未来から来た少女
「あれ? ここは?」
目を覚ました時まずは行ってきたのは見慣れない白い天井。そして次に見えたのはこれまた見慣れない真っ白なベッド。そこでようやく俺は何があったかを思い出した。
「いっ!?」
思い出したせいか先程までは何ともなかった腹の傷が疼きだした。刺された直後ほどではないが、なかなかに痛みを感じる。しかし、そのお陰で自分が死を免れたことだけは理解できた。
「正人!?」
丁度その時複数人の人間が部屋に入ってきた。声を上げたのは俺の母親、目がやたら赤くなっているところを見るにずっと泣きっぱなしだったようだ。
「大丈夫だって。起きれたってことは命にかかわるようなことはもうないんですよね?」
俺が医師にそう尋ねると、
「ええ。後5ミリほど傷が深ければ亡くなっていた可能性も十分ありますが」
予想外にギリギリだった。後5ミリってことはほとんど服の分じゃないか。俺じゃなかったら間違いなく死んでいる。
「ねぇ正人、本当に大丈夫? まだどこか痛む? お父さんも今日は会社早く切り上げて病院に来るみたいよ。何か食べたいものとかあったら伝えておくから」
余程心配しているのか矢継ぎ早に質問を飛ばしてくる母さん。だが、
「え~、申し訳ないのですが先に事情聴取させてもらってもよろしいでしょうか?」
先程から一切口を開かなかったスーツ姿の中年男が急に割り込んできた。誰かと思ったが警察関係者か。後ろにも似たようなスーツ姿の男が二人控えているが、こちらも恐らく警察関係者だろう。
「すみません……。それでは私は少し外に……」
「いえ、こちらこそ申し訳ございません。ご協力感謝します」
母さんが部屋から出ていくと、中年の警官はこちらに向き直り、
「まだ目が覚めたばかりというのに申し訳ありません。何分急いでおりましてね」
「いえ。それで俺は何を答えればいいんですか? 犯人の姿を見たかという問いであれば申し訳ありませんがノーと答えるしかないんですが……」
向こうが聞いてきそうなことを先回りして答えると、刑事たちは苦虫を潰したような表情になり、
「それは向こうに何か脅されて……、流石に無いか……。そんな時間あるはずがない……」
自身の案を自身で否定していた。正直俺だって自分自身の体験のはずなのにまるで現実感がない。本当は刺された事実なんてどこにも無くて、現実の俺はベッドの上で寝ていると言われた方がまだ信用できる。けれど、今なお痛みを訴え続ける脇腹がこれは夢などではないと俺に告げてくる。
「何か気になったことはありますか? どんな些細なことでもいいですから」
必死に情報を得ようとしているのは分かるし、協力を惜しむつもりも全くないが、しかし些細なことすら覚えていないのだからどうしようもない。分かっているのは刺された時の感触だけ。あれすらなければ刺されたのかすらも定かではなかった。
「実際に被害に遭われた方ならひょっとしたらと思いましたがそうですか……。お時間取らせてしまい申し訳ありません。また何か思い出されることがあれば我々の方に連絡してください」
中年の刑事はこちらに名刺を渡し、病室から出て行った。ミラージュ事件における唯一の生き残りがまるで手掛かりを持っていなかったのだから肩を落とすのもうなずける。
「にしてもまさか役に立つ日が来るとはねぇ」
役立たせようにはあまりに馬鹿げているし、かと言って人に言ってそれが出来ることを証明すれば気味悪がられる中途半端すぎる能力。俺はそれがずっと疎ましくて仕方がなかったが、今回だけは素直に感謝するしかない。
ぼけーっとそんなことについて考えていると、ドアが開いた。予想通り開けたのは母さんだったが、そのすぐ隣には父さんが立っていた。
「さっきお医者さんと話したんだけど傷口は浅くて、後一週間もしないうちに退院できるそうよ」
今日刺されたのに一週間以内に退院できるのか……。気を失ったのは痛みや出血ではなく腹を刺されたショックによるものってわけか。…………………そう考えるとかなりダサくて凹む。
