逆境
奴隷となって、十日目。
リコが増設した専用の個室で、イッキは退屈そうに寝転がっている。
食事を作り、討伐ギルドに向かうリコを見送る――その繰り返しの毎日。
『奴隷市場で暴れたんだから、しばらくは家で大人しくしておくこと!』
リコから言い渡された謹慎理由だ。
常に死地の中にあったイッキだけに、この『退屈さ』は逆に落ち着かない。
だが、現在までにイッキがリコから得た情報はいくつかある。
――この世界の通貨単位は『エン』だということ。
これは『神』の影響によるものだろう。
――現王はイヌ種だということ。
人間に対して寛容だという点からも、合点がいく。
――種族ランクは、基本的に王選抜の際に決定されているということ。
つまり、現在の種族ランク1位はイヌ種となる。
特典は一部施設の無料化、好きな領地の獲得、望む役職の優遇、などなど、多方面に渡るが、彼らにとっての一番のメリットは『種の誇り』というヤツだろう。
そして、現在のイッキの服装――。
リコが街で見繕い、数十着ほど用意されたものの一部。
ウキウキのリコがすべての服の試着を要求したときには、イッキはめまいがしそうだった。
(過保護が過ぎる……)
服を無理やり着せられるペットの気持ちが、イッキは今なら理解できた。
一時はリコからの逃亡も考えはしたが、こんなにも奴隷を優遇する破格物件は他にないだろう。
(それに――絶対大騒ぎする)
大慌てで街に飛び出し、イッキの名前を叫びながら迷子捜しのチラシをバラまくリコの姿が目に浮かぶ。
待機の期間を設けたといっても、これではストレスが溜まる一方だ。
ただ、現在イッキが興味を持っているのはリコの所属する討伐ギルド。
モンスター討伐に応じて経験が溜まり、『神の祝福』という名のレベルアップが行われ、身体能力が強化される。
果たして今のイッキにもその効果が適応されるのかは疑問だが、なにより、単にストレスを解消したかったのだ。
(問題は、どう頼むか)
「ダメ!」
「…………」
帰宅したリコに、開口一番に断られる。
「絶対邪魔はしないし、避けるのは得意だし、きっと役に立つから。そもそも、僕の売り文句が『モンスター討伐のお供』なんだよ。損はさせないって」
「ダメ! イッキくんは人間の中では強いのもしれないけど、モンスター討伐なんて無茶だから! 危ないから!」
どんなに説得しようが、リコは拒否の一辺倒。
(ならば――)
「――そんなに、人間を信じられないんだね」
「ほえ?」
「酷いよ、リコ。僕だって役に立ちたい、人間だってやれるって、見せつけたい。なのにその可能性すら否定するなんて……」
「はうぅ⁉ そ、そんなつもりじゃないよ⁉ わ、わたしはただ心配で」
イッキは背を向け、肩を震わせる。
「イッキ、くん? 泣いてるの……? わ、わわ、わかったよ~! だけどエリアはわたしが選ぶからね!」
肩を震わせただけのイッキは、ニヤリと笑うのだった。
∞
討伐ギルド――狩猟本能を満たすため、モンスターメダルを集めるため、己を高めるため、さまざまな理由で腕に自信のある者が集まるギルドだ。
討伐エリアは下級エリア、中級エリア、上級エリアと難易度毎にわかれ、ギルドに設置された魔法陣から各エリアへ飛ぶ。
エリアにはいわゆる『ダンジョン』が生成されており、下層に進む度にモンスターの強さも上がってゆく。
リコの場合、現在中級エリアの十層まで到達済み。
十六にしてこの攻略速度は驚異的といえる記録だった。
帰還方法は、フロアのどこかにある帰還の転移魔法陣を探す、もしくは申し込みの際に自分で決定する。例えば特定のモンスターの討伐、一定のフロアへの到達、などだ。
大原則として、死亡した場合は自己責任。そこが人生の着地点――墓となる。
「こんにちはー」
「よ、リコちゃん――と?」
ギルド受付嬢――イタチ種のアミがポニーテールを揺らし、二人を見上げた。
大きなリボン、丸い耳にフサっとした尻尾、背丈はイッキの半分に満たない。
「あ、この人は、わたしの――」
「子ども?」
「はァ⁉ アタシは大人だ! かじるぞ!」
アミは両手を掲げ、がるるる、とまったく怖くない威嚇をしている。
慌てて、リコはイッキの耳元へ口を寄せた。
「イタチ種の人って、成人でもこのサイズの人がほとんどなの」
「あー、そいつだね? 例の奴隷っての。料理がうまいとか、ずいぶん気に入ってたみたいだけど、もう囮に使うの?」
