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運命の日(3)

 フランシアに連れられて戻ったのはジェラール・エンバリーを含む5人の男性だった。

 全員がル・ブランの正装である黒のローブを纏っており、顔は半分フードに隠されている。長靴の踵を鳴らし、裾を揺らしながらぞろぞろと入室する様はどこか威圧的で、誰もが緊張の面持ちで彼等を見守った。

 クロエは行列の最後に現れた馴染み深い顔に、ハッと眉を上げた。それはたった1人でル・ブランまで行ってくれた女官長カミラだった。

 無事に辿り着いたのだ。そしてジェラールを連れ戻ってくれたのだ。感激に打ち震えるクロエに、カミラは小さく手を振ってくれる。クロエも思わず振り返しそうになったが、騎士の存在で思い止まった。

 カミラは1人列を離れると、会場の端で控える。男達はそのままクロエのすぐ傍まで来ると、皇族の前で足を止めた。

 ふと先頭を歩いていた男が一歩前に進み、4人は自然と後ろに控える形になる。皇帝陛下と対面した男は、徐にフードを脱ぎ去った。

 その下から現われた顔に、エヴァンゼリンの眉が一瞬苦しげに歪んだ。


「騒がせて申し訳ない。ル・ブラン共和国代表、ジェラール・エンバリーだ」


 朗々とした声は、その場全体に響いた。

 青みがかった長い黒髪は緩く編まれ、右胸に流されている。彫像を思わせる端正な顔立ちに強い眼差し、耳に光る赤いピアスが妖艶さを際立たせる。目の覚めるような美丈夫がそこに居た。

 彼の一言を合図に、後ろの4人もフードを脱ぎ去った。拳を胸に当て、恭しく一礼する。それを受け、皇帝陛下がすっと前に出た。

 

「クローディア帝国皇帝、カイサル・クローディアだ」


 彼もまた、君主の顔になっていた。柔和な空気を捨て去った皇帝のいつもと違う様子に、クロエはごくりと固唾を呑む。だが皇帝陛下はジェラールの前に立つと、ふと瞳を和らげ、片手を差し出した。ジェラールが黙ってそれを取る。

 

 ――ジルのお父さん達が握手してる…!

 

 それはクロエの鼓動を妙に高鳴らせる光景だった。

 思わずジルの方を窺うと、彼も息を詰めて2人を見ていた。

 ふと皇帝陛下の目がジェラールの背後に向かう。その視線に答えるように、ジェラールは彼等を「ル・ブラン評議会の議員達だ」と紹介した。

 

「評議会の方々にまでお越し頂いたとは痛み入る。実は、先程ル・ブランの陰謀というのはこの地の者の造言であることが明らかになったばかりだ。この度はとんだ言いがかりで貴国を騒がせてしまい、申し訳なく思っている」


 謝罪されたジェラールの口元が僅かに綻ぶ。

 

「なに、気になさらぬことだ。そもそも私の娘の軽率な行動が招いた事――」


 父の言葉に、フランシアは小さくなった。そんな彼女をちらりと見遣り、ジェラールは苦笑する。

 

「――そしてそれを知りながら黙っていた私の責任だ。後ほど一緒にこってり絞られることにしよう」


 評議会の者達はほとんどがジェラールより年上だ。彼の視線に、全員がしかつめらしい顔で返す。どうやらジェラールは娘可愛さにクロエを見捨てる選択をしていたらしい。どうりでル・ブランに動きが無かったわけだと、他人事のように納得した。

 ジェラールはその目を再び皇帝陛下に戻す。

 

「…だが今回ぞろぞろとやって来たのはそのためではない。もっと重要な件の確認に来た」

「もっと重要な…」

「ジュリアンの件だ」


 ジュリアンという名に、クロエは息を呑んだ。皇帝陛下が自然とジルを見遣ると、ジェラールも追うように振り返った。

 2人の視線を受け止めたジルは、ぐっと唇を引き結ぶ。

 少しの間ジェラールは黙ってジルのことを見ていたが、やがて目を逸らすと、皇帝陛下に問うた。

 

「あの者を人間とした私の判定に疑問の声が上がっているという話だが――結論は出たのか?」


 訊かれた皇帝陛下は、一瞬答えに窮した。

 その様子から何かを察したのか、ジェラールは「出たようだな」と呟く。不意にそれまで黙っていた評議会の議長が「どういった結論ですかな?!」と身を乗り出した。

 皇帝陛下の迷いを打ち砕くように、ジルは自ら一歩進み出る。

 

