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カーライルの帰還

 クローディア帝国の西側には、海の領域が領土の一端を縁取るように広がっている。

 それを境として隣には、クローディアよりは幾分小さい領土をもつ王国が存在していた。

 ラフレシア王国である。

 夜を迎え、ラフレシアには夜の帳が下りる。その中央に位置する王都のとある屋敷には、1人の男が訪れていた。

 先程人払いをしたため、広い応接室には屋敷の主と客人しか残されていない。主の名はヒルトン公爵という。齢52歳。品の良い紳士は、細面の顔に小さな眼鏡を乗せている。対する客人は明るい金色の髪に青い瞳の若い男――カーライル・カルバートだった。

 目の前の男が、優雅な所作で出されたお茶を口にする。久し振りに彼と相対したヒルトン公爵は、そんな彼を見ながら、相変わらず気取った奴だと内心で嘲笑した。

 

「…5年振りか?カーライル」


 声を掛けてやれば、カーライルは笑顔で応じる。

 

「はい。思いの外、あちらでの生活が長くなりました」

「そうだな。まさか本当にル・ブランがお前を受け入れるとは思わなかったが…」

「私も半信半疑でしたが、噂は真実でしたね」


 カーライルは、ラフレシアの貴族、カルバート子爵家の嫡子である。

 彼が魔道士の疑いがあるといってル・ブランに送られたのは5年前の話だが、実際は疑いなどかけられてはいない。彼は閉ざされた地であるル・ブランを調査するために送られた、ラフレシアの密使であった。

 ル・ブランに送られて人間であると判定を受けた者は、戻るか残るかを問われる。そんな噂を聞きつけ、試しに潜入させてみたところ、思惑通りに成功したのだ。

 おかげで、魔道士の姫を迎えたことのないラフレシア王国も、この5年の間に幾通も送られて来たカーライルの報告書を通じて、ル・ブランの姿をある程度掴むことができている。

 

「しかし、手紙の検閲も行われないとはな…」

「そうですね。確かにル・ブラン側はあまり人間に対して警戒心を抱いている様子はありませんでした。…まぁ、ジェラール・エンバリーは先読みの力もあると聞いておりますから、こちらに何か不穏な動きがあれば察知できるのかもしれませんが」

「ふむ…。だが、ジェラール・エンバリーは政治に参加はしていないのだろう?」

「そうなんです」


 ル・ブランは共和国ということで、国民により選ばれた議員で構成される評議会が存在する。だが代表者であるジェラール・エンバリーは、そこに属さない。国で一番の魔道力を持つ彼は、国の象徴として存在しているに過ぎないのだ。

 

「魔道力による支配は行われない仕組みなのですが、議員の不正は彼が見逃さないということで、うまく均衡がとれているようです」

「なるほどな…。ともかくご苦労だった。お前の報告書には陛下も大変お喜びのご様子だったぞ」

「有難うございます」

「しかし行ったはいいが戻ることが可能かどうかは分からなかったからな。下手をすれば永住になるかと思っていたが…」


 むしろそうなればよいと思っていたのに戻って来るとは残念だ。――とヒルトン公爵は内心で呟く。

 ヒルトン公爵が自分の配下にあるカーライルを密使に選んだのは、女癖が悪く問題ばかり起こすこの男を、いい加減排除したかったという思いもあったのだ。

 王宮に出仕していた5年前、カーライルは最終的に同僚の妻にまで手を出した。正確に言えば手を出したという訴えが上がったが、証拠があがらず、一応不問となった。だが周りの見解は「あいつならやりかねない」で一致している。このまま手元に置いておけばまた問題を起こして、こちらに火の粉が飛ばないとも限らなかった。

 ヒルトン公爵の思いも知らず、カーライルは女好きする甘ったるい顔に、笑みを浮かべてみせた。

 

「はい。そうなるかと私自身も思いましたが、幸いにして出る機会に恵まれました。クローディア帝国へ輿入れする姫君の随行役を任じられまして。…それに関して、閣下に是非お知らせしたいことが御座います」

「なんだ?」

「実は、お土産が御座いまして」


 カーライルは意味深な笑みとともにそんなことを口にし、次の瞬間、衝撃的な一言を続けた。

 

