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同じ恋だから

 カーライルが納戸のある地下から戻ると、フランシアはハッと椅子を立った。クロエとは自分が話すと言って外して貰ったが、やきもきして待っていたのだろう。直ぐさま駆け寄る。

 

「クロエはなんて…?」

「ん…、いや、僕の質問には全く答えて貰えなかったよ。敵意剥き出しで話にならない」


 嘘ではない答えに、フランシアの顔は目に見えて曇った。カーライルは励ますようにその肩に手を置いて言う。

 

「まぁ、僕がきみを攫ったのは事実だからね。仕方が無いよ。時間をかけて分かって貰おう。…それよりシア、もしかしたら僕達は既にジェラール様に見付けられている可能性もある?」


 何故クロエがフランシアのもとへ来れたのか――その答えとして、カーライルの中ではジェラールの力が介入しているという説が最有力だった。自分が密使である件も、ル・ブラン側の推測に思える。ただ、動きが早すぎることだけが不可解だが。

 フランシアは「そんな筈ないわ!」と即座に否定した。

 

「お父様はル・ブランに居るのよ?!その距離から私の結界を破って遠見するなんて不可能だし、しようとしたら絶対に気配で気付くわ!」

「……そう…」


 こればかりは魔道力を持たないカーライルには理解できない理屈だ。もどかしい思いながらも、まだ焦る段階ではないと自分に言い聞かせる。こちらはフランシアさえ味方に付けておければ問題無い。ル・ブランの主張など全て「きみを連れ戻すための造言だ」で片付く話である。

 気を取り直し、カーライルはフランシアの背に手を添えた。

 

「さて、そろそろ食事の時間だね」

「あ、そうね…。クロエの分も頼んである?」


 カーライルは思わず失笑した。客人でもあるまいし。

 

「一食ぐらい抜いたって死なないよ」


 むしろ情報を引き出すためには、多少精神的に追い詰めておいた方がいい。

 フランシアは一瞬何か言いたげな顔をしたが、結局はいつも通りカーライルの意志に従って沈黙した。

 

 ◆

 

 お腹が情けなくきゅぅと音を立てる。

 こんな時でも呑気に空腹を訴える自分の体に呆れつつ、クロエは薄暗い部屋で溜息を漏らした。

 もう、そんな時間なのだ――。

 ジルは今頃どうしているのだろうかと、離れ離れになってしまった大事な人に思いを馳せる。クロエのことなど一旦置いて、ヴィンス家に行ってくれているといいのだが…。

 ふと部屋の扉が少しだけ開いた。廊下の明かりが細く差し込み、クロエの足元まで届く。またカーライルが来たのだと思い、ごくりと固唾を呑んだ。

 クロエの居る部屋に鍵は掛かっていない。だから出ることは出来るのだが、その先に結界が張ってあって、ある範囲より先には進めないようになっている。だから多分、ここに来るのはカーライルだけで――。だがクロエの目は思い掛けないものを捉えて固まった。

 細い手が扉の隙間からそっと覗いて、小さな布の包みをぽんと置く。

 そして引っ込むと同時に、クロエは弾かれたように長椅子から立ち上がった。


「フランシア様…!!」


 扉は慌てて閉ざされた。

 急いで駆けつけ、もう一度開けようとしたが、外側から押さえる力に遮られる。ふと足元に目を落とせば、フランシアが置いてくれた包みははだけ、美味しそうな焼き菓子が顔を覗かせていた。

 胸が詰まり、クロエは扉に向かって声を張った。

 

「有難うございます!…有難うございます、フランシア様…。た、助かります!ご馳走様です!」


 フランシアは何も応えなかった。それでも扉に感じる抵抗が存在の証に思えて、クロエは必死で訴えた。

 

「あ、あの!フランシア様、私嘘なんて吐いてないです!本当です!もしお疑いなら、私の記憶を透視してくださっても構いません!」

 

 覚悟を決めて、クロエはそう言った。

 物体の透視ではなく記憶の透視はかなり高度な魔道だ。上級魔道士でも出来る者と出来ない者が混在する。人の心を丸裸にするそれは基本的には禁忌であり、余程の罪人に対してしか行われない。クロエだって本音は頭の中を覗かれたくなんかないのだが、背に腹は変えられない。

 だがそこまで言っても、フランシアからの返答は無かった。クロエは焦れて、更に言い募る。

 

