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帰りたくなくなる

「誰かと待ち合わせしてる?」


 明るいところで見ると、少年の瞳は深い紫色だった。その視線が、クロエの隣の空いている席に落ちる。

 

「ううん、ひとり」

「そうなんだ。じゃぁ、折角だから俺も一緒に呑もうかな。いい?隣」

「あ、うん!どうぞどうぞ!」


 両手で椅子を指して歓迎すると、少年は「ちょっと待ってて。荷物取って来る」と言って一度去っていった。

 その背中が、奥のテーブル席へと向かう。そこでは男性が集団で呑んでいて、戻ってきた彼に気付いて顔を上げた。何やら言葉を交わしている。どういう風に話しているのだろう。やがて彼は自分の荷物と上着を手に、こちらに戻って来た。

 残された人達が、ちらちらとクロエを窺う。

 

 ――あ、違うよ!そういうのではないですよー。

 

 興味津々な目に、内心で反論してしまう。少年は仲間の好奇な視線を意に介さず、クロエの隣に落ち着いた。


「いいの?お友達…」

「大丈夫大丈夫、毎日顔合わせてる面子だから」


 彼はメニューを手に取ると、「俺も同じのにするか」と呟いた。クロエはそれで、自分の目の前にあるグラスの存在を思い出す。

 

「あ、これ?」

「うん」

「これならどうぞ!呑んで!私まだ呑んでないから」

「いいよ、そんな」

「ううん。間違えちゃって困ってたの。名前だけ見て適当に頼んだら、すごい強そうなの出てきちゃって…。呑んでくれると助かるんだけど」

「そうなの?じゃぁ貰おうかな」


 彼はクロエの手からグラスを受け取ると、味を確かめるように一口呑んだ。

 

「…きつくない?かなり大人向けっぽかったけど」

「美味しいよ。俺、大人だから」


 自分を指差してそう言った彼に、クロエは失笑する。

 

「なんでそこで笑うの」

「あ、ごめん」

「いいけど。きみも代わりの頼みなよ。何にする?」

「あ、そうだね。どうしよ…」


 改めてメニューを見るクロエの横から、少年も覗き込む。

 

「どういうのが好き?」

「果実酒があったら嬉しいかな…」

「色々あるよ。この辺りがそうだよ。甘いのがいい?」

「うん、ほんのり甘いのがいい。酸っぱくなくて…」

「酸味が無いのね、了解。じゃ、適当に頼むね」


 少年はそう言って、店員を呼んだ。先ほどの気のいいおじさんに注文を告げる。そんな姿を横目で見つつ、クロエは思わず感嘆した。

 

「なんかかっこいい…」

「え?」

「希望通りに選んで注文してくれるって……、凄いね。大人の男の人みたい」

 

 心からの賞賛だったのだが、少年は「”みたい”って…」と苦い顔になる。

 

「そんなガキに見える?俺」

「え、だって未成年でしょ?……あれ、違った??」


 不服そうな様子を見て、クロエは慌てて訊き返した。彼は隣で腕を組み「悔しいな、なんか」とひとりごちる。

 

「え、なんで?」

「子供扱いされてる」

「いやいや、そういうわけじゃないよ!」


 クロエは慌てて否定した。

 決して見下しているわけではないし、彼を子供っぽいとも思っていない。ただ単純に若さに満ち溢れて見えるだけなのだ。

 横顔を彩る黒髪は艶を纏い、きめの細かい白い肌には一点の曇りも無い。どこか中性的なその容貌は、少年から青年へ変化を遂げる前という風に映っていた。――けど、実際は意外と年齢がいっているのだろうか。

 

「…じゃぁ、何歳なの?」


 問いかけると、彼の目がクロエに向く。

 

「何歳から大人なの?」


 目が合うと、なんだかドキマギしてしまうのは何故だろう。

 一点だけ、彼が大人びて映るところがあるとすれば、その瞳だと思う。黒に近い紫はどこか妖艶な印象で、若い彼に仄かな色気を纏わせている。

 

「……成人したら…、かな?」


 ル・ブランでは20歳を迎えたら成人だ。つまりクロエは大人である。法律的には。

 

「成人してるよ」

「え、嘘!!」

「嘘って言ったね、今!――やっぱり子供扱いしてたな!」

「きゃー、ごめんなさい!」


 クロエが逃げるように頭を抱えると、彼の明るい笑い声が弾ける。本気で怒ってないことが伝わり、クロエも一緒になって笑った。ふと先ほど注文したお酒が「おまちどー!」という声とともにやってきた。今度こそちゃんと果実酒がきたことに歓喜しつつ、両手で受け取る。

 

「で?そっちは何歳?」


 少年に訊かれ、クロエは「成人してます」と答えながら一口呑んだ。口に広がるほどよい甘みに、顔が綻ぶ。

 

「美味しい!!完璧!有難う!」


 親指を立てて見せると、彼も嬉しそうに微笑む。

 

「じゃ、俺たち同じ歳ってことで。はい、乾杯」

「かんぱい!」


 少年のグラスはもう半分消えているが、遅ればせながら乾杯した。ふと彼は思い出したように荷物を探り、財布を出す。

 