「――魔道士ジェラール・エンバリーの娘を、私の妻として連れ帰って参りました」


 直ぐに理解は伴わず、ヒルトン公爵は、暫し口を開いたまま固まった。

 だが頭が追い付けば、どこか得意気なカーライルの表情に、寒気が走る。

 

「……なんだと?」


 知らず、唸るような声が出た。

 ヒルトン公爵の顔色からその心情を察したのか、カーライルは何かを制するように掌を向けて見せた。

 

「あぁ、誤解無きよう。誘拐したということではございません。彼女はクローディア帝国のレディオン公爵のもとに嫁ぐ予定だったのですが、私に懸想してしまいましてね。一緒に逃げて欲しいと懇願されて応じた次第で、端的に言えば駆け落ちです」


 安心してくださいとばかりに告げられた事実に、眩暈を覚える。ヒルトン公爵は思わずひじ掛けに縋った。椅子に座っていなかったら卒倒していたかもしれなかった。

 

「お、お前、お前は…」

「ご心配無く。彼女がジェラールの娘だと知る者はこの地には居りません。彼女自身もその名は捨てて生きていく覚悟ですので」


 公爵の中で、何かが切れた。

 

「――そういう問題ではない!!クローディアとの婚姻はどうなるのだ!!」

「ジェラールの娘は他にも居ります。代わりが立てられるのではないでしょうか」


 声を上げても動じる様子も無く、カーライルは小首を傾げて勝手な推測を述べた。そんな様が、更にヒルトン公爵の血圧を上げる。

 

「何を呑気なことを!!!――ジェラールが連れ去られた娘を放っておくものか!!直ぐに捜索の手が延びるぞ?!ル・ブラン最強の魔道士から逃げられると思うのか?!」

「何度も申し上げますが、誘拐ではないのです。その証として、本人の手紙も残してきました。シアは――私はそう呼んでいるのですが――父の遠見に対して結界を張って対応できると申しておりますし、居場所は特定できない筈です。私もル・ブランでは素性を偽っておりましたので辿られることは無いでしょう。なによりル・ブランから人の地へ無断で立ち入ることは禁じられております。娘が駆け落ちをしたから探したいなどという理由で人の地への侵入を打診するなどと、そんな愚を犯すことを評議会が許すと思われますか?もともと人質として送られる予定であった姫ですよ?連れ戻す意味は何処に?」


 淀みない口上に、ヒルトン公爵は返す言葉を失った。相変わらず口だけは達者な奴だと、内心で舌打ちする。

 

「シアは私の願いならばなんでも叶えてくれます。私はまた、閣下のお役に立てると思いますが」


 その目はあくまでも強気で、この功績を褒めてくれと言わんばかりだ。ヒルトン公爵は沈痛な面持ちで嘆息する。

 

「……お前はクローディアとラフレシアならば繋がりも無いと高を括っているようだな。知らないようだから教えてやるが、ヴィンス公爵家の娘は現在、クローディア皇帝の妃だ」


 流石に、カーライルの表情が変わった。

 

「ヴィンス公爵家の?……ですが、あの家のご令嬢といえばエヴァンゼリン姫しか…」

「そのエヴァンゼリンが、ル・ブランから出戻って来たんだ。子供ができなかったがために捨てられたようでな」

「………なんと…」

「おかげでほぼ内定していた私の娘とクローディア皇帝との婚姻は白紙に戻った。…忌々しいことだ。実現していれば、私はクローディア皇帝の義父になれたものを…」


 ラフレシアは最近、クローディアとの縁を強くするために動いていた。クローディア皇帝陛下の妃の座が空いていることもあり、それは婚姻によって為されるはずだった。その適当な相手としてヒルトン公爵家の娘が筆頭であったが…。

 

「よくあちらが出戻りの娘を受け入れましたね…」

「…こちらが申し出たわけではなく、あちらの希望だそうだ。ル・ブランに出した姫が突然戻って来た上に、そんな申し込みがきたものだから、議会もだいぶ混乱したのだが…」

「ヴィンス公爵にしてみれば、幸運が転がり込んで来たというところですか」

「そうだな。そして私のもとから転がり出て行った」


 自然、投げやりな言い方になった。だがカーライルは再び胡散臭い笑みを浮かべる。

 

「閣下には私が新しい幸運を運んで差し上げます」


 この男の凄いところは、昔も今も自分のしていることに欠片も後ろめたさを感じずにいられるところだ。

 しかし――。

 ヒルトン公爵は自分を落ち着かせるためにお茶を一口飲み下すと、徐に訊いた。

 