「カーライルはひどい男なんです!自分のことしか考えてないような人です!あの人は自分の欲のためにフランシア様を利用して――」

「クロエなんか嫌い!!」


 扉の向こうから上がった悲痛な声に、クロエは絶句する。

 張り詰めた静寂の後、フランシアの泣きそうな声が薄暗闇に届いた。

 

「カーライルを悪く言うクロエなんて……嫌いよ…」


 見えない手に、頬を叩かれたような気分だった。

 熱くなっていた頭からさぁっと血か引き、冷静さを取り戻した自分が、一時(いっとき)前の自分を俯瞰する。

 

 ”カーライルはひどい男なんです!自分のことしか考えてないような人です!”

 

 急激に恥ずかしさで一杯になった。

 

「そう…ですよね…」


 自分のことしか考えていないのは、クロエの方だった。

 何より忘れてはいけなかったこと――クロエの評価なんて関係ない――フランシアにとって、カーライルは特別な人なのだ。

 クロエにとってのジルと同じなのだ。

 クロエだって、他人にジルのことを悪し様に言われたらどんな気持ちになるだろうか。事実がどうかなんてこと以前に、反感を抱くだろう。エドワード皇子がジルを攻撃したあの時、クロエの目には彼が鬼のように映っていた。はっきりと敵だと思った。

 フランシアだって今、それと同じように感じているに違いないのだ。

 それでも――クロエの目は、再び足元のお菓子を映す――フランシアは、クロエのこともちゃんと、気遣ってくれる。

 申し訳なさで一杯になり、とっさに言葉が出ない。

 クロエは両手で扉に縋り、そこに額をつけた。

 

「すみませんでした」


 そんな言葉はもう、届かないかもしれないけれど。

 

「私…確かに、フランシア様の大事な方を貶めるようなことを言いました。…フランシア様に対する思いやりに欠けた発言でした。…申し訳ありません」


 フランシアから応えは無く、クロエの心を絶望が支配しかける。それでも今は己を奮い起こし、懸命に訴えることしか出来ない。

 

「私も好きな人のことを一方的に悪者みたいに言われたら頭にきます。なにこいつ!って思います!分かるんです!――私も姫様と同じように、恋をしているので…!」


 勢いで、余計なことまで発表してしまった。我ながら恥ずかしくて、じわじわと後悔が襲う。

 かなり気まずい沈黙が続き、もしやフランシアはもう居ないのでは思った時、ふと扉の向こうから驚きの滲む声が返ってきた。

 

「クロエが…?」


 クロエはハッと顔を上げる。

 

「はい!」

「……嘘」

「嘘じゃないです!」

「でも前は好きな人なんて居ないって言ってたじゃないっ」

「言いました、言いました!その時は居なかったので!彼に出会わせてくれたのはフランシア様ですよ!」

「え?…私??」

「はい!彼、クローディアの皇子様なので!」

「…………は?」


 流石に予想外過ぎたのか、フランシアの声はかなり訝し気になった。クロエは慌てて説明を足す。

 

「あ、正確に言うと、お母さんがクローディアの皇妃様なだけで、彼自身は皇族として生まれたわけじゃないんですけどね。その人、フランシア様と結婚式を挙げる予定の人だったんです。私、フランシア様の身代わりになって行った先で、まんまと結婚相手を好きになってしまったんですよ。だって、この人だったら本当に結婚しちゃってもいいなぁって思っちゃうくらい素敵な人だったんですもの!!見た目も中身もド真ん中で!ほんとにド真ん中で!!…年下なんですけどね、5歳ほど。あはは、犯罪ですね」


 顔が見えないせいだろうか。だんだん何かが麻痺してきて、クロエは相手がフランシアだとは思えないほど饒舌になっていた。

 話が途切れたらまた置き去りにされるような強迫観念も手伝い、捲し立てた。


「名前はジルっていうんです。あ、本名はジュリアンなんですけど、皆はジルって呼んでいて…」

「ジル…」

「はい!彼、姫様と同じで竜を呼べるんですよ。あ、でも人間なんですけどね。私、人の地に来て初めて竜に乗ってしまいました!すっごく快適で、想像していたのとは全然違いました!」