「――俺は魔導士でした」


 ル・ブラン評議会の面々は、一様に顔色を変えた。それは彼等が期待した答えではないようだった。誰かが「まさか…!」と声を上げる。ジルは更に進み出ると「必要であれば、この場で証明いたしますが」と言った。それに対してはフランシアが「必要ないわ」と口を挟む。

 

「今更見せて貰わなくても、あなたの魔道力は私が嫌と言う程知ってるもの」


 フランシアの言葉が決定打だった。議長は厳しい顔でジェラールに詰め寄る。

 

「ジェラール様…!どういうことでございますか?!」

「聞いた通りだ。どうやら私は本当に間違えたらしい」

「そのようなこと…!」


 議長は語気を荒げて言った。

 

「――あなたが間違えるなど、有り得ぬことでございます!!ル・ブランの最上級魔道士であらせられるジェラール様に限って…!

 万が一魔道士であったという結論になれば、私達はあなたがあえて結果を偽った可能性について考えなくてはならないと思っておりましたが…!」

 

 エヴァンゼリンの顔がさっと蒼くなる。だが追及される当人はあくまでも平静だった。評議会の動揺を理解しない調子で返す。

 

「だから間違えたと言っている。有り得ないことではないだろう」

「いいえ、有り得ませぬ!!」

「有り得るのだ。――お前達は、ひとつの可能性を忘れている」

 

 言われた議員達は、揃って訝し気な顔になった。

 ジェラールはふとローブの裾を翻してジルと向き合った。右手をすっと胸の前に差し出し、その場で空気を掬うように手を広げる。

 掌にふわりと光の玉が生まれた。

 それが小さく揺らめいた次の瞬間――ごぉっと音を立てて膨れ上がった。

 突然激しさを増した閃光に、誰もが恐れ戦いた。本能的に後退ったのはジルも同じだったが、ジェラールは「動くな!」と鋭く彼を制した。

 立ち竦んだジルを見据えるジェラールの瞳が、紅く色を変えていく。彼はゆっくりと自分の右手を頭上に掲げた。光は彼の腕に纏わりつくように広がり、激しい火花が生まれる。そこに結集した力が、出口を求めて暴れるかのように――。

 

「…周りの者は下っていて貰おう」


 言われるまでもなく、ほとんどの者がジェラールとジルから距離を置いていた。クロエも騎士に引き摺られてその場を離されながら、目は食い入るようにジェラールの右腕を見ていた。彼が何をする気なのか、考えるのが怖かった。ジルはまだ魔道の使い方を知らない。その彼に対して――。

 ――次の瞬間、腕は一気に振り下ろされた。

 放たれた閃光は稲妻のように真っ直ぐジルへと襲い掛かる。

 

「いやぁぁ!!」


 クロエとエヴァンゼリンの悲鳴が重なった。――刹那、閃光は空中で弾け、一瞬で霧散した。

 何が起きたのか、その場の誰も直ぐには理解できなかった。景色が束の間、白く霞む。ちりちりと光の粒子が飛び散る中、ジルの姿が再びクロエの視界に戻った。

 彼はとっさに防ごうとしたのか、両腕を顔の前で交差していた。衝撃が止んだことで、ゆっくりと下ろす。まだ驚きを引き摺るその瞳は、紅く燃えていた。

 ジェラールは笑みを漏らし、議員たちを振り返る。

 

「……見たか?」

「は、はい…」

「た、確かに、この目で…」


 彼等は呆然としながらも、ぎこちなく頷いた。その顔には一様に衝撃が広がっていた。全員が認めたくはない事実に直面したという様子だった。

 その時漸く、クロエも現象の意味を理解した。信じ難い思いでジルを見る。彼は困惑顔でクロエの視線を受け止めた。

 

「……どういうことですかな、ジェラール殿」


 皇帝陛下が訝し気に問う。ジェラールはその問いに自分で答えることはせず、「説明して差し上げろ」と議員達に命じた。

 議長が代表して進み出る。


「我々は今…、その者がジェラール様の術を封じるのを…確認致しました…」


 意味が分からず、皇帝陛下は眉を顰める。

 

「……だから…何だ?」

「つまり、――その者の魔道力は、ジェラール様を越えているということです…!」


 ひどく苦し気に、議長はその事実を告げた。

 それはル・ブランの者であれば、誰もが導き出せる答えだった。

 ジルは今、ジェラールの術に対して結界で対応するのではなく、その術自体を消して見せたのだ。あれ程の力を一瞬で無効化した。それはル・ブランに現在居るどの魔道士にも出来ないことだった。