「……本当にジェラールの娘なのか?」

「はい」

「何が出来る」

「一度連れて参ります。詳しくはその際に。…よろしいですか?」


 ヒルトン公爵は、ひとつ嘆息する。

 

「……好きにしろ」


 認めるのも悔しいが、興味が無いわけでもなかった。


 ◆

 

 自宅に戻ったカーライルは、自室に入ったところでフランシアに出迎えられた。

 

「おかえりなさい、カーライル!」

「ただいま、シア」


 胸にとびこんでくる少女を受け止める。

 長い金色の髪を肩に流したフランシアは、家の者によって用意されたのであろう膝丈のドレスを纏っていた。見上げた菫色の瞳は恋する少女らしく熱に浮かされている。カーライルを見詰め、甘えるような声で問い掛けた。

 

「…公爵様にご挨拶は出来たの?」

「あぁ。結婚の報告をしてきたよ。喜んでくれた。次はきみと一緒に来なさいと言ってくださったんだ。近いうちに紹介するよ」

「嬉しい…」


 再び胸に頬を寄せる、少女の髪にキスを落とす。

 

「この家で何か不便は無い?」

「何も無いわ。お義母様も、お義父様も、とてもよくしてくださるの」

「それは当然だよ。きみは僕の大事な人だからね」


 嬉しそうに頬を染める少女は、文句無しに美しい。

 惜しいなとカーライルは内心で呟いた。彼女が魔道士でなければとっくに手を出しているところだ。

 だが今は慎重にならざるを得ない。万が一にもご機嫌を損ねないよう、貴重な宝の扱いには充分に気を付けなくてはならないのだ。

 カーライルはそっとフランシアに顔を寄せると、今日もまた軽く唇を重ねるに留めた。

 

「…お父様にはもう、伝わったかしら」


 彼女の囁きで思い出す。2人がル・ブランの一行から離れて、もう5日――。

 

「……ん…、そろそろかな…」

「今のところ、お父様の魔道の気配は感じないわ。心配しないで」

「うん、もし何か感じたら教えてくれる?」

「もちろんよ。……愛してるわ、カーライル」

「僕もだよ、シア」


 カーライルがいつものように応じると、フランシアは花が綻ぶように微笑んだ。


 ◆

 

 その頃、遠いクローディア帝国の皇宮にはジルの姿があった。

 毎週決まった日に、彼はここを訪れる。彼の母と義理の父と、3人で夕食をとるためである。

 広すぎる食堂でではなく、母の自室で家族水いらずの時を過ごす。今宵もそうして晩餐を終え、今は食後のお茶を飲んでいるところだった。

 

「ジル、フランシア姫は元気にしているかい?」


 ふと、ジルの義理の父であるカイサル・クローディア皇帝陛下が問い掛ける。50も半ばを過ぎた皇帝陛下は、後ろに流したライトブラウンの髪に白いものが混ざっている。ジョシュアと同じ空色の瞳で、笑うと目尻に皺が生まれる。その顔立ちには、君主としてこの大国に君臨する者とは思えない、穏やかな彼の性質が滲み出ていた。実は怒らせると怖いという噂を聞いたことはあるが、真偽はジルも彼の母も知らない。自分達に対しては、どこまでも甘い義父なのだ。

 

「あぁ……うん」


 フランシアの一行がレディオンに到着した後、ここに来たのは初めてだった。話題に出ることは分かっていたが、ジルは一瞬返事に詰まる。


「初日は寝込んでたけど、もう大丈夫。元気そうだよ」

「連れて来てくれれば良かったのに。お会いしてみたかったわ。ル・ブランのお話も聞きたかったし…」


 皇帝の隣で、彼の母が呟いた。こちらは30の半ばだが、年齢を感じさせない。ジルと同じ黒髪に紫色の瞳で、教会のシスター達にはよく似ていると評判だった。

 母の言葉も予想通りだ。ジルは手にしていたカップを皿に戻す。

 

「……そのことなんだけど…。今日は2人に頼みがあって来たんだ」

「お、なんだ?改まって」


 頼られると思ったのか、義父は嬉しそうな顔になる。母もどうしたの?と目で問うた。

 