「竜に…」

「おかしいですよね!身代わりのくせに恋してるなんて。自分でもおかしいです!身代わりになれって言われた時にはこの世の終わりって感じに落ち込んでたくせに、あれは何だったのか!振り返ってみると――」


 不意に涙が湧いて、クロエの声は微かに震えた。

 

「――楽しいことしか、なかったです…」


 まな裏に、優しい人達に囲まれて、大事にされて過ごした日々が甦る。ジルの婚約者として、ぐんぐん育つ彼への想いを無駄な足掻きで抑えつけながら――クロエはずっと幸せだった。本当に本当に幸せだったのだ。

 だからだろうか、フランシアを恨む気持ちになれないのは。

 フランシアだって恋をしている。クロエと同じように真剣に恋をしている。何もかもを捨ててまで、彼との未来を望む程に。

 不意にカーライルに寄り添って街を歩いていたフランシアの笑顔を思い出し、クロエの胸はその時とは違う痛みを覚えた。理由はどうあれ――クロエは今、2人の仲を壊そうとしている。

 紛れもない正義だと思えていた自分に対する疑念が、クロエをぐらつかせる。

 ふと気付けば、扉の向こうも静まり返っていた。


「……フランシア様…?」


 返事は無かった。行ってしまったのだと思って肩を落とした時、不意に声が返った。

 

「ジルって…、ラフレシアに居た…?」


 クロエは、大きく目を見開いた。

 

「そうです!」

「お母さんが、クローディアの皇妃様…」

「そうです!あ、もしかして噂でお聞きに…」

「――魔道士の…?!」


 被さるような問い掛けに、クロエは目を瞬いた。

 魔道士の…?

 それはジルのことだろうかと思いながら「魔道士かどうかは分からないんですが…」と返したが、フランシアはムキなって「魔道士よっ!」と断じる。


「だって私の遠見を跳ね返したもの!」

「…遠見…?」


 扉の向こうで息を呑む気配が伝わる。ハッとして、クロエは声を上げた。

 

「姫様…、ジルを遠見したんですか??――どうして…??」


 フランシアから返事は無い。思わず「姫様?!」と呼び掛けた時、重なるようにして男性の声が聞こえた。


「シア?そこに居るの?」


 カーライルだった。

 あぁ、来てしまった――。

 がっくり肩を落として、クロエは扉から手を離す。それと同時にキィと音を立てて外側から開かれ、明かりを背に立つフランシアが現われた。

 彼女は呆然とするクロエの腕を掴むと、「出てきて、クロエ」と部屋から引っ張り出す。

 結果的にクロエと対面することとなったカーライルは、フランシアのその行動に戸惑った様子で訊いた。

 

「どうしたの、シア?クロエに何か言われた?」 

「クロエが、あの子のことを知ってたわ」


 フランシアは唐突にそう告げた。いつもと違う目と声に、カーライルは僅かに怯んだ様子だった。「…あの子?」と訊き返しながら、クロエをちらりと見遣る。

 

「竜に乗れる子供…。ジルって呼ばれてた…私が遠見した子よ」


 彼はとっさにフランシアの言いたいことを理解したらしく、訊かれる前に答えを返した。

 

「そんなの…、ラフレシアでは有名な話だろ?どこで聞いたかは知らないけど…」

「――彼のお母さんがクローディアの皇妃様だっていうことも?!」


 カーライルは絶句した。それはフランシアが遠見して初めて判明したことだった。フランシアは訴えるように「クロエはそれを知ってたのよ!」と続けて言う。

 

「シア。落ち着いて…」

「クロエは嘘なんて吐いてなかったのよ!本当に私の身代わりとして、クローディアに行ってくれたんだわ!」


 フランシアの辿り着いてしまった結論を、否定する術は無かった。カーライルも、そしてクロエも口を噤んだ。どちらもただ、フランシアの次の言葉を待った。

 フランシアは大きく息を吐き、カーライルを見詰める。

 

「カーライル…。あなたがそれを知ってたなんてこと…、知ってて私に黙ってたなんてこと…無いわよね??」

「知らなかったよ勿論!」


 カーライルはとっさにそう叫んだ。そしてクロエの様子を窺う。クロエは反論はしなかった。嘘だと訴えたい気持ちを、ぐっと抑え込んだ。

 フランシアはクロエの方を見て、もう一度カーライルに目を戻す。

 

「…クロエの話を聞きましょう…」


 何より待ち侘びたその一言に、クロエはハッと目を見開いた。

 

