近くにいるのに会えない
魔道士の礼服はローブである。
ローブとは踝まで届く丈の長い外套のようなものであり、正式な場では男性は黒、女性は白が望ましいとされている。それに則り、ジルにもやはり黒を基調としたものが用意されていた。
だが必ずしも黒一色である必要は無いらしい。袖口や裾は金地の布で縁取られているし、胸元にも金の刺繍が施されている。腰に巻いたベルトもまた金細工で、思っていたよりはずっと主張の強い意匠となっていた。
その格好で久し振りに顔を合わせたジェラールは、どこかからかうような笑みを浮かべ、「悪くないな」と一応の賛辞をくれた。
集会は敷地内に建つ聖堂にて執り行われる。
ジルがジェラールと伴にそこへ足を踏み入れた時、堂内は既に各地から赴いた上級魔道士で埋め尽くされていた。
座席の無いその場で、誰もが佇んだままこちらを向く。一瞬で話し声は消え、静寂が舞い降りる。人々は誰ともなく左右に分かれ、奥へ誘うように道を開けた。
ジェラールが歩き出すのに合わせ、ジルも後に続く。評議会の重鎮がその後から入ると、扉は誰の手も借りずに閉ざされた。
聖堂は薄暗闇に包まれる。
ジルは歩きながら、そっと周りを観察した。誰もが今のジルと同じくローブを纏っている。だが統一されているのは装いだけで、年齢や性別は様々だった。
国の上級魔道士全員が召集されたと聞いているが、思っていたより少ない。100人には達していないだろうと思える人数である。
最奥に辿り着くと、壇に上がる。そこでジルは最前列を確認し、あることに気がついた。
――フランシアが居ない。
最前列はエンバリー家に属する上級魔道士が並ぶと聞いていた。ジェラールの妻、そしてその子供達。なかには当然フランシアも含まれる筈である。
ジェラールが皆に向かって今日の目的を説明する陰で、ジルは近くに居た男性に声を潜めて訊いた。
「フランシア姫は来られないんですか?」
男性は同じく小声で返す。
「フランシア様には現在、公務を控えて頂いておりますので。地方の別邸にいらっしゃいます」
公務を控えて――。その理由までは訊かずにおいた。理解すると同時に、ジルはふとある可能性に思い至った。
フランシアがこの屋敷に居ないのであれば、侍女であるクロエも同行しているのではないだろうか。もしかしたら自分の手紙は、彼女の手に渡っていないのかもしれない。
クロエが今日という日に合わせて出掛けてしまっているという事実が不安に追い討ちをかけていたが、単に知らなかっただけというならまだ希望はある――かもしれない。
先ほど見た光景が甦ると、暗澹たる思いに囚われる。
とても楽観的にはなれる状況ではなかったが、望みを捨てたくもなかった。
「ジュリアン」
名を呼ばれ、思考が中断する。
前へ出ろと促すジェラールに従い、ジルは彼の隣へと進み出た。
「これがジュリアン。16歳だ。――さて、ではまず…」
ジェラールは徐に壇の両脇にある燭台のうち、ひとつを指して言った。
「あれに火を」
ジルは「はい」と応えて、燭台の方を向いた。
魔道士の証明のため、会の冒頭でそれを見せる場が設けられることは事前に説明されていた。
今日はジルの紹介だけでなく、上級魔道士としての判定も行われるらしい。簡単な魔道を披露した後は、代表する上級魔道士達と握手を交わすことで、彼等一人一人から魔道力を測られることとなる。
ジルに関しては、ジェラールの息子であることと、人の地に養子として出されたことだけしか伝えられていない。
魔道力がジェラールのそれを上回っているという事実は伏せておかれる予定だ。
それを知れば「何故人の地になど渡してしまったのだ」と異を唱える者が必ず出てくる。秘密にしておいた方が無難だというのが、ジェラールを含めた評議会全員の見解だった。
ジルは蝋燭に意識を集中し、そこに炎が生まれるイメージを思い描いた。念じるだけで容易く点くというジェラールの言葉を信じ、意識を集中する。不意にそこには、ふわりと小さな灯りが生まれ出た。
狙い通りに火が点ったらしい。ほっとした次の瞬間、それはごおっと唸りを上げて膨れ上がる。
「うわっ…!」
突如として火柱が上がり、誰もが思わず身を退いた。――ジェラール以外は。
彼はその展開を予期していたかのように、襲い来る炎に対して迷わず両手をかざした。途端、辺りは強烈な冷気に支配され、吹雪に似た風が渦を巻いて立ち昇る。それが炎を抱き込み、高い天井にまで届き――消滅する。
どちらも時間にしては一瞬の出来事だった。