 ジェラールは頷くと、呆然とする皇帝陛下に向けて「つまりはそういうことだ」と言った。


「少々荒っぽい確認方法になったことはご容赦頂こう。本能的に力を発動させる状況を作り出す必要があったのでな。…私が例の判定を任されている理由は、私の魔道力が誰よりも強いという前提にある。だがこの者は私の力を越えていた。魔道力というのは、透明な容れ物に注がれた透明な液体に似ている。自分より下位の魔道士に関してはその力の水面を見ることが出来るが、上位であれば見えない。見えなければ、液体が入っているのかいないのか、そもそも分からないというわけだ。……私はこの者の魔道力の水面が見えず、”無い”と判定を下してしまった。――それだけのことだ」


 それがどれ程ル・ブランにとって重大なことか、ジェラールは少しも理解していない様子だった。腕を組み、ジルの方を見て苦笑を漏らす。

 

「気付かなかった私も迂闊だが、仕方がないだろう。この数十年、ル・ブランにこの私を上回る魔道士は現われていなかったのだからな。それがまさか人間の妻との間に生まれているなどと……夢にも思わなかった」


 ジェラールの目が、一瞬エヴァンゼリンを映した。だがそれは本当に一瞬で、直ぐに逸らされる。そして改めて評議会の面々に向かい、「納得して貰えたか?」と訊いた。

 

「これは…大変な事実でございます…!魔道士同士の子供より、魔道士と人間の間に生まれた子供の方が、魔道力が強くなることがあるなどと――」


 議長の興奮を他所に、ジェラールは「皮肉なものだな」と笑った。その一言はクロエの胸に刺さる。

 強い魔道士が生まれるようにと、ジェラールは上級魔道士の妻を何人も娶らされている。それでも結果生まれた子供の誰も、彼の力を越えていない。

 魔道士同士の子供が、魔道力が強くなるとは限らない――。

 

「ジェラール様を越える、…魔道士…」

「なんという…」


 議員達はまだ呆然としているジルを見て、口々に驚嘆した。ジルは戸惑い、居心地悪そうに眉を顰めた。

 ふと、ジェラールが彼等に対し、冷静な問いを投げる。


「さて、ル・ブラン評議会。そなたたちは、この者を私に代わって国の代表に据えるか?」


 クロエは瞠目する。

 それは最強の魔道士が現れた時のごく自然な対応だった。だが、ここがル・ブランならばの話である。議員達も一様に困惑顔で、互いに目を見合わせた。彼等の心の声を代弁するように、ジェラールは言った。


「そうだな。慣習に従えばそうなるが、魔道士といえども人の地の住人。この歳になるまで人の地の教育を受け、人の地の価値観を育ててきた者だ。どうだ、ル・ブランの象徴として迎えられるか?」

「やめてください!」


 不意に声を上げたのはジルだった。本人を置き去りに検討を始める彼等に、険しい顔で告げる。

 

「……俺には無理です」

「そうだろうな」


 ジェラールは静かに頷いた。

 

「ル・ブランの象徴たる者は、ル・ブランで生まれ育っていることが大前提だ。ただ魔道力が強いというだけでその地位に迎えるほど、評議会も考えなしではない。――そうだな?」


 訊かれた議員達は迷いを見せたが、結局は「はい」と頷いた。代表は政治の実権を持たない代わりに評議会を見張る役目を担う。余所者に任せられることではない。

 その結論に、クロエは心から安堵していた。ジルがル・ブランの象徴などになってしまったら、もうどうやっても手の届かない人になってしまう。でもだとするとジルは――。

 

「そこでひとつ、私から皆に提案があるのだが」

 

 クロエの思考を遮り、ジェラールが口を開く。誰もが注目するなか、彼は皇帝陛下に向き直った。

 

「クローディア皇帝陛下。――私の息子を、貴殿の養子に迎えてはくれまいか?」


 皇帝陛下の空色の瞳が、ハッと見開かれる。彼の隣でエヴァンゼリンもまた、驚きの表情を浮かべた。

 それは誰にとっても思い掛けない提案だった。

 ジェラールはふとフランシアを振り返って言う。


「今回、そもそもル・ブランとクローディアは縁を繋ぐ予定であった。だが私の娘はあろうことか男と駆け落ちして夫婦になったという。これは既に花嫁の資格を失っている。だが聞けばル・ブランと人の地の者との婚姻は白い結婚となるのが暗黙の掟であるというではないか。ならば娘である必要もないだろう。代わりと言ってはなんだが、今後も変わらぬ和平の証として、私の息子はどうだろうか」

