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魔道士の証

 目覚めた時、最初に目に映ったのは自分に手をかざすフランシアの姿だった。

 夢の中のような感覚で、クロエは霞みがかった彼女を見詰める。泣きそうなその顔に「フランシア様…」と小さく呼び掛けると、視界のフランシアは、ふいと目を逸らした。


「フランシア様っ…」


 反射で身を起こすと、クロエの目は彼女の背後に立つカーライルを認める。同時に現状を思い出し、さっと蒼ざめた。

 

「久しぶりだね、クロエ」


 薄暗い部屋の中、そう言ったカーライルの笑みはどこか不気味に映った。

 クロエが居るのは地下の倉庫という風情の部屋だった。窓が無く、通気口だけ空いている。明かりは壁のランプひとつ。木箱や古い家具が乱雑に置かれており、クロエ自身はその中のひとつであろう長椅子に横たえられている。

 それを確認したところで縋るようにフランシアへと目を向けると、彼女は背を向け、逃げるように部屋を駆け出していった。

 

「フランシア様!」


 呼び声に止まっては貰えず、ばたんと扉が閉ざされてしまう。

 呆然とするクロエを、カーライルは愉しげに笑った。

 

「残念だね。シアはもうきみと話したくないって。…考え無しだな。こうなることが予想できなかったの?」


 そんな言葉に言い返す気力も無く、閉ざされた扉を見詰める。己の迂闊さを呪っても、もう遅かった。

 何故考えなしに飛び出して行ったりしたのだろう。フランシアに会えれば全てが解決するような気でいたお気楽な自分に心底嫌気が差す。

 ジルが心配しているだろう。探してくれているかもしれない。折角これからヴィンス家に行く筈だったのに。クロエのせいで、彼の進む道まで遮られる。

 そう思うと、胸が張り裂けそうに痛かった。


「驚いたよ、まさかここで会うなんて。きみは収監されてるんじゃなかったの?まさか脱獄した?」


 項垂れるクロエのことなど意に介さず、カーライルはひとりで喋る。

 

「どうやってここに来たの?僕が密使だなんて、誰の発想だい?…どうせ証拠なんて無いんだろうけど」


 言い返すことも出来ず、ぎゅっと拳を握る。そんな反応を見ていたカーライルは、腕を組んで満足気に頷いた。

 

「やっぱりね。…クロエは素直だよね」


 分かりやすくて助かるなと、カーライルは笑って言った。クロエの顔はかぁっと赤くなる。

 

「…まぁ何も話したくないなら話さなくてもいいよ。きみはもう充分役に立ってくれたし、暫くは此処でのんびりしていればいい。どうせあと数日でエヴァンゼリン姫が皇妃の座を降りることは決まるからね。…その後に、エドワード皇子にでも引き渡してあげる。シアには…そうだな、説得に応じてル・ブランに帰ったとでも言っておこうかな?」


 絶望感に潰されそうで、顔が上げられない。クロエは震える声で、漸く小さな声を漏らした。

 

「…それが目的なの?」 

「ん?」

「……ただ…エヴァンゼリン様を排斥するために…、ル・ブランまで貶めるようなことを…?」


 カーライルは目を丸くし、ひょいと肩を竦めた。

 

「まぁ、結果的に」


 事も無げに答える。その口調は、本気でたいしたことではないと感じている風で、彼のしたことがこの先の未来にどんな影響を与えるかなどという事には、ひとつも興味が無いことが伝わる物言いだった。


「…フランシア様のことを…どうするつもり?」

「あぁ…、あの子のことは心配しなくても、ほとぼりが冷めたら結婚するよ。シアは可愛いし、凄く僕の役に立ってくれるからね」


 クロエは目を閉じ、額に手を当てる。頭に渦巻くのはどれだけ彼にぶつけても意味を成さない恨み言ばかりだ。何を言われたって、彼は揺るがない。それが分かっているから、何も言う気になれない。ただ猛烈に疲労感が襲って、倒れ込みそうだった。

 