後にはただ黒くなった燭台だけが残り、蝋燭自体は跡形もなく消え去っていた。
振り返ったジェラールに冷ややかな視線を投げかけられ、ジルは極まりの悪い顔になる。
「…すみません」
ジェラールは苦笑を漏らすと、まだ呆然とする魔道士達に向き直った。
「ご覧の通り、まだ力の制御も出来ぬ若輩者だ。指導にあたっては皆に力を貸して貰いたいと思っている。――よろしく頼む」
◆
午後になって、クロエは漸くエンバリー邸に到着した。
浮き立つ気持ちのおかげで空腹は感じなかったが、世間は昼食時である。ひとまず知り合いを求めて厨房に向かうと、期待通り侍女仲間である子達がそこで皿洗いの真っ最中だった。
洗うのは手作業だが、拭くのと仕舞うのは器用に念力で行っている。お皿が一枚棚に向かって飛んでいく様を見送って足を踏み入れると、久し振りに顔を合わせる友人の1人が、直ぐにクロエに気付いてくれた。
「あれ! クロエ?! なんで居るの?!」
「お疲れ様! お仕事中にごめん! 聞きたいことがあるんだけど!」
駆け寄るクロエの姿を、友人はまじまじと眺めて言う。
「それはこっちの台詞なんだけど。どうしたの、お洒落して」
そんな声に釣られて、1人また1人と仕事の手を止め、振り返る。お皿の飛行は、一時ぴたりとおさまった。
「あれ、クロエだ」
「え、クロエ?! マジで?」
クロエは彼女達に両手を合わせて言う。
「ごめん、邪魔して! ジル…、ジュリアン様がもう来てるかどうかって、誰か知ってる?!」
折角なので皆に向けて訊いてしまうと、仲間の1人が「誰でも知ってると思うけど?」と答えてくれた。
「来てる??」
「うん」
――うわぁぁ!!
クロエは内心で飛び跳ねた。
この建物の何処かにジルが居る! それだけで気持ちは盛り上がり、クロエは更に前のめりになって訊いた。
「で、で、今って何処に居るの?!」
「何処って…。本館の中央広間で会食の真っ最中よ」
「中央の広間ね! ありがとう!」
「ちょっと!!」
勇んで踵を返したクロエの腕を、友人が掴んで引き止める。
「まさか行こうとしてる?! 上級魔道士の集いよ?! 部外者は立ち入り禁止に決まってるじゃない!」
その言葉で、クロエは今更に自分の立場を思い出した。
上級魔道士の会ともなると、侍女風情では近寄れない。女官クラスでないと給仕すらさせて貰えないというのが常識だった。
ましてや今この屋敷で働いてすらいないクロエなど、ただの不審者だ。ジルの知り合いだなどと主張したところで門前払いになるのがオチだろう。
「そ、そんな…」
せっかくここまで来たのに…。
愕然とするクロエに、侍女仲間は「なに、あんたもしかしてジュリアン様とお近づきになろうと目論んで来たの?!」と呆れ顔で訊いた。
「お近づきというか…」
「お近づきというか??」
改めて訊かれると、なんと答えていいのか分からない。クロエは赤くなって俯いた。
「……会いに、来たんだけど…」
「ええぇぇ!!!」
認めると思わなかったのだろう。揃って驚嘆され、クロエは我に返る。それ以上言葉を繋げる隙も無く、仲間達は一気に色めき立った。
「クロエったら、凄い!! 会ってどうするの?! 侍女が見初められた前例とかあるの?!」
「無いでしょ、そんなの! 聞いた事ないから!」
「でもクロエはその初めてに挑戦するってこと?」
「何言ってるの。無理に決まってるじゃない。上級魔道士だし、エンバリー家の一族だし、結婚相手は同じクラスの魔道士って相場が決まってるんだから」
「そうよねー。所詮、身分が違うわ。確かにかっこよかったけど」
「うんうん、流石エンバリーの血筋っていう顔してた!」
「えー、そうなの?! 私まだ見てない!」
「いずれ見れるでしょ。若いけど、やっぱりジェラール様のご子息なだけあったわよ。凄い美形! 5年後が楽しみな感じ」
「へぇー!」
気付けば盛り上がりの外側に置かれている。
クロエは「お邪魔しました…」呟くと、お喋りを続ける仲間達を残し、そそくさとその場を退散した。
――結局ジルの体が空くのを待つしかないのかもしれない…。
ダメ元で会場に行って、案の定追い払われたクロエは、立派な回廊をとぼとぼと歩きながら嘆息した。
彼との隔たりを自覚させられると、仲間達の言葉が改めて刺さる。
”上級魔道士だし、エンバリー家の一族だし、結婚相手は同じクラスの魔道士って相場が決まってるんだから”
”所詮、身分が違うわ”
出会ったのがル・ブランだったら、クロエもきっと同じことを思っていた――。
でも、ジルは違う。
違うと、信じる――!