「これの代金、忘れないうちに…」

「あぁ!いらないいらない。奢りだよ」

「いいよ、そんな」

「よくないよ、むしろ奢らせて。さっきは本当に助かったんだから。あんな挙動不審な私の意図を、きみが汲み取ってくれていなかったらどうなっていたか…!」


 想像して、クロエは改めてぞっとした。フランシアの身代わりをしている身で官憲などに突き出されたら、取り返しのつかないことになるところだった。

 

「座ってた位置が良かったんだよ。俺の席から丁度ここもさっきのテーブルも視界に入ってたからさ」


 彼はそう言って、ふっと笑った。

 

「やりたいことはすぐ分かったし、ああいうこととっさに出来る人ってあんまり居ないからね。…おぉ!ってなった」

「結果、とんだお馬鹿さんだったけどね」

「結果より、気持ちでしょ」


 褒められるのも気恥ずかしくて自虐的に返すクロエを、彼が一言で救い上げてくれる。

 有難うと返したものの顔が熱くなるのを自覚し、クロエはお酒を呑んで誤魔化した。

 

「…きみ、学校でモテるでしょ?」


 心からそう思って訊いたが、途端、彼は白けた顔になる。

 

「なにその俺が学生っていう前提の問い掛け」

「学生じゃないの?!」

「だから成人してるって言ったじゃん」

「あ、そうだった。じゃぁ、お仕事してるの?」

「だからなんなの、その”嘘でしょう?”って言いたげな顔は。さぁ、どうだろうね。――きみは?」


 こっちに振られた。どう答えたものか分からず「さぁ、どうでしょう…」と濁す。彼は頬杖をつき「どうでしょうね」と苦笑した。

 

「じゃぁとりあえず、基本的な質問から。名前なんていうの?」

「え、私の?」

「……この状況で、俺がきみの飼い犬の名前訊いてると思う?」

「あ、犬は飼ってない」

「うん、興味ない」


 おどけたやりとりで、2人して笑う。美味しい果実酒は、早くもクロエの体を火照らせ始めていた。

 

「なんていうの?名前」


 改めて彼が問う。迷いながら、クロエは小さく呟いた。

 

「……クロエ」


 でもそこで我に返る。クロエ・ノアはこの国には居ないのだ。そしてクロエはこの国では、その名前を名乗ってはいけない。

 もちろん、今フランシアの名を名乗るわけにもいかないのだけれど――。

 

「クロエ?」

「……って…、親しい人は、呼ぶかな?」


 不自然に濁すと、少年は目を瞬く。

 

「それはつまり愛称ってこと?そういう名前ってこと?」

「そういうきみは?なんていうの、名前!」


 少々強引に矛先を変えると、彼は何かを察してか深く追求はしないでくれた。お酒を一口呑んで答える。

 

「俺はジルって呼ばれてるかな…。親しい人には」

「…そっか…」


 なんだかもどかしくて、お腹のあたりがもやもやする。本当は何も隠したくなどないのに、これではまるで適当に彼をあしらってる高飛車な女みたいだ。

 口を閉ざした彼に、クロエは居た堪れなくなる。思わず、取り繕うように声を掛けた。

 

「ジルって…呼んでもいい?」


 ジルがこちらを向く。紫色の瞳が、柔らかく細められた。


「…俺もクロエって呼んでいい?」


 問い掛けが甘く響いて、胸がきゅっとなる。喉が詰まって声にならず、クロエはただ頷きを返した。

 

 

 その後、貰った銀貨は使い切り、それでも止まらず、クロエは4杯ほど果実酒を消費した。

 合間にはジルの職業当てが始まり、酔いも手伝って妙に盛り上がる。

 

「分かった!役者じゃない?舞台役者!――ね?」

「あ、いい線かもしれない」

「ほんと??」

「うん、なんか俺役者やってる気がしてきた」

「気がしてきたの?――うん、似合うと思うよ!白馬の王子様とかハマりそうっ」

「そうだね。白馬の役なら俺の右に出る奴は居ない」

「そっち!?」


 ……と、こんな調子で、途中からはクロエが言った職業にジルが全部乗ってくれるという、ただの遊びになっていたが。

 おかげさまでクロエは、先ほどから爆笑の連続だった。

 

「あー、お腹痛い。あー、顔が熱いー」

「大丈夫?」

「うん、楽しい!すっごく」

 

 ――うっかり、帰りたくなくなるくらい…。

 

 余計な一言は飲み込んで、クロエは自分の頬をぱんっと叩いた。ややもすると込み上げてくる負の気持ちをぐっと抑え、滲んだ涙を拭う。

 

「笑いすぎて涙出たよ」

「うん、よく笑うよね。見てるこっちが気持ちいいよ」


 ジルの綺麗な横顔を、お店の照明が橙色に照らす。最初よりもかっこよく見える気がするのは、お酒のせいだろうか。遠慮も忘れて鑑賞しながら、クロエはしみじみと呟いた。


「……ジルのお母さん、美人だよね、きっと」


 クロエの唐突な発言に、ジルは変な顔もせずに反応してくれる。

 