「……あなたには…大事な人は居ないの…?」


 嫌味では無く、それはクロエの心からの疑問だった。だがカーライルは、呆れたように苦笑を洩らす。

 

「それは僕にとって利用価値がある人ってこと?」


 耳を疑う返しに、クロエは思わず顔を上げていた。

 

「…本気で言ってるの?」

「何が?」

「本気であなたにとって…大事か大事じゃないかの基準は…役に立つか、立たないか…だけなの?」


 カーライルの顔にいつもの笑みは無く、無表情にクロエを見下ろしている。

 

「…僕だけじゃない。誰だってそうだろ?」


 意外な返答に、クロエは束の間声を失った。冗談でもなんでもない、心からそう思っているのが伝わってきて、身が竦んだ。

 その冷えた目を見ていたら、不意に恐ろしい考えが浮かんでくる。もしかしたら彼自身が一度も、無償の愛というものを感じたことが無い人なのかもしれない――。

 クロエはハッと我に返り、己の仮説を振り払うように言った。

 

「だったら…、だったらフランシア様は?!あんなに純粋にあなたを想っているのに…!」

「あの子は政略結婚やエンバリー家のしがらみから解放されたかっただけだよ。そのために僕を利用したのを、愛だとか言って正当化してるに過ぎない」


 迷い無く答えたカーライルの目は、氷のようだった。愕然とするクロエに、彼はいつもの表面的な笑みを浮かべてみせる。

 

「…じゃぁね。ごゆっくり」


 そう言い残すと、踵を返して部屋を出て行った。

 

 ◆


 その日ラフレシア王城の敷地内にある議会場では、諸侯と国王による総議会が執り行われていた。

 月に一度のその集まりでは、ヴィンス、ヒルトンの両公爵のみならず、各地の領主達が一堂に会す。自ずと警備は厳重になり、その巨大な建物の入り口では衛兵が数人がかりで見張りを行っていた。

 日が高いうちから始まった議会は、終る気配が無いままに夜を迎えている。いつもと変わらないかに思えた任務の最中、最初の異変は唐突に起こった。

 夜の静けさを破り、不意に凄まじい羽音が割って入ったのだ。

 思わず首を竦めるようなそれは、普通の鳥のものでは明らかになかった。衛兵が全員ハッと視線を巡らす中、続いて獰猛な獣の咆哮が空気をつんざく。

 

「う、うわぁ!!」


 得体の知れない存在を前に、衛兵達は本能的にその場から逃げ出しかけた。が、ふと視界の端に映った黒い影に、足を止めて振り返る。それで漸く全員の目が、鳴き声の主を捉えることが出来た。

 議会場の天辺に降り立っていたのは、ぞっとするほど巨大な翼竜だった。

 月明かりに縁取られたその影は、石造りの屋根に爪を立て、長い首をもたげる。金色に輝く双眸だけが闇に映え、その威圧感は全員の身を竦ませた。

 ふと兵士の1人が、竜の陰に人の姿を捉えた気がして瞠目した。だがはっきりと認識する前に、翼竜は次の動きに入った。再びその翼をいっぱいに広げ、あろうことがこちらへと舞い降りてきたのだ。

 数人居た衛兵は悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らすようにその場から逃げ去った。

 

 その騒ぎは当然、議会場の中にまで届いていた。

 獣の声に戦慄していた諸侯は、続いて届いた兵士達の悲鳴で我を失う。騒ぎ出す者、とっさに逃げようと立ち上がる者、様々な反応が起こる中、議会場の一番大きな入り口の扉が、突然ばんっと勢い良く開かれた。

 全員の視線が、そこに現われた者に集中する。

 立っていたのは予想に反し、黒髪の少年ただ1人だった。

 獣の姿も、兵士の姿も無い。場は水を打ったように静まり、張り詰めた緊張感に支配される。

 その時、不意に少年が動いた。

 彼が駆け込んで来るのに合わせ、流石に護衛の騎士達も反応する。自分を取り押えようという気配を感じてか、少年は足を止めると同時に、首から提げていた金色の鎖を力任せに引き千切った。その先についている紋章を、国王と居並ぶ諸侯に対し、掲げるようにして告げる。