沈みそうな心を奮い起こし、クロエは顔を上げる。会の終了は何時になるのだろう。その後、会うことは出来るのだろうか。せめて誰かジルに伝言を届けてくれる人がいれば……などと考えていると、不意に前から歩いてくる女性の集団に気付いた。彼女達の先頭に見慣れた顔を認めて、クロエは瞠目する。
まさに天の助けだった。
「女官長!!!」
カミラ達は大きな箱を抱えていた。明らかに中央広間に何かを運ぶ最中という様子だった。
女官の最高責任者であり、今回の会食を仕切っているに違いないカミラに、クロエは急いで駆け寄り、縋りつくようにして言った。
「お、お疲れ様です!!」
「あら、クロエ。久し振り」
「すみません、ちょっと…! ちょっとだけよろしいですか?!」
カミラはクロエの姿をざっと眺めて、失笑する。「先に行ってなさい」と他の女性達に指示すると、クロエの願いに応えて、1人その場に残ってくれた。
「用件は聞くまでもない感じだわね」
「! す、すみません! 多分予想通りなんですが、実は…!」
「いや分かるんだけど、あの子を呼んできてって言うなら無理よ」
先回りして断られ、クロエは声を失う。だがカミラはひとつ肩を竦めると、クロエの予想とは違う理由を続けて言った。
「あなたのカレね、体調が悪くなったってことで、先に部屋に戻ったのよ」
「え…!」
クロエは束の間呆然となった。頭の中でカミラの言葉を反芻し、恐る恐る問う。
「…どこか、悪いんですか?」
「なんか来た時から辛そうだったって偉いおじさん達が話してたわ。慣れない場所でちょっと疲れたんでしょうね。今日は部屋で静養するんですって」
ジルが、病気…。
状況を理解すると、不安が湧き上がる。まさかル・ブランに来て早々に体調を崩してしまうなんて――。なんてことだろう。大丈夫なんだろうか。
深刻な顔で押し黙るクロエを、カミラは優しく「そこまで重症じゃないから心配ないわよ」と慰めてくれる。
「熱は無かったみたいだし、食事も普通に召し上がったそうだし、私が話した限りでは普通だったもの。気分的なものじゃない?」
ジルと、話をした――。それを聞いて思わず顔を上げる。クロエの心情を読んでか、カミラは何も言わずとも訊きたいことを教えてくれた。
「あなたのこと、色々と訊かれたわ。フランシア様と一緒に田舎に送られたって伝えたら、住所が知りたいっていうから教えておいたわよ。いずれ会いにいくつもりなんじゃない?」
胸が熱くなって、うっかり泣きそうになる。
彼がクロエのことを気にしてくれていた。――それだけで、しょげかけていた心が救われる。
込み上げるものを堪えて、クロエはカミラに頭を下げた。
「…有難うございました」
「いえいえ、お幸せにね」
からかうようにそう言って、カミラはまた歩き出す。その途中でふと足を止め、クロエを振り返った。
「少し見ないうちに、男らしくなってたわよ」
それだけ言って、カミラは今度こそ去っていった。クロエはその後ろ姿を見えなくなるまで見送ると、視線を地面に落とした。
「……いいな…」
思わずそんな呟きを漏らす。
侍女仲間の皆も、カミラも、既にジルに会えている。――自分だけが、会えないまま。
…なんて子供みたいなことを言っても、体調が悪いのなら仕方が無いではないか。
休んでいるところを邪魔はしたくない。このまま帰った方がいい。
そう心では思うのに、足は杭で打たれたかのように、少しも動こうとしてくれなかった。
◆
クロエがエンバリー家で項垂れているまさにその時、体調が悪いからと言って自室に戻った筈のジルは、翼竜の背に乗って上空へと飛び立っていた。
カミラに会えたのは幸いだった。
会食の最中、その姿を目に留めたジルは、ひっきりなしに話しかけにきていた他の上級魔道士を振り切って、彼女を捕まえに行った。
相当驚かせてしまったが、おかげで知りたい情報を得ることが出来た。
そうなるともう居ても立ってもいられず、体調が悪くなったと言って会を抜けた。
今朝のことがあったので、評議会の人達には全く疑われずに済んだ。むしろこちらが申し訳なくなるほどに気遣われ、ジルは内心で手を合わせながら部屋に戻った。
そして地図を広げてクロエの居る場所を確認し、窓から抜け出して今に至る。
本当は、こんなことをしていいのかという迷いもある。
行ってもまだクロエは戻っていないかもしれないし、意味は無いかもしれない。
それでも今、何もせずにはいられなかった。
別邸の庭にも、竜が降りる専用の場所が用意されている。
木も植え込みも花壇も無い平地。そこへ降り立つと、来客と判断して、庭に居た使用人らしき男性がこちらへ駆けて来る。竜を見ても驚きも感動も無いそんな対応が、ここがル・ブランであることを実感させた。
ジルが地に足をつくのと、彼が近くに辿り着くのが同時だった。
その顔をはっきりと確認した瞬間、ジルは思わず硬直する。
「――どちら様ですか?」
笑顔で出迎えた人物は紛れも無く、今朝、クロエの隣に居た男だった。