『決闘』の立ち合いや、大規模な催し物の出席、
王の権限でなければ決められない物事の判断、などなど。
建国も、王の判断が必要となる。
動物種は種族意識こそあるものの、建国の理由は『種』よりもそこに集うものの『思想』が優先される。
魔法は不要と考え、力の追及のみを目指す国であったり、逆に魔法こそ至高と考え、魔法のみを研究する国があったりもするのだ。
アリスの出身は、奴隷の国。
奴隷の生産、流通のみを目的とした国で、アリスは欠陥品だった。
「――」
アリスは喋ることができない。
それは奴隷として致命的なものだったが、逆に王の目に留まり、メイドとして王の下で働くこととなったのだ。
「そうそう、今日はこんなことがあったんだよ」
「――」
アリスは言葉こそ話せないものの、王と話す時間がなによりの楽しみだった。
「いよいよ、だね。きみたちがようやく、認められる」
――人間の奴隷解放。
この話題になると、決まってアリスは表情を曇らせた。
「心配性だなあ。『王の命令』は絶対だよ。本当は、みんなに理解してほしかったけど」
王だけの特権――何者も、王の命令には逆らえない。神の盟約に逆らうものは例外だが。
王の座についてから十数年、王は命令ではなく説得で民の理解を得ようとしていた。
しかし、ことごとく説得が実ることはなかった。
人間の奴隷は市場として根付き、理解を得るにはなにもかもが遅すぎたのだ。
「――」
アリスは首を横に振るう。
「アリス、きみは可能性の象徴さ。きみのように話すことはできなくても、才能がある人間はきっと大勢いる。それを偏見と差別で――」
リン、と鈴の音が聴こえた。
「――すまない、客人だ。すぐ、戻るよ」
∞
王宮のだだっ広い廊下で、壁にもたれかかっている小柄な人影。
肩まで伸びた銀髪、赤眼、銀色の耳にしなやかに伸びた尻尾――王は先の鈴の音から、何者かは理解していた。
「や。リンネ」
「ご機嫌よう。王様」
ゆったりとした黒い服に身を包むネコ種の少女――リンネはスカートの両端をつまみ、上品に挨拶する。
リン、と左手首に巻いた鈴が揺れた。
「今日も似合っているよ。その恰好」
「ふふ……でしょう? ゴスロリっていうの、これ」
リンネは、およそ十四、五の外見に似つかない、妖艶な笑みを浮かべた。
「そりゃあまた、奇抜な名前だね」
「あんまり理解されないのよね、旧文明って。私は大好き。この利便さとはかけ離れた服なんて最高。無駄を楽しむ文化って、まさに強者の愉悦じゃない?」
リンネはうっとりと、遠くを見つめる。
「旧人類ってどうしてこうも魅力的なのかしら。今の牙の抜けた人間とは大違い。繁栄と誇りのため、圧倒的な力で他者を蹂躙することもいとわない――ああ、ほんと素敵」
「で、こんな時間になんの用だい?」
話が長くなる前に、王は話題を変えた。
リンネは少し不満そうな顔をしたあと、王を見据える。
「『気まぐれ』に友人として忠告しておくわ。使徒全員に、今すぐ『絶対服従』の命令を出したほうがいい」
「友人か……嬉しいね。その使徒の中には、きみも含まれるのかな?」
「そうね。不本意だけれど、告げ口したこと、バレるから」
使徒リンネ。
世間では忌み嫌われている旧文明をこよなく愛する、ネコ種の少女。
前任者の死による入れ替わりで使徒になったため、まだ使徒としての日は浅い。
「あまり、好きじゃないんだ。強制的に人の心を従わせるなんて」
「王様、あなたは優しすぎる。今日の王宮の様子、わかるでしょ?」
「不思議なくらい、人が出払ってるね。王宮にいるのは僕とアリスくらいじゃないかな」
「だったら――」
「神様は、なんのために今の世界を作ったのか――聞いても、答えてくれなかった。僕はその答えを見つけたい。自分の思うように支配してしまったら、きっと見つけられないと思うんだ」
目を閉じれば、昨日のことのように思い出せる。
王にはただの人間にしか見えなかったが、神と呼ばれる――長い黒髪の、美しい少女のことを。
リンネは心底呆れた表情で、肩をすくめた。
「お飾りの王様ってことは、自分でもわかっているよ。だけど人間の自由――これは僕の悲願なんだ。支配じゃなく、解放する。そうすることで、世界の可能性もきっと広がる」
「そこまでの価値が、今の人間にあるの?」
「あるさ」
(ほんと、バカみたいな理想主義者……)
口には出さず、リンネはかぶりを振る。
そして再び、王を見上げた。
こんなバカみたいな王がいたのだと、目に焼き付けるように。
「それじゃ、もう行くわ」
リンネが目を細める。
その瞳の奥にある感情を察して、王は言葉を選んだ。
「大丈夫。『人』には僕を殺せないよ」
神の盟約により、王は人と定義されたものに殺されることはない。
「……そうね」
「あ、リンネは知っていたかな。少し前に、面白そうな白髪の人間が――」
リン、と鈴が鳴り――リンネの姿は、もうどこにも見当たらなかった。
リンネとの会話を終えた王は、少し勇み足でアリスの元へ戻る。
「アリス――?」
そこに、アリスの姿はなかった。
リンネは巨大な満月を背に、王宮のてっぺんに立っている。
「あなたは王としては相応しくなかったけれど――人としては、ほんのちょっぴり、好きだったわ。――さようなら、王様」
鈴の音は、もう聴こえなくなっていた。