「ジェラール殿…」


 皇帝陛下が声を詰まらせる。その想いが伝播するように、クロエの喉にも熱いものが込み上げた。

 ジェラールは和平条約という大義を掲げ、再びジルをエヴァンゼリンのもとへ残そうとしている。自分の跡継ぎと成り得る唯一の存在を手放してまで――。

 不意にフランシアが高らかに手を打ち鳴らした。

 

「名案ですわ、お父様!私も丁度人の地から婿を頂く予定ですし、今後も和平は安泰ですわね!」

「ほぉ、婿をな…」


 ジェラールの目に射竦められ、カーライルが肩を震わせる。

 皇帝陛下はエヴァンゼリンと目を合わせ、立ち尽くすジルへと視線を移した。そして一歩前に出ると、会場全体に届くように声を張った。


「――私がこの話を受けることに異論のある者は居るか?!」


 場はしんと静まり返った。異議を申し立てる者は誰一人として出なかった。エドワードもまた、その場を沈黙で通した。皇帝陛下の顔には穏やかな微笑みが広がる。

 彼はゆっくりとその場を離れ、ジルのもとへと歩いた。その前に立つと、まだ戸惑いの消えない彼の目を見詰め、右手を取る。その掌の上にそっと何かが乗せられた。

 確認して、ジルの瞳は微かに震える。

 それは金細工の紋章。――彼がラフレシアで失くした筈の物だった。


「そろそろ、父さんと呼んでくれてもいいんじゃないか…?」


 ジルはぐっと唇を噛み、顔を伏せた。俯いた彼の表情は黒髪に隠されて見えなくなる。戻って来た紋章を強く握り締めたその手は、微かに震えていた。

 クロエは両手で鼻と口を覆い、溢れる嗚咽を必死で堪えた。

 涙で霞む視界に、ジルに歩み寄るジョシュアとセドリックが映る。


「そうだぞ、ジル」

「僕たちのことも、兄さんと呼んでくれてもいいんだぞ」

「……なんだ、お前達は呼ばれていないのか」


 エドワードの呟きが割って入り、ジョシュアとセドリックは揃って振り返る。


「どういう意味かな?」

「私は既にそいつに兄上呼ばわりされたがな」

「なんと!?――ジル、本当か!?」

「嘘でしょ?!なんで?!」

「……お前達が思うほど可愛くないぞ、そいつは」


 エドワードの悪態に、ジルは顔を隠したまま失笑する。ぐいと目頭を拭うと、顔を上げた。

 涙の消えた強い瞳は、皇帝陛下を通り越してジェラールを見た。

 ジルは彼に対し、初めて微笑みを浮かべて言う。


「有難うございました」

「…別に、何もしてはいない。私は事実を伝えたまでだ」

「……また、会えますか?」


 躊躇いがちに窺ったジルに、ジェラールの顔が綻ぶ。

 

「いつでも会いにくればいい。お前は私の息子なのだからな」


 その事実をもう隠す必要も無い。評議会の面々にも「お待ちしております」と恭しく一礼され、ジルは嬉しそうに礼を述べた。

 その瞳にクロエを映すと、眩しい程の笑顔を見せてくれる。

 胸の奥が熱くて苦しくて、クロエは涙を止めることが出来なかった。ひとりでひっくひっくとしゃくりあげていた。

 

 良かった。

 本当に良かった。

 もうその言葉しか浮かばない――。

 

 不意にジョシュアがぱんぱんっと手を叩いて皆の注意を引いた。

 

「さて、では折角だからこの場で弟ジュリアンの婚約者も決めるとするか!クローディアとル・ブランの縁を繋ぐ意味で――」

「待ってください!!」


 ジョシュアの言葉を、ジルが慌てて遮る。目を丸くする義兄を睨み、彼ははっきりと言った。

 

「お膳立てはいりません。――本当の結婚相手には自分で申し込みます」


 それだけ告げると、ジルは足早にクロエのもとへ来た。驚く間も無く手首を掴まれ、議会場の出口へと引っ張られる。

 2人が揃って立ち去るのを、被告を奪われた騎士達は呆気に取られて見送った。

 

「…結果は同じではないか」


 ジョシュアのそんな独り言は、フランシアの歓声と拍手に打ち消されたのだった。

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