 

「ラフレシア国王陛下、お初にお目にかかります!自分はジュリアン・ヴィンス・クローディア。――エヴァンゼリン・ヴィンスの息子にして、クローディア帝国4番目の皇子として、皇籍に名を連ねる者でございます」


 王の、髭に覆われた顔に驚愕が滲む。

 居並ぶ諸侯は一斉にある人物を振り返り、少年の目もそれを追った。

 60代くらいに思える紳士が視線に応じるかのように、一歩前に出る。

 

「…エヴァンゼリンの…?」


 自分の前に現れたその男性に、少年は今更とも思える問い掛けを返した。

 

「ヴィンス公爵閣下ですか…?」


 紳士は一瞬躊躇いをみせたが、「そうだ」と応じた。エヴァンゼリンに子供が居るなどと、彼にとっては初耳だった。訝しみながらも、娘と同じ黒髪に紫色の瞳、なによりその面影を色濃く受け継いだ顔立ちは、他人とは思えなかった。

 戸惑うヴィンス公爵に、少年は手にしていた紋章を下ろして向き直る。

 

「申し訳ありません。先にお屋敷を訪ねたのですが、こちらにいらっしゃると伺って…」

「先ほどの騒ぎは何だ?」


 少年の目的は自分であるようだと判断し、ヴィンス公爵はその場に居る全員の疑問を代弁した。少年は困ったように眉を下げる。

 

「…竜に乗ってきたもので。お騒がせして申し訳ありません、今は空に戻っています」

「竜に…?!」


 皆がざわめく。誰かがふと「竜遣いのジルか?!」と声を上げたことで、その場は余計に騒々しさを増した。ヴィンス公爵はその発言を受け、「そうなのか?」と少年に問う。彼は「そう名乗っていた時期もありました」と言いにくそうに答えた。

 ヴィンス公爵は絶句する。

 

「…だからこそ、今まで閣下にお会いすることも出来ませんでした。申し訳ありません」

「な、んと…」


 どよめく諸侯の中にはヒルトン公爵の顔もあった。彼もまた呆然としていたが、その驚きの理由は皆のものとは違った。

 目の前に現われたのは竜に乗れる子供で、エヴァンゼリンの息子だという。だがそれが、こんな所に居る筈は無かった。その者は現在、エドワード皇子により収監されている筈で――。

 少年は諸侯1人1人の顔を確認するように、ゆっくりと視線を巡らせながら語る。

 

「このような大事な場に突然お邪魔した無礼はお詫び致します。…が、非常事態ですので、どうかご理解下さい。現在母はラフレシアからの密告により、あらぬ疑惑をかけられております。…このままでは、国を追われることになるでしょう」


 唐突な宣告に、ヒルトン公爵以外の全員が衝撃を受けた。騒然となったのは、”ラフレシアからの密告”という部分に対してだ。

 

「それは真か…?!」


 ヴィンス公爵の問い掛けに、少年は「はい」と応えながらも、視線は変わらず人々を探っている。まるで誰かを探しているようだと感じ、ヒルトン公爵はごくりと固唾を呑んだ。少年の瞳がヒルトン公爵を映し、僅かに身が竦む。だが何事も無く逸らされ、ほっと安堵した。

 少年は全員の顔を確認し終わると、「居ない…」と小さく呟いた。それを聞いた国王が少年に歩み寄る。

 

「密告者の正体は分かっているのか?」

「はい。カーライルという名の男です。ル・ブランへ密使として派遣された――」


 あまりの驚きに、ヒルトン公爵は危うく声を上げかけた。――何故この子供が、それを知っているのか…!