「なんにせよ元気そうでよかった。刺されたと聞いた時は生きた心地がしなかったぞ」
二人ともホッとしたような表情しているが、俺には他に心配事があった。それは何か。答えは簡単これから来るであろう数多くの取材である。ミラージュの被害に遭って生き残っている唯一の人間なのだ、しばらくは世間の注目を浴びる羽目になるだろう。とすれば当然今以上に好奇の視線に晒されるわけで。今から痛み出す胃に俺はため息をつくしかなかったのだった。
「えぇい!! こうなった以上徹底抗戦だ!! 我が新聞部でミラージュを血祭りにあげグボァ!?」
またしてもアホなことを言いだした弘人に肘鉄を打ち込む美月。てか美月のヤツ確か空手の黒帯かなんか持ってたような気がするんだが一般人に打ち込んでいいのだろうか。
「な、なにをする美月……。お前は正人がやられて悔しくないのか……」
弘人は肘鉄を食らった鳩尾を抑えながら、か細い声で抗議していた。いやその気持ちはうれしいんだけどさぁ……。
「いや私だって弟分やられて大分頭に来てるし、場合によってはミラージュとやら血祭りにあげるのも辞さないけどさ~」
「辞そう! 頼むからそこは辞そうか!!」
小さいころから見てるからわかるけど、今の美月の目かなりマジだ。この目をしているときは本当にやらかす可能性があるから目を光らせておかないと……。しかし美月はそんな俺の言葉など意にも介すことなく、
「いきなり飛び出してどうすんのさ。策も何もないんじゃ正人の二の舞になるだけだよ~」
ド正論だった。弘人は流石に反論できなかったのかそこで押し黙った。が、
「だ、だがそれなら泣き寝入りしろと!? 指をくわえてただ待っていろと!?」
まだ自分の手でミラージュに制裁を加えることを諦めていなかったらしい。俺のためとはいえ今回ばかりは真面目に諦めていただきたい。
「そんなことは言ってないじゃん。だから私は先に作戦立てよって言ってるだけ~。ね、里香っち?」
突然話を振られた里香は慌てて手をわたわたさせ、
「わ、私はその! 正人君の意思を尊重すべきかと……」
「そうだ! 考え直せ!! 今回俺は死ななかったんだからそれでいいだろ!? 後は警察に任せればいい!!」
思わぬ助け舟が出たので乗っからせてもらった。というかなんで退院したばかりの俺がこの二人を止めなきゃならんのだ。いや、確かにいやな予感はしていた。俺が退院していきなり新聞部全体に放課後の招集がかかったんだ。何かあるとは思ったよ。
けどな、けどまさかこうなるとは思わないじゃん!! 俺にだけ知らされてないサプライズ退院パーティーだと思うじゃん!! 通り魔と本気で徹底抗戦するなんて誰が分かるんだよ!!
ちなみに今日は九重は来ていない。このことも退院パーティーだと俺に思わせることに一役買っている。狙ったわけじゃないだろうけど。
「その警察が全然役に立たないから言ってんじゃん」
「俺達なら解決できるとでも!?」
そんなわけがない。どうやったら警察より先に見つけられるというのだ。日本の警察をなめるなと言いたい。
「それなんだがな……」
弘人は少し言いづらそうに里香を見る。里香には話しにくい内容なのだろうか。
「あ、じゃあ私ちょっと席外しますね!」
空気を読んだのか里香は外に出ようとしたが、
「ああいや、ちょっと待て。正人、里香にあの事話してもいいか?」
あの事? 思い当たるとすれば……、ああ一つだけあった。まぁ別に里香なら気味悪がるようなことはないだろうしいいか。弘人の問いに俺は首を縦に振る。
「了解。なら里香にも聞いてもらおうか。ちなみに一応初めに言っておくがこれはあくまでも噂であり、信頼度はかなり低いものであるということを頭に留めておいてくれ」
弘人はそう前置きし、口を開いた。
「ミラージュの被害に遭った人間にはとある共通点がある。彼らは皆お前と同じくなんらかの能力を持っていたそうだ」
「能力ねぇ……。犯人は魔女狩りでもしてんのか?」