 ――瞬間、フランシアは何かに撃たれたようにびくりと肩を震わせた。

 息を呑み、背後を振り返る。

 

「嘘…!」


 そのただならぬ様子に、カーライルも思わず「シア?」と呼び掛けた。だがフランシアはその声に応える余裕もないほどに狼狽え、蒼ざめる。


「どうして…、信じられない…」

「シア、どうした?!」

「フランシア様…?」


 2人の声で、フランシアは我に返ったようだった。カーライルの胸に縋って、信じられないことを告げた。

 

「お父様が居る…!お父様が近くに居るわ…!」

「何だって?!」

「――だって、こんなことお父様以外に出来るはずがない…!」


 カーライルは思わずクロエと顔を見合わせた。その目はどういうことだと問うていたが、クロエも答えは持たなかった。

 

「何が起きたの、シア?!説明して」


 フランシアは悲壮な声で答えを返す。

 

「……誰かが遠見の力で、私の結界を突破してきたのよ…!」


 

 

 ラフレシアの遥か上空、ジルはその瞬間、カッと目を見開いた。

 燃えるような紅い瞳が、輝きを増して再び現れる。

 ずっと追い求めていた気配が、確かに意識に触れるのを感じた。

 捕えたと同時に、今再び、はっきりとその姿を映し出す。

 向き合うようにして立つ3人。怯えた顔で辺りを見回すフランシアと、彼女を呆然と見詰めるカーライル。そして――。

 

「――クロエ…、居た…!」


 その呟きに呼応するかのように、ジルを乗せた竜は大きく旋回すると、ラフレシアの大地へ向けて降下を開始した。


 ◆


「カーライル、何処に行くの?!」


 ジェラールに見付かったと聞き、真っ先に動いたのはカーライルだった。

 フランシアとクロエを急き立て、庭へと連れ出す。困惑するフランシアに、彼は「竜を呼んでくれ!」と乞うた。

 

「だから何処へ…」

「何処でもいい!ひとまずジェラール・エンバリーの遠見が届かないところだ!早く!――連れ戻されたくはないだろう?!」


 その一言で、フランシアの腹も決まる。

 遠見がフランシアを探すものか、またはクロエかカーライルか、彼女に判断は出来なかった。ならば全員で一旦ラフレシアを離れるしかないというのが、カーライルの結論だった。

 黙って彼に従うその姿を、クロエは息を詰めて見守るしかない。何が起きているのか分からなかった。

 フランシアの話のよると、誰かがフランシアの結界を突き抜ける勢いで遠見をしてきたらしい。それは確かに信じ難い話だった。

 結界が張られているという前提で、それを壊しに来るならば分かる。上級魔道士のフランシアを超える力が必要になるのだから大変なことだが、彼女は「結界を壊された」のではなく「結界を突破して遠見された」と言った。

 それは壊す壊さない以前に、相手の力を前にフランシアの結界が効力を発揮できなかったということになる。

 相手はジェラールだと断じるフランシアの気持ちも分かるというものだ。

 ただ、ジェラールがラフレシアに来ているなら、それはクロエにとっても信じがたい話だった。

 カミラがクローディアを出てから一週間弱。時期が早すぎるような気もする。橋の国からでも一週間かかるのだ。クローディアから発って、それより早い筈がない。

 万が一、カミラが辿り着いていたとしても、ジェラールが来る場所はラフレシアではない。クローディアの筈である。クローディアへの入国許可しか貰っていないのだから…。

 

「クロエ、行くよ!」


 カーライルに促されて、クロエは我に返った。

 考えている間に、庭には竜が降り立っていた。何処から来ているのか、相変わらず早すぎて驚く。竜は瞬間転移の技を持っているのだろうか。

 フランシアの呼んだ子は、いつもジルのもとへ現われる青銅色の竜ではなく、白銀色をしていた。それにジルの子より一回り小さい。

 

「え、3人乗れますか?」


 不安になって訊くと、フランシアは「くっつけば大丈夫よ!」と、あまり安心できない答えを返してくれた。

 

 ――くっつく……え、誰と?

 

 躊躇っている間にも、「早く!!」とカーライルに背中を押され、フランシアに腕を引っ張られ、クロエは訳の分からぬまま上空へと連れ出されてしまったのだった。

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