 国王も同じ思いなのだろう、その目はとっさにヒルトン公爵に向けられる。密使の件を知っている者全員が、つい同じ動きになった。

 少年がそれを追うように振り返ったことで、ヒルトン公爵の肩が跳ね上がる。

 国王はそれで己の失態に気付いたのか、誤魔化すように少年に問い掛けた。

 

「…何故密使などという話が出るのだ?貴国に嫁いだル・ブランの姫がそのようなことを?」

「フランシア姫はクローディアには来ておりません。この国に、カーライルと伴に居ます。――失礼」


 それだけ答えると、少年はヒルトン公爵の方へと足を向けた。

 

「待て!それはどういうことだ?!」


 少年は答えず、ヒルトン公爵の前でぴたりと止まった。いつの間にか、公爵の近くに居た者達は、場を譲るかのようにどいている。

 一対一の構図になり、ヒルトン公爵の額には嫌な汗が滲んだ。

 成長したせいか、少年の顔はエヴァンゼリンに生き写しだった。真っ向から見据えられると、本人に責められているような気になる程に。

 

「カーライルをご存知ですか?」


 少年が静かに問うた。

 

「……カーライル?…はて、どこの家の者かな…」


 たじろぎながらも、公爵はあえてそう訊き返す。この少年はカーライルの家の名までは知ってはいないと感じていた。思ったとおり「それは存じません」と返って来る。

 

「では分からんな」

「…では閣下のお名前を教えてください」

「何故私が名乗らねばならぬ」

「何故名乗って頂けないのですか?あなたがル・ブランへ密使を送り込んだ張本人だから?」

「――なんと無礼な…!そのような事実がそもそもあるものか!」


 ヒルトン公爵はそう叫んで、援護を乞うように国王を見た。彼が何かを言いかけた時、少年はヒルトン公爵の腕を掴む。

 

「は、離せ!!」


 恐怖を感じ、ヒルトン公爵はとっさに身を捩った。だがその動きも、次の瞬間凍りつく。

 彼を睨み据える少年の瞳は、不意に奥から火が生まれたように紅く染まった。

 ひぃっと喉が鳴る。

 遠巻きに見ていた者達も、その変化に揃ってたじろいだ。

 少年の眉が、憎々しげに歪む。そして唸るように言った。

 

「…やっぱりそうだ…。全てあなたとカーライルが仕組んだことなんだ…。――自分の娘を、皇妃に据えるために…!」


 背筋にぞわりと悪寒が走る。紅色の瞳は目の前の自分を通り越し、何か違うものを映しているようだった。そんな現象に公爵は覚えがあった。フランシアが以前、目の前で魔道を披露した、あの時と同じ――。

 危険を感じ、ヒルトン公爵は力任せに少年の手を振り払った。だが少年の呟きは、遠巻きに見ていたヴィンス公爵にも聞こえていたらしい。顔色が変わっている。

 

「皇妃に――?」

「違う…!!」


 ヒルトン公爵は反射的にそう叫び、後ずさった。だが、少年はぐいと詰め寄ってくる。

 

「クロエは何処だ」

「……な…」

「カーライルは何処だ!」


 再び掴まれそうになり、公爵は大きく飛び退いた。その拍子に椅子にぶつかり、一緒にひっくり返る。そんな状態でも、声を限りに叫んだ。

 

「――こ、この者を捕らえろ!!!」

 

 ヒルトン公爵の命令に、騎士達はとっさに反応出来なかった。その尻を叩くように、公爵は「早くしろ!」と喚く。

 

「この男は魔道士だ!この瞳を見ろ!!この紅い瞳を!!」

 

 そう言って人差し指を突きつけた瞬間、少年はまるで刺し貫かれたように凍りついた。

 紅い目が見開かれ、その衝撃を物語る。

 気付いていないのだ――。その事実に力を得て、ヒルトン公爵は声を上げた。

 

「魔道士でありながら、何故人の地に居るのだ!!お前は以前、ル・ブランから戻ったのではなかったのか!!ジェラール・エンバリーの判定は偽りだったということか?!」


 少年は愕然として立ち竦んだ。

 形勢は逆転した。竜遣いのジルがただの人間だという前提を、わざわざ自分から崩しにきた。なんと愚かな。ヒルトン公爵は内心で高笑いしながら、周囲に聞かせるよう声高に言った。