「そうだね。美人だってよく言われる」

「…うん、分かる。お父さんもかっこいいの?」

「…どうかな?…普通…」

「……お母さん似なんだね、ジルは」


 ジルは「うん」と答えてから、「…って言ったら、俺が自分を美人って言ってるみたいじゃん」と照れ臭そうに笑った。

 

「言っていいよ、美人だよ。私がジルと同じ顔してたら一日中自分の顔眺めて暮らすもん」

「そんな生活、3日で飽きる」

「えー、そう??やってみたいけど。あー、でも…恵まれた人には恵まれたなりの試練や苦悩があるんだよねー」


 カウンターに凭れた腕にことんと頭を乗せて、クロエは独り言のように呟いた。ジルの「どうしたの、急に」という笑いを含んだ声が耳に心地良い。

 

「…って、うちのお母さんがよく言ってたの」


 そう言って、目を閉じた。

 

「人より多くを持っている人は、持っていない人から見れば羨ましいものだけど、持っていることでの苦労や試練は絶対にあるよって。…だから羨んだりするのは違うんだって。…持っていない人も、そのことで出会える幸せだってあるんだから、それを探すべきよって…。人を妬んだりして他所見してるうちに、見逃しちゃうよって…」


 それは母が、魔道力を持たずに生まれてきたクロエに、よく言い聞かせてくれた言葉だった。

 ル・ブランは学校でも社会でも、魔道力の大きさで世間の評価が決まる。そこでただの人に生まれてしまったクロエは、幼い頃から自分に強い劣等感を抱いていた。

 その気持ちが母の言葉で全て消せたかといえば嘘になるが、慰めとして心に焼き付いていて、ふとした時に思い出す。

 だが今は失敗だったかもしれない。

 うっかり母の面影がまな裏に浮かぶと、忘れかけていた寂寥感が、また顔を覗かせる。

 

「…いい言葉だね」


 ジルの言葉で、故郷に引き摺られそうになったクロエの心は辛うじて戻った。今は楽しむ時なのだと自分に言い聞かせて顔を上げる。

 

「…いい言葉?」

「うん。その通りだと思う。俺の母親は確かに美人だし、たぶん人からは恵まれているように映ったと思うけど、…いいことばかりじゃなかった」


 そう呟いたジルの横顔には、母を労わる思いが滲んでいた。

 嫌なことを思い出させたのかもしれない。言葉を失くすクロエの心情を察してか、「勿論、悪いことばかりでもなかったし、今は幸せそうだけど」と言い添える。

 

「良かった…」

「ちなみに俺は、クロエも普通に”持ってる”人だと思うけどね」


 意外な評価に、クロエは思わず「何を?!」と訊き返してしまった。


「だから外見」

「え!いやいや、そんなお世辞はいらないいらない…!地味なのは自分で分かってるから!」

「え、地味かな?」


 ジルはグラスを傾けながらひとりごちる。


「好みだけどな、俺は」


 彼の漏らした一言が耳に届いた途端、体温がぶわっと上がった。心臓が何かできゅぅっと締め上げられたみたいで、甘い痛みは鼻の奥を刺激する。

 

「…う、わ…」


 堪らずに、クロエは両手で顔を覆った。

 感動で、胸の奥から何かが溢れ出しそうだった。

 ”好み”だなんて、生まれて初めて言われた。

 綺麗とか可愛いとか、女の子を称える類の言葉を、クロエは今まで男性から言われたことがなかった。あえて言うならカーライルに化粧をしたら綺麗になると言われた、あの一度きり…。でもあの時の何倍も、ジルの言葉は胸に響いていた。

 嬉しいのに。本当に嬉しいのに――同時にこんなにも悲しくなるのは、何故だろう。

 

「どうした…?」


 溢れ出してしまった思いが止められなくて、顔を覆った手を外せない。

 

「…なんでもない…」

「なんでもなくないでしょ…。どうしたの?」


 クロエの涙声に気付いたのだろう。ジルの声音が変わった。

 心配させてしまったことが申し訳なくて、クロエはなんとか感情を抑え込むと、そっと手を離す。両手で涙を拭いた。

 

「ごめん、お酒のせいで変だね、私。…嬉しかっただけなんだけど…。なんか…今日は良い事あったなぁ…」


 呟きながら、気付いていた。

 諦めていたつもりだったけど、人並みに恋に憧れていた自分に。

 自信が無さすぎて、これ以上劣等感を大きくしたくなくて、縁が無いって言い訳をして遠ざけていた。

 勇気を出して少し踏み出せていれば、こんな素敵な出会いもあったのに――。

 

 ――…もう遅い…。

 

 ジルが気遣わしげに、クロエの顔を窺う。

 

「だいぶ酔ってる?」

「……酔ってる…かも」

「水頼もうか」

「ううん。……もう、帰る」


 ほとんど頭から消えかけていた現実を無理やり引き戻して、クロエはなんとかそう告げた。

 一時的な現実逃避は出来ても、フランシアのように何もかもを捨てて逃げ出す勇気は自分には無い。

 それでもこれ以上ここに居ると、本当に帰れなくなりそうだった。

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