「やっぱりフランシア姫には、俺がジェラール・エンバリーの息子だっていうことは秘密にしておいてくれない?」


 2人は揃って目を瞬き、一度顔を見合わせた。母が先に目を戻して訊く。

 

「伝えていないの?」

「うん」

「どうしてだい?姉弟だって分かったらフランシア姫も安心するだろうってお前も言っていたじゃないか。もし私のことを気にしているのなら…」

「いや違うよ。そうじゃなくて――」


 ジルはどう言うべきかを考えながら、自然に片手で頭をおさえていた。

 

「…考えたんだけど…伝えない方がいいかなと思って。…どうせいずれ別れて二度と会わなくなる関係だからさ。本当の家族になれるわけじゃないし…」

「仲良くなれそうにないの…?」

「……そういうことじゃないけど…」


 適当な言い訳が見付らず、ジルは困惑に眉を歪めた。真実をありのままに伝えることは不可能だった。

 

 ジルがジェラールの息子であることを知っている者は、今は義父と母しか居ない。ラフレシアはエヴァンゼリンに子供が居ることすら知らないし、クローディアでは自分の父は皇帝ではないという事実しか伝えていない。エヴァンゼリンがル・ブランに嫁いだ事実を知っている者でも、ジルがただの人間という判定を受けていることから、父親がジェラールであるという発想は生まれないようだった。

 ――そう、それがジェラールの嘘だとは、誰も思わない。

 ジルは12の時に、実の父親と対面していた。

 

 ”ジュリアン…?”

 

 そして初めて、自分の本当の名前を知った。小さく漏れた、父の呟きから。

 

 ジルが初めて竜を呼んだのは、人の地へ帰りたいと強く願う母の言葉を叶えた、3歳の時。記憶にも無い幼い頃に、ジルは既に魔道力に目覚めていた。

 

 ”この者は魔道力を持たない、ただの人間である”

 

 父が持たせてくれたその証書は、かつて母を守れなかった彼が唯一できた贖罪であったことを、誰も知らない。

 

 クローディアから花嫁が来ると決まった時、それがジェラールの娘だということも含めて、知らされたのはやはりこの夕食会の場でだった。

 これも縁だと思った。

 花嫁を受け取る権利は同時に、解放する権利にもなる。帰してあげようというのは、全員一致の意見だった。

 ジルが結婚相手に名乗りを上げたのは、クロエに言った通り、万が一にも間違いが起こらない関係だからに他ならない。

 彼女に会ったら、ジルの口から全てを話して、これが偽装結婚であることを納得してもらう予定だった。

 

 それなのに――。

 

 あの夜、クロエが酒場に入って来た時から、ジルはなんとなくその姿を目で追っていた。

 たった1人で酒場に来る若い女の子が珍しかったのもあるが、その弾む足取りも、どこか楽し気な表情も、人柄が滲み出ているかのような優しい顔立ちも、純粋にジルの興味を引いたからである。

 そしてあの”事件”をきっかけに更に心惹かれ、話してみて、見たままの彼女の性質を好ましく思った。

 少しだけ年齢を偽るという姑息な手に出たのも、そう言わないと男として見て貰えそうもないと本能的に感じたためである。

 本当はもっと年上かと思っていたから…。

 一緒に過ごすうちに、ジルの目に彼女はどんどん可愛く見えてきて、屈託の無い笑顔が本当に気持ちよくて――本気で、また会いたいと思った。

 次に会った時には、自分の立場や実の姉との偽装結婚のことも、話してもいいかもしれないと思って…。

 

 ”初めての人くらい……自分で選びたいだけなの…”

 

 あの日のことを思い起こすと、ジルの胸は甘い痛みに締め付けられる。

 クロエの言葉が嬉しかった。

 自分を選んでくれたことが嬉しかった。

 嬉しくて、――タガが外れた。ちゃんと優しく出来たか自信も無い程、夢中になった。

 だからこそ翌朝目覚めた時には、暫く立ち直れないほどに打ちのめされた。

 そして彼女がフランシアだと知った時には、それを超える絶望感に襲われた。


「……とにかく、言いたくないんだ。…頼むよ」


 言い訳は諦め、結局ジルは一方的にそう言った。

 

 黙っていることが正しいのかどうかは分からなかった。

 ただ今更もう、”姉さん”だなんて呼べる気はしなかった。

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