リコ、奮闘する
リコは急いでギルド証の裏面を確認する。
エリアに到着すると、登録した帰還条件がそこに記載されるのだ。
『帰還条件――リザードマン亜種100体の討伐』
「………そん、な」
設定した憶えのない、デタラメな条件。
あまりに、絶望的な数字だった。
上級エリアから出現する、上位モンスター、リザードマン亜種。トカゲに似た中型モンスターで、槍を手に向かってくるモンスター。
通常のリザードマンは弱点である腹を狙えば討伐は難しくないが、亜種の場合、運動能力が向上している他、腹に強力な魔法障壁が張られている。
リコは亜種と戦ったことはない。事前情報なしに初遭遇のモンスターと戦うことがどれほど危険なことか、リコは理解していた。
「イッキくん……ごめ――」
震える声を、ぎゅっとつむぐ。
(ダメ、諦めちゃダメ……イッキくんは、わたしが守らなきゃ。だって――)
「――大丈夫! 運がよければ近くに帰還の魔法陣があるから! 青く光る魔法陣を探して!」
「……くく、そんな暇はなさそうだよ」
イッキの視線の先――砂が盛り上がり、ボコッ、と槍を掲げる緑の手が現れる。
イッキは笑い、腰の長剣を抜いた。
「……イッキくんは、動かないで、ここにいて。絶対に、動いちゃダメだよ」
リザードマンの特徴は、動く者を優先して狙うことだった。
「ひとりじゃ無理だよ。あいつは――」
「お願い、だから。わたしを信じて」
リコの瞳は、真っすぐにイッキをとらえている。
(――リコの強さと、動物種の戦い方……興味はあるな)
「……じゃ、とりあえずアドバイスだけ」
「アドバイス?」
「まず、最初に全力で弱点の腹を狙う。それで腹に張られた魔法障壁が壊れなければ、リーチのある槍を無効化させる。そうすれば隙の多い肉弾戦を仕掛けてくるから、背後の尻尾にダメージを与える。すると仰向けに倒れて魔法障壁も解除されるから、がら空きの腹に、一撃」
イッキのアドバイスは、実際に自身がリザードマン亜種を倒すために編み出した攻略法だった。
イッキも魔法障壁の罠という所見殺しに合い、幾度となく殺された経験がある。
「モンスターのことには少し詳しくてね。役に立ったかな?」
「――うん、ありがとう」
リコは、パンパン、と頬を叩いて気合を入れたあと、腰を深く落とし、構える。
リザードマンは全身を大地に立たせ、『獲物』を睨み付けた。
「ニク……ニク……エサ」
「――ふッ!」
ボフッ! と砂煙が舞い、リコの姿がイッキの隣から掻き消える。
――ギィィィ……ン……!
「エ……サ?」
リザードマンが、音の鳴った場所を見下ろした。
弱点の腹を狙ったリコの拳が、魔法障壁に阻まれていた。
通常のリザードマンなら、これで終わりだったろう。
即座にリコは次の行動に切り替え、振り上げていたリザードマンの槍を回し蹴りで中央部分からへし折った。
槍を失ったリザードマンは口を開き、リコに襲い掛かる。
リコは跳躍し、リザードマンの頭を飛び越え、そのまま尾へかかと落としを決めた。
「ギャ――!」
後ろに転倒したリザードマンから、魔法障壁が解ける。
そこへリコ渾身の拳を腹に与えられ――リザードマンは絶命した。
(へえ――満点、だな)
イッキは手にしていた長剣を砂に突き刺し、腕を組む。
余りに呆気なく終わってしまい、リザードマンを倒した当人のリコでさえ驚いていた。なにより、イッキのアドバイスの的確さだ。
実践で戦い続けていたかのような説得力と、実際の、この結果。
(イッキくんって何者なの……? ううん……今は目の前に集中しなきゃ)
ボコ、ボコ、と、今度は立て続けに砂が盛り上がった。
リコは呼吸を整え、駆け出した。
∞
「――ハッ、ハッ、はぁ……ッ」
リコは手で汗を拭う。
(えへへ……参ったな……ちょっときつい、かも)
倍々形式で増えていくリザードマン。
十体以上は倒したものの、間髪入れずに砂が盛り上がり始めている。
その総数は、二十に迫る。
「…………」
リコは無言でイッキを見た。
そして、グッと拳を掲げて見せ、にこっと笑う。
(かっこ悪いとこ、見せられないよね)
リコは必死に自分を奮い立たせた。
(守る。絶対に……だって――)
遠い日の記憶――父と交わした約束をリコは思い出していた。
『――いいかい、リコ。もし、君が人間を買うことがあったら』
『わたしは、買わないよぉ』
『もしもの話さ。君には、責任が生まれる。今の世の中は、人間に対して優しくない。だから、守ってあげるんだよ。他の人がどう言おうと、君だけは裏切っちゃダメだ。彼らだって僕たちと同じ生命で――』
(――家族、だから!)
「はあああああッ!」
リコを突き動かしているのは、信念と本能。
驚異的な勘と戦いのセンスで立ち回り続けていたが、圧倒的な敵の数を前に体力は限界に近付いていた。
「ギャォッ‼」
リコはリザードマンの槍の一振りを避け、
「負けない! わたしが――守るんだああああッ!」
リザードマンの腹に、カウンターの拳を叩き込んだ。
ピシッ、と魔法障壁にわずかな亀裂が走る。
それが、振り絞った最後の力だった。
「あ……れ……?」
身体が動かない。糸が切れた人形のように、リコは膝をつき、ゆっくりと仰向けに倒れてゆく。
リザードマンが揃って槍を振りかざした。
薄れゆく意識の中、リコは悔しさに涙を浮かべ、ぎゅっと口をつぐむ。
(ごめん……イッキくん)
刹那――リコの真上を、突風が通り過ぎた。
「……ほえ……?」
リザードマンたちの槍は振り下ろされることはなかった。
十数体が一斉に――魔法障壁もろとも真っ二つにされていたのだ。
後ろへ倒れる前に、リコはガッシリと抱きかかえられる。
――イッキだった。
「よく頑張ったな、リコ」
イッキがリコの髪を優しく撫でる。
(……おとう、さん……?)
かつて、父が同じように撫でてくれた記憶と重なった。
とても心地よく、安心して、リコは瞳を閉じる。
リコを砂の上に寝かせると、イッキは立ち上がった。
すると、ボコ、ボコ、ボコ――と、失った数の倍を補充するかのように砂が盛り上がってゆく。
「くくく――言っておくが、復讐の対象は『神』だけじゃない。モンスター、もだ」
あの地獄のような世界――モンスターに襲われ、殺されては生き返り、こちらが倒すと別の新しいモンスターが現れる。
いつしか、イッキは理不尽さを感じていた。
モンスターの圧倒的な力による蹂躙――こちらは数十、数百と殺されるのに、なぜモンスターにはたった一度の死しか与えられないのだろうと。
モンスターを倒すときに湧き出るものは、達成感などではなく――ああ、また、逃げられた、という虚しさに似た感情だったのだ。
だからエデンでゴーレムを見たとき、イッキは高揚していた。
――モンスターにも復讐できる、と。
「リザードマンには何回殺されたっけなあ……ま、俺が殺された回数としちゃ割に合わないが、ストレス解消にはさせてもらうぞ。今度は俺を、楽しませろよ?」
八十体近くにのぼるリザードマンの大群が、一斉に雄叫びを上げる。
イッキは臆するどころか鼻で笑うと、長剣の切っ先を大群にかざした。
「――さあ、復讐の時間だ」
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