「お、囮になんてしません!」
「じゃあ、なににするのさ」
「パーティメンバーです!」
――。
これまで騒がしかったギルド内が、リコの一声で静まった。
その視線の変化はイッキも感じていた。
人間をパーティに加える――それがどれだけの愚行なのか、皆理解しているのだ。
リコは顔を赤くしてうつむき、その空気に耐えていた。
頑なに拒んでいた理由は、この事情もあってのことだったのだろう。
「い、いいけど、人間だからギルド証も発行できないし、手数料ももらうよ? イヌ種のアンタは免除だけど」
「……わかってます。行くのは下級エリアだから、そんなに危険じゃないし」
「か、下級……? リコさん、せめて中級に」
ジト目で睨まれたので、イッキはしぶしぶ従っておく。
下級エリア、それがリコにとっての最大限の譲歩だった。
「帰還方法は――フロアの二層到達、でいいよね」
(こりゃ、散歩程度にしかなりそうにないな)
「――おや、リコさんじゃないですか。お久しぶりです」
第三者の甘ったるい声。
ギルド内にいる女性陣から黄色い悲鳴が上がる。
イッキとリコが振り向くと、長身の優男がたたずんでいた。
人間との相違は尖った耳と、透き通るような青い髪――整い過ぎた美貌。
その雰囲気は、どの動物種とも異なっている。
「エルノール……様」
(――エルフ?)
イッキの予想は当たっていた。
伝説種――エルフ。
種族ランクは設定されていない。そもそも、伝説種は王の選抜に参加しようとしないのだ。関心がない、といった表現が正しい。
「今日は魔法陣のメンテナンスにきていたんですよ。大きくなりましたね」
「エルノール様は……変わりませんね」
「エルフの特性なので。これでも使徒の中ではおじいちゃんですよ」
――使徒エルノール。
十二人の使徒のひとりで、そのルックスと希少種ということからも女性人気は絶大。
魔法研究にも従事しており、アルモニアに存在する魔法陣は必ず彼のチェックが入る。
(こいつが、使徒……)
リコから使徒の存在を聞いてはいたものの、イッキが目にするのは初めてだ。
「奴隷――お買いになったのですね。あんなに否定されていたのに」
「そ、それは……」
「責めているつもりじゃありませんよ。人の心は移ろいゆくもの。人間の『現状』を受け入れるのは成長している証です」
「…………」
「それじゃ、もう行きますね。立て続けに魔法陣の調整があるもので」
ポン、とリコの肩に手を置き、エルノールはギルドを去っていった。
∞
「――わたし、あの人苦手」
下級エリア用の魔法陣が設置された個室で、ポツリとリコは呟いた。
「リコの知り合い?」
「うん。ほんと、小さいときに少しだけね。王の選抜は受けずに、歴代の王に使徒として仕えてるって。もう百歳は越えてると思う。モンスターと戦っても、傷付けられたことは一度もないって。魔法のエキスパートだし。でも――」
「でも?」
「とても、冷たい眼をした人」
エルノールは、一度たりともイッキを見ようとはしなかった。まさに眼中にない、といったところなのだろう。
「――よし! じゃ、気を取り直して行こう! イッキくん、絶対にわたしから離れちゃダメだよ!」
リコは手に手甲をはめ、打ち付ける。リコの戦闘スタイルは格闘だった。
対するイッキの武器は、ギルドから支給された護身用の長剣一振り。
リコが元気いっぱいに先陣を切り、魔法陣の中へ入る。
イッキも続き、足を踏み入れた。
一瞬にして情景が切り替わり――見渡す限りの砂漠が広がっている。
ダンジョンはフロアによって、ランダムにその環境を変化させる。
洞窟のような場所もあれば、森林のような場所もある。
それはリコも当然承知していた。
だが――。
「……どこ、ここ」
リコから表情が消えていた。
「ここが下級のフロアじゃないの?」
「ち、違うよ! 下級と中級に砂漠のフロアなんて――」
ハッと、リコが息を呑む。
「まさか――ここ、上級エリア⁉ どうして⁉」
上級エリア――そこは一層だとしても、攻略難度は中級の二十層に相当する。
もちろん、リコにとって未開のエリア。踏み入ってはならない危険エリアだ。
うろたえる主人をよそに、奴隷は思わぬ逆境にほくそ笑む。
(……面白く、なりそうだ)
読んでいただいている方、ブクマしていただいている方、ありがとうございます。
次回投稿は4/22を予定しております。