物質硬化能力、俺は自分の能力にそう名付けている。能力は読んで字のごとく衣服や皮膚を硬化させるというもの。ちなみに自分が触れているものでなければこの効果を発揮できないので、出来るのは先述した衣服や皮膚の硬化くらいだし、また血を固くすることも当然できるけどそれをやると血流が悪くなるので使いどころがほぼないと言ってもいい。何故か里香は大興奮していたが。
「水無月君」
ミラージュの動機についてぼーっと思考していると、急に背後から誰かの呼ぶ声が聞こえた。俺は振り返り、そしてその光景に目を見張った。
「何よ。そんなに驚くことはないでしょう? 部活も同じで席も隣なのだから」
不機嫌そうに言うが、仕方がないだろう。なんせ俺を今呼んだのは絶対に交わることがないと思っていた少女、九重鏡花その人だったのだから。
「まぁいいわ。ちょっと付き合ってくれるかしら」
有無を言わせぬ勢いでこちらに詰め寄ってきた。しかし俺としても一度色々と整理する時間が欲しいし、出来れば一人になりたい。
「いや、悪いけど今日用事あってさ。また今度でいいかな?」
そう言い残して俺は再び彼女とは反対方向に歩きだし、
「物質硬化能力」
そのまま足を止めた。
「は? 何それ? アニメかなんかの話か?」
俺は必死に内心の焦りを隠ししらを切る。しかし、
「いいえ? ただあなたならわかるんじゃないかしら」
…………この女は間違いなく俺の能力を知っている。さっきの話を盗み聞きしていたのか? あるいは今回のミラージュ相同にコイツは関わっているのか? いずれにせよここで出来るような話ではないな。俺は九重の手を引き空き教室に直行する。幸い放課後だったので空き教室はいくらでもあり、俺たちはそのうちの一つに入った。
「随分強引ね。空き教室に女の子連れ込んじゃうなんて、あなた意外と非行少年?」
「冗談はいいんだよ。お前一体何を知ってる?」
普段こちらの事なんかに一切興味を示さない女があるかどうかもわからない能力に興味を示した。その時点で何かがおかしいし、何より九重は確かに俺が刺されたとき現場にいたのだ。全くの無関係だとは思えない。
「クロノスの使徒」
「あ?」
何を言い出すのかと思えば。急にそんな中二病全開の名前出してきて一体コイツは何がしたいんだ?
「私たちの時代におけるとある機関の名前よ。そして私はそこに所属している」
私たちの時代? まさか……、
「私はこの時代の人間じゃない。私は今からちょうど百年後の未来から来た人間なのよ」
にわかには信じがたい。だが、
「あら? 意外と驚かないのね」
「まぁな。そもそも俺がこんなのだしまぁなくもないかなぁって」
九重は拍子抜けしたような顔をしていたが、そもそも俺も科学的には解明できない能力を持った人間なのだ。今更オカルトの一つや二つ増えたところで驚くことじゃない。むしろ俺としては九重が俺の能力を知っていたこと、そして何故あの場にいたのか、そちらの方が気になって仕方がない。
「まぁいいわ。それよりどうしてあなたの能力のことを知っているかよね?」
彼女は一旦息をつき、そして、
「その理由は簡単、あなたは未来において保護対象に指定されているから。そして私はあなたの護衛に選ばれた人間だからよ」
「いやちょっと待ってくれ! 急にそんな事言われても意味が分からん!! そもそもクロノスの使徒って何!? お前が俺を守る理由はどこにある!?」
そんなに矢継ぎ早に言われても理解できない。てか俺が全部知っていること前提で話を進められても困る。残念ながら俺は与えられていない情報全てを推察できるほどの察しの良さなど持ち合わせてはいない。
「そうね、確かに私が悪かったわ。とりあえず一から全部説明していくわ」
九重が謝っただと……? あの傲岸不遜、慇懃無礼を地で行く奴が……? 割と衝撃だが言ったら間違いなく不機嫌になるので心の中でとどめておく。
「さて、どこから話したものかしら……。まずはやっぱり時代遡行が可能になったところから始めるべきかしら」
そういうと彼女は事の発端について話し始めた。これから始まる長い長い戦いの発端となった出来事を……。