 

「そうか!お前、エヴァンゼリン姫の息子だということは、ジェラール・エンバリーの子供なのだな?!それが人と偽ってクローディアの皇籍に入ってるのだな?!――だとすれば、密使はお前ではないか!!」


 その論理展開は、以前カーライルがエドワード皇子を相手にしてみせたものだ。周囲の空気にその時と同じ手応えを感じ、公爵は「何をしている、捕らえろ!捕らえるんだ!!」と騎士達を煽った。

 騎士達は今度こそそれに応え、数人がかりで少年を拘束に動いた。だがその手が届いたと思った時、彼の周りから一斉に弾き飛ばされる。床に倒れた彼等には何が起きたのか全く分からなかった。まるで見えない力に押し返されたように感じた。

 驚愕を露に、目の前の少年を振り仰ぐ。彼はただ呆然と虚空を見詰めていた。その唇は震え、衝撃を引き摺る瞳は騎士達を映していない。それでもその、人のものとは思えぬ色が、今の現象の理由を物語っている。

 魔道士が魔道を以て人を害することがあれば、重罪となる。騎士は警告を発しようと口を開きかけた。――途端、地鳴りが沸き起こる。

 ぞっとするような轟音と伴に、床が震え出した。

 次いで壁や天井が一斉に音を立て、亀裂が生まれる。

 

「う、うわぁ!!」


 明らかにただの地震ではなかった。そこまで激しい揺れも無いのに、四方八方から石が割れる音が響き渡る。何が起こるかは明白で、誰もが恐怖に慄いた。

 天井からばらばらと、崩れた屋根の破片が降ってくる。その間にも、壁の亀裂は広がっていく。

 頭を庇う者、堪らず逃げ出す者、激しい混乱の渦を、国王は一段高い場所から呆然と見ていた。誰かが「陛下!お逃げ下さい!」と声を上げる。


「や、やめろ…!」


 その中央で1人、何も見えていないかのような目で佇む少年の体からは、瞳と同じ、妖しげな紅い陽炎が立ち上り始めていた。

 

「やめろ!!――やめてくれ!!」

 

 国王は堪らず悲鳴を上げていた。議会場に響き渡るような哀願だった。

 その瞬間、少年はハッと我を取り戻した。同時にまるで火のように揺らめいていた紅が、その瞳から消え去る。

 揺れと同時に、崩落もまたぴたりと止まった。

 少年は正気を取り戻した瞳で、ぎこちなく辺りを見回した。それで漸く、何が起きたのかに気付いたかのような顔だった。震える瞳は、彼を見返す恐怖の目を、ひとつひとつ見返す。

 誰かが小さく、化け物だと呟いた。

 少年の手から金の紋章が落ちる。床にぶつかり、小さく跳ねた。

 不意に彼は、片手で自分の腕を掴んだ。自分自身を抱き締めるようにして、詰めた息を吐き出す。

 ぐっと固く目を閉じ――。次に開いた瞬間、その場を駆け出していた。

 議会場を去っていく彼を、引き止められる者は1人として居なかった。

 

 暫し不気味なほどの静寂に包まれたその場の空気は、ゆっくりと時間をかけて弛緩していった。

 ヒルトン公爵は、ずれた眼鏡を震える指でなおした。そして精一杯平静を装い、呆然とするヴィンス公爵に呼び掛ける。

 

「ヴィンス公爵、…これは由々しき一大事ですな」


 我に返った公爵はこちらを振り返り、形のいい眉を顰めた。

 

「…何が言いたい?」

「言うまでもないことでございましょう。皆が証人です。あなたのお孫さんは、紛れもなく魔道士だ。私はこれを、クローディアに報告致しますぞ」


 正確にはエドワード皇子に。

 ヒルトン公爵は内心でそう付け足し、蒼ざめた顔に笑みを浮かべた。

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